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妖術夢想  作者: 四畳半
3/11

第2章「幸運と不幸の違いとは」

「……暑い」

 思わずそう呟いてしまう程今日の気温は例年にも増して高く、このペースでいったら温度計がカンストしてぶっ壊れるんじゃないかと心配してしまうくらいだ。

 まさにヒートアイランド。

 このままでは焼け死んでしまいそうだ。

 全身が水分と塩分を欲しているのがわかる。

 この渇きを至急潤さないと危険だと本能で察知した。

 とはいえこの季節は財布の紐が緩みがちになる。

 昨日はネット通販で中古の漫画を全巻セットで買って残金は残り少ない。

 ここでジュース(120円)を購入すれば僕の財布は夏なのにも関わらず氷河期を迎える事になるのは讃岐のみやつこが根元が光る竹を見付けるよりも明らか。

 竹という名の自販機を中から出てくるのはたいそう可愛らしく座っているミニマム幼女ではなく、原価や人件費を考慮しても明らかに120円も価値がないであろうサイダーだ。

 たかだか120円だと笑ってしまうだろうが、僕にとってはされど120円だ。

 120円なら何ができる?

 そう思うだろう、だけど120円には無限の可能性がある。

 穴が開いたコスパ最強の10円スナックならば12本買えるんだぞ。

 12本ならばいくら駄菓子といえども侮れない。

 味の濃さもあってお腹がすぐに膨れるだろう。

 そう、ラーメン一杯500円で満腹になる保証はないのに、ウマい棒ならば120円で満足だ。

 その貴重な120円をこんな所で使っても良いのか。

 僕の頬を汗が一筋流れる。

 ここで120円を消費して得られるものは一時の潤いと経済を円滑に動かす為の油差しだ。

 たったそれだけの為に僕は120円を手放して良いのか。

 自販機は何も語らず、ただ清涼飲料水を冷やすばかり。

 ダクトから熱風が吐きだされる度にぶおーっという音が出るが、その音は紛れも無く僕をあざ笑う声に違いなかった。

 偉い人『これより第147回脳内会議を開始する』

 1『今回の議題は【予算の120円をどうするか】について。僕は買わないに一票』

 2『じゃあこっちはジュース買う』

 3『僕も買う』

 4『じゃあ僕も』

 5『これは買うしか』

 6『買うのが普通』

 7『サイダーうまいから良いじゃん』

 8『逆に買わない人間が信じられない』

 1『……えぇ!?』

 偉い人『――では、これにて【予算の120円をどうするか】の議会を終了する』

「よし、買おう」

 僕は脳内で開いた議会を終了させ、そう結論づけた。

 なんだかんだで1人以外の満場一致で決まってしまった。

 それだけ僕の身体は潤いを求めていたという事だろう。

 あれだけ悩んだのは何だったのか、とも思うがあの熟考があったからこそ後悔のない結論が出るのだ。

 このような選択はこれからも何度も起きるであろう。

 結論を慌てて出すのではなく、時間を十分に掛けて決めるのが大事だと僕は考える。

 さて、早く購入しなければ。

 この暑さだと飲んでもすぐにまた喉が渇いてしまうだろうが、幸い現在は5時間目と6時間目の間の休み時間だ。

 あと1限耐えればめでたく放課後である。

 そうしてすぐに帰宅すれば良いだろう。

 お金ならばいらないものでも売って入手すれば良い。

 という訳で僕はジュースを買う事にしたのだが……。

「……出ないな」

 ジュースが出ない。

 おかしいな。

 なけなしの120円を使ったというのに商品が出ないだと。

 僕は募金した訳じゃないんだぞ。

 ボタンを連打する。

 この速さと力強さ、精密さは全盛期の名人にも及ぶくらいではあるだろう。

 それだけ僕は追い詰められていた。

 きっと今の顔は泣く子も黙るようなおぞましい表情だったに違いない。

 実際、通り掛かった生徒がこちらにぎょっとした目を向けて足早に逃げている。

 彼らに僕の気持を汲み取ってほしいと思うのは酷だろう。

 しかし顔を見られて逃げられる、というのはいかがなものか。

 むさ苦しい野郎ならともかく麗しき乙女にまで可愛い悲鳴つきで逃げられるというのは僕の精神にフォッサマグナよりも深い傷を負わせられる。

 年頃の少年がこんな傷を負えば将来は不良の歪んだ背骨よりも捻くれた精神になりかねない。

 金をパクった挙句、何も答えない自販機の上、この仕打ち。

 僕は最早再起不能だった。

 偉い人『これどうする……?』

 1『お前ら全員首吊れ』

 脳内に住んでいる彼らはもう殺伐としていた。

 今の彼らならホッキョクグマと対峙しても瞬殺できるのではないか、とプレッシャーを抱くくらいにはもう索漠としていた。

 勿論彼らの総意である僕の精神も地獄深くに存在する針山の如く刺々しい状態となっていた。

 今ならばきっと僕はセガールだって倒せると思う。

 いや、相撃ち……やっぱり傷を負わせるくらい。

 取り敢えずそれ程まで僕はご立腹だった。

 とはいえ泣き寝入りする訳にはいかない。

 おつりのレバーを押しても引いてもお金は出ないなら力技で出せば良いだけだ。

 僕は金を奪った挙句、沈黙を決め込んでいる自動販売機にゆっくりと近付いて行く。

 そうして憎きその腹に蹴りを叩き込んだ。

 会心の一撃だった。

 入った、と確信を得た瞬間に抵抗と衝撃と痛みと熱を感じた。

 僕は悶絶してごろごろと廊下を転がる。

 流石にバーローの筋力増強シューズ並みの蹴りを放つ必要は無かったのではないか、と思うがこれでジュースかお金は出てくる筈だ。

 僕は痛みと期待の混じった顔で自動販売機を見る。

 しかしジュースもお金もそこには無かった。

 頭の血管が千切れそうになった。

 なんだこれは、一体どういうつもりだ。

 あれか、これは新手の犯罪か。

 きっとそうだ。

 僕はゆっくりと立ち上がり、自動販売機に近付く。

 僕が蹴りを命中させた地点は無残に凹んでいる。

 まるで交通事故を起こした車の装甲のよう。

 しかし何も出ない。

 どれだけ貴様は金が欲しいのか。

 我を忘れた僕は痛みも傷も時間も忘れて自販機に蹴りやグーパンチを放ちまくった。

 絶対に出させてやる。


   ×


「――で、名前は?」

「焔魂夜行です」

「学年と組は?」

「2年1組です」

「どうしてあんな狼藉を働いたのか言ってもらおうか」

「ムシャクシャしてやりました。後悔はしています」

「よし、謹慎処分にしてやろう」

「勘弁してください」

 僕は深々と頭を下げた。

 まるで頭を床に突っ込みかねない程の深さである。

 椅子の上での土下座。

 これならばいくら「鬼の生徒指導」とも呼ばれる岩鋼いわがねでも今にも噴火しそうな火山を彷彿とさせる程の怒りを鎮めてくれるだろう。

 噂では何人もの不良生徒をこのご時世、鉄拳制裁で更生させているという話だがこのままいけば大丈夫そうだ。

 我ながら完璧、僕は内心ほくそ笑みながら上目遣いに彼の顔を見る。

 ……お、おう、顔の陰影が不自然に濃くなっているよ。

 なんだか漫画みたいに血管が浮き上がっている。

 今にも破裂しそうな程で血圧とか大丈夫なのか、と僕は他人ながら心配する。

 黒光りしている肌が今度は怒りからか赤くなっていた。

 皺なんて小学生が作った彫刻を思わせる程の深さ。

 悪く言えばブサイクである。

 目つきの悪い三白眼。

 腫れぼったい唇。

 ツルツルのスキンヘッド。

 いつもこんな顔をしているからいつまでも独身なんだよ、と悪態をつくが顔には出さない。

 下手をしたら殺されそうだ。

 そうされなくても空手、柔道、レスリング……古今東西あらゆる格闘を極めた彼の「後遺症も怪我も一切負わせない、痛みだけを与える必殺の一撃」を喰わされかねない。

 それは100人もの愚者を地に伏れさせたという。

 それが本当か嘘かはさておき、僕が食らったら再起不能になるのは火を見るよりも明らか。

 取り敢えずここは冷静な対処が大事だ。

 僕は彼から視線をどかす。

 なんだかこのまま直視していたら僕の幸運度が更に下がってしまいそうな気がしたのだ。

 元々加護が少ない僕がこれ以上アンラッキーになったら生命の危機すらある。

 というかこの威圧感に耐えられる人間が居るのだろうか。

 まるで詰問のごとき目力。これには簡単に折れてしまいかねない。

 僕は目だけを動かして周囲の状態を再確認する。

 その部屋は生徒指導室という名前まんまの部屋で、悪事を働いた生徒を指導する場所である。

 そこには調度品と呼べるようなものは一切ない。

 あるのは業務用のゴツいテーブルとパイプ椅子、そして竹刀やら鞭やら蝋燭やら三角木馬くらいだ。

 なんだかいくつかおかしいのが混ざっていたが気にしてはいけない。

 きっと疲れて幻覚でも見たのだろう。

 ちょうど昨日は深夜までSM系のエロいゲームをしていたし。

 うん、そのせいに違いない。

 僕は再び部屋を見回す。

 その部屋は生徒指導室という名前まんまの部屋で、悪事を働いた生徒を指導する場所である。

 そこには調度品と呼べるようなものは一切ない。

 あるのは業務用のゴツいテーブルとパイプ椅子、そして竹刀やら鞭やら蝋燭やら三角木馬くらいだ。

 完全にそれらは存在している。

 幻覚などでは無かった。

 僕はその現実を突き付けられ、ブルッと肩を震わせる。

 なんだか怪しい気配。

 まるでベンチに腰掛けているちょっとワルっぽい自動車修理工が醸し出す妖艶な雰囲気。

 その出所はどこか。

 決まっている、この男だ。

 僕は驚愕と恐怖を隠せなかった。

 ひっという小さな悲鳴が歯の間から洩れる。

 岩鋼がこちらに熱っぽい視線を向けていたからだ。

 もっとわかりやすく言うのならば麗しき乙女が憧れの男子に向けるような目。

 しかしこいつは決して麗しき乙女ではなく、その対極に位置するであろうむさ苦しい中年である。

 その瞳は煌めき、なんか少女漫画みたく輝いている。

 一体何が起きたというのだ。

 そうして僕は遂に思い出してしまった。

 この男の「本性」を。

 曰く「ゲイ」

 曰く「ノンケではない」

 曰く「ホモ」

 曰く「同性愛者」

 曰く「寝技の岩鋼」

 ……良い予感なんて一切しない。

 いや、これから起きるのは目に見えている。

 このままでは僕の貞操が危ない。

 僕はそれに気付いて戦慄に身ぶるいした。

 この男の制裁というのは鉄拳などに加えて『‐‐御想像にお任せします‐‐』だ。

 噂でしか知らなかったがまさかこれが事実だと言うのか。

 こうして思えばこれを自分の体験談としてにこやかに話していた雅の目は一切笑っていなかった。

 そうして彼は最近まで外にはサッと塗れて中にはチューっと注入する痔の薬を使っていたがそういう事だったのか……!

 確かに彼の事は腐れ縁くらいの知人という認識しか持っていない。

 が、彼の身に起きた悲劇を知ってしまえば僕はもう涙を禁じえない。

 よく、辛いのにも関わらず彼の本当の姿を教えてくれた。

 僕は友に全力で内心敬礼をする。

 君の思いは無駄にしない。

 しかし相手は強敵だった。

 僕がレベル4の格闘戦士だとすると岩鋼は推奨対戦レベル68には相当するであろうダンジョンボスである。

 ターン制ゲームならば絶望的。

 アクションでもそれ相応のテクニックとセンスが無ければ勝利できない。

 そうして何よりもこの男に勝利したところで僕はレアアイテムをゲットできないという残酷な事実。

 せめて120円は取り戻したい。

 が、この僕に何ができるというのか。

 こんな男にこんな目を向けられればもう何かを諦めるしかない。

 筋骨隆々なその腕で身体を抑えつけられればもう抵抗はできないだろう。

 着用している服を全て剥ぎ取られて綺麗に向かれた挙句に背後から必殺の一撃をお見舞いされるだろう。

 その攻撃は僕の心に一生癒えない傷を残す事になるだろう。

 それだけは食らってはいけない。

 僕はパイプ椅子から腰を浮かせて、じりじりと後ずさる。

 分速30センチメートルくらいのスローモーションである。

 しかしそれでも彼は僕から視線をすらさない。

 というかほぼ体勢を変えずに僕に近付いて来る。

 まるで幽霊のような動き。

 正直に言うとすごく怖い。

 なんせこんな大男がか弱い少年を襲おうとしているのである。

 無論、ノンケな僕にそっちの趣味は無いし、興味もない。

「さぁて……服を脱いで貰おうか……」

「え、いやちょっと待って下さい、どうして脱ぐ必要が!?」

「自動販売機を傷付けた罪だ。さぁ早く脱げ!」

 岩鋼は僕をじぃーっと見てくる。

 その熱っぽい視線は僕を視姦する卑しいものに変わっていた。

 僕が女子生徒ならば金的を蹴りあげてダッシュで逃げている所だ。

 いや、男子だけど逃げたい。

 もっと正しく言うならば男子だからこそだろうか。

 人生の汚点ってレベルじゃないぞ、これ。

「ちょっ……こんなの犯罪だ、訴えますよ!」

 僕は自分の身体を両腕で庇うように抱きしめる。

 我ながら気持ちの悪いポーズだ、とも思うが気にしていられない。

 このままでは僕の未来が悪い方向に行ってしまう。

 それなりに充実しているのにそれを壊されたらたまったものじゃない。

 下手したら僕もソッチの世界に目覚めてしまいかねない。

 元々BLにそこまで抵抗が無いというのにこれ以上深みに嵌まってしまえば後には戻れない。

「ほう、面白い冗談を言う。これからその身に起きる事を赤裸々に告白するのか?」

 彼は気持ち悪い笑みを浮かべながらこちらに何かを突き出した。

 一体なんだろうか。

 流石にこの場面で印籠を突き出すのはおかしいし、助さんも格さんも居ない。

 僕はそれに目を凝らす。

 そして直後に見た事を後悔した。

 このシルエット。

 この大きさ。

 この色。

 この質感。

 間違いない。

 電動キノコだ。

「これを挿す」

「さす……指す、差す、射す、刺す、注す、点す、鎖す、三須……」

 駄目だ、嫌な予感しかない。

 こんなものを掲げて挿すなんて言われたらやられる事なんて決まっているじゃないか。

 穴 を 埋 め ら れ る 。

 というかなんだよ三須って。

 隣のクラスに居るおネエキャラで人気者の三須君かよ。

 このままでは僕の肛門括約筋の危機だ。

 切れ痔になるとウォシュレットは生命の危機だと言われている。

 それを愛用している僕には考えられない生活だ。

 絶対に耐えられない。

「お前の予想通り、これをケツ穴にブチ込む。そうなったら今まで体感した事のない程の快楽と羞恥を得られる訳だが……それでも国家権力に縋るか?」

「……っ! 無理に決まっている」

「わかっているのならそれで良い。抵抗はしない方が良いぞ」

 そう言う岩鋼はどこからかローションを取り出し、ぬるぬるなそれを手の平に垂らして万遍無く伸ばし、キノコの先端に塗りたくっている。

 もう準備万端じゃないか。

 というか手際が良すぎではないだろうか。

 益々噂が現実味を帯びてきた。

 というか事実だろこれ。

 僕はフラッシュバックとして残りそうな程の恐怖からそこから逃げ出そうとする。

 ここからならば全力疾走すれば逃げ出せそうだ。

 彼の余裕からくる油断からか幸い鍵は掛かっていない。

 あの扉から出て悲鳴を上げれば流石にこの男も迂闊に僕に手を出せまい。

 大事なのは僕が後ろの貞操を死守する事。

 それさえできればもう後は構わない。

「前も狙うぞ」

 よし、もうこの男は駄目だ、手遅れだ。

 僕がつま先までならこいつは頭のてっぺんまで浸かっているどころか自ら潜水している。

 そうして弱みを握って男子生徒の足首を掴んで引き摺りこもうとしている。

 沼の底には何人もの遺体があった。

 全員瞳に光は宿っておらず、力の無い笑みを浮かべている。

 な、なんて男だ。

 この男の犯した罪の深さに僕は戦慄する。

 この死体の山に僕も追加されるのか。

 そうして同胞を迎い入れて傷を舐め合うというのか。

 そんなの冗談ではない。

 僕はパイプ椅子を蹴りあげ、岩鋼の顔面向けて放った。

 椅子はくるくると回転し、綺麗な弧を描きながら岩鋼の顔に飛んでいく。

 このまま上手くいけば彼をノックダウンさせる事も不可能ではない。

 しかし彼はそれをあっさりと首だけ動かして回避する。

 ちっ、駄目だったか……

 僕は強く舌打ちする。

 それに対して岩鋼は獰猛な笑みを浮かべた。

 そうして分厚いたらこ唇を舌で舐める。

 まるで狩人のようだ。

 このままでは勝負は目に見えている。

 だが、僅かな隙が生まれた。

 パイプ椅子が勢い良く、岩鋼の背後の壁に衝突する。

 耳元で生れた大きな音に彼が僅かに身を強張らせた。

 一種の反射だ。

 それは意識していても我慢するのは難しい。

 生物が生存確立を高める為に手に入れた機能だからだ。

 これがある事によって自分の身にどれほどの危機が迫っているか実感する。

 故にそれは絶対の効果を彼に与えた。

 ゲームで言うならば麻痺状態スタン

 ほんの僅かな時間しか効果はないがそれでもこの空間においては絶大な効果を発揮する。

 一瞬の隙を突いて僕は一目散に扉へと向かう。

 しかし恐ろしいのはドアノブを捻り、扉を開く為に使う時間だ。

 この部屋は防音仕様なのでいくら僕がここで泣こうが喚こうがその声は決して外には届かない。

 僕がやるべき事はここから逃げ出す事ではなく助けを呼ぶ事。

 出来れば逃げ出したいけど。

 僕は床を蹴って金属製のドアノブを掴んだ。

 冷たい感触。

 しかしそれは滑らかに回る。

 僕はそこに力を込めると素早くそれを回転させ、大きく扉を開け放った。

 眩しい光と新鮮な風が差し込む。

「待たんかぁああ! こっちは溜まっているんじゃぁああ!」

 背後から我に返った岩鋼が声を荒げる。

「助けて下さい、変態教師に犯されます!」

 僕は甲高い悲鳴をあげながら全力で廊下を疾走した。

 背後には変態が鼻息を荒げてこちらに向かって来ている。

 捕まったら今度こそ終わりだ。

 

   ×

 

「ハァ……ハァ……やっと撒いたか……」

 僕は膝に手を突き、荒い呼吸を繰り返す。

 体力が少ないくせに走り過ぎて口内がなんだか苦い。

 元々身体が水分を欲していたというのにこれでは逆効果だった。

 というかその為に払った120円は結局戻ってこない。

 なんだか今日は一段と運が無かった。

 ちらりと後ろを見る。

 どこまでも続く長い廊下だ。

 やはりあの恐ろしい性欲の権化は居なかった。

 僕は安堵の溜息を吐く。

 授業を不可抗力とはいえサボってしまったが、それよりも今は逃げ切れた安心の方が大きい。

 あとはアイツを警察に突き出して社会的に抹殺されればこっちは幸せなのだが。

「取り敢えず教室に向かうか……」

 過去を振り返るのはもうやめよう。

 いくら悔やんでもお金は戻ってこないのだ。

 僕がするべきなのはもう二度とあの自販機を使わない事だけだ。

 同じ過ちを繰り返してはいけない。

 120円で被害が済んで良かったじゃないか、150円の高いやつを買っていたら危なかったぞ、と無理矢理にポジティブ思考にしつつ僕は教室を目指す。

「あれ?」

 僕は違和感に首をひねる。

 人が居ない。

 いや、今は授業中だし廊下に誰も居ないのは当たり前なのだが僕が不思議に思うのは何といっても人が教室に存在しない事である。

 移動教室、という可能性もあるがその階全ての教室に誰も居ないっていうのはあまりにもおかしいではないだろうか。

 他に考えられる理由なら全校集会とかだろうか。

 だけど今日はその予定は無い筈だ。

 あったとしても流石にそんな大移動ならば僕も気付く筈だし。

 ならばこれは一体どういう事だろうか。

 もしかして僕は異世界にでも迷い込んだのだろうか、と考えたが直後にそれはない、と自分に言い聞かせた。

 取り敢えず教室に行こう、と僕は階段を駆け上がる。

 そうして廊下を疾走し、目的地の中を覗きこんだのだが、

「……誰も居ないし」

 やはり他の場所と同じように中には誰も居なかった。

 しかし不思議だったのは机の上に教科書やノート、文房具が広がっている事。

 さっきまで授業中だったようだ。

 黒板には数学の難解な方程式が書かれている。

 答えは書かれていない。

 あまりにもおかしすぎる。

 まるで授業中の教室から一瞬で人間全員が消えたような。

「一体どこに……」

 僕は唇を噛んで教室から出ていく。

 まずは彼らを探さなければ。

 こんな場所で一人っきりとか嫌だぞ。

 まぁ、岩鋼と一緒になるならば1人の方がマシだけど。

 あの気持ちの悪い顔を思い出し、吐き気を感じた。

 その瞬間だった。

 僕は何か巳の危険を感じて窓の外を覗いた。

 そこからは広いグランドと街の風景を一望できる。

 太陽が沈む頃に見ると綺麗な街が楽しめるという。

 しかし僕が気になったのはそこではなかった。

 なんかグラウンドに多分僕以外の全校生徒が整列している。

 その周りには教師達が立っていた。

 どうやら何か重大な話をしているようだ。

 全員の顔は深刻そのもの。

 ええと……一体どういう事ですか。

 僕の背中から冷や汗が流れる。

 担任の仙華が周囲を見回しているがもしかして僕を探しているのだろうか。

 ここからだと流石に気付いてもらえないだろう。

 ならば今すぐにでもそこに行くしかない。

 どんな事態かはわからないが急ぐべきだ。

 僕はそう判断するとすぐに廊下の疾走を再開する。

 なんだか途中から学校中のスピーカーから警報が響いた。

 時間が経過していくと遠くから救急車とか消防車とかパトカーのサイレンまで聞こえるようになった。

 とてつもなく嫌な予感。

 玄関は目前だった。

 僕は雄叫びをあげながらガラス扉を開け放つ。

 まさかその瞬間にあんな大爆発が起きるとは……その時は思いもしなかったのだ。

 僕は空を飛翔しながらそう思った。

 そうして僕はゆっくりと目を閉じる。

 翼があれば良いな、って思った。

 

   ×


 目を覚ますとそこは見慣れない天井だった。

 清潔の二文字をそのまま再現したような白く、明るい部屋。

 薬品の匂いが鼻を刺激する。

 背中から柔らかい感触を感じるがどうやらベッドの上らしい。

 という事はここは病院だろうか。

 僕はゆっくりと上半身を起き上がらせて周囲を見回す。

 薄型テレビとひまわりの差さっている花瓶と小さな冷蔵庫が置いてある。

 どうやら個人部屋のようだ。

 どうしてこんな所に居るんだろうか、とボーっとする頭で考え、そうしてすぐに謎の爆発に巻き込まれたんだっけと思い出した。

「目を覚ましてくれて安心しました……」

 声のした方に目を向ける。

 扉を開けて部屋に入って来たのは祀だった。

 その顔には安堵の表情が浮かんでいる。

 どうやらかなり心配してくれたようだ。

 僅かに涙まで浮かんでいる。

 ここまでありがたがってくれるとこちらも嬉しい。

 今すぐにでも彼女の身体を抱き締めたいが必死に自制した。

 彼女の手には籠に収まった果物の詰め合わせ。

 差し入れのようだ。

「でも凄いですねぇ、お医者さんが言うには貴方の身体には浅い裂傷と打撲くらいしか無いとか。骨折も内臓破裂も一切無く、今すぐにでも退院できるそうですよ」

「幸運というか悪運か……どうせなら避難が間に合えば良かったんだけどね……」

「命があるだけ幸いです。本当に心配したんですから」

「えと……ありがとう」

「私よりも2人に感謝した方が良いですよ」

 僕は彼女の視線の先に目を向ける。

 というかそこは僕の上だった。

「なんでこんな所で寝てるんだ?」

「それだけ2人も心配してるって事ですよ」

 僕の足元で阿形と吽形が寝ていた。

「疲れて寝てしまったようですねぇ」

 耳を澄ますと穏やかな寝息が聞こえる。

「……おいしそうにゃぁ……」

「食べられないわん……」

 うん、見事にテンプレートな寝言だ。

 というか2人とも食べ物関係の夢を見ているようだ。

 涎が僕の制服のズボンを濡らしている。

 というか口に含んではむはむしているし。

 僕は思わず苦笑いした。

「で、一体何が起きたのさ?」

「化学室で事故が起きたんですよ。薬品の入れ間違いだとか。教師が咄嗟に消火用の術を使ったのですがほぼ同時に生徒数名が同じ術を発動してしまい、術同士が暴走してこんな爆発になってしまいました」

「成程……運が悪かった訳か」

「なんだかそういう事がここ数日頻発してるみたいですね。大体が小さなものですがたまに大きな事故が起きそうになったりとか。守護霊に訊いてみましたが首を振るばかりで何もわかりません」

 曰くガチャガチャで目当てのアイテムが当たらない。

 カードゲームのパックから出るのはハズレレア。

 買ったばかりの傘が突然の強風で折れる。

 昼まで快晴だったのに帰宅時に土砂降り。

 お金を溜め、これで買えると思っていたらその商品が売り切れ。

 買った服が次の日、ワゴンで売られていた。

 こんな事がしばしば起きているらしい。

 流石の僕もここまで体験した事はない。

「やっぱりあの箱のせいなのか……?」

「断言はできませんね……取り敢えず何か人為的なものではありそうですが」

 運が悪い、というのは結論を言えば偶然だ。

 10回中10回連続でジャンケンをして負けてもそれは偶然だと言える。

 しかしそこに何かルールは無いのか。

 見えない力が働いているのではないだろうか。

 あの忌まわしい呪いの箱があっけなく壊されたのはこの目で僕も確認している。

 だけどまだあの箱は生きているのではないのだろうか。

 呪いは消えずに残り続ける。

 それは虎視眈々とチャンスを狙っているのかもしれない。

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