第1章「コトリバコ」
「僕の部屋もそろそろ掃除しないとな……」
夏休みも目前まで近付いたとある休日の午後。
僕は腕を組み、嘆息していた。
僕の借りている部屋。
そこはゴミ屋敷のごとく荒れ果てていた。
荒廃という言葉が相応しい。
この壮絶な風景を見ればどんな主婦でも希望をなくすくらいには荒れ放題だった。
壁は薄汚れ、天井には蜘蛛の巣が張り巡らされ、床にはゴミと衣類と本とゲームが混ざり合って混沌としている。
最早どんな状態なのか把握できない状態だ。
しかも夏場だから更にひどい。
空の菓子袋やペットボトルから何か発酵したような腐臭が漂い、目を凝らせば蛆が集まっているのがわかる。
カビかなんかなのか色もどこか毒々しい。
片付けようと物をどかせばその下から干からびたゴキブリの死骸が出現する。
そうして空気は埃っぽく僕はむせて咳をした。
こんな環境では健康を著しく損なうな、と今更ながら危機感を抱いた。
家庭の医学でこういう特集が最近やってたし。
僕は眉間を揉んで上を仰いだ。
しかし見えるのは青く澄み渡った空ではなく薄汚い天井。
風情もクソもない。
そうして僕はどうしてこうなったのか思い出す。
あれは1週間前の事だった。
僕の所属するサークル『四畳半世界』がここで活動していた時の事だ。
見事夏コミに当選した僕たちはが何を販売するかで相談していた。
サークルを結成していると言っても各々が勝手にやっているサークルである。
クラスで知り合って間もなく生まれたサークルなのでこうして大規模なイベントに出るのは初めてなのだが、全員趣味が高じてそれなりのレベルを持った連中だ。
僕達の名前が知れ渡るのにそこまでの時間は必要としなかった。
メールマガジンに登録されている人数は5桁。
それなりの売り上げが期待できる。
という訳で僕たちはここでディスカッションしたという訳だ。
それは深夜まで語り合った。
長く深く語り合った。
最近やったゲームの感想から過去の思い出、果てには相対性理論の粗探しから今の政治についての討論、そしてそれぞれが持っている哲学――あっという間に夜は更けた。
一瞬で時間は過ぎた。
僕たちはそれでも語り飽く事なく毎晩ここに集まりそれぞれの思想を話した。
それは何よりも有意義な時間であり、僕達の精神を高めるものだった。
そうして昨日、何かを悟って賢者の如く澄み渡った精神状態になっていた僕は時間という不変であり非可逆的要素を無駄にしないように早いうちに布団に入った。
そのせいなのか僕は気付いていなかったのだ。
この部屋の惨状を。
目が覚めた僕が最初に起こしたアクションは絶叫だった。
その雄叫びは部屋を、神社を、大地を、空を震わせた。
心からの咆哮だった。
勿論、部屋に乗りこんできた祀に長々と説教を食らってしまったのだが。
叫喚を止められた僕は仕方が無く部屋の片付けに着手して今に至る。
……のだが全然進行していなかった。
4隅にはゴミが山の如く積み上げられてそびえ立ち、潰れたプラモデルの箱が何とも言えない悲しさを僕に感じさせる。
あれ、買っただけで作っていなかったんだった。
しかしそれを言ってしまうと僕には勿体ないながらもかなりそういう『積み』アイテムがある。
本棚でぐちゃぐちゃになっているものの大半は未読。
床にも積み上げられている。
1つに重ねれば僕4人分の高さくらいにはなりそうな程にはあるだろうか。
それらに混ざっているのが衣服だった。
なのだがそれらは全部が黒系だった。
良くて紺色。
もしかしたら僕が薄幸なのはこういう理由があるのかもしれない。
だけど僕はやめる気がなかった。
赤とか黄色なんて目立ちすぎる。
あんなものは僕みたいなのには似合わない。
1度購入して着用してみたが3人からは似合わないと即答された。
あれはもう思い出したくない。
しかもそのような知識が無いので、よりによって中学生センスのやつを買ってしまったし。
そんな思い出もあって僕は黒に染まる。
黒づくめだとか某推理アニメに出てくる殺人犯だとか小学生に指を差されるが僕は気にしない。
実際ちょっと涙目になったけど我慢した。
で、僕はそんな悲しみの涙がしみ込んだ服もどうにかしなければならない。
取り敢えずタンスにしまおうと片づけ下手な奴が陥る典型的な考えをもって僕は棚を開けたのだが、勿論そこにあったのは衣類。
それはそれはぎっしりと詰まっていた。
なんというかよくいままで綺麗にしまったな、と感嘆するくらいには一杯詰まっていた。
逆に考えたら今まで綺麗だった部屋はどうやってこれだけの量を収納していたのだ。
僕は首を傾げる。
ある意味超常現象だった。
普通に考えておかしい。
質量保存の法則に反していないだろうか。
確かにこの世の中には便利な事に異空間を作ってそこに物を収納する、というとんでもない機能をもった四次元ボックスなるものが販売されているがあれは家一軒が余裕で建てられる程の値段はある。
勿論この部屋はおろかこの神社にすらない。
もしかしたらこの街にも無いのではないだろうか。
無論、それを販売していた企業は赤字で倒産したと聞いた。
あんなのが売れるとでも思ったのだろうか。
とはいえ世知辛い世の中だと思う。
さて、僕がまずやるべきはこのエントロピーの問題が懸念される部屋の処理だ。
まるでゴミの埋め立て地。
最初に物を収納するスペースを確保しなければならない。
僕は未踏の地に足を踏み入れる探検家のような心意気でゴミの山に取り掛かる。
燃える・燃えないをちゃんと分別したゴミ袋も複数常備していた。
これでどんなゴミもすぐにダストシュートで即、処理。
手にはビニール手袋。
これでどんな汚物も気にせずに掴み、ゴミ袋に放る事が可能。
口にはマスク。
これで毒ガスと悪臭と埃の充満した部屋でも長時間の活動が実現した。
服の上には小学校の時家庭科で作ったドラゴンのエプロン。
これで服が汚れる事はない。
この僕に死角はなかった。
これならいける。
僕は魔王の待ち受ける城に乗り込む勇者一行のような高い士気でゴミの山に突入した。
戦いは熾烈を極めた。
まず最初に現れたのがザコにも関わらずレベルが高い菓子の袋。
単体では容易いだがこうして至る所に散らばっていると移動、屈む、持ち上げる、といったアクションを何度も繰り返されることになり、結果スタミナが多く奪われてしまう。
序盤から敵は本気だった。
おそらく1時間や2時間程度ではこの戦闘は終わらない。
相手は無数の大群だ。
対してこちらはたったひとり。
勝てるのか、と早くも僕は暗澹とした気持ちを抱く。
しかし僕はまだ諦めなかった。
僕は拳を握りしめ、雄叫びをあげながら素早い動きで相手の懐に入り、ポテトチップス・コンソメ味を敵将の首を刈り取った英雄の如く、雄々しく摘み上げるとそれをゴミ袋に放った。
相手が動揺したのがわかる。
僕はその好機を見逃さず、敵の大群に潜り込んでいく。
一撃一撃は大したものではない。
しかし圧倒的な物量の前では思うように行動できない。
故に僕の戦いは一筋縄ではいかなかった。
しかし僕は一歩も退かず、ひたすら奥へと切り込んでいく。
そうして戦闘開始から2時間後、僕は城の最奥に到着した。
思わず息を飲む。
僕の目前に現れたのは巨大な段ボール箱。
あちこち穴が開き、へこみ、薄汚れている。
見るからにロクなものが入っていなさそうな箱だった。
僕は首を傾げる。
はて、こんなもの今までこの部屋にあっただろうか。
と、思ったのだがどうやら熱中しすぎて今まで使用していなかったクローゼットの中から出てきたものらしかった。
なんだか嫌なオーラが出ていたので近付いていなかったのだ。
そして今、その瘴気はこのダンボール箱から出ている。
僕はごくりと唾を飲んだ。
明らかに怪しい。
見るからに妖しい。
このダンボール箱が僕の目にはパンドラの箱のように映った。
開けたらロクな事が起きない。
僕の理性がけたたましい警鐘を鳴らしている。
しかし僕は好奇心に勝てなかった。
この部屋にあったらしいダンボール。
その中には一体何が入っているのか。
僕はそれを知りたい。
という訳で僕はその開封を開始する。
気分は枕元に置いてあったクリスマスプレゼントを開ける子供のそれだ。
段ボールの蓋はガムテープで堅く閉じられている。
剥がすのが大変そうなので僕は机からカッターを持ってくると、ガムテープを切り、蓋を開く。
そうして僕はゆっくりとその中身を晒しあげた。
埃が舞う。
僕は咳をし、その中身を覗きこむ。
「……なんだこれ?」
思わずそれを持ち上げ、まじまじと眺めた。
それは約20センチ四方の木箱だった。
しかし不思議なのはパズルのように複雑に木が組み合わさっているという事。
それらが箱の形になっている。
木のパーツはそれぞれがスライドして動かせるようになっているが、この箱の開け方はちっともわからない。
振ってみると、中からカラカラという干からびたような音が聞こえた。
なんだか嫌な予感がする。
こういう予感というのは大概よく当たる。
とは言ってもあくまで悪い方であって宝くじとかそういうギャンブル系のものは一切勘は当たらないので使い勝手が悪い。
どうせならツキが読める才能が欲しかった。
とはいえ君子危うきに近寄らずという諺がある通り、これ以上この箱に関わるのは良くない。
なんだかこの先に踏み込んでしまったら手遅れになる気がする。
しかしそうやってこのまま放っておくのもアレだった。
まるで泣いている知人を見付けたような気まずさ。
そういう時は大体無視してしまうのだが……例えば雅が投資をミスって莫大な損失をした時とか。
あんなのに関わっても良い事はない。
なんせ八つ当たりでこちらに殴りかかってくるのだ。
馬乗りになって散々ボコボコにした後、トドメとしてスリーパーホールドをキメるのである。
これには流石の僕も堪らず、彼に反撃を開始した。
この戦闘は熾烈を極め、銀河を巻き込む大騒動にまで発展しないのだがそこそこ大きな騒ぎとなり、喧嘩両成敗という事で僕たち2人は担任の仙華に正座で説教された。
そうして戦闘は和平交渉で終了し、平安を取り戻したがまさかここで僕の素晴らしき日常を破壊しかねないものがでてきた。
見るからにオカルトアイテムっぽい。
古の呪いのグッズみたいな。
それこそツタンカーメンの棺とかパンドラの箱である。
このパズルを解き、中を開けたらどうなるのか……知りたいけど怖さの方が勝っていた。
でもほっとく訳にはいかない。
ならばこれしかないだろう。
「祀に頼るか……」
僕はこの神社のトップであり、クールビューティーな可愛い巫女さん・姫禊祀にこの箱を調べて貰う事にした。
というかここにあるのは彼女のせいだろう。
元々物置だったらしいし。
という訳で僕は砂漠のごとく無駄に広い神社の中で彼女の探索を開始した。
×
「……ひゃあっ!? ちょ……どこ触ってるんですか貴方は!?」
そうして祀の捜索を開始して5分後、僕は廊下を歩く彼女を発見、身柄を確保した。
多少強引なやり方だったが目を瞑って貰いたい。
なんせこんな緊急事態だ。
少しのミス、少しの時間でリスクは大きくなる。
故に僕には慎重さと迅速さが求められた。
彼女にしたって年頃の乙女が妄想するお姫様だっこをしてもらったのだから嬉しいに決まっているだろう。
僕にしたって女の子の身体をじっくり堪能できたのだから幸せだ。
なのに何故だか彼女は顔を顰めている。
心なしか顔も赤い。
あれか、羞恥か。
確かに恥ずかしいだろう。
僕も急ぎ過ぎたと思う。
悪かった。
だけど事態は刻一刻を争うんだ。
それを理解して欲しい。
「……言いたい事はそれだけですか?」
「柔らかかった。匂いも最高。だからそのバールのようなものは仕舞ってくれ」
僕は土下座をして頭を地面に擦りつけていた。
自分がやってしまった事を後悔する。
どうしてあんな事をやってしまったのだろう。
そんな思いをした経験は誰にもあるだろう。
全校集会でステージに上がり、生徒会選挙の時に噛んでしまった事。
しかも1回や2回ではなく5回も。これにはテンパって暗記していた原稿も忘れてしまったという経験。
妄想が飛躍して、自分には特別な力があると思い込み、それをノートにしたためた中学2年の夏。
それをあろう事か自慢げに友人達に見せたあの頃。
あとはレンタルビデオ店に行き、ぼーっとしながら歩いて行った先がアダルトコーナーだった小学生。
そのせいなのか僕の目覚めは割と早かった。
他には道端に落ちていたエロ本に興味が無いような態度をとっていたが内心興味バリバリで誰も居なくなった時にこっそりとつま先でページをめくったあの頃。
そしてそれに悪影響を受けて描いた裸婦の肖像画が母親に見付かった時。
しかもそれをクオリティの高さから褒められた時。
あとはトイレに友達が入っていき、手を洗っていた彼のポケットからぶら下がっていたストラップを見付けて「こんなの付けてたっけ?」と尋ねたら彼が見知らぬ人物だった事。
50円切手いくらですか?
家族共用のパソコンで検索履歴の消し忘れ。
今思い出すと奇声を上げる程の鮮明なフラッシュバック。
「おーい」「なにー?」違う人に掛けられていた声だとは思わず返答。
今思い返しても奇声が無意識に出る。
頭をぶつけて消し去りたい記憶。
我を失っていた僕はまた新たな歴史を記してしまった。
こういう記憶は忘れたくても中々上手くいかずに、朝起きた時や入浴時など気が抜けている時に思い出すものだから手に負えない。
僕は徳川家の紋所が入った印籠を見せられた悪代官のごとく土下座していると祀はやっとバールのようなものをしまう。
というか何故こんな部屋にそんな物騒なものがあるのだろうか。
物置ならまだしもここは応接間だぞ。
「で、一体何があったんですか? 構ってほしいなら独りで遊んでください」
祀が不機嫌そうに僕の心を砕きかねない事を言い放った。
それによって僕の心に深いヒビが走る。
「いや、これなんだけど……」
僕は滲む涙を彼女に気付かれない様に注意しながら、ポケットから木箱を取り出す。
何度見ても見事というかよくこんなもの作れるな、と感嘆の感想を抱く程のクオリティ。
これがどんな仕組みなのか、それはオーパーツのように技術は既に失われていて判明する事はないだろう。
もっともこんな呪いのグッズじみた妖しい箱を作る必要はないし、寧ろ止めてほしいのだが。
見れば見るほど不吉な印象を持つ箱である。
中に人間の骨が入っている、とか言われても信じる自信がある。
まぁ、そんな事はないだろう。
僕は祀にその箱を渡した。
彼女は両手でそれを受け取った後、まじまじとそれを見詰め、一気に顔面蒼白となった。
「……これ、どこで見付けたのですか……!?」
「いや、僕の部屋だけど。掃除してる時に見付けて……」
「どうしてこんなのが……いや、こんな事は今まで……」
祀がぶつぶつと何かを言っている。
何を意味しているのか僕にはさっぱりわからない。
祀がこんな状態になるということはかなりの事態らしい。
しかし何もわからない僕は寧ろ混乱する。
これは一体何だと言うんだ。
彼女がこうやって取り乱すのは珍しかった。
祀はゆっくりと部屋の中央にあるテーブルにそれを置く。
寝ている赤子を布団に乗せるような、慎重な手つき。
まるであの箱が不発弾のように見える。
もしかしたら不発弾以上に危険なのかもしれない。
そうして祀は額に汗を滲ませながら僕に向き直った。
真剣だが、焦りが混じった眼差し。
僕はそれにたじろぐ。
「良いですか? これ以上この箱に関わってはいけません」
「これって……そんなに危険なの?」
「危険です。王家の呪いやホープダイヤモンドと比べればまだマシですがそれでも一筋縄ではいかないレベルのものですよ」
彼女の言葉に嘘や誇張は感じられない。
一切の淀みなく告げられた言葉から出た言葉はきっと事実なのだろう。
そして彼女が一筋縄ではいかないと言う事はそれ相応の危険性を孕んでいるという事だ。
僕にどうこうできるという問題ではない。
「取り敢えずまだ効力は発揮されていないようですね……これならそこまで苦労せずに対処できるでしょうか」
「えっと……これは一体何なのさ?」
「コトリバコ、ですよ」
「……コトリバコ?」
「はい、中は差別部落で惨い扱いをされた者達の膨大な怨念で詰まっています。材料として畜生の体液、間引いた子供の臍の緒、内蔵、指、髪の毛、爪などが使われ、犠牲にした子供の数だけ呪いの強さは変わり、そうして憎い相手の家に送りつければコトリバコの術式は完成します」
そして、と彼女は続ける。
「呪いの対象者の一家全員は内臓から腐っていき、最終的に全身から血を噴き出して激痛に苦しみながら死に至ります」
あまりにも壮絶すぎる話に僕は何とも言えなかった。
あの箱がそんなおぞましいモノだって。
「この箱を恐れてはいけません、弱い心の隙間から呪いというのは侵入してきますから」
「そんな事言われても……」
いきなり恐怖心を消すことなんてできる筈がない。
ましてやこんなスプラッタじみた箱が目の前にあるのだ。
死体や怨念で凝縮された箱。
一体何をどうすればそんな恐ろしい発想ができるのか。
寧ろこれに恐怖しない方がおかしい。
「私だって全く怖くない訳ではありません。だから頑張ってください」
それだけ最後に彼女は言うと、こちらに背中を向けてなにやら棚から取り出し始めた。
僕は横から覗きこむ。
引き出しの中に入っていたのはぎっしりと詰まった符だった。
一生使ってでも消費できるのか、と心配になるくらい沢山入っている。
仕切りごとに縁が色分けされていて、用途に合わせて使い分けているのが見て取れた。
「この箱の状態から察するに500年前に作られたものみたいですね。呪いというのは対象者に影響を与えて、目的を達成した後は自然消滅するものですが、この箱の場合あまりにも力が強いので無差別に呪いを振り撒いているようです」
「それって早くしないと……」
「無差別なのです。つまり、日本全国……とまでいきませんが取り敢えずこの辺り一帯の人々全員がこの呪いの影響を受けています。どれだけ莫大な呪いでも無数の人を相手にすれば1人あたりに掛かる負荷はかなり少なくなります。だから大きな問題は発生しません」
「目に見えている問題が起きていないなら処分しなくても良いんじゃないの?」
「あくまで今のところです。あの段ボール箱は一種の浄化装置として即席で作り上げたものだったのですが……安心しきってすっかり忘れていました。そして貴方がこれを出してしまった今、このコトリバコがどんな災厄をいつ起こすかは見当がつきません。この処理は早急に行わなければ危険です……!」
祀は手に持った符を1枚ずつ、慎重にコトリバコなるものの周辺に貼っていく。
どうやら両面テープか糊か何かが符に付けられているようだ。
ペタペタとコトリバコの表面が符で埋められていく。
ものの数分でコトリバコは白く包装されてしまった。
符の表面にはぐにゃぐにゃでよく読めない筆文字が書かれているのでこれはこれでおどろおどろしい。
「これで準備は終わりました……」
そうして祀は目を閉じ、息を吸う。
室内の温度が一気に下がる。
静電気のような緊張感。
それが僕の肌をするどく刺す。
この空間が邪を祓う聖域となっているのだ。
祀はコトリバコに貼ったものとは色違いの符をパントマイムのような動きで空中で放していく。
しかし手から離れた符は落下する事なく、その場に残り続けている。
字や縁が淡く発光しているのがわかった。
その符はコトリバコを囲むようにして配置されていく。
「結界は完成しました。今回は完全にこれを破壊します」
祀は残った符を眉間のあたりに寄せる。
その瞬間にその符はボン、という小気味の良い音を立てて爆発した。
オレンジ色の炎が部屋を明るく照らす。
その炎に神聖な印象を抱くのはやはり何か理由があるのだろうか。
そうして祀はその炎を符で作り上げた結界に突き刺す。
炎は洩れ出す事無く、水のように結界に満ちていく。
聖なる光は悪性を灼き、それを灰に変える。
瘴気が割れた木箱の中から洩れ出た。
それはまるで血飛沫のごとく飛び散り、結界の表面を黒く塗りあげる。
しかしそれはすぐさま光で蒸発し、跡形も無く消え去った。
「ふぅ、これで終わりました……」
祀が額に滲んだ汗をハンカチで拭う。
テーブルの上には焦げたり灰になった符と炭となった何かが詰まった炭化した木箱。
さっきまでこの箱から滲みでていた気味の悪い気配は完全に消え去っていた。
あれ程の脅威がこんなにもあっけなく終わった。
僕は拍子抜けする。
「しかし実際暴走するかもとヒヤヒヤしていました……幸運にも何事もなく終わりましたが」
祀はゴミ箱にテーブルの上に載った燃えカスを捨てる。
なんだかあっさりとしていて、僕は拍子抜けした。
これで終わったのか。
「昔、これの処理をした時は、私が未熟だった上に強力な力が残っていたのであのような杜撰な処理で終わってしまいましたが、取り敢えずこれで解決したでしょう」
祀が自信に満ちた声でそう断言した。
僕もそれに頷く。
だけどまだ引っかかる部分があった。
本当にこれで終わったのか。
コトリバコの呪いとはそんな急転直下に解決するような問題なのか。
単なる杞憂だと思いたい。
だけど僕はその不安を取り除く事はいつまでもできなかった。