猫 VS ねこ
猫対決です。どっちが「猫」で、どっちが「ねこ」なのかは、御想像にお任せします。
宣戦布告のようにアックスは飛び出したが、男はするりと滑り台の上から滑り落ちた。そのとき、涼やかな音が夜に響いく。
「・・・首に鈴、付けてるんだね」
「付けられてんのさ。居所が分かるように」
あっけらかんとした男の態度にアックスは複雑な顔をする。
男と対面してはじめて表した表情だ。
「複雑かい?あんたも鈴、付けられないように気をつけた方がいいみたいだしな」
「・・・・ま、ね」
ここ最近の家出の回数を考えればあり得ない話ではない。それどころか、ありえそうな話だ。実際、「首輪をつけたい」発言は出ている。
俺の首に鈴。
アックスは、体を震わせた。
自分自身の首に、所有印のように首輪を付けている姿を想像するだけで首に圧迫感を感じる。もし首輪がしましまで、鈴ではなくベルが付いていたりしたら、拷問好きの熟女と同じになってしまう。
そんなことになったら、部屋から一歩も出ない。
家出ではなく、引きこもりになろうと決意するアックス。
「家出でも引きこもりでも、一家の主がする態度じゃねーよ」
そんな決意に水を差す男。滑り台からすべて、そのまま寝転んでいる。体が細いため、すっぽりと収まって居る所を見ると、座りのいい場所でくつろぐ猫のようだ。
「君は、何しに来たんだい?」
アックスは、男のだらりとだらけた態度を見て、滑り台の上に座りこんだ。「遊ぶ気満々だったのに」と、小声で不満たらたらに呟きながら。
滑り台の上は、男が座っていたためか、ほんのりと温かかったのが癇に障った。
それは、人の温度ではないような気がしたからだ。
「まぁ。あんたと遊びに来たんじゃないよ、本当は。待ち合わせだよ」
その言葉を聞いて、あからさまにいぶしがる顔をするアックス。
しかし、男はマイペースに話す。
「誰と?」
「女とに決まってるだろ。俺の首に首輪を付けた女」
ちょんちょんと男は己の首についている、青色の首輪をつっつく。夜の闇の中で見たら青に見えるが実際は、日の元で見るとコバルトブルーをしている高価な首輪だ。
「あんたとはまたの機会に遊ばしてもらうぜ」
ネコ耳フードをかぶったまま男は立ち上がる。その動きは、猫を連想させるしなやかなものだ。
その長身からでは想像できないほど、滑らかな関節の動かし方にアックスは軟体動物のような印象を受けた。
スレンダーであるが、非動物的な動き。
しかし、彼はやはり猫だ。
待ち人をまたず公園から出ていこうと出入口に向かう。その足取りは、至って軽やかだ。まるで、夜の散歩をしていたアックスと同じように。
「真似されるのは嫌いだ」
去っていく長身にアックスは無気質な声をかける。
その声に、男は足をとめた。
「それに、俺は首輪なんて付いていない、し、付けられたとしても従うことはない」
「・・・・それって、お友達の狼君のことも含めていってるんだよな?」
「ウォルガは俺のだ。首輪を付ける必要すらない」
この時男はとっさに後ろを振り返った。振り返ってしまった。
月色の瞳で、まっすぐにみられていた。
男の中で警報が鳴り響く。
今すぐここから逃げろ!背中を見せるな!
相反する思いが、点滅するように攻め寄る。己の迂闊さが、己の不注意がどれほどのものだったのか、このとき理解できた。
あれほど、一人で会いに行くなと言われていたのに。
首輪をくれた彼女には、決して争うようなことになるなと言い含められたのに。
今まで普通に会話を交わし、冗談さえ返ってきた。それが、豹変した。まさしく一瞬で「怪物」になった。いやもともと「怪物」だったのだ。それを知らずに、図に乗っていた。
男は、足を踏み出すことも、退くことも出来ずにその場に留まる。
いや、その場に踏みとどまる。渾身の力を振り絞って。
そうしなければ、崩れてしまう。足元が瓦解してしまう。そんな、ありえない恐怖で男の足は、体は、思考は強制停止しさせられた。
「所有物を所有物だって分からせる必要はない。誰でも知っている事をひけらかす必要はない。お前が言ったことは、俺に対する侮辱で侮蔑だ」
無茶苦茶だ!
男の絶叫は音にはならなかった。
それはそうだろう。アックスの精神構造を理解しようとする時点で、男は間違っている。猫のように振る舞うアックスを、同じく猫に例えられる自分なら理解できるかもしれないと、安易に考えていた。
そのこと自体が、間違いなのだ。
猫と猫科の肉食獣は違う。
決定的に違う。肉体的に、精神的に、なにより、存在が違う。
そんな違いを分からずに、理解できるはずがない。いや、存在が違うものを理解することが間違っている。
だから、アックスがどういったことで怒っているのか男には理解できない。
いや。理解できないことは正しい。理解できなくて正解だ。だから、その回答から導き出せる答えだけで、男は自分の未来を見なくてはいけない。
肉食獣が狙うのは、獲物のみ。
狩って殺すのは獲物になった者。
そこを理解できるならば、男は逃げられる。
実際、男の警戒心は逃走を促した。
それは本能に基づく行動であり、本来ならば逆効果だが、この時相手にしているモノは肉食獣ではあるが、「怪物」でもある。
理性ある怪物。
その怪物は、男の背中を無感情に眺めるだけだった。
その背を追うことも、意識することもない。視界の中で捉えてはいるが、思考は別のことに傾いている。
「・・・ヨハネス・ハイネス。ほんと、不愉快っ」
男の背中が消え、しばらくして。アックスは不満いっぱいの顔で滑り台を滑った。