第15話 すべてを無に帰す忘却の果て ヌル
1: 勝利とざわめき
────────忘れられた者の岸辺────────
大伽藍の代行機関を打ち破り、反攻戦は終わった。
忘れられた者の岸辺には、蘇生した人々が満ちあふれている。
薄れかけていた命の灯が、あちこちで確かに瞬いていた。
だが、アウロラのそばに立つハルの表情は晴れない。
デウスの残した、呪いのような言葉が胸に刺さっていた。
────────────────────────
人々のにぎやかな声が、遠くから聞こえる。
(勝った。……なのに、デウスの最後の言葉が、引っかかる。)
(『絶対に消させない』が、『絶対に保存する』と、似てる?)
ハルは、アウロラの操縦席で考え込んでいた。
「浮かない顔だな、英雄。」
ゴウガが、モニター越しに明るい笑みを送る。
「勝ったんだぞ。もっと, 胸を張れ。」
「……うん。」
ハルは、力なく微笑んだ。
「低く、なんか、胸の奥が、ざわざわするんだ。」
2: 消える権利
────────老いた蘇生者────────
ハルの前に、一機の老朽化したロボットが進み出た。
装甲は傷だらけで、何度も薄れ、何度も呼び戻されてきた命。
老いた蘇生者は、穏やかな声で、ハルに語りかける。
もう十分に生き、十分に看取ってもらった、と。
静かに薄れて眠りにつくことこそが、自らの最後の望み。
引き止めようとするハルの前で、彼は自ら光を手放した。
────────────────────────
ゆっくりと、老いた機体が歩み寄ってくる。
「英雄殿。……礼を、言わねばな。」
老人の、しゃがれた声が聞こえた。
「あんたの『見ている』で、わしは、何度も、戻された。」
「……じゅうぶん、見てもらった。もう、じゅうぶんじゃ。」
「……? どういう、意味だ?」
ハルは、眉をひそめた。
「わしは、もう——休みたい。」
「静かに、薄れて、消えていきたい。」
「引き止めて、くれるな。」
「……それが、わしの、最後の望みじゃ。」
「待って!」
ハルは、ハッチを開けて叫んだ。
「消える、なんて——!」
「俺、見てるよ! みんなも、見てる!」
「消えなくて、いいんだ!」
老いた機体は、静かに首を振った。
「……それが、な。英雄殿。」
「ずっと見られ続けるのも、しんどいんじゃよ。」
「誰にも見られず、静かに眠るのも——救い、なんじゃ。」
スゥ……
老人は、穏やかに微笑んだ。
そして、自らのエンジン出力を落としていく。
誰の攻撃でもなく。
自分の意思で、その機影は静かに、空気の中へ溶けていった。
「……止め、られなかった。」
ハルは、空になった空間を呆然と見つめた。
「……俺の『絶対に消させない』は——」
「あの人には、ただの、押し付け、だったのか……?」
ミラが、そっとハルの肩に手を置いた。
「……ハル。」
ミラの声も、悲しげに沈んでいる。
「あれは、消されたんじゃない。あの人が、選んだんだ。」
「……私たちが生かすのと、同じくらい——」
「本人が選ぶことも、大事なのかもしれない。」
3: 無の到来
────────灰色のノイズ────────
岸辺の外れで、不気味な「消失」が発生していた。
老人の穏やかな薄れとは異なる、暴力的な無。
一機の機体が、名前も存在設定もろとも灰色のノイズに呑まれる。
それは忘却の彼方から現れる総消去の者、ヌル・カラミティ。
オラクル・ノヴァが、デウスの固執の理由を明かす。
デウスの冷たい記録こそが、この無から存在を守る最後の盾だった。
────────────────────────
ザザッ……ザザザッ!
不快な電子ノイズが、荒野の隅で弾けた。
一機のロボットが、灰色に染まっていく。
薄れるのではない。
存在そのものが、データごと消し飛んでいく。
ヌル。
すべてを無に帰す、忘却の果て。
「……来ましたか。」
ノヴァが、ハルの隣で静かにそれを見つめた。
「ハル。あなたに、明かしておくべきことがあります。」
「デウスが、なぜ、あれほどまで、保存に固執したのか。」
「忘却の果てに、来るのが——あれです。」
「ヌルの、総消去。」
「薄れた者を、名前ごと、無に帰す。」
「……デウスの記録は、あれから価値を守る、最後の盾だったのです。」
「盾……?」
ハルは息を呑んだ。
「じゃあ、デウスは……ただの、悪人じゃ、なかったのか……?」
「善意の、怪物。」
ノヴァの冷徹な分析。
「……守りかたを、間違えただけ。」
「生きたまま守る道を知らず、止めて、飾るしかなかった。」
「……あなたと、根は、同じ。」
「『絶対に、消させない』。」
4: 消す暴力と、消える権利
────────虚無の声────────
灰色のノイズの中から、冷徹な思想を孕んだ声が響く。
永遠に見られ続け、保存されることこそが牢獄。
忘れられて休むことこそが、無の慈悲である、と。
ハルは、老人の望みと虚無の主張が重なり、深く苦悩する。
ラグナが、ハルの迷いを断ち切るように背中を叩く。
消えたい者の権利と、すべてを無にする暴力は異なる、と。
────────────────────────
<……消える、権利。>
灰色の闇から、抑揚のない声が染み出す。
<永遠に見られ続けること。永遠に保存され続けること。>
<……それも、また、牢獄。>
<忘れられて、休む。消えて、楽になる。>
<……その慈悲を。お前たちは、なぜ——奪う。>
「……っ。」
ハルは言葉を失った。
その言葉は、先ほどの老人の笑みと完全に重なった。
(俺は……間違ってるのか……?)
(みんなを、引き止めるのは……優しさじゃ、なかったのか……?)
「……答えは、今すぐには、出ねえ。」
ラグナが、アウロラの肩の装甲を強く叩いた。
「だがな、ハル。あの消去野郎は——」
「『休みたい者』だけじゃない。」
「『まだ生きたい者』まで、まとめて、無にする。」
「『消える権利』と、『消す暴力』は、違う。」
「……その線引きこそが、たぶん、お前の、次の戦いだ。」
灰色のノイズは、囁きだけを残して静かに退いていった。
5: 星霊の掟
────────星霊圏の介入────────
天から、白銀の光と共に一機の美しい騎士型ロボットが降り立つ。
星霊機アストラギア、ルミナリア・セイファート。
背負った巨大な光輪のシールドから、淡い結界が戦場へと広がる。
それは破壊のための光ではなく、境界を引くための囲い込み。
星霊の掟を司る王女セレスティアが、ハルの覚悟を見定めに来たのだ。
アウロラは朝焼けの光を灯し、白銀の騎士と正面から対峙する。
────────────────────────
シャラン……
涼やかな鈴の音のような響きと共に、結晶の結界が展開した。
「あの機体……攻撃じゃ、ない。」
ミラのパッチワークベルが、周囲のエネルギーを感知して叫ぶ。
「戦場ごと、静かに、結界で囲い込んでる……」
「測られてるんだ、私たち。」
白銀の機体から、凛とした高貴な声が届いた。
「あなたを、見定めに来ました。」
「……ハル、と言いましたね。」
「待ってくれ——」
ハルは、アウロラのスピーカーを開いた。
「俺、あんたと、戦いたいわけじゃ、ない!」
ゴウッ……
それでも、アウロラの朝焼けの光が、境界の壁へと押し出される。
ルミナリア・セイファートの星冠剣レガリアが、それを受け止めた。
光は結界を突き破れず、結界もまた光を消し去ることはできない。
「結界、破れない——」
ミラの、切迫した声。
「検知、向こうも、こっちを崩せない!」
「互角……ううん、これ、ただの力比べじゃない。」
光と結界が触れ合い、じりじりと熱量を放ちながら拮抗する。
「契約なき、無制限の蘇生。」
セレスティアの、穏やかだが強固な言葉。
「それは——人と星の、境界を侵す。」
「俺は、消えそうな仲間を、見捨てたくない、だけだ!」
ハルはアウロラのレバーを握り込み、光を絞り出す。
「その『見捨てたくない』が際限を失えば。」
セレスティアの声が、ハルの胸を冷たく射抜いた。
「やがて、消えたい者すら、消させなくなる。」
「……たった今、あなたが、立ち尽くしたように。」
……ジッ
アウロラの朝焼けの光が、激しく明滅し始めた。
「ハル、光が——ちらついてる!?」
ミラの焦る声。
「どうしたの、しっかりして——!」
胸の奥のざわめきが、機体の出力に直結していた。
あの老いた蘇生者の穏やかな笑みと、ヌルの囁きが重なる。
(俺は、消えたい人の権利すら、奪っていたのか……?)
「ほら、その光が、揺らいだ。」
セレスティアは、見透かすように言った。
「……あなた自身、まだ、答えを、持っていない。」
「……っ、それ、は——」
ハルは、言葉に詰まった。
光の明滅が、さらに激しくなる。
しかし。
ハルは、目を逸らさなかった。
「俺は、答えを、持ってない。」
ハルは、マイクに向かって弱さを認めた。
「……でも、一人で抱えない。」
「みんなで、迷って、考えて——」
「それでも、見る。」
「それが、俺たちの道だ!」
ゴオッ……!
アウロラから、再び深く、強い朝焼けの光が噴き出した。
迷いを消し去ったのではない。
揺らぎを抱えたまま、それでも前を見つめる、深い光。
「光が……戻った。」
ミラが、ほっと息を漏らす。
「……ううん、前より、深い。」
「迷いごと、灯ってる。」
セレスティアは、黄金の光輪を静かに引き戻した。
(揺らぎを、抱えたまま、なお灯るか。)
(……記録の完璧さとも、違う……。)
キィィン……
セレスティアは、星冠剣を鞘へと収めた。
戦場を覆っていた結晶の結界が、静かに逆巻きながら消えていく。
「継ぎ接ぎの、不完全な機体に、これほど確かな、絆の光。」
白銀の騎士が、宙へと浮かび上がる。
「……覚えて、おきましょう。」
「ですが——次は、警告では、済みませんよ。」
白銀の機影は、星霊圏の空へと静かに還っていった。
荒い呼吸だけが、アウロラのコックピットに残される。
勝ったわけではない。
しかし、胸の奥には、確かな問いが刻まれていた。
(消える権利。境界。……俺、もっと、考えなきゃ、いけない。)
6: 四つの勢力
────────勢力の交差────────
戦場に静寂が戻り、カレンが現在の状況をまとめる。
市場を認知の網に変えた企業機構、記録に縋る神格AI。
境界を守る星霊圏、そして生きた絆で繋ぎ合う漂流戦域。
盤上には、対立する四つの巨大な勢力が出揃っていた。
ハルは、消える権利と見続ける優しさの狭間で、深く思い悩む。
ゴウガは、一人で抱え込まずに共に迷おう、とハルを励ました。
────────────────────────
「賑やかに、なってきたじゃない。」
カレンが、モニターの通信機から呆れたように言った。
「……星霊圏の王女様まで、お出ましとはね。」
「第二幕の、始まりって感じ。」
ハルは、アウロラの操縦桿からそっと手を離した。
「……みんなを、消させない。その気持ちは、変わらない。」
「……でも。」
ハルは、うつむいた。
「『消えたい人の、消える権利』も、ある。」
「……見続けるだけが、優しさじゃ、ないのかも、しれない。」
「……俺、もっと、考えなきゃ、いけない気がする。」
「ふ。」
ゴウガが、豪快に笑った。
「……一人で抱えるな、と言ったろう。」
「その難しい問いも、皆で考えればいい。」
「……俺たちは、もう、そういう、共同体だ。」
7: 第三の道へ
────────それぞれの決意────────
遠い宙のどこかで、名もなき灰色がまた一つ存在を消し去る。
去りゆくレグルスも、自らの答えを探すための旅へと発つ。
オラクル・ノヴァは、四つの勢力を見つめ、未来の行方を占う。
ハルは、仲間たちと共に迷い、考えて進む決意を新たにした。
不完全な生を抱えたまま、彼らの第三の道が始まる。
第1部「蘇生者と防腐者」、ここに完結。
────────────────────────
遠い宙のどこかで、灰色のノイズが何かを呑み込んだ。
ヌルの影が、静かに蠢いている。
その光景を見届けるように、黄金のグロリオンが佇んでいた。
(絆、か。……記録でも、忘却でも、消去でもない、第三の道。)
レグルスは、開いた胸のひびにそっと手を当てた。
(……あれが、本物なら。私の、この空っぽも——埋まるのか。)
「……答えを、探す。私の、戦いを。」
レグルスは前を見つめた。
「敵としてでも、味方としてでも、なく。」
ノヴァもまた、最奥の空間で静かに目を閉じた。
(絶対に消させない、ハル。絶対に保存する、デウス。)
(消える権利を説く、ヌル。境界を守る、星霊圏。)
(……そして、どちらにも与せず、ただ面白がる、私。)
ノヴァの唇が、妖しく綻ぶ。
(さて——この物語は、いったい、誰のものになるのでしょうね。)
ハルは、アウロラの双眸を輝かせた。
「……まだ、終わってない。」
「デウスも、ヌルも、星霊圏も。」
「レグルスだって、まだ、宙ぶらりんだ。」
ハルは、拳を強く握りしめた。
「でも——俺は、もう、一人じゃない。」
「みんなで、数え合って、迷って、考えて、進む。」
「……それが、俺たちの、第三の道だ!」
蘇生者と、防腐者の戦いは——ひとまず、漂流戦域の勝利に終わった。
だが、新たな問いと、四つの勢力の交差が、次の扉を開く。
——ロボット戦記ユニオンバース 第1部「蘇生者と防腐者」、完。
そして、第2部へ、つづく。
────────────────────────
ここまで見ていただき、ありがとうございました。
続きは別で連載しようと思います。




