両親よ、どうか親愛なるままで
※2025年11月25日に執筆し、28日にカクヨムで公開したものです。
私は人間関係が好きだ。でも不得手だ。
趣味で連載中のweb小説では、様々な人間・色々なコミュニティの難しさを書くことに挑戦している。それが好きで、楽しいから。
直近で書いているのが、家庭の話。私にとって根深いテーマだ。物語の中では、育ったキャラクター達のお陰で、私の実力以上のものを書けていると思えている。
主人公の彼とは『二人三脚』の感覚でいる私。しかし彼の生育家庭のエピソードを執筆し公開して以降、私がその場にうずくまり彼の脚を引っ張っているとしか思えない違和感が消えなくなってしまった。このような執筆の止まり方は初めてだ。
だから、物語を差し置いた別枠でこれを書き殴り、捨て置かせてもらう。私が創り出したい物語のためには、主人公と自分の道がどれだけ分かれていたって、また二人三脚で進むしかないから。
私は普通の家庭で育った。しかし、健全な家庭とは言えないと思っている。それでいて、分かりやすい虐待を受けていたわけではない。
過度な暴力を受けたり、生活できなかったり、売られたりなどはしていない。可愛がられてさえいた。色んな経験や習い事の機会に恵まれ、その一部が今も私のアイデンティティとなっている。なんとも幸せな話だ。
ただ、常に緊張していた。全ての思考と言動に許可が必要だった。何度となく両親を信じ、その度に深く傷付いた。それだけだ。
結果、今の私には、両親に対して「ありがとう」と「許さねえ」との相反する気持ちが、天秤の両側をぶっ壊すくらいの重さで存在している。ずっと抱え続けているせいで、心身があまりにも苦しい。
私は、実家を出てもう10年以上経つ。それでも関係は未だ繋がっている。だから天秤の重さも現在進行形で増え続け、軽くなりようがない。
連載中の拙作にも、その苦しみは反映されている。最も多く受け止めてくれているのは、やはり主人公の家庭環境だろう。
何不自由ない暮らしの中の猛毒を書いた。主人公たる彼を通し、私の内に残る毒の名残ごと成仏させんとしていたのだと思う。
しかしあくまで『ありふれた家庭の居心地の悪さ』のつもりだった。
その上で「それでもこの主人公にとっては、もうそこに居られないほど嫌だったんだよ」という形で伝えようとしていた。
ところが。主人公が家族を振り返り、捉え直し、自分なりの結末を選ぶ過程を書き表すうちに、作者である私自身が「この主人公は随分と可哀想だなぁ」と思うようになった。執筆の進行に伴い、自分の心が必要以上に痛むようになっていった。
それでも何とか、彼なりの結末を公開できた。後味は悪いと自負していたのに、これまで見守ってくれた方々から、多くの『お疲れ様』という惜しみない理解と労いが主人公へと寄せられた。作者としてたいへん嬉しく、恵まれたことだと感じた。
──主人公が憑依したかのように涙が出た。
全く想定していなかったが、ここに至り、私も初めて自覚することができた。「自分は随分な環境で育ったのかも」「両親が好きではないのかも」と。
いや……自覚して『しまった』と言わなくてはいけないかも知れない。
私は家を出て以来、盆・正月・GWは基本的に帰省するようにしている。
普通の親孝行だからと思考停止して、帰る度に死ぬほど傷つき疲れ果てていることを直視せず、慣れ親しんだ家族の形に安心するという錯覚だけを信じ、安くない新幹線代を湯水のように使い続けている。
逆に家族が会いに来ると言えば、最優先の予定として快諾してきた。楽しかったことなんてなかったくせに、それが当たり前だと疑わなかった。
これのおかしさに、蓄積した自分の疲労に、気付いてしまったのだ。
認識した瞬間、噴き出し始めた。
拙作主人公を追うようにして、毎晩実家を夢に見て、蘇っていく怒りと悲しみで弱るようになった。
狙ったようなタイミングで母のLINEが連投され、寝込んだ。意に沿わぬ旅行を断るのに3日を要した。その3日間をかけても1文字すら返事が打てず、震えて泣きながら伴侶に助けを求めた。延々とまとまらない私の話をたった20文字に整えて貰い、そのまんま送った。
会いたくない。大嫌いだ。許せない。それでもまだ、良い子をやめられない。見放されてしまったら存在の意味がないから。未だに怖いから。今でも愛されたいから。永遠に家族だから。
その狭間に置かれて言葉が出ず、何を言っても殺されるか死ぬかの二択に思えるような恐怖に苛まれていた。今思えば、殺されるか死ぬかというのは、私の自我の話だった。
ここまで書いたように、どうやら、私が両親へ抱いた蟠りは大きい。
しかし、あの話を世に出した後、私は初めて「両親が嫌いだ」と声に出せた。時に愚痴って溜め込み続けて生きた30年、『嫌い』とは一度も言っていなかったのだ。自分で本当に驚いた。
おそらくは、言葉にするのを無意識に避けていた。言ってはいけないと思っていたし、認めたくなかったんだろう。
それでも結局、言葉にできた瞬間、弄り続けていたシャツのボタンがやっと穴に通ったかのような収まりの良さがあった。手応えの失せた虚しい達成感に、アホみたいな笑いが出た。
こうして書き起こすと悶え苦しむばかりのバッドエンドのようにも思えるが、これは幸せへの過程だ。そう、私の描いた主人公の物語と同じ。
もう縛られるばかりの私ではない。それがどうしようもなく不安で、泣けるほど安心だ。
ただ、私はアイツのような、物語の主役になれるような強い心身を持ち合わせていない。
割り切れない。断ち切れない。そしてこんな便利な現実世界だから、数百km離れた程度では血縁を切りにくい。
いつどこにいてどうしていても、何かに支配されている感覚が消えない。マリオネットのようだ。だったらこんな主張の強い人格も、心身の痛覚も、持たない方がよかったのに。
誰かの支配に振り回される生き方しか知らずにきたけれど、せめて自我は自由に──との考えで、カウンセリングに通っている。
幸い、上手く進んでいるように思う。同時にそれが災いして、今、身が捩じ切れるような葛藤に苦しんでいる。成長痛にしては盛大だ。数十年の遅れを一気に取り戻しているのだから、当然ではあるかな。
そしてそのカウンセリングで、最近分かった事がこれだ。
「誰の支配も受けなくなった未知の状況が不安で仕方ないあまり、自分で自分を操っている」
「理想や常識にそぐわない個性を隠しなさいと支配し、誰にも怒られるんじゃねえぞと、自分で自分を怯えさせている。それが、誰かに縛られる苦しみが持続している理由」
自由が不安だから、自分が自分の親の代わりをし始めたと。それによってまた死にたくなっていると。そういう話だ。馬鹿か? あぁ、生きづらい。
こういう時、死んでしまえば終われるという思考になる。全てを投げ出して逃げてしまいたい。私は生来面倒臭がりなため、毎日何度も、簡単に『生』を諦めたくなる。
けれどまだ、終わらない事にしている。私は生来強欲でもあるため、諦めなければもっと良い思いができるような気がしているから。幸せにしたい伴侶もいるし、笑顔や善意を向けてくれる友達も沢山いるから。彼らを突き放し切り離すほどの勇気と志もないから。
この『続投』の賭けはどう転ぶやら。誰もそんなの知りやしねえが、自分の努力次第では、しょっぱい勝ちくらいなら実感できる気がする。……というか、それくらいは得てから死んでやろうと思っている。
性根が前向きなのかも知れない。引き際を見誤りがちだとはよく言われる。
だから一応、生きたままでいる。
目下の悩みが、この年末年始、帰省するかどうかだ。
もちろん、過去最高に帰りたくない。
でも以前一度帰らなかった時、長文の呪詛が断続的に届くようになり、存在否定と罪悪感で内外両面から心をぶっ潰された事が忘れられない。そのやりとりが始まってから1ヶ月経った頃に初めて飛び降りを図り、警察にご迷惑をかけてしまった。そういえば、両親には教えていないな。
それでも、疎遠にするならあの時が最大のチャンスだった。けれど、両親と共に培った生きづらさのせいで失職したからダメだった。
金の為に頭を下げ、全面的に自分が間違っていたとの再教育に耐え、愛の支配下へと戻るしかなかった。それきりだ。
無論、感謝している。原因はどうあれ、あの頃の私は自力で生活できなかったのだし、その上強く頼み込んで、実家に戻っての生活を断ったから。心の中で悪態をつきながら距離を取って寄生する、贅沢な脛齧りをさせてもらった。そのお陰で今がある。
……独居生活の意思だけが受け入れられたのは、いまだによく分からない。少なくとも愛ではないような気はしている。いい歳した子供が挫折して実家へ出戻るという状況は世間体が悪いから、という推理が最有力だ。
またあんな目に遭うくらいなら、いつも通りに数万円かけて実家に帰るべきだよな? 作った笑顔を見せ、元気を演じ、厳選したセリフを口にする、100%親のための1週間を過ごすべきだよな? ……本当にそうかな? と、少ない口座残高を見つめて考えている。
自分を守るためなので仕方ないかもしれない。でも、これで本当に自分を救えているのだろうか。
分からない。分かりたい。分かった時に正気でいられる自信もないが、私という人間はそう簡単に狂えるもんでもないと知っている。しかしどうにも頭が動かない。ただただ年末が迫っている。
こんな私だが、一つだけ、親に感謝している教えがある。
「自分の嫌なことを他人にするな」
これだけは絶対に正しいと信じている。私の人生における幸せの土台だから。人一倍傷つきやすい私だからこそ、大切な他人の心と関係を守れると考える根拠になったから。
まあ、それを叩き込んだあんたらはどうなんですか? って話だけれど。
私の嫌なことを進んでする人間は、どこからともなく私の獲物臭を嗅ぎつけて延々と寄って来るし、それらを見極め、受け入れず、振り払う術は、自分で一から学ばなくてはいけなかったけれど。
未だに上手くできなくて、親の同類みたいな人間に際限なく餌食とされ、文字通り死ぬような思いばかりしているけれど。
それでも私は、自分と同じ傷を、他人に与えたくない。癒し救う側でありたい。自分の傷が癒えず延々と救われないままでも、私はそちら側に立つ。自分の傷だって、自分で癒し自分で救うしかないと知っている。
例え苦しみの渦中からは抜け出せなくても、手を貸して貰った経験と感謝を忘れたくない。だから私も、助けを求める人に手を差し伸べる側に立つ。差し伸べた手を斬りつけられたことが何度もあったって、助けられる手がある限りは差し出す。
望まぬ痛みを忘れられない人間としての意地だ。プライドだ。強がりだ。美学だ。宗教だ。呪いだ。浄化だ。自分で背負った理想の生き様なんだ。自分で在る根拠なんだよ。
そう。自然に、生まれながらに、そう思ってたわけじゃない。だから当然、悪い感情だってある。
早く親死なねえかな、とかね。
表面上は穏やかで平和な親子でいる今のうちに、退場してほしいんだ。それがお互いのためだろうが。
子育て、苦労したんだろ。散々聞かせてくれたもんな。私が結婚したことで社会的な体裁は最低限保てるから、それなりの形で世に出せてひと段落! と満足しているみたいだね。お疲れ様。ありがとう。
それでいいじゃん。そこで終わればあんたらはハッピーエンドだ。私も自分のハッピーへ向かう事に集中できる。
私にも『良い子』を演じ続け、理想が叶ったかのように勘違いさせてしまった責任があるとは思っているんだ。あんたらが何を言おうとも私はこうだ、と上手く伝えられなくて、そのうち勝手に諦めて、もはや何も言う気力がなくなってしまった弱さは認めなくちゃな。
だから痛み分け。このまんま終わろうよ。
私が積年の思いをぶちまけて、受け止められやしないあんたらが、長年の子育てを悔やみ実子を恨みながら老いて死ぬよりは『平和』だろ? 私がいよいよぶっ壊れて、あんたらの恥や負債となるよりは『幸せ』だろ?
私が自分で先立つよりは『普通』だろ?
そろそろ限界っぽいんだよ。耐用年数を大幅に超過した『良い子』の皮が、破けて剥がれて、上手く動かなくなってきた。困った事に、もう直しようがないし、既に廃番になって買い替えられないらしい。
頼むよ。これが私の最後の愛だ。
何も知らずに、死ね。
作者の連載中長編『イルネスウォリアーズ-異世界戦士の闘病生活-』をよろしくお願い致します。




