その後、私を捨てた王太子は、全てを失い爆ぜたそうです
プロローグ
王都を追われ、婚約者の王太子ノエルに冷たく捨てられた、ヨハンナ。
「お前の居場所など、王都のどこにもない」
そんな罵声と共に、雪深い辺境の古城へ馬車で送られる。
そのうつむく彼女の横顔は、憂いを帯び雪よりも白かった。
*
雪深い地でも、春は訪れるんだなと、私は少し嬉しくなる。
窓から見える芽吹く枝に、静かな命の力強さを見た思いだった。
私はまだ、咲いていて良いんだよと言われた気がして、目頭が熱くなる。
駄目だな。
こんな事で泣きそうになるなんて、私は随分と疲れているのだろう。
さっきから、友人宛に書いている手紙の、羽ペンが止まっている。
「ヨハンナ、寒くはないのかい」
私に声をかけてくれたのは、従兄のレオン。
ノエルにより我が伯爵家が没落した際、私を不憫に思った彼が、監視役を志願してまでついてきてくれた。
私は慌てて、目元の涙を指先で拭う。
私が微笑むと、彼は愛おしそうに見つめてくる。
「泣いていたのかい、ヨハンナ」
「ううんレオン、大丈夫よ。芽吹く枝を見ていたら、少しだけ、勇気をもらえた気がして」
彼はそっと私の肩に厚手のショールをかけてくれた。
「君は強い人だ。
あんなひどい仕打ちを受けても、まだそんなに美しく笑えるなんて」
彼の大きな手が私の肩に触れる。
その温もりに縋るように、私は小さく息をついた。
「……ごめんなさい、レオン。
あなたまで、こんな寂しい場所に付き合わせてしまって」
「気にすることはないさ。
君がここに送られると決まったとき、志願してついてきたのは僕の意志なのだから」
レオンの目は、どこまでもまっすぐで濁りがない。
その瞳が私の「孤独」を癒してくれる。
「また、友人に手紙を書いていたのかい」
「ふふ……こっちに来てからする事がなくて……
追放された私なんかを心配して、まだお手紙をくれる友人がいるんですもの。
私には勿体ないことだわ」
「ヨハンナ」
レオンは少し困ったように、けれど眩しいものを見るように目を細めた。
「君からの手紙を受け取る人たちも、君の言葉に救われているはずだよ」
「だと……いいのだけれど」
私は書きかけの手紙を伏せるようにして、机の上に置いた。
レオンはそれを覗こうともせず、ただ窓の外を眺める。
「ヨハンナ、外はもう春だ。
少し落ち着いたら、庭を歩いてみないか。
君の好きな白い花が、もうすぐ咲くそうだよ」
レオンは私の頭を優しく撫でる。
その仕草は、昔のままだ。
以前だったら、子供扱いしないで下さいと、拗ねていただろう。
それなのに今はその手に身を委ねる。
やはり私は疲れている。
レオンは私を安心させるように微笑むと、部屋を出て行った。
扉が閉まり、廊下の足音が遠ざかるのを、私はじっと聞いていた。
静寂が戻った部屋。
窓から差し込む春の光は、私の机の上の便箋を白く照らし出している。
私はゆっくりと顔を上げ、先ほど伏せた手紙を再び表に返した。
レオンから、優しさと元気を少し分けてもらった。
それに報いるため、今日の分だけでも書き終わらなくちゃ。
『拝啓、財務副長官・ギルバートさま。
早春の候、いかがお過ごしでしょうか。
あなたの愛娘、エマ様が通う学園の庭にも、そろそろ白い花が咲く頃ですね。
さて、先日お話しした「王太子ノエルによる軍費の不正流用」の証拠資料の件ですが、第二王子・テオドールさまが、至急お会いしたいとのこと。
私を通じて日時を調整いたしましょう。
テオドールさまの可能な日時は……』
具体的な内容を書き終えたあと、エマ宛に書いたもう一枚の手紙を、上に重ね合わせる。
私は静かに呪文を唱えた。
「深層の重筆」
すると2つの手紙は二重露光のように重ね合わさり、一枚の手紙へと変わった。
これでこの手紙は、財務副長官・ギルバートが触れた以外は、だれも2枚目を見ることが出来ない。
「さあ、今日はあと7枚書かなくちゃ」
私はレオンのかけてくれたショールに触れながら、次の手紙を綴り始める。
『拝啓、商団連合の総帥・バルトロメウスさま。
春の陽気が心地よい季節となりました。奥様の持病の具合はいかがでしょうか。
辺境の地で手に入れた「特別な薬草」の処方箋を同封いたします……』
これが一枚目。2枚目は――
『拝啓、商団連合の総帥・バルトロメウスさま。
……さて、薬草に加え、もう一つ「商いの種」を。
近々、ノエル殿下は軍の兵站(食料・燃料の輸送)を、王都の「ボナパルト商会」に独占させる密約を交わすつもりのようです。
ですがその商会には、多額の負債と帳簿の改ざんがあることを、私はある方の情報により掴んでおります。
以下ここに記しますので、どうぞあなたの鋭き審美眼にて、その真偽をお確かめください。
もし真実とお受け取りいただけたら、その方との連絡方法を、次の便箋にてお教えいたします。
総帥、あなたがこの情報を商盟の繁栄と、正しき理のために、生かされることを願っております。
「深層の重筆」
書き終えた羽ペンを置き、私は小さく息をつく。
ただ手紙を書くだけなのに、こんなに疲れるなんて。
だけど――私の復讐は始まったばかり。
私は肩のショールを襟元に引き寄せる。
「さあ、次の方は……」
私は三枚目の便箋を引き寄せた。
*
あれから数日が過ぎ、古城の庭を覆っていた雪はほとんど姿を消した。
「ヨハンナ、今日はあちらの東屋まで歩いてみないか。
日当たりが良くて気持ちがいいよ」
レオンが私の手を取り、ゆっくりとした足取りで歩を進める。
ここ数日、彼は毎日こうして私を外へ連れ出し、春の訪れを一つ一つ教えてくれた。
「レオンと一緒に歩いていると、自分が追放された身だということを忘れてしまいそうだわ」
私が微笑むと、レオンは嬉しそうに私の指先に自身の指を絡めた。
私はその温もりに、皆に生かされている実感を覚える。
『拝啓、財務副長官・ギルバート殿より。 ……「第二王子・テオドール」との会談を承諾する。期日は来月、王都の例大祭の夜――』
私は目を閉じ、昨日の夜半に届いた手紙の文面を思い出す。
古き友、テオドールがまた一つ駒を進めて、喜んでくれるだろう。
テオドールが盤上の駒を動かし、私がその行先を照らす。
闇夜よりなお暗い色のフクロウが、私たちの手紙を携えて、暗夜のベスビオ大陸を行き交う。
「どうしたんだい、目を瞑って?」
「ふふ、子供の頃にした遊びです。レオン覚えていませんか?」
「ああ、そう言えばよくしたね」
「こうしていると、私は闇に包まれてしまいます。
さあレオン。
私を光の射す、東屋まで導いて下さい」
レオンが笑っている。
その低く穏やかな笑い声に、私はまた元気をもらえる。
レオンが強く私の手を握ってくれた。
「ああ、喜んでエスコートしよう」
*
夜半、私は心を込めて宛名を記す。
『拝啓、王宮法務部・長官。アルフレッド・グレイ卿』
まずは、1枚目の偽装から。
『早春の候、王宮の秩序を守るため、日々尽力されている閣下へ、敬意を表します。
先日、蟄居しております古城の蔵書の中に、建国初期の「王宮騎士団規範」の初版本を見つけました。
法学の徒でもある閣下なら、その精神を今に伝える資料として、喜んでいただけるかと思います。
よろしければ送らせていただきたいのですが、ご迷惑でしょうか』
これが一枚目。
そして私はその下に、2枚目の便箋を重ねた。
『拝啓、アルフレッド長官。
……さて、王太子ノエル殿下が、現王妃(彼の義母)の私室へ、密かに通っていることをご存知でしょうか。
私は複数の情報筋から、この事を知りました。
一国の世継ぎが、母の名を継がれた御方に懸想するなど、許されることでしょうか。
これは王宮の規律を乱すのみならず、神の教えに背く行いと思われます。
この事実は、すでに我が国の聖域を守る法王猊下の耳にも、私の知る「別の筋」から届いているようです。
猊下もこの冒涜的な背信行為に、深い憂慮を示されているとのこと。
長官。密会の日時、および王太子を先導した近衛の者の氏名をここに記します。
閣下が信奉する「法」が、色欲に溺れた王太子のために曲げられぬよう、賢明なご判断を期待しております』
「深層の重筆」
*
冬の沈黙を破り、命が息を吹き返す。
城の近くに湖があって、日が差し込むと朝もやと共に淡く光っていた。
その美しさに見惚れていると、レオンが私を誘ってくれる。
「近くまで行ってみないか」
途中まで馬車に乗り、湖畔までの小径を、レオンが手を引いて連れていってくれた。
彼の手は熱く、まだ冷たい朝の気温を押しのけ、私の手を包んでくれる。
近づくと、私はその美しさに息をのんだ。
城から眺めているだけでは、分からない景色だった。
山々の雪解けが流れ込み、湖面は今にも溢れそうに青く満ちている。
どこかで水鳥たちが、求愛の声を上げていた。
「レオン、私はいま、何もかも忘れて見入ってしまったの。
隣にいるあなたを忘れるほど、湖面の美しさに心を奪われてしまったわ。
あなたのそばに戻って来るのが、ちょっぴり惜しいくらいだったの」
「それは湖面に、妬けてしまうな。
では仕返しといこう」
レオンが足元の小石を拾った。
腕を優雅にしならせ、湖面へ沿うように、水平に投げる。
すると小石が、水面を何度も飛び跳ねて、朝もやに消えた。
「レオンそれって」
「覚えているかい? 子供の頃よくやっただろう? 君は上手かったなあ」
「ああレオン、あなたっていたずら好きなのね。だから私を湖に誘ったんだわ」
「君の腕が、衰えてないと良いがね」
「ふふ……ようく見ていてねレオン」
昔のように上手く投げられなかったけれど、水切りの石は4度、5度と水面を跳ねてくれた。
「スカートでなければ、もっと上手く投げられたのに」
「それならば、初夏になったら、今度は乗馬してここまで来よう。
そして秋になったら、紅葉を愛でるのさ。
また冬になり、春が一巡したら、この朝もやの景色に、2人で心を奪われるんだ」
「レオン」
それは混じり気のない、慈しみだった。
何気ない言葉だけれど、それは私と添い遂げると誓う言葉だった。
私は眩暈を覚えるほどの幸福に包まれ、鼓動が高鳴る。
言葉にならず、気がつけば私は、レオンの胸に顔をうずめていた。
そんな私をレオンが受け止め、きつく抱きしめてくれる。
ごめんなさいレオン。
あなたに抱きついたのは、今の顔を見られたくなかったからなの。
私は幸福に包まれながら、同時に心が締め付けられるようだった。
彼の腕の中で、次に手紙を送る者の名と、文面の構成を考えている。
湖面を見つめ、あなたを忘れても、それだけは忘れない。
私は古き友、第二王子テオドールの隠された野心を焚き付け、霞のような網をひとつずつ編んでいった。
傲慢な王太子ノエルを憎む者は、テオドールや私だけではない。
私は第二王子の名の下。
そのバラバラな一つ一つの恨みを、丹念につなぎ合わせていった。
テオドールが兄ノエルに悟られぬよう、王都より遠く離れた私を、情報の結節点・つなぎ役にするよう仕向けた。
その目に見えぬ網が編み上がり、もう直ぐ結実する。
ごめんなさいレオン。
こんな私を許して。
そして決して離さないで。
レオンの背中に回す、私の指先が冷えていく。
*
窓を厚い帳で覆った、王太子ノエルの執務室。
そこは昼間だというのに、井戸の底のような澱んだ空気が満ちていた。
「なぜだ! なぜ、誰も私の指示通りに動かない!」
ノエルはデスクの上を、力任せに薙ぎ払う。
書類が飛び散り、ワインボトルやアンティークなスタンドが、壁まで飛んで派手な音を立てて砕けた。
壁にかけられた彼の肖像画に、ワインの赤黒い染みが広がっていく。
財務部からは予算の再考を求められ、期待していた商団との契約は寸前で破棄された。
理由はどれも曖昧で、それでいて致命的だ。
まるで、目に見えない巨大な蜘蛛の巣に絡め取られ、手足の自由をじわじわと奪われているような――
そんな得体の知れない寒気が、彼の背中を這い回っている。
「誰がっ、誰が裏で糸をっ!?」
掻きむしる頭に、我が弟の冷ややかな顔と目つきが浮かび上がる。
ヤツしかいない、私が失脚して喜ぶのはヤツしか……っ。
「くうううっ、くそっ、くそっ、くそっ、テオドールめえっ」
*
真夜中、闇色のフクロウが私の部屋へ訪れる。
嘴で渡された手紙の封を切り、書面に目を通すと、私は事が大きく動いたことを知る。
手紙は『王宮法務部・長官 アルフレッド・グレイ卿』からのものだった。
内容は、王太子ノエルが第二王子テオドールの暗殺を目論んだというもの。
だが計画は事前に漏れ、テオドール側の返り討ちに遭ったらしい。
実行者は生きたまま捕縛。
ノエル自身も、王宮法部・特別騎士団による強制捜査を受け、動かぬ証拠を握られた。
同時に、法王猊下からも声明が出されたという。
現王妃との不義密通を公にされ、それを理由にノエルを破門に処す、と。
現国王と第二王子テオドールとの直接の対談により、次期国王はテオドールとなることが正式に決まったという。
ノエルは生き恥をさらし、いたたまれなくなった末、病気療養と称して王都を逃げ出した。
「雲隠れか……」
私はそれを読み終わると、一緒に届いたもう一通の手紙を開く。
それは珍しく、第二王子テオドール自身からのものだった。
流麗な文字でただ一筆。
とある地方にある、宿の名前と住所だけ。
あとは何も書かれていない。
なんて素っ気ない文面だろうと思いながら、私はじっとその文字を見つめる。
私は静かに息を吐き、机に向かった。
羽ペンをインク瓶に差し、便箋へ文字を走らせる。
これが最後の、真夜中にしたためる手紙となるだろう。
*
エピローグ。
春の光が暖かさを増し、思わず外に出たくなるような日々が続いた。
それならばと、私とレオンは小旅行を計画する。
レオンが楽しそうに笑ってくれた
君から、誘ってくれたのが嬉しいのだと。
「そうね、私から外出しようと言うなんて、自分でも信じられない」
「春のお陰だね」
「違うわ、あなたのお陰よレオン。
凍てつく日々に、あなたが私の手を握ってくれたから、私は春を迎えられたの」
そうして私たちは今、雲一つない青空の広がる午後。
旅を満喫し、とある街に滞在していた。
見晴らしの良いレストランがあると聞いて、そこに行ってみる。
そのレストランは丘の上にあり、街を一望できる素晴らしいお店だった。
テラス席に差し込む陽光は、どこまでも優しく暖かい。
その陽射しが、眼下に広がる、白い壁と赤い屋根瓦の街並を明るく照らしていた。
私はその景色をうっとりと眺める。
「……きて良かった」
「ああ、素晴らしい眺めだ。
ヨハンナ、ここではパスタなるものが食べられるらしいぞ」
「もう、せっかく良い雰囲気なのに」
「食べないのかい?」
「もちろん食べるわ、ふふふ」
「そうこなくちゃ」
レオンが穏やかに微笑み、私のグラスにワインを注いでくれる。
私はその温かな眼差しに応えるように、ゆっくりと微笑みを返した。
最高に幸せな瞬間。
その時、眼下の街並で大爆発が起きた。
爆音は一瞬遅れて、丘の上のレストランまで、響き渡る。
レオンが立ち上がり、何事かとテラスから身を乗り出す。
他の客たちも思い思いに立ち上がり、あるいは指を差して騒ぎ始める。
「なんだ爆発?」
「見ろ、アルベルゴホテルだ」
「ホテルの角部屋が、吹き飛んでいるぞっ」
私は見なくても分かった。
爆発したのは、アルベルゴホテルの4階、西側の角部屋。
私は喧騒の中でただ一人、レオンの注いでくれたワインを、ゆっくりと飲み干す。
勝利の味。
一度も口を離さず、最後の一滴までも。
血の味がしたような気がした。
私はその味を、一生レオンに隠し通すだろう。
立ち上がり、レオンの腰に手を回す。
ノエルを飲み込んだ黒煙は、春の空へどこまでも高く昇っていった。
「まあこわい、なにかしら?」
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
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