秘密 - Theriomorphosis -
「ねぇ拓也、ちょっと待ってよ……」
柚乃は先を歩く拓也の背中を見ながら、急勾配を歩いていた。
「お前が山に登ろうって言ったんだろうが……。何、へばってるんだよ」
拓也は立ち止まり、柚乃に手を伸ばす。
柚乃は拓也の手を掴んで、ぬかるむ道を引っ張り上げられる。
「もっと舗装された道かと思ってたし。これじゃハイキングじゃなくて登山じゃん……」
柚乃と拓也は長い春休みにハイキングに行く事にして、山に来た。
「どうせなら、誰も行かない様な山にしよう」
と言ったのは柚乃で、この状況は彼女が引き起こした事態である事は間違いなかった。
「誰も行った事無い山に舗装された道なんてある訳ねぇし……」
確かに拓也の言う通りだった。
「これ、完璧に筋肉痛になるじゃん……」
柚乃は肩で息を吐いて、傍にあった大きな木に手を突いた。
「ワンゲルの奴に訊いたんだけど、これくらいなら半日もあれば余裕だって言ってたんだけどな……」
拓也はリュックに差した水を飲み、そのボトルを柚乃に渡した。
柚乃もその水を飲み、
「ワンゲルってプロじゃん……。私らはアマチュアなのに……」
確かに年中、山に登っている奴らと一緒にするのは無理があるのかもしれない。
「でも、地元の人はこの辺りの山に山菜取りに行ったりしてるみたいなんだけどな……」
拓也はリュックのポケットにペットボトルを戻した。
「山菜って……、松茸とかないのかな」
「松茸は山菜じゃないし、キノコだろ。しかも時期じゃないしな……」
柚乃は残念そうな表情をして膝に手を突きながら勾配を上り始める。
「さあ、頂上まで行って、弁当食おう……。柚乃特製の」
拓也は先を歩く柚乃の尻を押す。
「ちょ、ちょっと……、お尻触らないでよ」
「良いじゃないか。減るモンじゃないし」
「減るなら触ってくれても良いけど」
「馬鹿な事言ってないで、頑張って上れ」
二人は林を抜けて、少し広くなった場所に出た。
二人は登って来た場所を振り返り、麓を見下ろした。
「結構上ったね……」
柚乃は大きく息を吸い込む。
「空気が美味しい……」
拓也は背伸びをしている柚乃を見て微笑む。
ふと、振り返ると竹籠を背負った老婆が立っていて、拓也は驚いた。
「あんたらもモノ好きやな……。こんな山に登って」
老婆はニヤリと笑う。
「何も無い山やのに、若い人の来る山じゃ無いで……」
拓也は老婆に頭を下げた。
「大学のワンゲルの奴らに訊いて……。素人が登るのには丁度良い山だからって言われて」
「わんげる……。ようわからんけど、私らでも簡単に登れる山やからね。まあ、慣れてはいるけどね」
老婆はニヤリと笑った。
「あ、頂上付近に小さな祠があるけど、その祠には触れたらいかんよ……。それだけ守ればええところやから」
老婆はそう言うと二人が登って来た道を下りて行った。
何なんだ……。
スマホで写真を撮る柚乃を呼ぶ。
「早く行こう。もうすぐ頂上だ」
拓也は柚乃の手を引いた。
「頂上付近にある祠には手を触れるなって言われたよ」
柚乃は拓也の顔を覗き込んで、
「誰に……」
「地元の婆さん」
「いつ」
「今」
柚乃は首を傾げて、拓也の後ろを歩く。
「ほら、あそこが頂上だな……」
再びへばった柚乃を振り返り、拓也は立ち止まった。
「ちょっと待ってよ……。私、今日早起きしてお弁当作ったんだよ……」
拓也は少し戻って、柚乃の手を引いた。
「ほら、もう少しだ。頑張れ……」
拓也は柚乃の後ろに回って背中を押した。
「頑張れ、頑張れ」
拓也は柚乃の背中を押しながら頂上までの道を上る。
「ああ、もうダメ……」
と頂上の広くなった場所に柚乃は転がる様に横になった。
拓也は柚乃を置いて、頂上と書かれた石碑の傍に立って周囲を見渡した。
低い山でも制覇した達成感は清々しいモノで、拓也は三百六十度の景色を見渡した。
柚乃は這う様にして傍にあった大き目の石に座り、リュックから水を出して飲んだ。
「これって修行……」
そう呟いて息を吐いた。
「柚乃、来てみろよ……。気持ち良いぞ」
柚乃は拓也の傍まで行くと、同じ様に周囲を見渡した。
「わぁ……」
柚乃も疲れを忘れる様な声を上げた。
「綺麗……」
柚乃はポケットからスマホを出して写真を撮り始める。
その様子を見て拓也は笑っていた。
そして拓也は周囲を見渡す。
老婆が言っていた祠らしきモノは何処にも無かった。
もう通り過ぎたのかな……。
「柚乃、飯、食おうぜ……。それだけを楽しみに此処まで来たんだ……」
拓也は柚乃がリュックを放り出していた石の場所まで行き、リュックを手に取る。
「ん……」
柚乃のリュックを手に取ると、その石の後ろに小さな穴があり、それが祠である事に気付く。
「柚乃……」
拓也は柚乃を呼んだ。
柚乃はスマホを片手に拓也の傍に来る。
「どうしたの……」
拓也はその小さな祠を指差した。
「これが祠じゃないか……」
柚乃は身を乗り出してその祠を覗き込む。
「ああ、それっぽいね……。触れちゃダメなんだっけ……」
拓也はコクリと頷く。
「触ったよな……」
「座っちゃったからね」
柚乃は囁く様に言った。
「触れたらどうなるのかな……」
拓也は、首を傾げて、
「座ったんだったらケツが腫れるとかじゃないか……」
「やだよ……。お尻大きくなるの……」
拓也はクスクスと笑った。
「安産型でいいじゃんかよ……」
柚乃は拓也の頭を叩いて、
「昭和かよ……」
と言って笑った。
「とりあえず、飯食おう……。柚乃の弁当、楽しみにしてたんだから……」
二人は頂上と書かれた石碑の傍で、弁当を食べた。
その夜、拓也の家に戻ったのは日が暮れてからだった。
「掃除しなよ……。座る場所も無いじゃんか……」
柚乃は散らかった部屋のゴミを避けながら歩く。
「片付けてくれても良いよ……」
拓也はリュックを部屋の隅に下ろして、ソファに座った。
「大学生の部屋なんてこんなモンだよ……」
「いつ来ても一緒じゃんか……」
柚乃も拓也の横に座り、リュックからペットボトルを取り出して残った水を飲んだ。
「こういうのって彼女が片付けてくれるモンじゃないの……」
「やだよ、エッチな本とか出てきたら嫌じゃんか……、Gとかも出そうだし」
拓也は立ち上がり冷蔵庫からビールを出して開ける。
缶ビールを開ける音が自然とビールを欲する。
「私も飲む」
と柚乃も立ち上がり、冷蔵庫から缶ビールを取り出して二人で飲む。
「最近はエロ本とか買わなくてもネットで見れるんだよ。Gは知らないけどな」
拓也はそう言って柚乃にキスをして、髪を撫でた。
「もう、ダメ……。シャワー浴びないと……」
柚乃は拓也を突き放して、ビールの缶をキッチンに置いた。
「私、先にシャワー浴びるね……」
そう言ってバスルームに入って行った。
拓也は疲れたのか、ベッドで眠っていた。
柚乃は一人ベランダに出た。
朝早くに起きて弁当を作った事もあったのだが、帰りの電車で眠った事もあり頭は冴えていた。
ベランダから狭い夜空を見上げると満月が浮かんでいた。
少し欠けた満月がゆっくりと動いているのがわかる。
柚乃は冷蔵庫を開けて缶ビールを取り、再びベランダに出た。
そして缶を開けてビールを飲みながら空を見上げる。
さっきまで隠れていた月が顔を出していた。
「月か……」
柚乃はそう呟いてビールを飲んだ。
すると突然身体が震え、一気に体温が上昇したかの様に思え、柚乃の両目は赤くなり、視界がぼやけ始める。
柚乃は自分の両腕を見た。
その腕からは赤茶色の毛が伸び始め、指先からは爪がせり出す。
「何……」
柚乃は手に持っていた缶ビールをベランダの床に落とした。
柚乃は獣と化した。
自分が恐ろしくなり、身体をソファの下に隠す様に潜り込む。
そしてそのまま震え、目を強く閉じた。
何、どうなっているの……。
柚乃の恐怖が極限に達した時、気を失ってしまった。
「柚乃……」
拓也はベッドを抜け出して部屋の中を探すが柚乃の姿は無い。
開け放された窓からベランダを見ると、柚乃の着ていたTシャツとショートパンツ、それに下着が乱雑に脱ぎ散らかされていた。
「柚乃……」
拓也はベランダから落ちたのではないかと下を見る。
しかしそこはいつもと変わらない風景だった。
「何だよ、脅かすなよ……」
拓也は柚乃の服を拾って部屋に戻ると、ソファの下から足が見えた。
「柚乃……」
拓也は全裸でソファの下で寝ている柚乃に声を掛けた。
「柚乃」
拓也は柚乃の肩を掴んで揺らす。
柚乃はゆっくりと目を開けた。
「拓也……」
柚乃は勢いよく顔を上げ、ソファで頭を打つ。
「痛っ……」
そう言うと転がる様にソファの下から這い出て来た。
「何やってんだよ……」
拓也はベランダで拾った柚乃の服を渡した。
柚乃は明け方の事を思い出した。
自分が獣になって行く姿を思い出し、両肩を抱かかえる様にして震える。
柚乃は明け方の事を拓也に話す。
「それって狼男的な奴か……」
真剣な表情で拓也は柚乃を見つめていた。
「しかし凄い夢だな……」
柚乃は、それ以上は何も言わなかった。
しかし、夢では無かったという事は確信していた。
あの祠の祟り……。
そんな事を柚乃は考えていた。
それからしばらくして柚乃と拓也は別れた。
それ以来、柚乃も獣になる事も無く、徐々にそんな経験をした事も忘れてしまった。
大学を出て、柚乃はIT企業に就職した。
考えていたよりも華やかな業界でもなく、馬車馬の様に走り回り、資料を作る。
そんな忙しい日々を送り、数年が経った。
柚乃は拓也の部屋でのあの経験を薄っすらと覚えていて、部屋のカーテンはずっと閉めて、月を見ない様に過ごした。
その日も一人部屋で缶ビールを飲みながら、あの日の事を思い出していた。
あの感覚は体験した事の無いモノで、身体が暑くなり震える。
赤茶色の毛と爪が伸びて、自分の骨格が変化して行くのを感じた。
思い出しただけでも震えが来る体験だった。
スマホが音を鳴らしメッセージが来る。
柚乃は我に返り、スマホを開いた。
《柚乃さん、今日、こんな本を買ったんだ。面白いよ。おすすめ》
というメッセージが表示され、本の装丁の写真が添付されていた。
メッセージの相手は俊介だった。
あるプロジェクトで一緒になり、今も一緒に仕事をしている少し年上の先輩だった。
柚乃の表情は自然に緩む。
《あ、私もそれ読みたいって思ってたんです》
と柚乃は返信する。
俊介からの返信は直ぐにあった。
《読み終えたら貸すよ》
読書が趣味というところが俊介とは合った。
同じプロジェクトで働いている時にそんな話になり、色々と話す様になった。
それが切っ掛けで何度か食事に行く関係になった。
俊介は優しい先輩で、柚乃も嫌では無かった。
拓也と別れてからは一度も男性と付き合う事も無く、ようやく幸せな日々が訪れると思った。
ある日、俊介からデートに誘われた。
「中秋の名月だって、一緒に月を見よう……」
と笑顔で言われ、柚乃は断る事も出来ず、コクリと頷いた。
心臓がドキッとした。
満月……、あの体験の引き金になったあの満月。
それが本当に満月が原因なのかもよくわからない。
目を閉じていればいい、満月を見なければ問題は無いはず……。
柚乃は安直に考えていた。
その日、デートに備えて仕事の帰りにショッピングに出かけた。
最近はネットで買う事が多くなった服や下着などを買った。
気が付くと会社に行く服なんて単なる作業着と化していて、お洒落からは程遠いモノになっていた。
勿論、毎日違う服を着る様にはしているが、それを着回しているだけだった。
久しぶりに服を買いに行くとマネキンが着ている服が華やかに見えて、それを上から下まで一式購入した。
部屋に戻ると、その服を着て姿見の前でクルリと回ってみた。
頬が赤らむ。久しぶりのワクワク感だった。
ソファの上に置いた新しい下着を見る。
俊介との夜が特別なモノになる予感がした。
デートの日は秋風が心地良く、先週まで続いていた夏日が嘘の様だった。
雑誌で良く紹介されているイタリアンレストランを俊介は予約していた。
「良く取れましたね……。半年待ちとかって噂では聞いたんですけど……」
「ああ、半年前に予約してたんだよ」
と俊介は言って歯を見せて笑った。
「またまた……、先輩ったら……」
そう言いつつも俊介なら、本当に半年前に予約していたかもしれないと柚乃は思った。
いつもあまり飲まないワインを二人で飲んだ。
テーブルの向かいで優しい目をして柚乃を見つめる俊介が柚乃の心を溶かして行く。
食事を終え、店を出た所で、
「柚乃さん、俺と付き合ってくれないか……」
と俊介は言って歩き出す。
柚乃は覚悟はしていたモノの、やはり鼓動を抑える事は出来なかった。
柚乃も勿論、嫌ではなく、そうなる事も考えていた。
俊介はスーツのポケットからカードキーを出して柚乃に見せる。
「部屋を取った。嫌じゃなければ、今晩は一緒にゆっくりしないか……」
俊介はそう言っていつもの様に自然に微笑む。
柚乃は頬が熱くなるのを感じた。
そして俊介に微笑むと腕を絡ませて歩き出した。
部屋は高層階のセミスイートだった。
スイートではないところが俊介を信用できるところでもある。
部屋に入ると大きな窓が目に飛び込んで来た。
街の灯りが部屋全体を銀色に染めていた。
「まだ月は少し低いかな……」
先に部屋に入った俊介は灯りもつけないまま、窓の傍に立って言う。
都会の真ん中にあるホテルの窓からは、まだ月は見えなかった。
柚乃は少し胸を撫で下ろした。
すると俊介は優しく柚乃を後ろから抱きしめた。
「柚乃……」
柚乃の耳元で俊介の声が響いた。
その低い声は柚乃の胸を震えさせた。
「俊介さん……」
柚乃は何年かぶりのキスを交わした。
カーテンは閉じられ、二人はベッドで絡み合う様に愛し合った。
このまま朝になれば良い……。
月なんて沈んでしまえば良い……。
柚乃はそう思いながら、必死に俊介に抱き着いた。
柚乃の意識は朦朧としていた。
満月の下で、自分の骨格がバキバキと音を立て、全身が獣の毛に覆われ、両の手の爪が伸びて行く。
顎が伸び、鋭い牙が大量の唾液と共に伸びて行く。
柚乃は完全に人の姿から獣と化した。
着ていた服が引き千切られる様に破れ、白い乳房も体毛に覆われて行く。
それを見た俊介は、驚き、ベッドに並べて置いてあった枕を獣と化した柚乃に投げ付ける。
「止めろ、く、来るな」
俊介はバスローブ姿のまま後退り、窓際に追いやられて逃げる場所を失くした。
その大きな窓からは満月が独特な光を放っていて、セミスイートのその部屋を明るく照らしていた。
「何なんだ……」
俊介がまた枕を投げ付ける。
その枕は破れ、部屋中に羽毛が飛び散り舞い上がって行く。
「化け物」
俊介の声にならない声が部屋に響く。
部屋のドアが叩かれる。
「お客様、お客様」
そんな声が聞こえる。
柚乃は伸びた爪を俊介に向けると唾液と共に叫び声を上げ、ベッドを飛び越えると、俊介の前に立つ。
さっきまで愛し合った男を喰らおうとする自分を、もう制止する事も出来なかった。
柚乃は爪を立てると、俊介の身体を弾き飛ばす様に引掻いた。
俊介はうめき声を開けると、血飛沫が磨き上げられた窓ガラスに飛び散る。
そして柚乃はその俊介の首筋に噛み付いた。
俊介は短い断末魔を上げて動かなくなった。
部屋のドアが荒々しい音を立てて開く。
すると、ホテルのスタッフが柚乃に向けて、銃を放った。
その鉛の弾が身体の数か所にめり込んで行く感覚がわかった。
痛みが全身に駆け抜けて行く。
柚乃は叫び声を上げて、そのホテルマンを今度は爪で薙ぎ倒す。
フカフカの床に転がったホテルマンの身体が一瞬痙攣し、そのまま動かなくなった。
もう一人のホテルマンが柚乃に銃を構えるが。
そのホテルマンの頭を柚乃は爪で弾き飛ばす。
男は壁に身体を打ち付けて、ゆっくりと滑り落ちる様に崩れて行った。
「どけ」
入口に立つ男を押し退ける様にして部屋に入って来たのは拓也だった。
拓也は手にショットガンを持ち、その銃口を柚乃に向けた。
「死ね……、化け物」
拓也はそう言うとショットガンを柚乃に放つ。
それは数発続けて放たれ、柚乃の身体は窓ガラスを突き破って、その高層階の部屋から地上へと落ちて行った。
私、死ぬの……。
こんな筈じゃなかったのに……。
柚乃はホテルの窓から地上に落ちる。
その時間はとても長い時間に感じられた。
私は化け物……。
俊介を殺してしまった……。
柚乃の獣の瞳からは涙が流れていた。
アスファルトの地面に柚乃の身体が異様な音を立てて叩き付けられた。
それでも意識のある柚乃は涙で滲む景色と夜空に浮かぶ満月を見ていた。
「月が……、出てる……」
そう口にしたが、それは人の言葉ではなく、多分、獣の声だったのだろう。
遠くなら誰かが近付いて来る気配を感じた。
それは籠を背中に背負った老婆の姿だった。
誰……。
老婆は柚乃の傍で立ち止まり、じっと柚乃を見下ろしていた。
老婆が覗き込む表情が月明かりの下で見える。
「だから言ったじゃろうが……。祠に触れるなって……」
老婆はそう言うと歯を見せて笑った。
柚乃は声を出そうとしたが、その口をパクパクと動かすだけで、声を発する事は出来なかった。
「お前は獣として生きて行くしか無いんだよ……」
老婆はそう言うと獣の柚乃の身体を爪先で何度か蹴った。
その度に揺れる自分の身体を柚乃はどうする事も出来ず、されるがままに小さく揺れていた。
ふと、柚乃は目が覚めた。
肩で息をして、汗だくになっていた。
夢か……。
横では俊介が寝息を立てていた。
柚乃はベッドを抜け出し、シャワーを浴びた。
さっき見た悪夢と獣の匂いを洗い流す様に身体を洗う。
天井に付いたレインシャワーをいっぱいに捻り、雨に打たれる様に柚乃はずっとシャワーを浴びていた。
シャワーを止めて、柚乃は身体を拭くとバスローブを来て部屋に出る。
どうやらまだ、俊介はベッドで眠っている様だった。
柚乃は冷蔵庫を開けて、ミネラルウォータ―のボトルを取ると、それを喉を鳴らしながら飲んだ。
ふと、顔を上げるとカーテンが明け放されている事に気付く。
「嘘……」
柚乃は慌てて窓際に行くと、カーテンを閉めるボタンを押した。
電動のカーテンはゆっくりと閉まって行く。
早くしてよ……、早く。
柚乃は窓の外を見る。
するとそこには中秋の名月と言われる満月が都会の空に浮かんでいた。
あ……。
柚乃の身体が熱くなって行く。
しまった……。
柚乃は目を閉じる。
夢で感じた様に柚乃の骨格はバキバキと音を鳴らしながらその形を変えていく。
柚乃はその目を見開くと、両目は真っ赤になり、身体には赤茶色の体毛が生えて行く。
嘘……。
もう止められない……。
私、俊介を喰い殺してしまうの……。
徐々に視界が赤く染まり、身体が震え始める。
「柚乃……」
俊介の声が聞こえた。
そして俊介がベッドの上でゆっくりと身体を起こすのか見えた。
まずい……。
柚乃はギシギシと痛む身体をベッドの下に隠す様に潜り込んだ。
ダメ、見付けないで……。
柚乃は身体を小さく丸めて、ベッドの下で見つからない様に身を縮めた。
「柚乃……」
俊介は起き上がり、部屋の中を歩き回った。
トイレ、バスルームなどを見て回る。
しかし柚乃の姿は何処にも無かった。
俊介はカーテンを捲り探す。
そして足元に落ちている柚乃が着ていたバスローブを見付けるとそれをベッドの上に放り投げた。
「帰ったのか……」
違う、帰ってないの……。
此処に居るんだけど……。
柚乃はベッドの下の隅で身体を震わせていた。
「柚乃……」
俊介はまた部屋の中を歩き回る。
「何処に行ったんだ……。買い物か……」
そう言うとルームサービスで頼んでおいたシャンパンをサーバから出して栓を抜いた。
心地よい音が部屋に響く。
そしてシャンパングラスにそれを注ぐと、一気に飲み干した。
「柚乃……」
俊介はシーツを捲る。
そしてベッドの下を覗き込んだ。
ダメ……。
見つかっちゃう……。
「おや……」
俊介はゆっくりと私を抱かかえた。
暖かな胸に抱かれ、私の頭を撫でる。
「こんな所になんで……」
俊介に抱かれた私の姿が窓ガラスに映る。
それは小刻みに震える赤茶色の兎の姿だった。




