【天使】養殖・第三話(6)
「さあ【天使戦】や! はよ手ぇ打たんとどんどん感染るで!」
その言葉どおり『ゾンビ』は次々に通りすがりの汁気たっぷりな首筋に深々と犬歯を埋め、埋めたまま、
「シニカエレ!」
て叫んでは獲物を同族と化し殖えていく。しかし少女はここでわずかにためろうた。
正味な話、少女は『海』こそが世界最強やと信じてる。いや知ってる。知ってるレベルで最強やと信じてる。【痴天使】が増殖さしてるこれら『歩くしかばね』とて波濤に押し流されてはひとたまりもない。少女のためらいは怖じたんやあらへん。【語り部天使】に金縛られた襟紗鈴を救うためにとは言いながら無関係な人々を意のままに操ることがそもそも許されるか、ていう純粋に倫理的な自問からやった。が。逼迫する現況は道徳律を軽く凌駕してるようにも思え、しかも始祖以外のゾンビの首筋は噛まれ跡から心配になるほど血を流してる……!
心さだまってからの少女の行動は、果断そのものやった。
人の流れへ振り返ってショーウインドウのガラスがびりつくほどの大声で、
「みんなごめんなさい力を貸して! 海ヨ逆巻け! 音高クっ!」
家路の急ぐ急がんを問わず、通行人らはたちまち『海水』と化した。
「ウンドドドドドオ……ッ!」「ブザッパーンッ!」「ドッパアアアアアッ!」
口々に海鳴りや波砕音を模して猛り押し寄せ、すでに一大集団をなしてるゾンビたちにぶつかり、なだれこみ、覆いかぶさる!
けど、そこまでやった。
眼前に起きてることが少女には信じられなんだ。
ゾンビが『海水』に噛みつき、新たなゾンビに変えていく……!
「思たとおりや」
魅せられたみたいな声と表情で【痴天使】が言うた。「お姉ちゃん、なんでこうなったんかわかる? 【天使】の力はな、対象となった標準弁話者の『本質』に近い方が勝つねんで。サムライは『死に身』『死狂い』たるべし。サムライ弁を話す人間は日常的に『うごめく死人』たることから逃れられんのや。……海? 波? ここの連中にそんなダイナミックさはない。ぼくの勝ちや『海』のお姉ちゃん!」
それに答えたんは、少女とは別の声やった。
「はれえ! もう勝負つけてしもたん? いややわあ、せっかく見にきましたんに!」
そこにおったんは、日本髪に結い上げた着物姿の女。柄は黒地にアホでかく大きさも不ぞろいなオレンジ色のドット柄。繊細な眉、切れ長の眼、細い鼻梁……和風でありながら全体に派手さのある顔立ち。笑顔に自信が満ちあふれ、出てるオーラが半端やない。
(私がなりたかった顔かも)
少女がそんなこと、ふと思てまう。
「もお。来るん遅いわ、ママ!」
嬉しげに【痴天使】が文句垂れたのへあやすみたいにうなずいてから、
「はじめまして、うちの人が大変お世話になりましたようで」
女は少女に向き直った。
「うちはあの人の女房、ほんでこの子の母親どす。ほれで【始天使アヅマエル】を名乗らしてもろてますンジュ。この子の【準奇跡】はうちが与えましたんえ。以後よろしうお頼もうします」(『【天使】養殖・第三話(7)』に続)




