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蜥蜴と蝶の島  作者: 南田萌菜(ナンディ・モイーナ)
いつきぽうぽ

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9/11

4,祭りの噂

 田舎の町でありながら、日見町にある塾の数は同規模の自治体に比べ多いように思う。

 大学などない田舎の、まして離島でありながら、家庭教師の事務所もそこそこにあり、その人数が多いこともわかる。


 偽物の不良のような振る舞いをする親文のその真の性格などを鑑みるに、どうもこの地域、あるいは島全体に教育熱心な風土があるであろうことがうかがい知れる。

 とはいえやはり塾に通うとなればそれは結構な出費を要するものであり、どうしてもその立地はそういった地域に集中する。

 日見町の中心部平原の、その行政や商業の集まる地域から立派な一軒家の並ぶ、アンダーソンが住む高台あたりにかけて点在していた。


 そのあたりは既に商店や家屋などで土地が埋まっており、その中でも少しはずれにあることが多いようだった。


 その中でも詩織の通う塾ははずれにあり、椀岳から延びた支尾根、そのうちの一つのふもとにあった。

島内にあるものの中では比較的大きく、新しい塾で、裏手には支尾根の森が迫っている。


 暗くなった道を、詩織は一人で帰っていた。


 大通りを通れば遠回りになってしまうために近道をする。

 支尾根はところどころ道路や宅地などで森が削り取られているが長く、海の近くまで続いている。


 支尾根は多く、それらの間には河川があり平野部がある。

 この平野部に人々は暮らし、かつては田畑も多かった。

 また、この発達した山のおかげで、水源も豊か

、小さな離島にありがちな真水の不足も起こることのない豊かな島であった。


 栄えている島だと思う。

 しかし詩織が歩く道は支尾根の斜面と用水路に挟まれ、今では数の少なくなった田畑が点在する細い田舎道だった。


 街灯は少なく、少女の夜の一人歩きには向かない道ではあると思う。

 しかし日見島は治安が良く、事件という事件のほとんど起こったことのない場所であった。

 田舎の連帯意識、それは時に悲劇を起こすものでもあるが、ここではそれが良い方向に作用しているのだろう。


 帰り道を半分ほど歩いた。

 中心部のはずれからカランへ向かう道のちょうど真ん中あたり。

 無いわけではないが住宅は遠く、離島でありながら山奥の村ではないかという気にさせる風景が広がる瞬間。

 山と田畑の湿り気がたくさんの蛙の声を生むあたり。


 後ろから車の音が聞こえた。

 狭い道ではあったが、車の往来もたまにはある。それ自体は珍しくもない。

 ただその音が少し気になった。

 耳に、と言うより体に響く重低音。

 要するにそういう車が近づいてきているのがわかった。

 見ないわけではないのだが、たいていの場合そういう車はフェリーでやってきた観光客の車であることが多い。


 詩織は特に気にしなかったが、車に道をあけるよう少しだけ端に寄った。

 そして車が通り過ぎるだけ。そのはずだった。


 そうはならなかった。

 車は詩織より少し後ろの、車同士がすれ違えるように設けられた待避所で停まった。


 排気音同様重厚感のあるドアの音がする。

 詩織は特に危機感は持たなかった。そういう島ではないので。

 ともすれば知り合いか、平原神社の人か。そう思って振り向いた。


 運転席と助手席から二人の若い男が出てくる。

 平原神社の人と言っても全員を知っているわけではない。

 赤いスポーツカー、恐らく外車から出てきた二人の男を詩織は知らなかった。


「すみません、御子に選ばれた方ですよね」

 話しかけたのは背の高い、シンプルな服で身なりの良い痩せた男だった。

 理知的な雰囲気があり、こんな人神社にいたかな、いたかもな。と詩織は何となく思った。


「僕たち東京の大学から来たものなんですが、少し話を聞いてもいいですか」

 外れた。知らない人でした。

「こんな時間にこんなところですみません。いつかお時間を作っていただくのでも構いません。どうでしょうか」

 真面目な雰囲気に「はぁ」と生返事をしてしまう。


「連絡先とか教えていただけますか」

 それを言われた時、あ、これナンパだ。と詩織は初めて警戒心を持ち、そして、御子になるにあたり、御子についてや祭りについて人には話すなと平原神社のものに言われたのを思い出した。


「すみません急いでますので」

 そう言った詩織に対し男は何かに気づきしまったという顔をした。

「いや、そうですよね、怪しいですよね。でも違うんです。僕たち大学で民俗学を専攻していて、日見大祭についてお聞きしたいことがあるんです」


 詩織にはこの男が嘘を言っているようには思えなかった。ナンパではないのか。

 再び「はぁ」と生返事をする。

 しかしこの手の者に絡まれるのも想定済み、と言うかこれまでの日見大祭でも起こったことだ。こういった場合は

「神事ですので申し訳ありませんが何もお答えできません。郷土資料館など見ていただくか、あるいは東京の図書館などのほうがよほど詳しく調べられるかと思います」

と、にこやかに、穏やかに返すのがセオリーとなっている。

 他にも知人に金をたかられた場合、ねたまれた場合、政治家が声をかけてきた場合などいくつかの対応方法をマニュアルとして教えられている。


 そして本当に困ったときは神社に電話を掛けるようにと、スマートフォンも渡されている。


「そうですか。しかし資料だけではわからないことも多く…。昨年の御子入り祭りの際、僕たちも来ていたんですが、境内に入れるのは島の住人だけでした。通りの祭りには参加できたんですが、中に入ろうとすると止められて…。あれはどうやって判別してるんですか?」

 男は真面目に勉強しているのだろう。詩織の「神事ですので」と言う言葉に敬意と理解を示した。実際民俗学やってる人はこういう言葉が返ってくることに憧れとか持ってるイメージ。

 しかし抑えられぬ好奇心のためにちゃっかり一つ質問をしていた。


 詩織の態度は落ち着いたものだった。

「狭い町ですので」

 八尋の思う通り、そんじょそこらの年齢だけ成人に達したものよりずっと大人な態度だった。


 日見島以外の島にもわずかながら人は住んでおり、それを含めると日見町の人口は3万人近くになる。

 日見島本土だけでその9割以上の人口があり、その顔がわかるというのは無理がある。

 それとも日見島の中心地、平原の人間の顔を覚えており、判別していたということか。それでも2万人以上。無理がある。


 そう思って詩織を見るも、詩織は穏やかに笑っているだけだった。


 言えないんだ…。

 そう思うと男はわくわくした。こういうのが好きで民俗学始めたんでしょうね。


 神事だから答えられないと言われる。狭い町だから住人の顔がすべてわかるとごまかされる。これについてはレポートに書いてもいいのではないか。

 それだけでもレポートの雰囲気はぐっと良くなるのではないか。そんなことを思っていた。


 それでは。と、なんか淑女っぽく立ち去ろうとした詩織に、もう一人の男が話しかけてきた。

 中肉中背で着ている衣服の色味が強い。運転席から降りてきたということはこの男の車だろうか。

 動くたびチャラチャラと音が聞こえ、ベルト通しに複数の鍵をまとめたものがぶら下がっている。八尋君が言っていたのはこれか、と思う。

 全体的に最初に話しかけてきた男とは対照的な雰囲気に思えたが、それが最も顕著なのは表情と話し方だった。


「いえね、御子さん。10年に一回くらいしかやらない奇祭って言うとやっぱり興味を持つ人が多いんですよ。それはわかるでしょう」

 にやけ面に、なんというか軽い喋り方だった。

 痩せた男は同じ大学だと言っていた。本当だろうか。

 そして名前までは知られていないようが、どうやって自分が御子だと知ったのだろうか。

 痩せた男が先ほどのように丁寧に真摯に話しかければ教えてしまうものもいるだろうか。


「けっこうネットにもいろんな憶測が載っててね。御子はどうやって選ばれるとか。冬に始まり夏に終わる祭り。半年も何をしているのかとか。そもそも御子を選んでどうするのかとか」

 痩せた男がハラハラしているように見える。だがこの男はそれを気にしていない。

 この男が車の持ち主で、いわばパトロン。痩せた男は頭が良く、共同でレポートを書くとか、そんなところだろうか。


 この、チャラついた雰囲気の男はどうも嫌だった。

「遠慮なくかけて」と言われ渡されたスマートフォンだった。平原神社へ通報するショートカットが作ってある。

 詩織はポケットの中でそのショートカットを押した。何度か練習しているし多分うまくいっているはずだ。


「そしてね、その中には結構興味深いのがあってー…」

「おいやめろよ」と痩せた男が制するも、なんだよとチャラついた男ににらまれると黙ってしまう。


「俺の曽祖父がこの島のこと知ってて、美人島って一部では有名なんでしょ?お姉さん見てたらそれも納得だし」

 詩織の目から穏やかさが消えた。髪の毛の根元がぞわぞわする。

「そしてほら、この先の貧乏集落。あの辺の人ってそういう産業…」


 怒りが込み上げた。

 それが自分でもわかる。

 でもだからと言ってそれをどうすることもできない。この男にそれをぶつけたところでとても勝てるとは思えないし、逆効果かもしれない。

 痩せた男が止めてくれればいいがそれも期待できない。


「すみません。もう帰りますね」

 詩織はにっこりと微笑み、男たちに背を向けた。

 

 しかし男たちはそのあとを走って近寄り、詩織と並びながら身振り手振り話しかける。


「いやホントに面白いものがあってね、この御子っていうのも実は半年間さ、そういう島だから、そういうことしてんじゃないとかさ。男が御子に選ばれることもあるんでしょ?その場合は…。あ、ごめんごめん、あくまで噂ね」

 最後のはフォローのつもりかもしれない。しかし詩織にとっては醜悪で生臭い汚水のような声、言葉だ。


「違うんだ、御子さん。僕は本当に興味を持って。少し話を聞きたくて…」

 痩せた男は自分はこのチャラついた男とは違うということをアピールしてくる。詩織にとってそれはどうでもいいことだ。


「ホントに日見大祭に興味ある人間ってたくさんいてさー。できればネットにインタビュー動画出したくてさー。絶対受けるって。御子さん本人出演でさ。もちろん収益の一部は御子さんにあげるって。ほら、俺の顔見たことない?実はすでに登録者…」

 そこまで言いかけたところで男の表情が変わった。


 走って男たちを引き離そうとした詩織の、一瞬振り返ったその目。

 それまで穏やか、にこやかだった表情と打って変わって、凄まじい侮蔑に満ち溢れたその目。

 一瞬のことだったが、こういうものに敏感なその男はその一瞬を見落とさなかった。


 走り出した瞬間の詩織の腕をつかみ引き寄せる。

 掴まれた腕に痛みが走り詩織は顔を歪ませた。


「なぁ、話ぐらい聞けって。学術的な話しようぜ」

 男はできるだけ相手が怖がるようにどすの効いた声を作って詩織を睨みつける。


 普段は穏やかな詩織だが決して弱腰な人間ではない。睨み返すその目にはとてつもない迫力があり、男はたじろぐ。

 男が人生で初めて感じた、もしかしたら自身に向けられたそれは殺意なのかもしれない。


「おいやめろって!違うんだ本当に!ほら見て!ヒーリー!僕も買ったんだ!本当にこの島の人や文化にリスペクトがあって!」


 詩織は痩せた男のほうを見なかった。

 痩せた男がヒーリーをつけているのは知っていた。

 土産物屋で売っている緑色のミサンガ。レーヨンか、ポリエステルか。


 詩織の腕をつかんだ男も、痩せた男のほうを見なかった。見ることができなかった。


 初めて感じた殺意かもしれない、見たこともない目。しかしそれから目を離せなかった。

「なんだよ、ホントに美人だな」

 そう言って笑った。


 詩織は睨み続けた。怯えなどなく、ただ純粋に彼らを軽蔑し、それを視線に込めていた。


 そして、

「何か音、声がする…?」

ジャラジャラとした何かにさえぎられたような小さな音、声があることに気づき、痩せた男はあたりをキョロキョロ見回した。

 もしこの光景を誰かに見られていたら。それに怯えながら、同時に見られていた際の言い訳を頭の中で練り上げ始めた。


 チャラついた男にもその音は聞こえていた。

 痩せた男よりも正確にそれが声であること、どこかで聞いたことのあるような音質であること、そしてそれが自分の近くから聞こえることがわかる。


 男は鋭くも美しい詩織の瞳から視線を落とし、その下のわずかなふくらみ、さらにその下へと目をやった。

 スカートだ。

 ポケットのあたりからわずかに光が漏れているのが真上から覗くとよくわかり、そしてその光と一緒に声が漏れていることがわかる。


「おい、どこに電話してんだよ」


 詩織は答えず、先ほどと変わらず男を睨みつけ続けていた。


「なぁ、まずいって」

 痩せた男が怯えている。確かにまずい。これで警察沙汰になろうものなら。

 位置特定にはどのくらいかかる?警察署は、交番はどこにあった?狭い町だ、どのくらいでここへ到着する?


 案外聡明なのか、男はこうして考えている時間が無駄であることに気づいた。


「もういい、離れるぞ。島も出て、レポートも取りやめだ」

「そんなぁ、去年からやってきたのに…」

 痩せた男は不満そうだった。

 目立つ車でフェリーでやってきたのならば、騒ぎになれば一発で特定されるものだろうが、ここはこの女が自分の今の大事な立場も含め騒ぎにしないことに希望を託すしかない。


 早くここを立ち去る。そのために振り返り

「うるせぇ、行くぞ」

と言った時。


 痩せた男の首は宙に浮き、胴体は倒れ、暗いながらもアスファルトに巨大な血だまりを作りつつあることが分かった。

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