表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蜥蜴と蝶の島  作者: 南田萌菜(ナンディ・モイーナ)
ポケットの天蚕糸

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/11

2,カラン

 日見町の中心地、平原(ひらはら)の高台にある、生徒数500人ほどの平原小学校。

 その校庭のわきを歩き、校門を抜け、八尋はいつもならそこを左に曲がり帰宅する。

 その先は住宅地、ホテルやオフィス、商店街や小規模ではあるもののデパートもあり、日見町の中心地となっている。


 離島であるため、産業や住民の生活は港にその大部分を依存しており、校門を右に曲がった先にあるのが倉庫や工場、そして日見港である。


 いつもと違い校門からの右へと坂道を下り、しばらくすると潮の香りが漂ってきた。

 正確にはもっと前からしていたのかもしれないし、まだそこまでしていないのかもしれない。

 進むにつれ遠くの緑が視界から減り、地形の変化に合わせて視界に占める空の割合が上がっていく。自然と今自分が海に向かっていることが自覚され、それが嗅覚に影響を与えているだけかもしれない。


 そして海が見える。

 見慣れた景色だ。

 遠くに港が見えるがそちらにはいかず、日見島最大の河川、とはいえ小規模な二級河川の日見川河口の細く古い橋を渡った。

 八尋の、細いサラサラとした髪が橋の中央の極端な風でなびいた。


 渡った先には物流や産業の中心である日見港とは違った趣の日見漁港の景色が広がっている。


 古い漁船のたくさん並んだ船着き場に波止場、競り場、倉庫、加工場などの古い建物群は空模様もあって古いコンクリートの鼠色一色にすら思えた。


 漁港の区画を抜けるとその先には小さな山が見える。かつてそれは小さな島で、長い年月をして日見島とつながった砂嘴だと思う。

 そしてその山まで続く平らな土地には、古い無機質なつくりの住宅が並んでいる。団地だ。


 狭く、奇麗ではない砂浜がわずかにある。観光客が訪れるようなことはない、名前もない砂浜だ。


 この辺りはカラン地区と呼ばれている。

 もともとは日見漁港、日見港含め河口付近の海岸沿いのかなり広い範囲がカラン地区と呼ばれていたのだが、現在は漁港周辺のこの辺りをカランと呼び、場合によっては海から離れていても…つまり蔑称として下層民の暮らす地域をカランと呼んでいる。


 八尋は団地の角、団地の入り口に立った。

 広い団地のどの区画がどの番地か、部屋番号がどのようになっているかを示した地図看板がある。

 古く、潮風もあり錆がひどい。


 あまりここには近づきたくないというものもいるが、特に治安が悪いということはない。

 父に聞いた話だが、かつてはバラックの集まった区画もあり、そこには子供は近づかないほうがいいとされていたそうだ。


 平屋の区画、アパートの区画があるがどれも規則正しく並んでいる。

 ところどころ新しい戸建てがぽつぽつあり、規則正しい幾何学的な景色を虫食いのように乱していた。


 林田の家はこの中にあるのだが、それがどこだか知らない。


 看板のあたり、団地の入り口にはバス停があり、普通のバス停よりも多くベンチが並べられている。当然ベンチも古い。


 ベンチには老婆が座っていた。何をするわけでもなく杖を握りそれに体重を乗せていた。

 日の出ている間、このベンチにはだいたい誰かしら老婆が座っている。

 それらに尋ねれば目的地にたどり着けるというのはこの島の常識で、新人の配達員もそれをシステムとして利用している。研修でそう教わるのだ。


「すみません、林田綾さんの同級生なのですがどの家か教えていただけませんか。…林田詩織さんの妹の」


 林田の、綾という名前を聞いてもあまり変化がなかった老婆の表情に、八尋は姉の詩織の名を補足した。


「ああ、御子さんの家。はいはい、御子さんの妹さんのお友達かい」

 老婆は立ち、大きな地図看板の前にゆっくりと移動した。立っても頭の位置はあまり変わらなかった。

 何歳なのかは知らないが、流体かのようにたるんだ皮膚がしわを深く刻んでいる。


「このね、ここ。ここのいっこ上の四角のところだね。この四角の手前のほうだね」

「手前っていうのは左下ということですか」

「そうそう。そのあたりに林田さんは一軒だけだから、表札があればわかるよ。多分あると思うけどね、なければそこでまた誰かに聞きなね」

 老婆は自身の低い背丈では届かない区画を看板で示してくれた。


「ありがとうございます」

 再びベンチに座った老婆に丁寧にお辞儀をすると、老婆は笑った。笑ったんだと思う。しわがすごすぎてわからん。


「妹さんのボーイフレンドかね。いいね、御子さんも決まって、こんないい坊ちゃんが仲良しで…。坊ちゃんもしかしてあれかな、最近新聞に出てた坊ちゃんじゃないかね」

 老婆は再びベンチに腰掛けた。やはり頭の位置は変わらない。

「はい、最近…去年の秋ですけど」

「おお、いいねぇ、頭のいいボーイフレンドさんで。若いうちはね、いろいろやった方がいいねぇ」

「はい…。ありがとうございます。えっと、じゃあ失礼します」

 八尋は深々と頭を下げた。

 知らない人との会話に、凄まじいしわに緊張した。


 団地の中へと入る。

 家を探す、というよりも老婆の示した区画にたどり着くことを考えれば簡単だ。

 道をまっすぐ進み区画を三つ通り過ぎる。そして左に曲がり二区画通り過ぎる。そうして右手に現れる区画のすぐのあたりに林田の家はある。


 広大で、変わらない景色の中から目的地にたどり着くのは至難だと思っていた。

 しかしこうして具体的に数字で示すとむしろ簡単なように感じた。

 一方でこの団地の中に複数人知り合いがいた場合、それを混同せず覚えるのはやはり難しいように思った。


 八尋はふと後ろをみた。

 老婆はこちらを見てまだ笑っていた。

 腰を曲げてこちらを見ているのか、もともとの腰の曲がりか。


 先ほどはわかりづらく感じた表情が、不思議なことに距離をとるとかえってはっきりとわかった。

 深すぎるしわに距離の、わずかながら空気の層のフィルターがかかりぼやけることで、若い、経験の浅い八尋にも認識できる表情に情報量が落ち着いたのかもしれない。


 八尋はその老婆の置物のような姿に不気味さを感じたが、その感情の非礼を責め、また、再度謝意を込め頭を下げた。


 そして足早に歩を進め左に曲がった。

 優しいおばあさんだとは思っていた。

 でも帰りもいたら嫌だなと、そう思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ