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蜥蜴と蝶の島  作者: 南田萌菜(ナンディ・モイーナ)
甘い、酸っぱい

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11/11

1,優劣

「安藤君これ…」

 綾はうつむき、上目遣いに八尋に小さな紙の包みを渡した。


 可愛い猫の柄がプリントされた紙にピンクのリボン。おそらく百円均一のものだ。

 紙袋のかさかさという音が誰もいない教室に響く。


「いつも勉強見てくれて、その、良くしてくれるし。それにその…、風邪ひいた時のお礼」

 風邪ひいたとき、その時の恥ずかしさが思い出され綾は顔を赤らめた。


「見てるったって、リンダはもう全部自分で解けるじゃないか。算数と理科はいつも100点だし」

「うん…、でも全部安藤君のおかげだし…」

「リンダはたぶんもともと頭が良かったんだと思うよ。だから僕が教えなくてもそのうちこうなったと思うよ」

 それは八尋の本心だった。一方で女は褒めるに限るとは、八尋10年の人生で身に着けたもっとも尊く有用なスキルであった。


「そんなこと…、やひ、安藤君の教え方が上手だから、いろいろ覚えられたし。それに、まだ間違えちゃうこともたくさんあるから、だからその、これからのぶんのお礼もあれで、お姉ちゃんと作ったんだけど…」

 そう言いながら綾は紙の包みをぐいと八尋に突き出した。


 八尋は「ああ、うん」と包みを受け取った。

 多分クッキーだなと思った。


「あけてみて」

 綾はうつむいて、唇をすぼめて上目遣いに言った。


 やっぱりクッキーだった。

 リボンをほどき始めるとすぐにバニラの香りがふわりと漂った。

 今度はしっかりと材料をそろえたらしい。しかしちょっと香りが強いか。


「帰って食べる?今食べてもいいよ」

「今?あ、うん」

 八尋は包みの一番上のクッキーを手に取り口に運んだ。

「うんおいしい」

 選択肢を提示されたような、しかしながら誘導されたような違和感を覚える。


 綾は微笑んだ。

 八尋の言葉に、というよりは八尋の姿に。

 常々思っていたのだが、八尋のものを食べる姿というのが、どうにも綾の心の中の何かをくすぐるのだ。


 口の中いっぱいに給食を頬張って幸せそうな姿。

 綾にとって給食の時間は、ばれないようにその姿を眺める時間であり、そのためにしばしば食べるのが遅くなるのだった。


 今みたいにクッキーをちょこちょこ遠慮がちに齧っているのもいい。

 

 八尋は綾の顔を見て、自分は良い反応ができたようだなと思った。

 一方綾は八尋の食べる姿に満足しつつも、少しテストを間違えるなどもすべきだろうかと悩んだ。


「でも、安藤君のお父さんてコックさんだよね。こういうのあんまり、その…」

 綾の言葉に八尋は、姉妹で同じことを気にするんだなと思った。


「ホントにおいしいよ。こういうのって人によって違って、リンダが僕の教え方がいいって言ってくれたみたいに、すごく、うん…」

 なんかうまいこと言おうと思って、でも途中からどういえばいいかわからなくなって、それで八尋は少し照れた。


 綾は笑った。

 目を細めて笑った。


 詩織と綾、ずいぶんと印象の違う姉妹だと思っていた。

 しかしこの笑顔に見つめられ、八尋は体が一瞬硬直した気がした。

 お姉さん好きの八尋だが、詩織と血のつながった同じ表情に見つめられ、場の雰囲気も相まって、誰もいない教室で、思春期の入り口に二人で立って。

 その状況が再認識されて、それらが合わさり八尋をどきどきさせた。


 普段より距離が近い。


 おかしい、ここまで同級生相手にこんな気持ちになるはずがない。こんな小娘に…。

 八尋はそう思った。何様か。


 教室の戸が開いた。


 その音に二人はどきっとして、距離をとった。


「アンディ!エロ!またリンダと話してるのかよ!早く行こうぜ!」

「え、ああ、うん。ホセ、ごめん、お待たせ」


 ホセ(長谷)はいかにも悪ガキそうな笑みで二人をからかった。

 普段ならあまりこういったものに動じない八尋も、この瞬間、多少なりそういう感情があったために慌ててしまった。


「今日はホセたちと遊ぶんだ。ありがとうこれ、家で食べるから」

 そう言うと八尋はクッキーを包みなおし、ランドセルに入れた。ホセに背を向け、見えないようにした。


「うん、また作るかもだから、そのときは全部食べてね」

 綾は教室の戸にたむろする男子たちを気にしながら照れくさそうにした。


「ん?うん。これも全部食べるよ」

 八尋は綾の言葉に違和感を覚えた。。

「そうだけど、全部、全部食べるところみたい…」

 相変わらず綾は上目遣いのままだった。

 しかし何か、鋭さのようなものを感じた。


「うん、わかった。じゃあ、もし今度作ってくれたら、勉強しながら食べようよ。そしたら一緒に、全部食べるから」

 こういうことか?こういう返事で正解か?と思いながら八尋は控えめに話した。

 綾は頷いた。

 目の前にいるのに、顔が見えているのに、その表情がどういうものか八尋にはわからなかった。


 そういうマナーなのか?目の前で全部食べたほうがいいのか?リンダ的にはそうなのか、何かしらの文化か。

 八尋は考えるも答えを見出せず、「じゃあ」と言って綾のもとを離れた。


 早く行こうぜなどと言っている仲間たちと合流した際、ちらと振り返り綾を見たが、綾はスカートをぎゅっと握り、うつむいて表情はわからなかった。



「で、今日は何?またパキカ?アンダーソン君もいるし」

 教室の中からは見えなかったが、アンダーソンがおとなしく一番後ろをついてきていた。


「今日はパキカやんねえって。セントラルアイランドが野球やろうぜって言ってた」

「あいつ定期的にそれ言うよな」

「じゃあグラウンド?」

 わいわいと会話する仲間たちに八尋が加わる。


「いや、セントラルアイランドんち集合って言ってたから。ゲームか…、またあれかな、ウニ野球」

「ウニ野球やだよ。あれは議会に掛け合って禁止すべきだ。スリルに見合うほど楽しくないし、すぐ破綻するし、不毛だし…」

 八尋はウニ野球が嫌。

「だよなー、でもセントラルアイランドなぜかあれ気に入ってるからなー」

「ああなると奴の独壇場だからな…。ルールが…なんかもう言ったもん勝ちだもんな」

 みんなもウニ野球が嫌。

「でも、セントラルアイランドがウニ野球やりたいって言ったらどうする?」

「まあ、奴が言うなら…」

「うん、まあ…、うん」

「そりゃねえ、まあ、やるけど」

 でも付き合いはいい。


 八尋はふと、一番後ろのアンダーソンがとぼとぼ歩き、会話に入ってこないことに気づいた。

「どうかした?」

 八尋はアンダーソンに並んだ。


「いや、どうにかして、うまく、君をおいて行くことはできないか考えてたんだけど…」

 アンダーソンは申し訳なさそうに言った。

 八尋は彼の意図を汲んだが、わざと気づかないふりをして意地悪く

「なんで?今日は一緒に遊ぶ約束だったのに。なんで僕だけ?」

と顔を覗き込んだ。


「いや、そうじゃなくて、あの空間によくみんな割って入れるなと…。僕はこの中で一番君のことをわかっているつもりなんだ。君が輝くのはウニ野球なんかじゃない。あの薄暗い教室こそ、君の、君が一番輝くステージだったのに…」

 別に薄暗くはないが。彼の性格が自身の記憶を脚色しているようだ。

「まあ、ウニ野球で輝くのはセントラルアイランドくらいだね」

 八尋はニヒルな笑顔を見せる。


「ただ、みんな君を必要としていた。セントラルアイランドの強肩と強打に勝つにはアンディの…」

「僕のデッドボールと大ファールが必要ってわけか…。博打が過ぎる。まあ、盛り上がりはするよね」


「なんだよー。アンディ、アンダーソン、こそこそエロ話かよー。」

 ホセが割って入ってくる。

「アンディー、おまえあれだろー、ウニ野球なんかよりリンダとむっちゅむっちゅしてるほうが良かったんだろー」

 ホセは下卑た笑いを八尋に向ける。周囲の者も同じように笑っているが、アンダーソンだけむっとしているように見えた。


 八尋は気にしない。

「まあ、そうなるね。ウニ野球よりはそっちがいいかな。みんなもそうじゃないの?」

 余裕の笑みでそう投げかけると、普通10歳の男子がするリアクションではないため、皆一瞬言葉に詰まる。

「勉強だってなんだって早い方がいいっていうからね。みんなが気になりだしたころ、僕は一歩も二歩も先を行っているだろうね」


 ムッとしていたアンダーソンも八尋の態度に目を丸くする。

 この小気味よい嫌味。これこそアンダーソンが思うアンディの凄さだ。

 彼の才能を無駄にしないためにもウニ野球なんかで時間を無駄にしてほしくないし、一方でウニ野球でもそれはそれでこの才能を活かすことのできる、それがこのアンディという男だ。


 この余裕の態度でも八尋は場を制することはなかった。

 それはホセがいたから。


 ホセは八尋の肩を組んだ。

「アンディさんくらいになるともうリンダのパンツとか見放題なわけ?おっぱい触った?」

 八尋は一瞬眉間に皺を寄せたがにやりと笑った。

「TPOってものがあるからね。年相応にやらなきゃ。僕はまだ勉強中なんだよ」

「お!俺も勉強中だぜ。アンディ今度うち来いよ、いいもん見せてやるぜ」


 八尋は努めて大人を演じた。

 こなれたもので、その余裕に大抵の同年代は八尋に強く出れないか、幼い、言ってしまえば劣る態度をとってしまうことが常だった。


 ホセの態度はまさに劣るものであったかもしれない。しかし彼はそれを自覚したうえで、あえて自分のプレイスタイルとして力強く確立していた。

 つまり八尋とは真逆にその方面に秀でたものであった。


「TPOってなんだよ、ティンポかよ」

 ほらなんか言ってる。


 アンダーソンは渋い顔をした。

「彼は品性に乏しい」

 八尋はそんな親友を横目で見て笑った。

「欠けているとは言わないんだ」


「言いたいが。僕に見えているのは彼の一側面に過ぎないからね、そのくらいはわかってる」

 ふんふんとニヤニヤしながら頷く八尋。

「好意的に見るなら君の言葉にリアクションできたのはホセ、彼だけだ。だからほら」

 そう言って指さした先では、ホセが別の仲間と肩を組んでエロ話をしていた。


「彼がいなければ話が途切れて、君は少しばかり孤立を味わったかもしれない。いや、君はそんなこと気にしないかもしれないが。君は少し子供らしくないんだ」

 アンダーソンは八尋をじっと見て諭すように言った。

 お前が言うなと思ったが、アンダーソンはこういう風に考えるのかと思うと感心した。


「ねえ、アンダーソン君」

 八尋はアンダーソンを、自身よりも背の高い龍之介を横目で見上げた。

 八尋の丸っこい顔は普段より子供っぽく、いたずらっぽく。龍之介はその笑顔に一瞬どきっとした。


「ウニ野球楽しみだね」

 龍之介はキョトンとした。脈絡なく話を変えられたのが、あまり八尋との会話っぽくなかった。それに、

「いや、全然…」

ウニ野球が楽しみだなんて、そんなことあるはずがないのだ。

 龍之介の言葉に八尋は一層笑顔になり、

「僕もだ!」

と言った。


 八尋が何を言っているのかよくわからなかったが「そっか、そうだね」となんとなく流し、それはそれで、なんとなく良い時間だなと、そう思った。




 校庭を抜け、綾は坂道を下っていた。


 ばん!と勢いよくランドセルを叩かれ、思わず転びそうになった。

 ぎりぎり転ばないくらいを狙った力加減だったとも言える。


「林田さんさあ、安藤君に何かあげてた?」

「うん…、いつものお礼に…」


 正直、いつかこういう目に合うかもという予感はあった。

 その片鱗はすでにあった。

 その片鱗は聞こえていた。ぎりぎり聞こえるくらいの距離からぎりぎり聞こえるくらいの小さな声で。


「安藤君優しいよね、勉強教えてくれて。すごく優しいよね」

「うん。そうだね…」

 とても強い笑顔が綾に迫ってくる。

 少し離れた後ろで数人笑っているのがわかる。


「お姉さんが御子に選ばれたあたりからだよね、安藤くんに勉強教えてもらうようになったの」

「うん。お姉ちゃんが御子に選ばれてから、いいことがいっぱい…」

「ね、お姉さんすごいね」

「うん。お姉ちゃんは昔から頭いいし、すごい…」


 わーいいなー。と、周囲に敵意がないことが伝わるように振る舞っている。


「最近は林田さんも頭よくなってるじゃん」

「うん。でもそれは安藤君のおかげで。もともとは、ばかだから」

 力なく返事する綾。ランドセルのショルダーベルトをぎゅっと握る。

 

 うんうんと笑顔で頷く、親しげな顔が近づく。


「やっぱり半分だけ似てたってことかな」


 綾はハッとして横を見た。

 にっこりと笑ってこちらを見ている。

 

 後ろから話し声が聞こえる。

 そちらは見ない。見てはいけない気がする。


 綾は目を丸くして下を見た。

 そしてしばらくして

「ははは、そうかな、そうかも…」

と言った。


 真横から、真後ろから、じっと見られているのがわかる。

 ほんの一瞬なのかもしれない。それでも長い時間、ずっと無言で見つめられている気がした。


 ばん!と再びランドセルを叩かれ綾はよろけた。

「林田さんじゃあねー!」


 その言葉を皮切りに数回ランドセルを叩かれ、叩かれるたびにじゃあねーじゃあねーと同じような声が、そして同じような笑顔が自分を追い越していった。

 

 綾はしばらくその場に立ち尽くした。

 恐怖と怒りのようなものがあったが、それが何なのかはっきりとはわからなかった。

 

 こうなる予想はあった。

 教室で聞こえていた声だったし、教室でこちらを見ていた顔だった。


 そしてふと、その名前を思い出そうとしたとき。そのうち二つくらいは去年か、その前にも同じクラスにあった名前のはずだが。


 アンダーソン、下村、ミッキー、三木、ホセ、長谷、セントラルアイランド、中島、セントラルパーク、中園、ミューラー、三浦、ヒルトン、丘敦…


 思い浮かんだ名前は男子の名前ばかりだった。


 そして綾が思い浮かべた名前なのに、なぜか綾とは違う声で再生された。


 アンディ、安藤八尋…


 それは、その名前だけはしっかりと綾の声で綾の脳内に再生された。

 そしてその顔ははっきりと、そのやわらかなほっぺに触れられそうなくらいはっきりと思い描くことができた。


 ふと先ほどの女子の顔を思い出そうとすると、それはつい先ほどまでそばにあったものなのに、なんだかぼんやりとしていた。


 思い描いた八尋の顔が消えず、余計なものを思い描くのを拒んだ。


 しばらくぼうっとして、ようやく綾は顔を上げた。


 そしてつぶやいた。


「そっか」


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