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蜥蜴と蝶の島  作者: 南田萌菜(ナンディ・モイーナ)
いつきぽうぽ

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10/11

5,光らない赤

 首が取れてもしばらく胴体は動くらしい。痩せた男の体はとめどなく血を流しながらじたばたと手足を動かしていた。

 立ち上がろうとしているような動きも見せ、その場から逃げようとしているのか、あるいは自身の首を探しているかのようにも見えた。


 チャラついた男はそれを見てまずは恐怖を感じ、そして次第に別の感情が芽生えた。

 見るからに薄情そうな男ではあったが、それでもやはり普通の人間であり、それなりに思い出もある。痩せた男の死を前にまるで悲しみを感じないほどではなかった。

 健全ではなかったかもしれない。それでも確かに二人は友人だったのだ。


 そして首はというと、こちらを、自分をまっすぐに見つめたまま口をゆっくりパクパクさせている。動いているだけだ。意思はない。目を見ればわかる。

「お…、おい」

 声をかけるも無意味。


 そして次第に周囲の状況がはっきりとしてくる。

 痩せた男の首は正確には宙に浮いているのではなく、何かに挟まっている。

 それは白く細かいギザギザで首を保持し、わずかに上下している。呼吸をしている。


 風に揺れる、ふわふわとした何かに包まれ、それは大きさを変えながら長く地面まで続いていた。


 口だ。


 友人の首は自分の身長よりも高い位置で、巨大な何かの口の中にあるのだ。


 悲しみは感じていた。だが恐怖が勝る。

 生存本能だろうか、この突然の、異常な事態にも対象を冷静に観察することができる。


 風になびいていたのは体毛のように見える。少ない明かりの中でも色鮮やかであることがわかる。柔らかさはあれど、どこかまとまりのある硬質ななびき方。羽だ。


 その口は巨大ながらも細長く、友人の首はすっぽりと収まっているわけではなく挟まっているだけだ。

 細かい、びっしりとした無数の歯がしっかりと友人の頬骨あたりに食い込んでいる。


 こちらを見ていないはずの友人と目があう。あった気がした。

 そしてわずかに視線をずらし、その巨大な何か、こちらとしっかりと目が合っていることに気づいた。


 首は長く、尾も長い。

 太ももが太いがそこから先は細長く、その形状だけで俊敏であろうことがわかる。


 胴体は結構な太さがあるが、巨体であるため全体のフォルムとしてはスマートに見える


 そして特徴的なのは腕だ。

 それほど太くなく、それほど長くない。

 たぶん自分と同じくらいだろう。


 ただ、そのだらんと垂れた腕の先に指はなく、爪だろうか。一本の太く長く鋭い鎌のようなものが地面につきそうになっていた。


 竜だと思った。


 そこまで思い至って初めて、そこに、この異常な環境に自分が身を置いていることを再認識し恐怖の声が漏れた。


 それと同時に腰が抜けそうに、立っていられずしゃがみ込みそうになるも堪え、後ずさる。


 巨大なそれは男の声と動きに反応し、友人の首を地面に落とす。


 ごとん、と石が落ちたような音を立て、そしてわずかに転がる。


 普段の生活で感じているよりも人の頭は重い。

 こんな時にそんなことを思い知らされる。


 ふと横を見ると、先ほどまで気丈にふるまっていた詩織が体を強張らせ、口元を押さえ震えていた。

 もともと大きい目をさらに見開き、これが慄きの顔か、自分もこんな顔をしているのだろうかと思う。


 おい!これはなんだ!

 そんなことを言おうとするも声が出ず、それでもしっかりと伝わったらしく詩織は首を横に振る。


 巨大なそれはゆっくりと足音を立て男に近づく。詩織の方は見ていない。

 詩織の横を通り過ぎ、後ずさる男のほうへとにじり寄る。

 カチャカチャと爪とアスファルトのぶつかる音、そしてベルト通しの鍵の音がする。


 男は一気に走り出した。

 熊と遭遇した時は目を合わせたままゆっくりと下がる。そんな知識も一瞬頭を過ぎった。だがこれは熊じゃないし、もう、そうするしかない。


 駆けだした瞬間、ついさっき男が詩織の腕をつかんだように、巨大なそれは地面を蹴り飛び掛かり、そして腕を伸ばした。


 さっきと違うのは伸ばした腕が、爪が、男の右わき腹から左足にかけて斜めに切り裂いたこと。

 そして固いアスファルトに強靭な脚力と爪でつけられた跡が残ったことだった。


 男は倒れた。そしてあっという間に友人と同じように血だまりを作る。


 意識はまだはっきりとしている。生きている。

 アドレナリンの分泌がすごい。普段よりもしっかりと状況判断ができる。

 研ぎ澄まされた嗅覚は臭いを覚えた。たぶん自分の内臓の匂い。

 内臓が出るようなことはなかったが血と一緒にその匂いが漏れている。


 そして足。

 街灯の少ないこの場所でもはっきりとその傷口が見える。

 膝裏の少し上のところ、骨も切られ、皮膚とわずかな筋肉でつながった足が普段と逆方向に曲がっている。


 とてつもない痛みにも声は出ない。全身から血と同じくらいの汗が流れ、服はあっという間にびしょ濡れになる。

 失血により死ぬか、脱水によって死ぬか、そのようなありさまだった。


 歯を食いしばり、その隙間から息をする。

 詩織を見る。

 詩織は先ほどと同じだ。

 がたがた震え微動だにできずにいた。


 巨大な爪が男の肺を突き刺し、貫通しアスファルトまで届く。

 男は体をのけぞらせ表情だけで叫び声をあげた。


 のけぞった瞬間、その首元に噛みつかれた。

 みしみしと骨が音を立てているのがわかる。

 男は歯を食いしばった。別に耐えているのではない。そうなってしまうのだ。


 詩織は逃げ出せずにいた。

 この後襲われるのは自分だ。

 そう思ったが動けなかった。


 数回意を決して体を動かそうとしたのだが、その逃げる先に横たわり転がる痩せた男の体と首が行く手を阻み、いつしか自分の足元まで広がった血だまりが強力な糊となって地面から足を引きはがせずにいた。


 音と光があった。

 先ほど学生二人が鳴らした音と同じくらい大きな音だったが、それほど主張の激しい音ではなかった。

 光は近づくにつれ独特な、フォグランプも含め片側三つ、計六つ。詩織はこれを蜘蛛の目のように感じた


 待避所の赤いスポーツカーの後ろに停車し、男が駆け寄る。

 革靴を履いているが音を立てず、身をかがめ素早く詩織に近づく。


「詩織さん大丈夫ですか」

 固まった詩織の両肩を抱き体をゆする。

 そして恐怖に歪んだまま固まった、しかしながら美しいその表情に深い同情を寄せた。


「斎藤さん…」

 詩織は細い声を漏らした。

 そんな声しか出なかったのか、巨大な化け物を刺激せぬようそうしたのかはわからない。


 年かさの、斎藤と呼ばれた短髪と程よい口髭の男。細身ながらもがっちりとしていることがその佇まいからわかる。

 鋭い眼光を銀縁の眼鏡で隠しきれず、むしろ余計に鋭く感じさせる。


 あとからもう一人出てくる。

 背格好は斎藤に似ているが、若い、20代に見える男だ。

 眉間に皺をよせ神妙な顔をしているが、普段は穏やかな好青年であることがその顔の形、成り立ちからわかる。

「凛、詩織さんを車へ。さあ、詩織さん。こっちへ」


 斎藤は詩織をその場から離れさせ、凛と呼ばれた若い男に引き渡そうとした。しかし詩織は動かなかった。

 怪訝な顔をする斎藤と凛。


「血が、血が糊になって…、靴の裏が溶けて地面と混ざって…」

 詩織は目を泳がせながら、まるで自分の言葉ではないように言葉を発した。

 斎藤は力を入れ詩織を抱えようとしたがやはり動かなかった。


「凛、動かせるか」

「はい。詩織さん、失礼します」


 凜は斎藤に代わり詩織の両肩を抱く。

 そして身をかがめ額と額を合わせた。

 凜は目を瞑り冷静であったが、詩織は恐怖の中にもその整った顔が至近距離にあることに少し照れた。


「血にそんな力はありません。詩織さん落ち着いて。あなたは歩けます。さあ、自分で歩いて」


 詩織は凜に言われたことを心の中で反芻した。

 すると体を固めていた力がふっとなくなり、凛の胸元に倒れ込むように歩くことができた。


 凜は詩織を抱き寄せまっすぐに立たせてやる。

「斎藤さん、凜さん。あれって何ですか…」


 巨大な化け物はチャラついた男の首を噛み、やがてへし折ろうというところだった。

 抵抗してその巨大な口をこじ開けようとするも、力が入らずただ手を添えているだけになっている。

 男はここまで出せずにいた声をようやく出すことができた。

 消え入りそうな、かすれた「助けてくれよ」


 

「あれがバンネですよ詩織さん。ボーバンネ」

 斎藤は死にゆく男を眺めながら、しかしその悲痛の訴えには耳を貸さず、穏やかな口調で詩織に答えた。


「ボーバンネ…。仮面の名前ですよね。6月の、日見大祭の終わりの踊りで使う、鬼みたいな…」

 詩織は状況を飲み込めず朦朧とする意識の中で斎藤の口から出た言葉を自身の記憶と結びつけた。


「それです。いうこと聞かないと子供を食べに来ちゃう。あのボーバンネです。初めて見ますが…」

 凜が答える。

「あれ、何だ、今はそういう感じなのか。俺らのころはおねしょしたら来るって言ってたな」

「え、マサさんもおねしょしたんすか」

 巨大な化け物がまさに今二人目を殺そうというときに、斎藤も凜も随分と落ち着いているように見えた。

「そりゃするだろ。小さいころだよ」

 斎藤が拗ねたように言う。

「ただ俺も数回しか見たことないな。こんなに至近距離で見るのは初めてだ。山を尾根伝いに…。仲間がまだいるか。いや、こんなに人のテリトリーに入って来るはずはないんだが。本土の熊よろしくどんぐり不足かね」

「え、ボーバンネってどんぐり食ベるんですか?」

「いや、知らんけど。詩織さんを守りに来たんじゃないかね」

 そういうと斎藤はにやりと笑った。


「さて、処理だな」

 そういうと斎藤は男とボーバンネと呼ばれた化け物に近づいた。


「たのむ…、たすけて…」

 ほとんど吐息でまともに聞き取れないその声。そうでなくとも斎藤は聞くつもりはなかった。

「ずいぶん時間かけるな。遊んでるのか?」

 

 ボーバンネはずかずか近寄ってくる斎藤を警戒した。

 お互いに敵意がないことはわかっていた。それでも気が立っている。そんな自分の間合いに遠慮なしに入ってこられると身構える。


「もう一人の子は瞬殺って感じだよな…。ん?違うか、少し小さいか?若いか?力加減を覚えようとしてるのか…?」

 斎藤は上等そうな背広を脱ぎながら少し笑った。

 そして脱いだ背広をひらひらとボーバンネに見せた。

「ほーら見ろ、超高級…とはいかねえが結構いいやつだぞ、しかも新品だ」


 背広を大きくぶんぶん振りまわすと、ボーバンネは面白そうにそれに合わせて首を動かした。


 そして優しく微笑みながら

「こいつらよぉ、山の中に連れてってさ、誰にも見つからないようにしてくれねぇか?ほらこれをこうやって…、お!似合う似合う」


 背広に興味を持ったボーバンネは斎藤が至近距離に近づくのを許した。

 斎藤は背広をボーバンネの首にかけ、袖を結んでマントのようにしてやった。


 ボーバンネは口を開けてギャッギャッと声をあげた。笑顔に見える


 詩織と凛はその様子を不安そうに見ていたが、すぐそばまで延びた山の支尾根、その茂みからがさっと音がしてびくっとした。


「仲間がいるのか。家族か?服は一個しかやれねぇけどさ、頼むよ。協力して山の中にこいつら運んでくれよ」

 斎藤はボーバンネの首にかけた背広のよれを伸ばし整えながら優しく話しかけた。

 ボーバンネは首をぶんぶん振った。

「はは、そうかそうか」

 斎藤は子供をあやすように言った。


「なあ、…むよ…」

 多分、頼むよと言ったんだと思う。

 斎藤は地に伏した男を見下ろした。


 しゃがんで、男の首にナイフを当て、喉を切った。


 男はまだ生きていたが、これでいよいよ言葉を発せなくなり、息もできず、血がさらに流れる。もはや全身に力を入れることができず、流れる血を止めるために手で押さえることもできなかった。


 詩織の位置からは斎藤が何をしたのかがわからななかったが、その肩を抱いて支える凛は神妙な顔でその様子を眺めていた。


「…はい、そうです。詳しい話は後程…。はい。ええ…、ウチからも数人、いえいえ、そこまでそちらの手を煩わせるわけには…。ええ。ええ。ははは、では私はこちらにおりますんで。ええ。ええ。どうもすいません、お世話になります」

 何やら営業のような喋り方で電話しながら斎藤が近づいてきた。


「警察には電話しといたからさ。俺はここに残るから。お前は詩織さん連れて神社戻れ。あ、ご自宅に電話入れとけよ、余計なこと言わなくていいから、なんか祭りのことで寄ってもらったとか言って。ほれ鍵、あ、車ぶつけんなよ」

 そう言って車の鍵を凜に渡す。

 そして再びどこかに電話を掛ける。

「…あーもしもし、俺だけど。あー、うん、うん。大丈夫…、だけど大丈夫じゃないな。うん、いやいや、詩織さんは無事。今からそっちに行く、凜が。いや、俺はここに残ってさ、ボーバンネが出て人が死んだんよ。多分そいつらがちょっかい出したんだと思う。うん、警察は大丈夫。でね、あのタンクあるでしょ、軽トラの、オレンジの、うん。あれ持ってこれる?あーホント?じゃあちょうどいいや。血い流すのに。え?いや、だから二人死んだんよ。血い!血を流すの!警察は大丈夫だって!ははは!本当だって!」


 大変な事態だ。それなのに斎藤はずいぶんと陽気に電話で話している。

 その様子に詩織は困惑し、凜は呆れていた。


 がさがさと再び茂みから音がし、二体のボーバンネが出てきた。

 詩織は思わず声をあげそうになったが凜が詩織の口を押さえた。

 斎藤は電話を切って

「おー、すげえすげえ。一生分見たなこりゃ」

と笑っていた。


 二頭のボーバンネは既にいた一頭に近づき、その首にかけられた背広を鼻先で確認した。品定めしているようだった。

「ボーバンネはおしゃれなんだ。手持ちの服の、一番上等なやつをやると喜んでくれるよ」

 斎藤は笑った。

「昔じいちゃんに聞いた話なんだけど、まさか本当にうまくいくとは…」

 少しひきつった笑いに見えた。

 余裕でもろもろこなした斎藤に見えたが、実は案外綱渡りだったのかもしれない。


 あとからやってきた二頭は最初の一頭よりも体が大きい。

 一番大きいやつが新しい死体の胴体を噛み、持ち上げた。

 もう一頭が首と別れた胴体を持ち上げ、山の中へと入っていった。


 最初の一頭は転がった首を噛んで持ち上げた。

 そして斎藤と詩織に近づき、一瞥する。

「ああ、似合ってるよ。ねえ、詩織さん」


 ガードレールに腰掛け、疲れた笑みをボーバンネと詩織に向ける。

 詩織は声が出せず、大きく数回頷いた。


 ボーバンネはそれを真似るように大きく首を縦に振り、嬉しそうにしてから山の中へと消えて行った。


 斎藤が乗ってきた車よりも新しい、黒いセダンが二台やってきて、男が二人ずつ降りてきた。

 斎藤は男たちに声をかける。

「ねえ、トランクにデッキブラシとか乗ってる?」

「乗ってませんよそんなの」

「なんだよ乗せとけよ」

 斎藤は笑っていた。


 現場に残った大きな血だまりとは不釣り合いな斎藤の陽気な姿に男たちは困惑し、たがいに目を見合わせた。

「どっかから借りてきてくれよ」という斎藤に「うす」と頭を下げ一台がその場を離れた。


「詩織さん、俺らはここを離れます」

 肩を抱いた凜にエスコートされ、詩織は助手席に乗った。

「マサさんの車運転したくないなぁ…」

 凜は運転席乗り込み鍵を回し、笑顔を作って詩織を見た。和ませようとしているようだった。

 詩織はそれに答えることができなかったが、凜は微笑んで「終わりました。大丈夫ですよ」と言って車を走らせた。


 遠くからセダンのパトカー二台と軽のパトカーが近づいてきていた。

 サイレンも鳴らさず、赤色灯も点いていない。


 詩織はそれを無表情に眺めた。

 それ以外何もすることができなかった。

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