お茶会(8)
白猫のぬいぐるみにやわらかな日差しが差し込む。空気はまだ冷たいが、そのひだまりは、そこだけが別の空間のように温かい。
俺は、二日間の徹夜ハイ状態によって、疲労と興奮が奇妙にブレンドされたハイテンションに突入していた。セレスさまの緊張が解け、愛らしい笑顔を見せてくれたことで、俺の自慢話エンジンはフルスロットルで稼働を始めた。
「核融合炉の安定稼働と、ダムの建設状況、そして水力発電プラントにメドがついた話――」
俺は、一国の君主との優雅なお茶会という設定を完全に忘れ、まるで学会で新技術を発表する科学者のように、立て板に水で技術報告を続けた。
そして、最大のハイライトを、セレスさまに向けて力説した。
「これで王都のどこでも、いつでも温かいお風呂に入れますよ、セレスさま! 冬の乾燥対策にも、お風呂で血行を良くすることが最も重要ですからね!」
俺が「無制限の温水」という最高の生活インフラを強調すると、セレスさまは、核融合という途方もない偉業よりも、「毎日お風呂に入れる」という事実にことのほかお喜びになられた様子だった。
「まぁ! いつでも温かいお風呂に……! それは本当に……わたくしの最も切なる願いでした!」
彼女の瞳は、ティアラの宝石よりも明るく輝いていた。その笑顔を見て、俺はついつい自慢話が続いてしまったことを反省するどころか、さらに調子に乗った。
(よし、この女王さまは本当に『できた方』だ! 軍事的な話や政治的な駆け引きには一切触れず、俺の技術的な成果を純粋に喜んでくださる!)
セレスさまは、微笑みを切らさず、時折前髪をいじるフリをしながら、ロイヤルブルーの瞳で俺の話に耳を傾けてくださった。その態度は、まさに完璧な聞き上手であり、一国の元首とは思えないほどの神対応だった。
最初の緊張は完全に解けたようだ。俺はますます調子にのり、話題をさらにニッチな技術領域へとスライドさせた。
「そして、その水力発電タービンですよ、セレスさま!あれはただの水車ではない。水蒸気タービンの改良版を応用しています! 水蒸気エンジンの開発苦労話をご存知ですか!? あの熱効率の計算がですね――」
俺は、「水力発電」という誰もが知る技術から、「水蒸気タービン」という専門技術へ、さらに「水蒸気エンジンの熱効率計算」という、最高機密レベルのオタク知識へと話を深掘りしていった。
セレスさまは、もう何を言われているのか全く理解できていないはずだ。しかし、彼女は口を真一文字に結び、真剣な表情で俺を見つめている。時折、「そうなんですね」「まぁ……大変」といった、極めて抽象的で無難な相槌を、絶妙なタイミングで挟み込んでくる。
(ああ、なんてできた女王さまだ! これほど退屈で小難しい話を、ただ俺のために、笑顔で聞いてくださるなんて!)
俺は、徹夜ハイと自惚れが最高潮に達し、その場のティーカップを掴み、「では、水蒸気の熱力学についてさらに詳しく……」と熱弁を振るう準備を始めたのだった。
◆
トールが語る言葉は、もはや彼女の理解の範疇を遥かに超えていた。水蒸気タービンの改良、熱効率、そしてマザーによるデータ分析――それはすべて、王宮の優雅なティータイムには不釣り合いな、極秘の工業技術だった。
しかし、セレスティアの心は、その難解な単語一つ一つにではなく、彼が放つ熱量に向けられていた。
(トールさまは、わたくしたちの王国のために、こんなにも一生懸命になってくださっている……!)
その事実に気づくと、彼女の胸の奥が、温かく、そして愛おしい感情で満たされた。彼が目を輝かせ、早口で技術の素晴らしさを語るその姿は、まるで未来の夢を追う少年のようで、彼女の心を強く惹きつけた。
彼と話している間、セレスは手持ち無沙汰になり、何度もワンピースの裾を握ったり、隣に座らせた白猫のぬいぐるみの尻尾をそっといじったりした。一見、落ち着かない仕草に見えるが、それは嬉しさという感情を、この小さな体がどう扱っていいかわからないからだった。喜びが多すぎて、身体がそれを処理しきれないのだ。
彼女は、彼から目を離さないようにと努めるが、彼の視線がふと自分に戻ってくる気配を感じると、すぐに目を逸らしてしまう。視線は、テーブルの上の銀のスプーンや、自身の膝の上に置かれたレースのハンカチを、慌てて彷徨う。
しかし、その目の奥は、誰にも見えない光でキラキラと輝いていた。普段の凛とした声は、彼と話している間だけはワントーン高くなり、受け答えの話し方は、ほんの少し早口になってしまう。
(落ち着かなくてはいけないのに。わたくしは、女王なのに……)
心の中では、王としての自覚が警鐘を鳴らすが、口元から漏れる微かな笑みは、もはや制御不能だった。彼女が必死に隠そうとするその微細な動きの一つ一つに、トールと再会し、彼の情熱を独り占めできる抑えきれない喜びが、静かに、しかし鮮やかに滲み出していた。
◆
水蒸気タービンの熱効率について、延々と独演会を続けていた俺は、ふと我に返った。
(何を調子にのって、一方的にしゃべっているんだ。これは優雅なお茶会であって、学会の技術発表ではない!)
徹夜ハイのせいで、俺の社会性が完全に崩壊していた。俺は口を閉じ、口元に張り付いていた乾燥した笑みを引っ込めた。
そして、ふと視線を感じ、庭園の隅で控えている護衛の女騎士に目をやった。彼女は、俺の「水蒸気タービン独演会」をずっと聞いていたはずだ。その目は、まるで「早く話を終われ。女王陛下を退屈させるな」と無言で訴えているように、俺のことを鋭く睨んでいた(ように見えた)。
俺は、女騎士の視線に急かされ、慌てて話題を切り替えた。
「セレスさま、失礼いたしました。城下の様子は如何ですか? ダムや発電施設の目処がつき、復興支援物資も回っていますから、だいぶ活気が戻ってきていると思いますが」
セレスさまは、一瞬話題が変わり戸惑ったようだが、すぐに凛とした女王の表情に戻った。
「えぇ、そのように聞き及んでおります。バルザック商会からの報告では、市場の活気が戻り、子供たちの笑顔も増えていると……」
「聞き及んで、ですか」
俺は、一気に閃いた。これは、目の前の厳しい女騎士への挑戦状であり、徹夜ハイの最終段階の行動だった。
俺は、先ほどの女騎士のいる方向をあえて睨み返し、女王に提案した。
「ならば、今度お忍びで城下の様子を見にいってもよろしいかもしれませんね。陛下の目線で、直接国民の喜びを確認されるのは、何よりの復興の証となるでしょう」
(これは、危険な提案だ。女王のお忍びは警備上、最も難易度の高い任務だ。女騎士が反対するのは目に見えている!)
案の定、女騎士は「そんなこと、できるわけないだろうが」という怒りにも似た視線で、再度俺を無言で睨み返してきた。彼女の甲冑の鎖が、一瞬、音を立てたような気がした。
だが、そんな護衛の冷徹な反対意見は、セレスさまの耳には届いていなかった。
セレスさまは、そのロイヤルブルーの瞳を最大限に見開き、「お忍び」という言葉に純粋な歓喜を爆発させた。
「まぁ! お忍びでございますか! わたくしも、城の窓から眺めるだけではなく、直接、国民の様子を見たいと、密かに願っておりました! ぜひ!」
彼女の小さな手は、興奮のあまりテーブルの上でキュッと握りしめられ、口元は隠しきれない満面の笑みで歪んでいた。先ほどの技術報告では決して見せなかった、最高の笑顔だ。
俺は、女王陛下の純粋な歓喜を目の当たりにし、女騎士の殺人的な視線を無視しながら、心の中で勝利のガッツポーズをした。
(よし! 最高難易度の任務と最高の笑顔を同時にゲットだ! やっぱり、徹夜ハイの判断は間違いない!)
こうして、女王陛下の極秘お忍び計画が、一人の徹夜明けの男の無責任な発言と、護衛の絶望的な顔を背景に、強行されることになったのだった。
俺は、セレスさまの純粋な歓喜と、背後の女騎士から放たれる「お前を絶対に許さない」というレーザービームのような視線を浴びながら、この外交上の暴挙を最終確定させることにした。
「それでは、暖かい季節となりましたら、お忍びしてみましょう」
俺は、最高の笑顔、つまり二日間の徹夜によるハイテンションとロマンへの渇望が混ざった、妙にギラギラとした笑顔でセレスさまにお忍びにお誘いするのだった。
セレスさまは、もう隠しきれない喜びを全身で表現していた。テーブルの下で握りしめた手が、小刻みに震えているのが、俺には見て取れた。
「まぁ! 暖かい季節に! とても楽しみでございます、トールさま!」
彼女の瞳は、未来のお菓子と、城下町の賑わいと、そしてトールと二人きりという夢のような遠足のイメージでいっぱいだった。
一方、彼女の背後に控える女騎士の様子は、完全に静的なパニックに陥っていた。
(暖かい季節だと!? 春になったら、城外の警備体制は崩壊している! この御仁は、一国の女王を、無防備な春の散歩に連れ出そうとしているのか!)
女騎士の甲冑の肩は微動だにしなかったが、彼女の顔の下半分は、わずかに青ざめているように見えた。彼女の脳内では、すでに「お忍び中の女王誘拐、および王都全体への緊急警備プロトコル発動」という、最悪のシミュレーションが超高速で回っているはずだ。
俺は、そんな女騎士の絶望に気づかないフリをし、紅茶を一口啜った。
「もちろんです。その時までに、城下の治安は完璧に改善させておきます。セレスさまには、安心して城下のお菓子屋さんに立ち寄っていただきますよ」
俺の視線は、女騎士に向けられた。これは、「次席補佐官はいないが、警備を完璧にするゴーレムはいる。お前の絶望は無駄だ」という無言のメッセージだった。
女騎士は、「お菓子屋さんに立ち寄る女王」という、あまりにも平和で、そしてあまりにも警備上のリスクが高い行動計画を聞かされ、その場に崩れ落ちる寸前で踏みとどまった。
こうして、ゼノクラシア王国の最重要外交行事は、「暖かい季節になったら、女王を護衛の絶望と共に連れ出す春の遠足」として、強行決定されたのだった。
◆
トールから発せられた「暖かい季節となりましたら、お忍びしてみましょう」という言葉は、セレスティアの心を、既に夢のような光景で満たしていた。未来のお菓子屋さんの甘い匂い、活気に満ちた城下町の賑わい、そして何よりも、彼と二人きりという秘密の遠足のイメージが、彼女の胸を鷲掴みにしていた。
そして、別れの時が訪れる。
トールは、礼儀正しく一歩下がり、「それでは、暖かい季節になりましたら、また」と告げた。その言葉は、単なる社交辞令ではない。それは、厳しい冬を乗り越えた先に、二人だけの特別な約束があることを確定させる、甘美な呪文だった。
その瞬間、セレスがそれまで必死に我慢し、女王の威厳という硬い殻で閉じ込めていた嬉しさが、堰を切ったように一気に溢れ出した。照れ隠しのためのそっけない態度は、一瞬にして消え去った。
彼女の顔いっぱいに、光が弾けたような、純粋で無邪気な笑顔がこぼれた。それは、公の場では決して見せない、ただの十歳の少女の、最高の喜びを体現した笑顔だった。
「うん、またね!」
その返事は、抑えきれない気持ちがそのまま声に乗ってしまったかのように、少し上ずり、弾んだ声になってしまった。
発言した直後、彼女はハッと我に返った。「うん」や「またね」といった言葉は、一国の女王が、外国の重要人物に対して使うべき公的な言葉ではない。あまりにも素直で、あまりにも個人的な、乙女の返事だった。
その失態に気づいた瞬間、セレスの顔は、一気に真っ赤に染まった。彼女は、今しがた咲かせたばかりのその最高の笑顔を隠すように、慌てて下を向いてしまう。
しかし、俯いたその姿勢も、春の楽しみを抑え込むことはできなかった。彼女の心の中は、もう既に春の光が満ち溢れていた。
(暖かい季節……あとどれくらいだろう? トールさまが約束してくれた「お忍び」は、どんなに楽しいのだろう?)
彼女は、指折り数えるように春の訪れを待ち焦がれ、春の楽しみが待ちきれない様子が、全身から、まるで微かな熱のように立ち上っていた。孤独な女王の胸に灯ったのは、国政の重圧を忘れさせる、切なくて甘い、恋の予感だった。




