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32歳、人生リセット、ただし異世界で  作者: トール
七章 切なく甘い予感

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お茶会(5)

 次席補佐官という名の「人間型スパムフィルター」の不在に絶望しながらも、俺の思考は多忙な現実を飛び越え、さらに大きなロマンへと向かっていた。


 俺が次に考えていたのは、通信インフラとしての宇宙静止衛星の打ち上げだ。


 何故かって?


『男の子のロマン』じゃないか、宇宙そらって!


 核融合炉の「可」判定、ダム建設費用の1.8倍増、そしてアリアの婚約者のチーズパン問題。すべての非効率と現実の泥臭さから逃避するためには、宇宙しかありえない。俺の最終目標は、この世界を前の世界以上の高度情報社会にすることだ。そのために、宇宙静止衛星は必須だった。


(よし、衛星の設計図はほぼ完成だ。あとは、このクソ忙しい現実が、ロマンを邪魔しないことを祈るだけだ!)


 ちょうどその時、俺の執務室に二体のゴーレムが入ってきた。一体は、いつもの技術担当ゴーレム。そしてもう一体は、ダム建設現場の泥臭い報告を専門とする土木担当ゴーレムだった。


 技術担当ゴーレムが、手に持ったデータパッドを掲げた。


「御屋形さま。ご報告です。通信衛星プロトタイプ一号機の静止軌道投入に必要なロケットエンジン出力、およびペイロード設計のシミュレーションが完了しました」


「どうなの!?」


 俺は前のめりになった。夢のロケットだ。


「技術的に『優』評価です。あとは、打ち上げ資金と、『発射場予定地近隣のリスの生態系保護』という課題が残るのみです」


「リスの生態系なんか知るか! よっしゃあ! 夢が叶うぞ!」


(いやいや、ちゃんと保護策はとるよ)


 俺が喜びを爆発させた、まさにその瞬間。ダム建設の遅延で俺を苦しめていた土木担当ゴーレムの赤い瞳が、突如として激しく点滅し始めた。


「御屋形さま! マザーより、ストームパイク河の水力発電プラントに関する最新の進捗情報を受信しました!」


 俺は、喜びの雄叫びを寸前で抑え、ゴクリと唾を飲み込んだ。水力発電。核融合と違って、地盤沈下やバルザックの悪質な水増し請求という、現実の泥棒に常に脅かされていたプロジェクトだ。


(頼む! 良い報告が来てくれ! ロケットを打ち上げるためにも、現実の足場がしっかりしないと!)


 マザーが土木担当ゴーレムを通して、直接俺の脳内に情報を流し込んだ。


『水力発電タービン、東・西プラント共に安定稼働開始。発電量は想定の95%。超大型ダム、最終コンクリート打設完了。耐久性は基準値の200%を保証。』


 俺は、二つの吉報が同時に、しかも「安定稼働」と「優評価」という最高の形で来たことに、完全に理性を失った。


「うおおおおおぉぉぉぉぉ!」


 俺は執務室を飛び跳ね、両手で頭を抱え、勝利の舞を踊り始めた。


「ダムができた! 泥臭い現実の戦いに勝ったぞ! これで心置きなく宇宙に行ける! ロマンと効率が繋がった! ゴーレム! 今すぐ全ゴーレムとドローンに伝えろ! 乾杯だ!(※飲むのは油圧作動油だ!)」


 二体のゴーレムは、俺の狂乱を前に、互いに顔を見合わせるでもなく、淡々と状況を記録した。


「ログ記録:御屋形さま。『通信衛星打ち上げ』と『ダムの安定稼働』という、優先順位が全く異なる二大成果に対し、感情の増幅率が500%を超過。ただし、この興奮はロマンという非効率な要因に起因するため、特に危険性はないと判断されます」


 水力発電の成功と、衛星打ち上げの「優」評価というダブルの吉報に、俺は狂喜乱舞し、天井に頭をぶつけ、床に倒れ込みながら「ロマンと効率が繋がった!」と絶叫した。この高揚感は、核融合炉の最大出力にも匹敵する。


 俺の脳裏には、セレスさまが宇宙服を着て、地球を背に微笑むイメージが燦然と輝いていた。


「ゴーレム! 今すぐ乾杯の儀式だ!――」


 俺が、勝利の余韻に浸りながら、技術担当ゴーレムの冷たい肩を掴もうとした、その瞬間だった。


 技術担当ゴーレムが、俺の熱狂を完全に無視し、なにやらごそごそとし始めた。その動作は、まるで「今、一番大事なのはこれではない」と言わんばかりの、極めて事務的なものだった。彼は壁際のセンサーパネルを操作し、何かを確認している。


「どうした? 乾杯はさすがに無理か? 俺は未成年だからな! ならば、紅茶で乾杯だ!」


 俺がなおも勝利のダンスを続けようとすると、ゴーレムは首を傾ける仕草をした(プログラミングされた表現だろう)。


「いえ、御屋形さま。来客のようです」


「来客だと? こんな松の内(前世の行事です)に、一体誰が……賠償請求の法務ゴーレムか? 追い返せ!」


 俺は、この至福の瞬間を邪魔するあらゆる現実を拒否した。


「それが、王宮からの使者。女騎士です。セレスティア女王陛下の側近であるため、最優先での入室許可を要請します」


 俺は、跳ね上がっていた熱量を、強制的にゼロまでクールダウンさせた。女騎士。それは、あの静かで美しいお茶会の席で、セレスさまを護衛していた、あの厳しい眼差しの女性だ。


(まずい。ロマン爆発後の、最も現実に引き戻されるパターンだ!)


 俺は、床に散らばった衛星の設計図と核融合炉の『可』レポートを、慌てて拾い集めた。この執務室は、科学者の聖域であり、王宮の使者を迎えるにはあまりにも雑然としすぎている。


 俺は、服についた油圧作動油のシミを払い、姿勢を正した。


「よし、気を取り直せ。技術ゴーレム、君はダムの安定稼働データをホログラムで表示し、俺の有能さを無言でアピールしろ。土木ゴーレム、君はあのチーズパンの分析レポートを隠しておけ!」


 そして、俺は、「宇宙に行くぞ!」と叫んだ直後の、赤らんだ顔と乱れた髪を隠す術もなく、来客を受け入れるしかなかった。


「お通ししろ! 新年早々、王宮からの使者とは、喜ばしい限りだ!」


 俺は、最高の笑顔(ただし、疲労と興奮で顔が引きつっている)を作り、扉の向こうの冷徹な現実を受け入れる準備をしたのだった。


 ◆


 宇宙へのロマンと発電の成功に浸っていた俺の聖域(執務室)に、女騎士が持ち込んだのは、静かで、しかし破壊力のある一通のメッセージだった。


「御屋形さま。セレスティア女王陛下より、至急、ご参集願いたいとのことでございます」


 女騎士は、俺が必死に隠しきれなかったロケット設計図の切れ端を、一瞥もせずに無視し、淡々と続けた。


「女王陛下は、新年早々、家臣からの堅苦しい儀式や行事が続いており、少々ご機嫌斜めでいらっしゃいます。見かねた老侍女が、『トールさまとの、あの静かなお茶会』を提案したところ、陛下が強く望まれました」


 俺は、その瞬間、頭の中でコンピュータがクラッシュする音を聞いた。


(お茶会、みたび! しかも今回は、女王陛下の機嫌取りという、最も重い外交責任が伴う!)


 俺の脳内タスクリストが、警告音を鳴らしながら自動更新される。


 次席補佐官の選定(NEW!)


 南部戦争の賠償請求


 西部領土の安全確保


 宇宙静止衛星の設計最終化


 セレスさまのご機嫌取り(NEW! 最優先の精神衛生タスク)


 俺は、女騎士の前で、「核融合王国の孤独な支配者」としての威厳を保ちながら、内心で絶叫した。


「あああああああああ、体が二つ欲しいわ!」


 俺は、思わず前の世界の言語で悲鳴を上げた。一つはダム建設と賠償請求を終わらせるための『効率の王』。もう一つは、『乙女の心のケア専門家』として王宮に直行すべきだ!


 女騎士は、俺の「ワ」で終わる奇妙な悲鳴にも動じず、冷徹に尋ねた。


「御屋形さま? 日時はいつ頃がよろしいでしょうか」


「ぐっ……」


 俺は、多忙と義務感に打ちひしがれながらも、別の、抗いがたい欲望に引きずり込まれるのを感じた。


(いや、待てよ。ロイヤルブルーの瞳だぞ)


 あの、冷徹な王の威厳と、十歳の少女の寂しさが同居するあの瞳。そして、前回の別れ際に「次はいつお越しになられますか?」と尋ねてきた、あの赤い頬。


「体が二つ欲しい」という絶望の中にも、俺の心は既に王宮へ向かって急加速していたのだ。


(ああ、あの瞳に埋もれたい! 目の前の複雑なインフラ設計や、戦争の賠償請求なんかよりも、あの純粋な好奇心と、俺に依存する孤独な王の心に触れる方が、俺の精神衛生上、遥かに『優』評価だ!)


 俺は、一瞬のうちに全てを諦めた。賠償請求も、衛星打ち上げも、すべて後回しだ。


 俺は、冷や汗を拭いながら、女騎士に向かって、「国家の重要事項」を決めるかのように力強く宣言した。


「分かった。すぐに向かうと伝えろ。こちらのスケジュールをすべて女王陛下のご要望に合わせる。ただし、今回は最高級の洋菓子をバルザック商会に命じ、準備万端で向かうと!」


 こうして、ゼノクラシア王国の最優先事項は、核融合炉の安定稼働から、「ご機嫌斜めな幼い女王を、美味しい洋菓子で笑顔にするミッション」へと、再び、非合理的な大転換を遂げたのだった。





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