新年のご挨拶
ゼノクラシア王国の玉座の間は、即位後初の新年を迎えるにあたり、厳かで重厚な空気に満たされていた。戦火の傷跡は修復されたが、壁を飾るタペストリーや旗には、亡き先王たちの威厳が静かに残っている。
王国の再興が進む中、新年は主君への忠誠心と武威を示す、最も重要な儀式の日だった。この日、家臣たちは女王に拝謁し、新たな年の絶対的な忠誠を誓うのである。
玉座に座すのは、十歳のセレスティア女王。
彼女の姿勢は、幼い身体には不釣り合いなほど背筋がすっと伸び、その小さな存在が、この広大な空間を支配していた。華美ではないが、最高級の織物で仕立てられた儀式用のローブが、彼女の静かな威厳を際立たせる。頭上のティアラは、豪華な王冠の重圧がない分、その気高さを純粋に際立たせていた。
セレスティアの瞳、ロイヤルブルーの深い色合いは、微動だにせず、扉の向こうから続く家臣たちの列を見つめている。悲しみの色は既に奥に隠され、そこにあるのは、国家の柱としての確固たる意志だった。
玉座の間の扉が開かれた。最初に入場したのは、軍部の代表者たち。そして、復興事業を支える文官たち――クレメンス伯爵などが、厳粛な面持ちで並んだ。
彼らは一人、また一人と、玉座に向かって歩みを進める。その足音は、大理石の床に静かに響き、儀式の重さを増した。
そして、セレスティアの玉座の遥か手前、定められた場所で、家臣たちは一斉に片膝をつき、深く頭を垂れた。
「女王陛下の御代が、永遠の繁栄とともにありますよう」
彼らの声は、王国の忠誠を象徴する、重厚な斉唱となった。この儀式は、彼らが女王に生殺与奪の権を与え、その一年、その命と領地を女王の意思の下に捧げる誓約を意味する。
セレスティア女王は、静かに右手を上げた。その仕草には、何の迷いもなかった。
「その忠誠、確かに受け取った。そなたらの尽力、我がゼノクラシアの礎とならん」
その言葉は、十歳の少女の声とは思えないほど清らかで、権威に満ちていた。
彼女の視線が、家臣たちの一人一人に注がれる。彼らの顔は、女王の命と、再興の希望を託された者の、決意に満ちていた。幼くとも、この場において彼女こそが「主君」であり、「国」そのものなのだ。
セレスティアは、この荘厳な新年の儀式を通じて、亡き父の遺志と、この国の重荷を、幼いながらも完全に引き継いだことを、家臣たちと、そして何よりも自分自身に証明したのだった。
◆
ノースミッドタワーの地下で、核融合炉のパラメータと格闘していた俺は、年の瀬の数日間、一転して最高級食材のハンターと化していた。場所は王都北方に広がる危険極まりない大森林の奥地である。
「食料品、衣料品、住宅等々……セレスさまに約束した『文化的な生活』には、もちろん『最高の新年の一皿』が含まれる!」
俺は、軍用の重装備ではなく、食材の鮮度を完璧に保つための超低温急速冷凍魔導銃と、肉塊運搬用の軽量カーゴゴーレムを引き連れ、森の中を突き進んでいた。核融合炉を安定させた男が、なぜ今、包丁と冷凍銃を手に森を彷徨っているのか。その答えはただ一つ、セレスさまの笑顔のためだ。
そして、俺のターゲットは明確だった。
「ワイバーンよ、お前は外せない。ゼノクラシア王国の『新年の食卓』という、最重要の復興プロジェクトのために、貴様の命と極上部位を捧げよ!」
上空を旋回していた巨大なワイバーンは、自分の運命を知る由もなく、獲物を見下ろしていた。体長十数メートルの巨躯、鱗の光沢、そして何よりもそのジューシーな肉質。俺のグルメセンサーは、最高の状態であることを告げていた。
俺は、戦闘などする気は毛頭ない。ワイバーンの肉を傷つけるような、非効率な行為は避けるべきだ。
「よし、カーゴゴーレム! 座標計測と即時解体ルートのシミュレーション!」
「了解しました。最適な刺突位置、頚椎後部。鮮度維持のため、即時零下100度での急速冷凍を推奨します」
技術担当ゴーレムが淡々と報告を終えるや否や、俺は超低温冷凍銃を発射した。
ズシャアアアア!
一瞬の閃光と、地獄の寒気がワイバーンを襲う。ワイバーンは一言の悲鳴も上げることなく、空中で凍りつき、巨大な冷凍肉塊となって地面に激突した。
「よし、肉質は完璧! クレメンスの騎士団に振る舞うなら炎で焼くが、セレスさまには『霜降りワイバーンの低温調理ステーキ』だ!」
その後の俺の仕事は、激しい戦闘ではなく、肉体労働だった。ゴーレムと二人で、凍てついたワイバーンを、最適なブロック肉へと精密に解体していく。
「ゴーレム! 骨はスープ用に残せ! 翼の軟骨は、揚げてカリカリにするから別だ! 尾の先端は、硬すぎるから犬の餌に回せ!」
「了解。肉塊重量、合計1.2トン。カーゴゴーレムの積載限界を50%超過しています」
「うるさい! 押せ! この極上の肉塊がなければ、セレスさまの新年は始まらないんだ!」
ワイバーンを片付けた後も、俺の奮闘は続く。天然のトリュフ状魔導キノコを発見しては、泥だらけになりながら掘り起こし、猛毒を持つが適切に処理すれば絶品となる『魔界タコの足』を、特殊な薬物で眠らせて捕獲する。
新年の拝謁の儀式が厳かに行われる裏で、俺という自治都市の代表は、泥と血と汗にまみれながら、『究極の食の安全保障』を、この国の食卓に確立するために、孤高の食材調達に忙殺されていたのだった。
◆
年の瀬の喧騒から、最も遠い場所。
エト町の北にひっそりと佇む北雷神社の参道は、白いものがはらはらと舞い、張り詰めた冷気の中にあった。ワイバーンの血と魔界の泥にまみれた数日間を終えた俺は、重いコートの襟を立て、神社の前に立つ。
古い注連縄を巡らせた巨大な鳥居は、この異世界の厳しい自然の中で、数百年変わらぬ姿で立っていた。その鳥居をくぐった瞬間、外界の喧騒は完全に遮断され、周囲は絶対的な静寂に包まれた。耳に届くのは、自分の心臓の鼓動と、大地を踏みしめる靴音だけである。
石段を一段、また一段と昇る。その一歩一歩が、過去の穢れを払い、心を清める儀式のようだった。前世の記憶を持つ俺にとって、「二年参り」とは、新年の区切りに己の魂をリセットするための、最も重要な行為であった。
拝殿の前に辿り着くと、俺は深々と頭を下げた。
眼前の社殿は、雷神の威厳を体現するかのように、暗闇の中に黒々と聳え立っている。この国で「神」が何を意味するのか、俺の科学的な知識では測り知れない。しかし、この場所には、遥か古代から人々が抱き続けてきた、畏敬と祈りの集合体が、確かに存在していた。
(ゼノクラシア王国、そしてセレスティア女王の命運を、この俺が背負って二年目に入る)
俺は、静かに銅銭を賽銭箱に投じた。冷たい金属の音が、静寂の中で高く響き渡る。
「強靭な国を再建する」というセレスティアの望み。それは、核融合炉の「可」や、ワイバーン肉の確保といった、表面的な効率だけでは決して達し得ない、王国の魂に関わる大事業だ。
拝礼を終え、手を合わせた瞬間、俺は心の奥底で誓った。
「テクノロジーは、あくまで手段。この国に必要なのは、希望と、人間が人間らしく生きる権利だ。このトール、いかなる困難があろうとも、王国の礎となり、幼き女王を支え、必ずやこの大事業を成し遂げん」
冷気は肌を刺すが、俺の心は驚くほど澄み切っていた。前世の記憶も、異世界の技術も、そして幼い女王の笑顔も、すべてはこの新しい年という境界線上で、使命という名の強靭な一本の線に結びつけられた。
俺は再び鳥居をくぐり、エト町の灯りを見下ろした。背後で、神社の静寂が新たな年の始まりを待っている。
これから先、待ち受けるのは、ダムの難工事であり、貴族たちの抵抗であり、そして、セレスさまとの非効率な公務だ。だが、この北雷神社での誓いがあれば、俺は迷うことはない。
新たな年、新たな使命。自治都市の代表トールは、静かな決意を胸に、雪を踏みしめて夜の参道を下り始めた。




