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32歳、人生リセット、ただし異世界で  作者: トール
六章 王国への浸潤

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錯綜するインフラ計画

 ノースミッドタワーの地下ラボは、まるで巨大な秘密基地の心臓部のように、低く唸る核融合炉の駆動音と、水蒸気タービンの高速回転音で満ちていた。


 俺は、実験炉の制御盤の前に張り付き、その日の電力安定化の報告を待っていた。昨日、セレスさまの前で「発電は無制限! 温水供給のメドが立ちました!」と、鼻高々に啖呵を切った手前、絶対に失敗は許されない。あの幼い女王の、恥じらいを帯びた笑顔を、技術的なトラブルで曇らせるわけにはいかないのだ。


(安定していてくれよな……!頼むぞ、タービン! お前はただ水蒸気で回るだけの簡単な仕事なんだ!)


 俺は、緊張のあまり、右手で掴んだマジックペンを握りつぶしそうになっていた。テーブルの上には、俺が科学者としての尊厳をかなぐり捨てて持ち込んだ、「幸運のお守り」が置かれている。それは、初期実験で微かに焦げ付いた核融合炉の極小破片だった。


 その時、定刻通り、技術担当ゴーレムが静かに現れた。


「御屋形さま。ご要請に基づき、本日の発電状況をご報告いたします」


 ゴーレムは、全く感情の乗らない機械的な音声でそう告げた。俺の心臓は、水蒸気タービンの回転数よりも速く脈打っている。


「言え……! 早く言え! 軸ブレは! 効率は!」


 俺は前のめりになり、ゴーレムの報告を催促した。俺は技術者だが、今、俺が聞きたいのは専門的な数値ではない。「問題なし」という、世界で一番甘美な言葉なのだ。


 ゴーレムは、俺の焦燥を完璧に無視し、読み上げを始めた。


「運用時間、連続48時間。稼働率の推移は99.98%を維持。軸受の摩耗率、基準値の0.005%未満。電力ロス、許容閾値の0.1%をクリア」


 ゴーレムは淡々と、しかし淀みなく事実を羅列していく。


 俺は、その専門用語の波の中で溺れそうになりながらも、「99.98%」「未満」「クリア」といった、ポジティブな単語だけを必死に拾い集めた。


「そ、それで……! それで結論はどうなんだ! 最適化された効率での安定的な電力供給は、できているのか!? セレスさまに、約束通り途切れない温水を届けられるのか!」


 俺は、最後の質問を、もはや王国の命運を問うかのような切実さで叫んだ。


 ゴーレムは、一瞬静止し、俺の質問の意図を分析した。


「御屋形さまの感情的パラメータを考慮し、最も適した結論を提示します」


 そして、一息置いて、告げた。


「人類がかつて達成し得なかった、安定的な電力供給を実現しています。ただし、技術評価は依然として『可』です」


「よし、完璧だ!」


 俺は「可」という言葉を聞いた瞬間、再び天を仰いで両手を突き上げた。最高評価ではない。安定供給はできているが、依然として課題は残っているという、極めて微妙な評価だ。だが、セレスさまに温水と照明を届けるという最優先事項はクリアした!


「ゴーレムよ! 『可』でもいい!『安定している』という事実が、この俺のメンタルを救った! 今すぐ王城へのケーブルの出力を最大化しろ! 温水だ! 愛と電気の温水を王宮へ届けろ!」


 俺は、技術担当ゴーレムの冷たいボディを抱きしめようとしたが、ゴーレムは無言で一歩後退した。核融合の安定稼働という偉業の裏で、孤独な王のメンタルは、たった一人の少女の笑顔に完全に依存していた。そしてその安定は、「可」という、なんとも頼りない評価の上に成り立っているのだった。


 ◆


 核融合炉の「可」という名の奇跡を報告した技術担当ゴーレムが、無感情に退室した直後、入れ替わるように別の技術担当ゴーレム(水力発電部門)が、静かにラボに入室してきた。


「御屋形さま。水力発電タービンと超大型ダムの建設進捗について、ご報告いたします」


 俺の顔から、先ほどの「核融合炉万歳!」の興奮が、一瞬で消え失せた。水力発電事業。それは、核融合というハイテクの裏側で、驚くほどアナログで泥臭い難題を抱えていた。


 このノースミッドタワーを挟んで、西のストームパイク河、東のグランダーリバー。どちらも豊かすぎる水量を誇る、前の世界で言えば一級河川どころではない大河だ。そこに、王都のバックアップ電源として、巨大な水力発電プラントを設置する計画なのだが、そのためのダム建設が、とんでもなく難航している。


 俺は、制御盤に背を向け、手を組み、目を閉じた。


(頼む! 頼むから、良い報告が来てくれ! 核融合が「可」でも、ダムが崩壊したら洒落にならないんだ! 瓦礫に埋もれる王都なんて、セレスさまに顔向けできない!)


 俺は、神頼みをするように、無意識のうちに呪文を唱え始めた。


「バルザックの金で、クレメンスの人夫で、ゴーレムの技術で、ダムができますように、ダムができますように、ダムができますように……」


 技術担当ゴーレムは、俺の祈りの独り言を一切気に留めることなく、報告を開始した。


「西ストームパイク河、ダム建設。地盤沈下のリスクに対し、魔力セメントの増強を実施。現在の進捗率は58%。当初予定から3.5ヶ月の遅延が発生しております」


 俺は、目を開き、祈りの姿勢のまま固まった。遅延は想定内だ。だが、その具体的な数値が、俺の心を凍らせる。


「東グランダーリバー、ダムサイト。河川水量の予測外の増加により、バルザック商会が手配した木製堰堤が三度、部分的に崩壊。現在、ゴーレムによる鉄骨補強に切り替えました。進捗率は42%。費用は当初予算の1.8倍に膨張しております」


(うおおおおお! 東側は費用1.8倍だと!? バルザックの野郎、また水増し請求してくる気か! しかも木製堰堤って、前時代にもほどがあるだろ!)


 俺の心の中で、絶叫と計算と怒号が入り乱れるが、表情はなんとか「国政の重責に耐える孤独な王」を装って保っている。


「……そ、そうか。ご苦労」


 俺は震える声でゴーレムに応じた。核融合の「可」で浮かれていた自分が恥ずかしい。この異世界では、最新鋭のハイテクよりも、土と水という最も基本的な問題が、常に支配者の足を引っ張ってくるのだ。


「特に、東の現場では、バルザック商会が『このままでは工事期間が延びる!』と、人夫に『愛と勇気の強化ポーション』と称する劇薬を投与し、現場の士気を著しく低下させております」


「……何だと!? バルザックめ、今すぐ逮捕しろ!」


 俺はついに祈りのポーズを崩し、「健康で文化的な最低限度の生活」には「怪しいポーションの禁止」も含まれることを痛感するのだった。水力発電の道は、核融合の道よりも、遥かに険しく、泥臭い道のりだった。


「いや、逮捕は取り消し」


 俺は、我に返った。


 ◆

 核融合炉の「可」で浮かれる俺の頭の中には、次の都市計画が既に渦巻いていた。王都のハイテク地下インフラは俺の仕事だ。だが、近郊の都市や農村部には、もっと人間的で、古風なインフラが必要だ。


「バルザックよ」


 俺は執務室で、設計図を広げながら、汗を拭きに来たバルザックを呼びつけた。彼はダム建設費用の水増し分を取り返そうと必死な顔をしている。


「近郊の都市や農村部には、水車小屋を設置しよう。穀物を挽くだけでなく、簡易的な発電も担う、工業の心臓となるように設計する。水車の構造図はこれだ」


 俺が渡したのは、耐久性と効率を極限まで高めた、木材と魔導合金のハイブリッド水車の設計図だった。


 バルザックは設計図を見て、一瞬顔が引きつった。


「す、水車小屋でございますか? 御屋形さま、我々は核融合の時代に突入したばかりでございます。なぜ、手動に近いアナログな機械を……」


「うるさい! エネルギーの多角化だ! そして、水車は単なる工業の象徴だ。それから、その水車小屋には、必ず公衆浴場を併設しろ」


「公衆浴場!?」


 バルザックは今度こそ目を剥いた。彼は当然、**「衛生面からの公衆浴場」**という概念を理解していない。


「なぜ、浴場を併設するのですか? そのスペースでワイン貯蔵庫を作れば、利益が10%向上します!」


「利益じゃない! 文化的な生活だ! 労働者は汗を流し、垢を落とし、そこで地域コミュニティを形成するんだ。熱交換器の設計図も渡すから、排熱を利用して常に温水を出せるようにしろ」


 俺は、前世の現代的インフラだけでなく、中世盛期のインフラを模したものも、バルザック商会に丸投げすることにした。これは、俺の理想とする「近代の効率と、中世の人間味」を融合させるための、重要なステップだ。


 バルザックは、手に持った水車の設計図と公衆浴場の図面を交互に見比べ、頭を抱えた。


「なぜ、核融合エネルギーが無制限にあるのに、水力と公衆浴場にこだわるのですか! 御屋形さまの思考は、あまりにも非効率的で、商売の常識からかけ離れています!」


「それがいいんだ。バルザック」


 俺は不敵に笑った。


「俺の国造りは、ハイテクとローテクの奇妙な融合だ。お前はただ、効率と利益を計算し、その非合理な命令を遂行しろ。水車小屋と公衆浴場は、農村部の人々の心を掴むための、最高のローカルインフラになるぞ」


 バルザックは、もはや俺の思想を理解することを諦め、ただただ「水車小屋で儲ける方法」だけを必死に計算し始めた。


「……承知いたしました。では、水車小屋の二階に『風呂上がりのビールと軽食を提供する休憩所』を設けてもよろしいでしょうか? そちらの利益は、20%向上します!」


「好きにしろ! ただし、衛生管理は徹底しろよ!」


 かくして、ゼノクラシア王国近郊では、最新の魔導発電プラントが稼働する一方で、「木製ハイブリッド水車小屋と、風呂上がりにビールが飲める公衆浴場」という、中世と近代が入り交じった奇妙なインフラが、次々と建設されていくことになったのだった。


(仕方ない、醸造所も併設することにしよう)




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