お茶会(4)
俺が贈った最高級のシルクでできた、巨大な白猫のぬいぐるみは、見事に十歳の少女の心を射抜いた。
セレスティア女王は、先ほどまでの凛とした威厳をすっかりどこかへ追いやり、まるで堰を切ったように少女の顔をふやけさせていた。両手で白猫を抱き上げ、その頬を柔らかいシルクの毛並みに埋めている。その表情は、核融合炉の「優」判定をもたらすよりも、俺の心を温かく満たした。
庭園の奥、護衛に控えさせていた女騎士が、その光景を見て微笑んでいる。彼女の甲冑の冷たい光の中に、柔らかな感情が見て取れた。王都騎士団にも、少しずつ人間らしい感情を持つ人材が揃ってきたようだ。
俺は、その幸せな光景を壊さないよう、静かに声をかけた。
「女王様……」
その瞬間、セレスティア女王は、抱きしめていた白猫から顔を上げ、右手を挙げて俺の発言を制した。その仕草は、国政会議で最も重大な決定を下す時と同じように、毅然としていた。
「セレスと呼んでください」
俺は、思わず紅茶を噴き出しそうになったが、間一髪で堪えた。
(セレス……? 公の場で、一国の元首が、他国の代表に下の名前で呼ばせようとしているぞ!)
これは外交儀礼的にどうなんだ、という理性が頭の中で警鐘を鳴らすが、それ以上に、彼女の瞳が放つ「お願い」の光が強すぎた。
「……では、セレスさま」
俺は、腹の中でアリアに「帰ってきたらこの外交プロトコルの件、最優先で処理しろ!」と叫びながら、その新しい呼称を使った。
「その白猫の手触りは如何でしょうか。その温もりはいかほどでしょうか」
俺が、この「女王様の個人的な望み」の象徴であるぬいぐるみの感想を尋ねると、セレスは一瞬で顔を真っ赤に染めた。その頬は、今まで見た中で最も血色が良く、湯気が出ているのではないかと思うほどだった。
「ひゃ、ひゃん……」
セレスは口ごもり、白猫を抱きしめる力が強くなった。恥じらいのあまり、返答する言葉を探している。
「ええと、その……! き、絹の滑らかさと……その、魔力綿の弾力が、とても……!」
彼女は、まるで国政を語るかのように、必死にぬいぐるみの材質について、専門的な用語を使って答えようとする。
「そして、その……! 温もりは……あの……お父様が最後に抱きしめてくださった時の……」
そこまで言って、セレスは再び口を閉ざした。羞恥心と、遠い記憶の切なさが混ざり合い、彼女のロイヤルブルーの瞳は潤んでいた。
俺は、その小さな少女の必死さと、公的な振る舞いを忘れられない様が、たまらなく愛おしく、そしてコミカルに感じられた。
(ああ、アリア、お前がいないと、このお茶会は毎回、外交儀礼と乙女心の境界線を綱渡りすることになるぞ……!)
俺は、次の外交問題が「女王のぬいぐるみ遊び」になることを予感しながら、この非効率で愛らしいお茶会の時間を、静かに享受するのだった。
セレスティア女王は、巨大な白猫を胸に抱いたまま、先ほどの恥じらいを一瞬で収め、キリリとした女王の顔に戻した。その切り替えの早さは、もはや一種の特技だ。
「それで、今日トールさまにお越しいただきましたのは、その後どのようになさっていらっしゃるのかが気になっていたからでございます」
彼女はそう言い放った。その声は毅然としているが、俺の耳には彼女の心の声が聞こえてくるようだ。
(もう、何か月も放置されて、寂しかったなんて、一国の女王としては、絶対に言えない……! 仕方なく『国政の進捗』という名目で呼んだのだから、ちゃんと話を聞きなさい!)
俺は、その必死な威厳と隠された本音のギャップに、胸をキュッとさせながらも、心を鬼にして本題に入った。お土産と名前の件で時間を使いすぎた。残りの時間は少ない。
「セレスさま、ご心配をおかけし、恐縮にございます」
俺は紅茶を一気に飲み干し、畳みかけるように報告を始めた。
「まず、春小麦の収穫状況ですが、バルザック商会の魔導肥料と、クレメンス伯爵の強制麦踏み教育の成果で、例年の1.5倍の収穫が見込めます」
「1.5倍!それは素晴らしい!国民は飢えずに済みますね!」
セレスさまは目を輝かせる。
「続いて、王都と近郊での衣食住の改革ですが、バルザックが市場価格を操作しすぎたため、一旦ゴーレムの『市場価格安定化ドローン』を投入してバランスを取らせました。現在、物価は安定しており、衣料品は安価な魔導繊維での生産に移行中です」
「ドローンが、市場を……」
セレスさまは目を丸くする。彼女のイメージする「国政」と、俺の「国政」は、技術レベルで大きく乖離している。
「そして、最も重要なインフラ整備ですが――」
俺は身を乗り出した。この話をしたくて、俺はここに来たのだ。
「王都地下に敷設したエネルギーケーブルに、つい先日、核融合炉からの電力供給を開始しました! 発電は無制限! これで、王都全体に温水供給と、低コストの魔導照明を張り巡らせるメドが立ちました!」
俺は興奮気味に腕を振り上げる。
セレスさまは、抱きしめていた白猫を落としそうになりながら、驚きのあまり口を半開きにしていた。
「か、核……核ゆうごう……?」
彼女の頭の中では、「飢えと恐怖のない強靭な国」=「立派な騎士団と、たくさんの小麦」という図式しかなかったはずだ。そこに突如として、「無制限エネルギー」という異世界チートが投入されたのだ。
「つまり、セレスさま! ご心配なさっていた『強靭な国』は、すでに『電気使い放題の超ハイテク要塞都市』として、地下から着実に完成に近づいております!」
俺は満足げに結論を告げたが、セレスさまの表情は、喜びよりも困惑が優っていた。
(この人は、私が『寂しかった』から呼んだのに、私にしか理解できない専門用語の洪水で、全てを圧倒しようとしている……!)
彼女の心の中の声が聞こえてきそうだ。
「あ、ありがとうございます、トールさま……。その、温水供給が整うのは、大変助かりますわね……」
セレスさまは、核融合という途方もない偉業の中で、「温水」という、最も生活に身近な一点だけを必死に掴み取って、何とか女王としての返答を絞り出した。
俺は、女王が温水に心底喜んでくれたと勘違いし、「よし、この路線で間違いない!」と確信を深めるのだった。二人の会話は、今日も盛大にすれ違っている。
「最後に、もう一つお土産がございます」
俺はそう言って、懐から取り出した二つの品をテーブルに置いた。一つは、精密な魔導レンズが組み込まれた特製のゴーグル。もう一つは、護衛の女騎士に向けて差し出す。
「そうですね、警備の方もご一緒にどうぞ」
女騎士は、驚きながらも恭しくゴーグルを受け取った。
「こう装備します」
俺は、セレスさまと女騎士に手本を示すように、自身もゴーグルを両目に装備する。視界がクリアな青い光を帯び、外界の微細な魔力の流れまで捉えられるようになった。
俺たちがゴーグルを装着し終える、まさにその時。
ザザッ。
庭園の奥、今日ここまで俺が乗ってきたスピーダーバイク改が、静かに、しかし力強くスタンバイを終えていた。それは、アリアが以前使っていたモデルに、浮遊安定性、静音性、そして何より速度において、改良に改良を重ねた、俺の技術の結晶だった。
「では、女王さまお手をどうぞ」
俺は、静かに右手を差し出した。
セレスさまは、一瞬の戸惑いの後、その小さな手を俺の手の上に重ねた。その指先は冷たかったが、その瞳には、これから始まる未知の体験への純粋な好奇心が揺らめいていた。
セレスさまはその右手を取り、左腕に白猫のぬいぐるみを抱えてスピーダーバイク改に乗る。座席は縦三席のシート型。前は操縦席の俺、真ん中にセレスさま、後部には緊張した面持ちの女騎士が乗り込む。俺はキャノピーを閉じ、密閉された空間で、セレスさまの白猫のぬいぐるみが、揺れで僅かにカタカタと音を立てるのを聞いた。
ブォン、という静かな駆動音と共に、スピーダーバイクは王城の庭園から垂直に、ゆっくりと上昇し始めた。
眼下に広がる世界は、息をのむほど壮大だった。
王城の屋根を越え、都市の喧騒をはるかに見下ろし、さらに高度を上げた瞬間、広がるのは、青々とした冬小麦の芽が果てしなく続く光景だった。
それは、まるで世界そのものが、巨大な画家に筆を執られたように、若々しい緑のベルベットの絨毯と化していた。大地を覆う緑は、単なる植物ではない。それは、国民が飢えぬよう、泥にまみれ、寒さに耐え、根を張った命の誓約そのものだ。
王国復興の、揺るぎないしるし。
俺は感慨深く、セレスさまの横顔を見た。この景色を、誰よりもこの幼い女王に、この小さな命の爆発を見て欲しかったのだ。
(強靭な国とは、武力や城壁ではない。この大地に溢れる、尽きることのない生命力だ)
俺の情熱は、核融合炉のエネルギーのように全身を駆け巡った。この果てしない緑を、彼女の瞳に焼き付けることこそが、彼女に贈る最高の王冠だと、俺は確信していた。
隣で、セレスさまは声も出せずに、ただ、その光景に見入っていた。その瞳は、涙ではなく、未来への圧倒的な希望で満たされていた。
◆
翌日、バルザック商会の店頭には、「セレスティア女王のお気に入り白猫のぬいぐるみ」が販売されていた。




