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32歳、人生リセット、ただし異世界で  作者: トール
六章 王国への浸潤

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お茶会(3)

 ノースミッドタワーの地下深く、俺の秘密のラボは、相変わらず溶接の火花と電子基板の匂いで満ちていた。俺は作業台に肘をつき、コーヒー(三日前に淹れたものを温め直した)を啜りながら、報告を待っていた。目の前には、全身にケーブルが張り巡らされた技術担当ゴーレムが静かに立っている。


「御屋形さま、核融合炉と水蒸気タービンの実験結果をお持ちしました」


 技術担当ゴーレムの声は、淡々としており、そこに人類史上最大のエネルギー革命を成し遂げたかもしれないという興奮は微塵も感じられない。


 俺は、すぐさま分厚いレポート用紙の束を受け取った。こんなものは読むのは後だ。結論が全て。


「どうなの?」


 俺はレポート用紙を片手で捲りながら、結論だけをゴーレムに聞き出した。


 ゴーレムは、その無機質な赤い光の瞳を、俺の顔のちょうど鼻のあたりに合わせ、極めて簡潔に、そして無感動に告げた。


「可ですね」


 その瞬間、俺の三十二歳の精神は、十二歳の肉体の中で、制御不能な爆発を起こした。


「よっしゃー!」


 俺は持っていたレポート用紙を天井に向けて豪快に投げ上げた! 散乱する紙の束。コーヒーカップが危うく転倒しかける。


「可だ! 可が出たぞ、ゴーレム! 可だ!」


 俺は、ゴーレムの冷たい肩を掴んで揺さぶった。ゴーレムは揺さぶられながらも、無表情で静かに立っている。


「御屋形さま、『』は、評価段階で『合格』を意味しますが、最高評価の『ゆう』ではありません。出力安定性に微細な課題が残っており、完全な実用化には――」


「うるせぇ! 可でいいんだよ!」


 俺は、興奮でラボを飛び跳ねた。


「おい、ゴーレム! 可なんだぞ! 可だ! これで発電施設の目処が立ったんだ! 核融合だぞ! 前の世界でも夢だった核融合だ! それがこの異世界で、まさかの『可』だ!」


 最高評価の「優」でも、「良」でもない。ただの「可」である。しかし、この「可」は、俺にとっての『絶対的な成功』を意味していた。これで、電気エネルギーは無限大。王都の地下に埋めたあのエネルギーケーブルに、ついに電力を供給できる!


「これであの女王さまに約束した『健康で文化的な最低限度の生活』は、『エネルギーは無制限使い放題の、超ハイテクで快適な生活』に格上げだ!」


 俺は興奮のあまり、頭上にあった工具棚に思い切り頭をぶつけた。ゴン!と鈍い音が響き、頭を抱えて唸った。


 技術担当ゴーレムは、その様子を冷静に記録していた。


【ログ:核融合実験成功に対する御屋形さまの反応】

 *評価:過剰オーバースコア。評価『優』に非ず。

 *行動:レポート用紙の投擲、跳躍(体当たり)、頭部負傷。

 *結論:感情の非合理的な増幅が認められたが、プロジェクトの続行には影響なし。


 俺は頭を抑えながらも笑いが止まらなかった。ああ、アリアがいなくてよかった。彼女がいたら、この「可」の成功を、一分の隙もない冷静な評価で、この狂喜乱舞を許してくれなかっただろう。


 俺は、床に散らばったレポート用紙を拾い集めながら、勝利の余韻に浸り続けた。可。それは、この異世界における、俺の新たなエネルギー帝国の、静かなる産声だった。


 ◆


 11月の冷たい風が、ゼノクラシアの広大な大地を吹き抜けていく。王都近郊の穀倉地帯は、目に鮮やかな若々しい緑の絨毯に覆われていた。


 それは、つい先月、ゴーレムとバルザック商会の人夫たちが汗を流して蒔いた冬小麦の種が、一斉に命を吹き返した姿だった。背丈はまだ低く、小さな緑の葉が地面に沿うようにひしめき合い、一面を新緑に染めている。収穫期である初夏の黄金色とは対照的な、この力強い緑こそが、ゼノクラシア王国の復興の息吹そのものだった。


 その畑の中では、既に麦踏みが始まっていた。


「さあ、根っこを張るぞ!しっかり踏みつけるんだ!」


 普段は、治安維持の任務に従事しているのだが、今日は非番の元奴隷兵士たちの一部が、農作業を手伝っている。彼らは、王都からの技術指導員(実は俺が作ったアンドロイド)の指示を受け、一定の足並みで、小さな芽を踏みつけていく。


 この作業は、一見すると若芽を虐待しているように見える。しかし、これこそが、根の張りを良くし、霜柱によって根が浮き上がるのを防ぎ、麦を冬の厳しい寒さに耐え抜くよう鍛え上げる儀式なのだ。


 冷たい朝。まだ背の低い小麦の葉には、白い朝霜が降りていた。その光景は、澄み切った緑と氷の白が織りなす、束の間の美しいコントラストを見せる。白い霜に凍てつきながらも、緑の葉はけっして折れることはない。


(この国も、あの女王さまも、この小麦と同じだ)


 俺はノースミッドタワーから、その風景を見下ろしながら思った。戦争という過酷な霜に踏みつけられ、一度は根が浮き上がりかけた。だが、俺が提供した技術と、アリアの知性、そしてクレメンスやバルザックの人間的な活力が、この国を再び踏みしめ、強く根を張らせたのだ。


 この緑の絨毯は、単なる食料ではない。それは、亡き王の遺志を継ぎ、孤独な戦いに挑むセレスティア女王の、揺るぎない覚悟を映し出す鏡のようだった。長い冬をじっと耐え忍び、やがて来る初夏に、黄金の豊かな実りをもたらすために。


 11月の冬小麦畑は、静かな威厳を湛えながら、この国の未来を力強く予言していた。


 ◆


 俺は、核融合炉の「可」という名の勝利の興奮も冷めやらぬまま、山積した国政のタスクと技術開発に溺れていた。地上ではバルザックの欲望が暴走し、地下ではゴーレムがエネルギーケーブルを敷設し、西ではクレメンス伯爵が新しい領地の復興プランを何通も送りつけてくる。俺のスケジュールは、分刻みどころか、秒刻みのオーバーヒート状態だった。


 そんな、俺がノースミッドタワーの執務室で、三日分の食事をまとめて胃に流し込んでいる最中、技術担当ゴーレムが、任務とは全く関係のないものを差し出してきた。


「御屋形さま、来客からの届け物を受理しました。データスキャン、完了」


「ああ、バルザックからの増資の申請書だろ。却下でいいぞ」


「いいえ。女王様からでございます」


 ゴーレムが淡々とした声で差し出してきたのは、豪華な封蝋が施された招待状だった。王宮の紋章が誇らしげに輝いている。


 俺は、思わず手が止まった。ゴーレムがその内容を読み上げる。


「『トールさま。近隣復興の計画について、是非ともお話ししたく、王宮の庭園にてお茶会にご出席願えれば幸いです』……お茶会のお誘いですね」


 俺は、口の中にあったパンを思わず吹き出しそうになった。


 困った。


 心臓が、核融合炉の実験炉のように激しく脈打ち始める。


(忙しい! クソ忙しい! 今、地下のタービン調整をしないと出力が安定しないんだ! 河川改修の最終図面も確認しないと! なぜ今、お茶会なんだ!)


 しかし、脳裏には、あのロイヤルブルーの瞳が浮かび上がった。王としての威厳を纏いながらも、最後に「次はいつお越しになられますか?」と恥じらいながら尋ねてきた、幼い女王のあの可愛い顔。


(いやだ! あんな可愛い顔を、俺の「忙しい」という理由で曇らせるわけにはいかない!)


 俺は、葛藤した。これは、国政上の重要案件なのか? いや、表向きはそうだが、実態は女王様個人のご要望だ。


「……ア、アリアは? 休暇から戻ってきたら、代理として出席させるのは……」


 俺は、思わず口を滑らせたが、すぐに頭を振った。


 いやいやまさかな。


 アリアがあの場に出たら、お茶会は一瞬で「ローゼリア王国攻略会議と、グランベール王国との水利権再交渉の場」に変わるだろう。そして、セレスティア女王は、再び孤独な王の顔に戻ってしまうに違いない。


「行くしかないだろう」


 俺は、諦観と、わずかなときめきを込めてそう呟いた。


「で、いつだろう」


 俺は震える手で封蝋を破り、中の便箋を引っ張り出した。そこには、セレスティア女王の可愛らしい筆跡で、『来週水曜日の午後三時』と記されていた。


 俺は、その瞬間、完全にスケジュールがパニックを起こした。来週水曜日は、西部領復興責任者のクレメンス伯爵との四時間に及ぶ戦略会議が組まれている日だ。


「ゴーレム! 今すぐ、クレメンスに連絡しろ! 会議の日程をすべて明日中に詰め込む! 王都の全てのプロジェクトを、水曜日までに一時停止しろ! 核融合炉の出力調整? 知るか! 王宮のお茶会が、この国の最優先事項になった!」


 俺は、世界を動かす圧倒的な力を持ちながら、一通の招待状によって、一人の乙女の感情に振り回されるという、最も非効率で、最も人間臭い現実に直面していた。


 ◆


 来週水曜日の「最優先事項」であるお茶会に向けて、俺は文字通り阿鼻叫喚の地獄を見ていた。クレメンス伯爵は、会議を前倒しにされたショックで「西部領の復興計画は、すべて女神フレイヤの託宣に委ねます!」と半狂乱の魔導通信を送ってくるし、地下のゴーレムは電力安定化の遅延に「効率低下、マイナス8.7%」という無感情なレポートを吐き出し続けている。


 そんな混沌の中心で、俺はたった一つの問題に頭を悩ませていた。


 お土産だ。


 前回の女王陛下の言葉が、俺の脳内でリフレインする。


「わたくしの望みはただ一つ。ゼノクラシアの国民が、二度と飢えと恐怖に怯えることのない、強靭な国を再建することです」


 俺は、執務室のテーブルに広げたお土産候補の山を睨みつけた。


「フン。『強靭な国を再建』、だと?」


 俺は鼻で笑った。それは確かに女王の公的な望み、そして王としての使命だ。しかし、それは十歳のセレスティア女王自身の望みではあるまい。


(あんな可愛い子が、本当に『飢えと恐怖のない強靭な国』を望んでいるか? 違うね。あの子の望みは、『優しいお父様と、また笑えること』とか、『平和な庭園で、猫と遊ぶこと』とか、そういう純粋なものだろ!)


 そう結論づけた俺は、テーブル上の候補を見直した。


 対魔物用 最新型防御ドローン(試作機): 強靭な国!→却下! 恐がらせるだけだ。


 高品質な栄養強化ビスケット(食料安定化): 飢えのない国!→却下! 現場の兵士にでも送れ。


 地下鉄建設用の最新掘削機模型(未来的な整備): 完璧なインフラ!→却下! これは俺の趣味だ。


 俺は頭を抱えた。純粋な少女の「望み」に沿うものが、この近代化プロジェクトの産物には一切ないのだ。


「ゴーレム! お前のデータベースにある『十歳前後の少女が喜ぶ贈り物』のデータを全て出力しろ!」


 技術担当ゴーレムは、すぐにプロジェクションマッピングで候補を映し出した。


【データ:十歳前後の少女が喜ぶ贈り物】


 1位:可愛い動物のぬいぐるみ(材質:シルク、魔力綿)


 2位:魔法のステッキ(光る、変身)


 3位:甘い菓子(市場調査済み)


 俺は目を輝かせ、すぐにバルザック商会に最高級のぬいぐるみと菓子を注文した。


 そして当日、俺が王宮の庭園に持ち込んだのは、最高級のシルクで出来た、巨大な白猫のぬいぐるみだった。


「女王陛下。これは、私の故郷で『癒やしと安らぎ』を象徴する動物のぬいぐるみです。どうぞ、女王陛下ご自身の望みのために、お使いください」


 俺がそう言って、巨大な白猫をテーブルの横に置くと、セレスティア女王は、あの凛とした表情を崩し、瞳をキラキラと輝かせた。その顔は、間違いなく「強靭な国」より「巨大な猫」を望んでいた少女の顔だった。


 俺は、一国の首長として、極めて非効率で、しかし最も人間的な「望みの成就」に成功したことに、満足げな笑みを浮かべるのだった。





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