お茶会
ゼノクラシア王国の再興は、ついにセレスティア女王の即位という形で結実した。十歳で即位した新米女王だ。
俺は、その就任直後、多大な功績と私的な課題(婚約者捜索)を抱えるアリアに、惜しみなく長い休暇を与えていた。
(よし、アリアにはゆっくり休んでもらおう。あとは俺の完璧な計画とゴーレムとドローンが回す!)
そう豪語したのが、昨日の午前中だ。
そして、即位の挨拶をどうするかという問題に直面し、俺は早々に自分の決断を呪うことになった。
「バルザック、女王陛下への就任祝いだが、どうしたものか」
俺の前に座るのは、最近はもはや首席補佐官代理のような扱いを受けているクレメンス子爵と、相変わらず商魂たくましいバルザック商会頭(現在は「王都復興最高責任者」という肩書き)だ。
「御屋形さま、ここは伝統に則り、近隣諸国の大使も招いて、盛大な舞踏会を催すべきかと! その裏で我々が利権の再分配を―」
クレメンス子爵が早速、面倒な社交と裏工作を提案してきた。
「却下だ」
俺は即座に首を振った。
「十歳の新米女王だぞ。堅苦しいパーティなど、ただの苦行だ。しかも、まだ王室は悲しみの最中だ。ここはひとつ、お気楽な形で、優雅に祝おうじゃないか」
そして、俺は閃いた。
「そうだ。まったくもって異例ではあろうが、王宮内の庭園でお茶会を開かせてもらおう。招待客は、王室関係者と、ごく親しい協力者のみ。お気楽に、ケーキと紅茶でほんわかムードだ」
クレメンス子爵は、一瞬で顔を曇らせた。
「お、お茶会、でございますか? 舞踏会であれば、私の領地のワインを売り込む絶好の機会なのですが……」
「ブツブツ言うな!」
俺は、すぐさまバルザックに命令した。
「バルザック、お前の商会の威信にかけて、最高級の茶葉、最上級の砂糖、そして王都で一番の腕を持つ菓子職人を確保しろ。お茶会だ。雰囲気は、天国のように優雅に、だが品は王族レベルでな」
「ははっ! お任せください! 『バルザック特製・女王即位祝賀お茶会セット』として、将来的に他国への売り出しも視野に入れ、最高のものを手配いたします!」
バルザックは、どんな状況でも金儲けに繋げようと目を輝かせている。まったく、この男の商魂は感心する。
しかし、指示を終えた瞬間、俺は深い後悔に襲われた。
(くそっ! こんな時、アリアがいれば!)
「最高級の茶葉」とは具体的に何を指すのか。「最上級の砂糖」の在庫と価格相場は? 王宮庭園の気象条件に合わせたテーブル配置の最適解は? 招待客のリストアップと、その背後の政治的力関係を考慮した席順は?
これらの質問を、アリアならば俺の口から出る前に把握し、完璧な報告書と共に、A案・B案・C案を既にテーブルに並べていたはずだ。
「……なぁ、クレメンス」
「はい、御屋形さま」
「アリアは、あとどれくらい休暇が必要だと言っていた?」
「ええと、確か……『必要とされるまで』と申し付けておられました」
(必要とされている! 今、この瞬間、喉から手が出るほど必要とされているぞ、完璧な首席補佐官!)
俺は、豪華なお茶会という名のお気楽なイベントを企画したにもかかわらず、その準備段階でアリアの不在という名の地獄に直面し、頭を抱えるのだった。バルザックが持ってきたのは、「最高級の茶葉と、それを包む金の装飾紙」のサンプルであり、肝心の中身の品質保証はまだだった。完璧なイベントの道のりは、あまりにも遠かった。
結局、俺が女王陛下の御時間に合わせて王宮へ出向き、形式的には王宮主催という形でお茶会が執り行われることになった。
(お祝いの品はどうしようか)
俺が選んだのは、華美さとは対極にあるものだった。手のひらに乗るほどの、慎ましい髪飾り。『ドライアドの祝福』という名を冠し、世界樹の大木から分けてもらった枝を材料としている。地味な品だが、防御力増加と回復力向上の魔術が丁寧に施されている。十歳の女の子に、ギラギラとした宝石は似合わない。彼女には、静かな力が必要だ。
この日、俺は初めてセレスティア女王陛下への御目通りが叶った。
王宮の庭園。陽光が降り注ぐ中、セレスティア女王は、質素だが品の良い白いドレスを纏い、庭園のテーブルに着席していた。幼い身体は、王族としての作法によって不自然なほどまっすぐに保たれている。その姿は、痛んだ国を背負うにはあまりにも小さく、痛々しかった。
俺は、一歩一歩、そのテーブルへと近づいていく。彼女の周りには、わずかな侍従と侍女しかいない。その空間は、祝賀の場であるにもかかわらず、どこか張り詰めた静寂に満ちていた。
セレスティア女王が、俺の姿を捉えた。
彼女の瞳は、まるで深い湖面のようで、微かな悲しみの色を湛えている。しかし、そこに怯えはなく、ただ王としての静かな威厳が宿っていた。彼女は、王宮内の闇の中で父の最期を見た、ゼノクラシア王国の最後の生き残りだ。その魂は、既に幼い少女のものではなかった。
俺は、深々と頭を下げた。
「ゼノクラシア女王陛下。この度は、ご即位、心よりお祝い申し上げます。わたくしは、北方の小さな自治都市の代表を勤めますトールと申します。以後よろしくお願い申し上げます。」
セレスティアは、小さな声で応じた。
「お越しいただき、感謝いたします。トールさま」
その声には、十歳の子供の明るさではなく、王としての孤独な重みが宿っていた。
俺は、懐から包みを取り出し、テーブルにそっと置いた。
「ささやかですが、女王陛下への御祝いの品です」
セレスティアは、侍女に目配せもせず、自らの小さな手で包みを開けた。中から現れたのは、淡い緑色の光を放つ、簡素な木の髪飾りだった。
「これは……」
彼女は髪飾りを見つめ、静かに尋ねた。
「『ドライアドの祝福』という名です。お守り代わりにどうぞ。その力を、ご自分のためにお使いください」
俺の言葉に、セレスティアは一瞬、戸惑いの表情を見せた。防御や回復といった言葉は理解できただろうが、「ご自分のために」という言葉が、彼女の心に響いたようだった。彼女はこれまで、国のため、死んだ家族のため、そして忠臣のために生きることを強いられてきた。
セレスティアは、この異世界に一つしかない貴重な髪飾りをそっと手に取り、深く一礼した。
「ありがとうございます、トールさま。大切にいたします」
その言葉は、建前ではなく、心からの感謝が込められていた。この瞬間、俺と孤独な幼い女王の間には、政治的な思惑を超えた、静かな共感のようなものが生まれた気がした。俺たちは、共にこの世界で「王」として生きる、孤独な『同志』なのだと。
窓の外の庭園の木々が、静かに風に揺れていた。
◆
紅茶を啜る静かな時間の中で、俺は再び、幼い女王の心の奥に触れる問いを投げかけた。それは、単なる儀礼ではなく、彼女の根底にある精神的な柱を知るための、真剣な探りだった。
「こちらにお邪魔するま前に、前国王の墓前に花を手向けさせていただきました」
俺の言葉に、セレスティアは一瞬、目を伏せた。その仕草は、喪失の悲しみがまだ癒えていないことを示していた。
「それは、ご丁寧にありがとうございます」
彼女の声は控えめながらも、その感謝は本心から滲み出ていた。
そして、俺は本題に入った。
「女王さまにおかれましては、国王さまはどのようなお父さまでいらっしゃいましたか?」
この問いは、王としての父ではなく、娘から見た父の姿を問うものだ。政治的な判断や軍事的な功績を問うのではなく、人間的な感情の領域に踏み込んだ。
セレスティアは、カップを握りしめた小さな手をじっと見つめ、長く沈黙した。庭園の木々のざわめきだけが、その沈黙を破る。
やがて、彼女はゆっくりと顔を上げた。ロイヤルブルーの瞳には、かつて見た悲しみの色に加え、遠い記憶を辿るような、懐かしさと切なさが浮かんでいた。王としての威厳はそのままに、その表情は一瞬だけ、守られていた頃の少女に戻ったようだった。
「父は……厳しくも、情け深い方でした」
彼女の声は、細く、しかし途切れることはなかった。
「王として、父は常に正義と誇りを重んじました。わたくしに、王族としての義務と、国民への責任を、何度も、何度も説いて聞かせました」
そこで一度、彼女は言葉を切った。そして、微かな微笑みを浮かべた。その微笑みは、この過酷な運命の中で、彼女が失わずに持っている、最も脆い宝物のように見えた。
「ですが、同時に、わたくしが泣いているときは、いつもそっと、わたくしの手を取ってくださいました。そして、『王族とは、皆の盾となるものだ』と。最後まで、その言葉を体現してくださいました」
彼女の言葉は、父が地下に逃げるよう命じた、あの悲痛な瞬間の情景を、俺の脳裏にありありと蘇らせた。セレスティアは、父の最後の言葉、最後の行動を、自身の王としての指針として、その小さな心に刻み込んでいるのだ。
「わたくしは、父のその情け深さと、国民を守ろうとした強さを受け継がねばならないと考えております」
彼女の瞳は再び毅然とした光を取り戻し、悲しみの上に、新たな決意を上書きした。俺は、この幼い女王が、亡き父の精神を自らの内に生き続けさせていることを理解した。そして、この国を再建するという俺の「非効率なタスク」が、彼女の崇高な意志と結びついたことを確信した。




