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32歳、人生リセット、ただし異世界で  作者: トール
六章 王国への浸潤

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子爵の苦悩

 クレメンス子爵の指揮の下、旧王都の王宮は、すでにゼノクラシア王国軍の支配下にあった。戦後の混乱が残る中、一人の兵士が、無表情に子爵の元へと歩み寄ってきた。彼は、王宮の奥で、ロイヤルファミリーの安否を確認する任務に当たっていた。


「報告いたします」


 その声は、感情を一切含まない、ただ事実を伝えるだけの声だった。


「ロイヤルファミリーの生存確認ですが、国王、王妃、第一王子、第二王子、第三王子、第一王女、第二王女の死亡を確認しました」


 その言葉が発せられた瞬間、クレメンス子爵の顔から、すべての色が失われた。彼は、王都奪還という勝利の喜びに浸っていたが、その報せは、彼を再び絶望の淵へと突き落とした。


 ◆


 早朝の静寂を破って、伝令の兵が王宮に駆け込んだ。子爵は、戦後の混乱が残るこの時期に訪れる客などいないと高を括っていたが、伝令が告げた名に、その表情は一瞬で引き締まった。


「申し上げます。自治都市首席補佐官のアリアさまがお見えです」


「わかった」


 子爵は短く答え、兵を下がらせた。アリアは、南部戦争を圧倒的な勝利で終結させた自治都市の「御屋形さま」の右腕であり、その存在は一つの巨大な力を象徴していた。


 子爵が客間に通されると、アリアは既にそこにいた。


 彼女の纏う黒を基調とした上質な軍服、胸元には自治都市の紋章が輝き、彼女の背筋は、王国の貴族以上にピンと伸びていた。彼女の瞳は冷静で、その場の空気を支配する、静かな威圧感を放っている。


「戦闘はすべて終了しました、子爵」


 アリアの声は、冷たく、そしてどこか遠い響きを持っていた。そこには、個人的な感情の介入を一切拒絶する壁がある。


「これはアリア殿。南部でのご活躍、目覚ましい限りでした。お疲れではございませんか」


 子爵は最大限の敬意を払いながら、探るように尋ねた。彼女がここに来た目的は、単なる挨拶ではないことを、子爵は直感していた。


 子爵は、アリアの冷徹な圧力に心臓が凍り付くような思いだったが、彼女の次の言葉に、その凍りが一瞬で融解し、沸騰する歓喜へと変わった。


 アリアは椅子に座ったまま、優雅に、しかし隙なく一礼した。


「ご配慮痛み入ります。御屋形さまの元へ報告前に、こちらに寄らせていただきました。アースガルド王国とアルカディア王国の連合軍はすべて壊滅いたしました。国境線は以前と同じく復旧いたしました」


 子爵の顔面が、一瞬で真っ青から真っ赤に変わった。壊滅! 壊滅だと! あの恐ろしい連合軍が、完全に消滅したというのか! 彼は椅子に座っていることができず、思わず立ち上がってしまいそうになるのを、必死の貴族の作法で押し留めた。


(わ、我が領地は! 助かった! 完全に助かったではないか!)


 アリアは淡々と続ける。その声には、まるで庭の雑草を抜いた程度の感情しか含まれていない。


「警備はわが軍のドローンとゴーレムを配備して警備しておりますが、子爵、いずれ王国が落ち着きましたら、王国軍の増援をお願いいたしたく」


 子爵は、内側で飛び跳ねる喜びを隠し、満面の笑みを貼り付けた。増援? もちろんですとも! ドローンとゴーレムの警備が撤退した後の領土警備という、最高の「手柄」を、しかも費用対効果が抜群に良い状況で引き継げるのだ。これは、自治都市への忠誠を示す絶好のチャンス!


 彼は深々と頭を下げた。


「わかりました。増援の件、この子爵、承知いたしました! 幸い、ロイヤルファミリーの三女セレスティアさまの生存が確認できております。いずれ再興いたしましたら、改めてご挨拶にお伺いいたします」


 子爵の頭の中で、壮大な「保身と出世」の計算式が一気に完成した。


(連合軍壊滅!→自治都市の庇護確定!→王国復興は確実!→セレスティア王女生存!→私は王国のロイヤルファミリー復興に貢献した忠臣!→そして、自治都市にも忠誠を誓った唯一無二の協力者!)


 子爵の顔は、あまりの喜びに、今にも笑い崩れそうになっていた。彼は、その場で「恐悦至極きょうえつしごくにございます!」と叫び出しそうになるのを、寸前で飲み込んだ。彼の全身は、喜びで震え、膝の下が軽くなっている。


 アリアは、そんな子爵の感情を一切意に介さず、ただ冷静に立ち上がった。


「両国への損害賠償請求の話はいずれ。御屋形さまへの報告が終了しましたら再度伺いましょう。では、私はこれで失礼いたします。」


「は、はい!」


 子爵は、アリアの背中が見えなくなるまで、深々と頭を下げ続けた。そして、扉が閉まると同時に、彼はガッツポーズをしながら、客間を駆け回った。


 ◆


 王都の復興は、ゴーレムと人間、バルザック商会の貪欲な熱意によって、驚くべき速度で進んでいた。瓦礫は撤去され、焼け焦げた建物は修復され、新しい石畳が敷かれていく。街は活気を取り戻し始めていたが、その喧騒の裏側で、ゼノクラシア王国の終焉が静かに、しかし厳かに執り行われた。


 葬儀は、王宮内の最も古い教会で、しめやかに執り行われた。


 参列者は少ない。復興を主導するクレメンス子爵と忠誠を誓うごくわずかな貴族、救出された老侍女をはじめとするおつきの者たち。中央に安置された棺には、王と王妃、そして兄たちの遺体が、納められていた。


 玉座の間で剣を構え、娘を逃がす時間を稼いだゼノクラシア王。彼の魂の不在が、教会の重い空気の中で、より一層強く感じられた。


 セレスティアは、喪服に身を包み、祭壇の前に立っていた。救出された時の恐怖や、地下に潜んでいた間の極度の緊張は、既に遠い過去の出来事となっていた。だが、この日、彼女の悲しみは新たなものとなった。


 これまでは、「父は戦っている」「母はどこかにいる」という、微かな希望を抱くことができた。しかし、今、この棺を前にして、静かに響く聖歌によって、彼女は孤独な現実を突きつけられたのだ。


「……お父様、お母様」


 彼女の喉から漏れた声は、か細く、風前の灯火のようだった。彼女の視線の先には、両親が愛用していた王冠とティアラが、静かに置かれている。その宝石の輝きは、彼女の涙を反射し、まるで悲しみの光を放っているかのようだった。


 王国の再興。それは、セレスティアにとって、生きるための大義となった。しかし、その大義を背負うのは、もはや彼女一人だ。愛する家族は、もういない。支えてくれる兄も、優しい姉もいない。


 セレスティアは、祭壇の前で、深々と頭を下げた。それは、王女としての最後の義務であり、両親への永遠の訣別だった。その小さな背中は、この日、ゼノクラシア王国のすべての重荷を背負い込み、静かに、しかし決定的に、孤独な王女へと変貌したのだった。


 復興の喧騒は、教会の分厚い壁の外で続いている。その賑やかさが、セレスティアの心に深く刻まれた静寂と、悲劇的な対比を成していた。彼女は、目を閉じ、この王都のどこにも、もう家族の温もりがないことを、全身で受け入れた。


 ◆


 王都での葬儀から一夜明け、アリアは再びクレメンス子爵の屋敷を訪れていた。昨日までの、王都奪還に協力し、ロイヤルファミリー生存という希望に満ちた空気は、完全に払拭されていた。


 客間に座るアリアは、昨日よりもさらに冷徹な雰囲気を纏っていた。子爵は、彼女の目の前の椅子に、背筋を伸ばしすぎた姿勢で座っている。


 アリアは、淡々と、感情を排した声で告げた。


「御屋形さまのご意向です。王都の復興を最優先とします。衣食住の安定を執り行います。続いては、近隣地域での衣食住の安定です」


「はい」


 子爵は、昨日のおかげで、もはや「衣食住の安定」が、自治都市の掲げる絶対的な政策であることを理解していた。彼は、この政策に最大限協力する忠臣として振る舞うつもりだった。


 だが、アリアの次の言葉は、子爵の耳に入った瞬間、彼の思考を完全に停止させた。


「子爵には、南部領、西部領へと領地替えをおねがいします」


 一瞬の沈黙が、重い石のように客間に落ちた。子爵は、その言葉の意味を理解しようと、頭の中で反芻した。南部領?西部領?それは、つい先日、アースガルド連合軍と激戦が繰り広げられた、最も荒廃した、価値のない土地だ。そして、「領地替え」は、現在の肥沃で王都に近い彼の領地を手放せ、という意味に他ならない。


「それはまた、なぜ?」


 子爵の声は、困惑と、抑えきれない怒り、そして恐怖がない交ぜになり、甲高く震えた。彼は、昨日までの自分の甘い見通しが、一瞬にして打ち砕かれたことを悟った。


 アリアは、そこで初めて、子爵をまっすぐ見据えた。その瞳には、一切の慈悲も情もなかった。


「王都とその近隣地域は、新たな国家の中核となります。特に子爵の領地は、穀倉地帯であり、また交通の要衝です。衣食住の安定という最優先事項を達成するには、この土地を自治都市の直轄とするのが最も効率的です」


 彼女の言葉は、完璧なまでに合理的だった。子爵の忠誠心も、彼の政治的な立場も、彼女の「効率」という計算の前では、無価値だったのである。


「しかし!私はこの王都奪還に協力し、ロイヤルファミリーにも忠誠を誓った!私の領地は代々受け継いだものであり――」


「子爵」


 アリアは、子爵の焦燥を遮った。その声は静かだが、鋼鉄のような響きを持っていた。


「南部と西部は、戦争によって荒廃しました。しかし、御屋形さまの新たな政策により、最も資源と援助が注がれる地域となります。南部は以前にもまして更なる発展が見込まれる地域、西部は今回無関係で無傷のグランベール王国と国境を分かつ地域。子爵には、その復興の責任者として、能力を発揮していただきたい。どちらも子爵でなければ治まりませんよ」


 それは、建前上の「任務」ではなく、期待のこもった「昇格」だった。肥沃な故郷を奪われるものの、更なる肥沃な土地と最前線の国境防衛へ行け、との実利と名誉ある話たった。


 子爵の顔は青ざめ、手のひらには冷たい汗が滲んだ。彼は、アリアという名の冷徹な知性が、自分の運命を完全に掌握していることを、皮膚で理解した。彼に選択肢はなかった。従わなければ、彼は全てを失う。


 彼は、絞り出すような声で、尋ねた。


「拒否権は……」


 アリアは、冷たい笑みを浮かべた。


「御屋形さまの決定に、拒否権はございません。子爵」


「承知いたしました。ただ、赴任はセレスティア王女さまの戴冠式のあとにさせていただければ幸いです。」


 クレメンス子爵は、セレスティア王女の戴冠式が終わった後に、新しい任地へ赴くことを願い出た。


 翌月、王都の大聖堂で、復興作業が続く中、セレスティア女王の戴冠式が厳かに行われた。






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