東上級ダンジョン(6)
俺はデスクの前に座り、黒棒を握りしめていた。アリアからの話を聞いてからというもの、頭の中はパニック状態だ。
「『淀み』の監視と原因の分析を。出来ればこれ以上広がらないように。ダービーはそのまま配置だ」
俺は、アリアに指示を飛ばした。その声は、いつになく震えていた。
「俺は、聖女を探してくるよ」
そう言い放った俺は、もう後戻りできないことを悟った。
◆
「今回は、『世界樹』を救うために、このダンジョンに侵入してきた人間の助けを求め、『淀み』を浄化し、森の再生を目指す。最終的に、『淀み』を作り出した黒幕、あるいは原因を突き止め、世界樹を完全に回復させることが狙いでしょう。そのために、エルフはドライアドに命じて、サテュロスに我々と接触をさせたのだろうと思われます。一番背後には間違いなくエルフと世界樹がいます」
アリアの淡々とした説明が、俺の脳内でリフレインする。
世界樹を巣食う森の『淀み』って、邪神や魔王の力じゃないか!
俺は思わず叫んだ。こんな大それた事件に巻き込まれるなんて、予想もしていなかった。
世界の破壊を企む邪神や魔王が、世界の力の源である世界樹に呪いをかけた。あるいは、世界樹の力を奪うことで、世界全体を滅びの道へと導こうとしている。
あぁ、なんてことだ! 俺は、自分の箱庭で、おとなしくダンジョン探索をして、魔石を売って、美味しいものを食べて、のんびりと暮らしていたかっただけなのに。
絶望のあまり、俺は机に突っ伏した。しかし、いつまでも絶望しているわけにはいかない。俺は、顔を上げ、淀みを解消する方法を必死に考え始めた。
「…そうか! 聖女が無理なら、別の方法を探せばいいんだ!」
俺は、天才的なひらめきを得たかのように、机の上を叩いた。
「そうだ、浄化なら、浄化の魔法を使える魔法使いを探せばいい。あるいは、浄化の力を持つアイテムを探すとか!」
俺は、まるで子犬が新しいおもちゃを見つけたかのように、目を輝かせた。
「あるいは、邪神や魔王に頭を下げるとか!あるいは……」
俺は、もはや聖女や世界の存亡などどうでもよくなっていた。ただただ、この面倒な事態を解決することしか頭になかった。
◆
「『淀み』の監視と原因の分析をお願い。できればこれ以上広がらないように。ダービーはそのまま使っていいわ」
アリアからの通信に、ザックは思わず頭を抱えた。
「聖女様は?」
「そちらは、御屋形さまがなんとかしてくれるわ」
「了解だ」
ザックは通信端末を切り、深くため息をついた。あの『淀み』を見張れだと?
ザックは、テントの中に設置されたモニターの前に座り、頭を抱えた。モニターには、ダービーが送ってくる『淀み』の映像が映し出されている。それは、真っ黒な闇そのもので、見る者の心を不快にさせる。
「…さて、どうやって分析すればいいんだ…」
ザックは、モニターを睨みつけ、唸った。彼は、これまで魔物の討伐やダンジョン攻略のプロだった。だが、こんな形のない『淀み』を分析しろと言われても、手の打ちようがない。
「とりあえず、ダービー。その『淀み』に何か影響を与えてみてくれ」
ザックは、ダービーに指示を出した。ダービーは、無言で『淀み』に近づき、腕を変形させた。そして、高出力の魔力弾を放つ。
ドォォン!
轟音とともに閃光が弾け、『淀み』はわずかに揺らいだが、すぐに元に戻った。
「…ダメか」
ザックは、肩を落とした。
「よし、今度は火炎放射器だ!」
ザックは、再び指示を出した。ダービーは、今度は火炎放射器を構え、『淀み』に炎を放つ。
ゴォォォォォ!
炎は、『淀み』を焼き尽くすかのように広がる。しかし、『淀み』はまるで炎を吸収するかのように、その色をさらに濃くしていく。
「…まさか、火に油を注いだだけだったとは…」
ザックは、絶望的な気分になった。
「…くそっ、こうなったら、俺が直接…」
ザックは、立ち上がり、『淀み』へと向かおうとした。その瞬間、通信端末から、ダービーの声が聞こえてきた。
『大隊長、危険です。この『淀み』は、負の感情を糧に成長しているようです。大隊長の怒りや焦りは、この『淀み』を拡大させるだけです』
ダービーの言葉に、ザックはピタリと足を止めた。彼は、自分の感情が、この『淀み』をさらに悪化させていることに気づいた。
「…そうか。負の感情か…」
ザックは、頭を抱えた。彼は、この『淀み』を分析するため、そして何よりも、このダンジョンを攻略するため、自分の感情をコントロールする必要があることを悟った。しかし、この絶望的な状況で、どうやって感情をコントロールすればいいのか。
◆
(そうか、負の感情か……)
俺は、ダービーがザックに送ってくる映像を見て、唸っていた。目の前のモニターには、その『淀み』の映像が映し出されている。真っ黒な闇。それが、俺の心に巣食う負の感情を吸収し、さらにその存在感を増していく。
「…くそっ、どうすればいいんだ…!」
俺は、頭を抱えた。俺は、前世の記憶を探っていた。恐怖、怒り、焦りといった負の感情。憎しみ、絶望……。
俺の前世は、ただのサラリーマンだった。毎日、満員電車に揺られ、上司に怒鳴られ、残業に追われる日々。負の感情なら、いくらでも持っていた。
「データセンターを検索してくれる人工知能はないのか?」
俺は、思わず呟いた。前世の記憶をたどり、スマートフォンを思い浮かべた。人工知能に話しかければ、あらゆる情報が手に入った。だが、この世界には、そんな便利なものはない。
俺は、自分の頭の中にある、前世の知識という名のデータセンターを必死に検索した。
「こいつの正体はなんだ?」
俺は、モニターの『淀み』を睨みつけ、問いかけた。前世の知識を総動員し、あらゆる可能性を考えた。
「…そうか!こいつは、負の感情を食らう魔物だ!」
「よし、もう一度だ。今度は、冷静に、冷静に…」
俺は、再びモニターに向き直った。俺の顔には、もう焦りの色はなかった。この『淀み』との戦いは、俺の感情との戦いでもあった。
俺はデスクに突っ伏し、頭の中にある前世の知識という名のデータバンクを必死に探った。
前世で親しんだゲームや小説に登場する、形を持たない幽霊のような魔物、レイス。そいつはまさに、負の感情を食らう存在だった。
「…だったら、弱点は…」
俺は、レイスの弱点を思い出そうと、記憶の糸をたぐった。
光?聖なる力?それとも……。
俺は、必死に記憶を探り、ある結論にたどり着いた。
「…そうだ、正の感情だ!」
俺は、叫んだ。
憎しみや怒りのような負の感情とは真逆の、喜び、希望、愛、そして…
「…美味しいものを食べたときの、幸福感だ!」
「よし、ダービー!おやつを持って、出撃だ!」
俺は、通信端末を手に、ダービーに指示を出した。
「全隊員、持てる限りの美味いものを用意しろ!戦場は、バーベキューだ!」
俺の指示に、隊員たちは呆然としていた。しかし、彼らは俺の言葉を信じ、それぞれが持てる限りの食料を手に、戦場へと向かっていった。
この戦いは、もはや武器と魔法の戦いではない。食欲と、幸福の戦いだ。
(いやいやいや、そうじゃないだろ。)
俺は、食料品を手にあたふたしている隊員たちを見守りながら、頭を抱えた。
レイスの弱点は正の感情。それは間違いない。だが、バーベキューで解決できるほど、この『淀み』は甘くないはずだ。俺は、冷静に次の手を考えた。
「ダービー、訂正だ。回復魔法を使えるのはいるか?」
通信端末に、ザックの声が響く。
「はい、第三中隊に一名おります」
「よし、第一、第二中隊は、バーベキュー続行だ!『淀み』の前で宴会だ!第三中隊は、呪い耐性ポーションとマナポーションを持たせて、横で待機だ。ダービーには、ミスリス製の武器を装備させろ」
俺は、冷静に指示を出した。レイスは、負の感情を食らう。ならば、逆に正の感情で満たしてやればいい。バーベキューは、そのための最高の手段だ。そして、レイスには物理攻撃も有効なはずだ。ミスリス製の武器は、レイスのような霊的な存在にもダメージを与えられる。
「はい」
ザックの声が、通信端末から返ってきた。
俺は、椅子から立ち上がり、通信端末に怒鳴った。
「アリア、俺も出る。飛龍を屋上へよこせ」
俺は、全速力で駆けだした。レイスは、俺の負の感情を食らう。ならば、俺が直接出向いて、この『淀み』の真実を確かめる必要がある。そして、俺の持てるすべての知識と経験で、こいつを打ち破ってやる。
「…待っていろ、レイス!お前の正体、暴いてやる!」
俺は、屋上へ向かう階段を駆け上がりながら、叫んだ。
数分後、俺は飛龍に抱えられながら、ノースミッドタワーの屋上ヘリポートから、飛び立っていた。




