東上級ダンジョン(5)
このダンジョンのマスターは、ドライアド。
ザックは、通信端末のデュアルディスプレイに映し出された映像と、レイブンの言葉が理解できなかった。
(森の守護者じゃあないか!)
冒険者が立ち入った森の秩序を保つ存在として知られているドライアド。森を尊重する者には協力するが、無益な破壊を行う者には容赦なく罰を与えるとも言われている。
そのドライアドが、今、自分たちの目の前に現れようとしている。ザックは、思わず息をのんだ。自分たちがやったことは、まさに「無益な破壊」そのものだった。
その時、森の奥へと駆け出していったサテュロスが、ようやく戻ってきた。
「ドライアドが来るって」
サテュロスの言葉に、レイブンは警戒を強めた。
「というか、もうそこに来ています」
サテュロスが後ろを振り返って、指差した先には、ドライアドと思われる妙齢の女性の姿があった。その姿は、まるで森そのものが人の形をとったかのようだ。
「よぉし、レイブン。慎重に交渉を。ダービーは第一警戒を継続」
ザックの指示が飛ぶ。レイブンは、慎重にドライアドへと近づいていく。その後ろを、ダービーが静かに警護していく。
ドライアドは、無言でレイブンを見つめていた。その瞳は、まるで深い森の湖のように、底が見えない。
「…私は、第一大隊第三中隊長レイブンです。あなたに、お話ししたいことがありまして…」
レイブンは、言葉を選びながら、ゆっくりと話しかけた。
「あなたたちが、この森を焼いたのか」
ドライアドの声は、静かだが、森の奥深くから響くような重々しい響きを持っていた。その言葉に、レイブンの背筋に冷たいものが走る。
「…はい。しかし、それは我々の目的を達成するためで…」
「目的、だと? 目的のためならば、無益な破壊も許されるとでも?」
ドライアドの声が、さらに低くなる。森の空気が、一気に張り詰めた。
「…いいえ。しかし、このダンジョンの異常を安定させるためには、どうしても必要でした」
レイブンは、ザックからの指示通り、このダンジョンの異常を訴えた。
「異常…だと? この森は、自らの意思で存在している。何一つ、異常などではない」
ドライアドの声に、怒りの色が混じる。
「では、このダンジョンは、なぜこれほどまでに不安定なのですか? なぜ、マナの濃度が計測不能なのですか?」
レイブンの問いに、ドライアドは、静かに答えた。
「それは、森が、あなたたち人間を拒絶しているからだ。この森は、あなたたちに踏み荒らされることを望んでいない。だから、自らの力で、あなたたちを排除しようとしている」
その言葉に、レイブンは言葉を失った。このダンジョンは、ただの魔物の住処ではない。生きており、意思を持っているのだ。
「…では、我々と共存することは不可能ですか?」
「…不可能ではない。ただし、我々があなたたちを信じることができれば、の話だが」
ドライアドの瞳は、再び深い森の湖のように、静寂を取り戻した。レイブンは、その言葉に、わずかな希望を見出した。
「よぉし、レイブン。我々は撤収を約束しよう。破壊した森林の復興を手伝おう。そして、我々が信用しうる存在である証は何をすればよいのだ、その共存する方法を教授してもらってくれ!」
ザックの悲鳴に近い叫びが、通信端末から届く。レイブンは、その声に、この交渉の重大さを改めて感じ取った。
「大隊長、了解しました」
レイブンは、通信を終え、再びドライアドに向き直った。その瞳は、もはや恐怖の色を宿していない。このダンジョンを攻略するため、そして、このダンジョンの住人と共存するため、彼は、この交渉を成功させなければならない。
「…私たちは、あなたたちから信用してもらえるなら、この場所から撤退します。そして、破壊してしまった森の復興を手伝わせていただきたい」
レイブンは、一歩前に踏み出し、はっきりと告げた。ドライアドは、その言葉を静かに聞いていた。
「そして、我々が信用に足る存在であることを、どのように証明すればよいのか。我々が、あなたたちと共存するためには、何をすればよいのか、その方法を教えていただけませんか」
レイブンの言葉は、もはや冒険者の言葉ではなかった。それは、このダンジョンと対話し、理解しようとする、一人の人間としての真摯な問いかけだった。
ドライアドは、しばらくの間、沈黙していた。その沈黙は、まるで森の奥深くで、何かがゆっくりと動き出すかのようだった。
やがて、ドライアドは、静かに口を開いた。
「…あなたたちの言葉、信じましょう。ただし、信用は、言葉だけでは得られない。行動で示しなさい」
ドライアドの瞳は、再び深い森の湖のように、静寂を取り戻した。
「このダンジョンには、私たちが浄化しきれないほどの『淀み』がある。その『淀み』を、あなたたちの力で取り除きなさい。それが、あなたたちの信用を証明する、最初の試練だ」
レイブンは、その言葉に、わずかな希望を見出した。このダンジョンを破壊するのではなく、浄化する。それは、これまで彼らが経験したことのない任務だった。
「…分かりました。その『淀み』は、どこに?」
レイブンの問いに、ドライアドは、森の奥深くを指差した。その指差した先には、これまで彼らが踏み入ることのできなかった、深い闇が広がっていた。
「さあ、行きなさい。そして、私たちがあなたたちを信じられる、その証を見せてくれ」
ドライアドの声は、森の奥深くへと響き渡り、レイブンは、その言葉に、深く頷いた。
森の奥深くに広がっている深い闇。
その『淀み』を浄化しろと、ドライアドは言った。ザックは通信端末のモニターに映るその不気味な光景を見て、思わず頭を抱えた。
(淀みを浄化しろってか?!)
ザックがすぐに思い浮かべたのは、『聖女による浄化』だった。
この世界には、聖女と呼ばれる特別な力を持った者たちがいる。彼らは、清らかなマナを操り、魔物や呪いを浄化することができる。しかし、聖女は非常に希少な存在で、そう簡単に協力を仰げるわけではない。
「よぉし、レイブン。その淀みが、ドライアドにどういった悪影響を与えているのか聞いてみてくれ。その影響の内容、度合いによって対策が変わってくるのだろう」
ザックの悲鳴に近い叫びが通信端末から届く。彼の声には、すでに解決策を模索しようとする、指揮官としての冷静さが戻っていた。
「大隊長、了解しました」
レイブンは、通信を終え、再びドライアドに向き合った。
「ドライアド様。その『淀み』は、あなたにどのような悪影響を与えているのですか?」
レイブンは、慎重に問いかけた。
ドライアドは、静かに答えた。
「その『淀み』は、森の生命力を吸い取っている。このままでは、森は枯れ果て、私たちは存在することができなくなる」
その言葉に、レイブンは息をのんだ。
「…では、我々がそれを浄化すれば、森は元に戻るのですか?」
レイブンの問いに、ドライアドは静かに頷いた。
「そうだ。だが、それは簡単なことではない。その『淀み』は、あなたたちの心に巣食う邪悪な感情を糧に成長している。怒り、憎しみ、絶望…その全てが、このダンジョンに満ちている」
レイブンは、その言葉に、背筋が凍るような感覚を覚えた。このダンジョンは、物理的な脅威だけでなく、精神的な脅威も潜んでいるのだ。
「…では、どうすれば…」
レイブンは、言葉に詰まった。
「それは、あなたたち自身が、その答えを見つけなさい。あなたたちが、この森を救うに値する存在であるか、その試練だ」
ドライアドの声は、森の奥深くへと響き渡り、レイブンは、その言葉に、深く頷いた。
ドライアドは静かに振り返り、木々が絡み合うようにして、『淀み』へとつながる道を開けてくれた。その道は、深い森の闇へと続いており、一歩足を踏み入れただけで、底知れぬ恐怖が押し寄せてくる。
「さあ、行きなさい」
ドライアドは、レイブンにもう一度視線を投げると、サテュロスと共に森の奥へと消えていった。
レイブンとダービーは、再び部隊と合流し、ザックの指示を仰ぐ。彼らの顔には、この未知の任務に対する、緊張と期待が入り混じっていた。
「よぉし、第一、第二、第三中隊とも撤収だ。中央指令テントに合流せよ」
ザックの指示に、隊員たちは安堵の表情を浮かべた。しかし、ザックの心中は、お手上げだった。
(どうすればよいのだろうか?)
『淀み』を浄化する。それは、彼らの力ではどうにもならない。魔物を討伐することには慣れているが、負の感情を浄化する力など、持ち合わせていない。
(困った時は……)
ザックは、静かに通信端末に手を伸ばした。彼の指先が、ある人物の連絡先を呼び出す。
「…もしもし、アリアか?」
ザックの声は、いつになく重々しかった。彼が、アリアに助けを求めることは、よほどの事態だ。
「ええ、ザック大隊長。まさか、あなたから連絡をくれるとは」
アリアの声は、いつものように穏やかだが、その奥に、この事態を予見していたかのような響きがあった。
「…今回の任務は、我々の手に余るかもしれない。このダンジョンには、物理的な脅威だけでなく、精神的な脅威も潜んでいる。我々の力ではどうにもならない『淀み』があるんだ」
ザックは、正直に告げた。彼のプライドが、この言葉を躊躇わせた。しかし、このダンジョンを攻略するため、そして何よりも、隊員の命を守るため、彼はプライドを捨てた。
「…そう。やはりそうだったのね。聖女の派遣を要請する準備を進めてみるわ。ただし、聖女の派遣には、御屋形さまの承認が必要よ」
アリアの言葉に、ザックの心に、わずかな希望が差し込んだ。
「分かった。感謝する」
ザックは、通信を終え、再び『淀み』へと続く道を見つめた。彼の瞳には、このダンジョンを攻略するという、強い決意が宿っていた。
◆
アリアは、俺のデスク横で突然「世界樹の伝承」について語りだした。彼女の口から語られる物語は、まるで童話のようだ。
「……世界を支える大樹『世界樹』。その根元にある大森林には、かつて精霊たちが住まう清らかな場所でした。しかし、何者かの手によって『淀み』と呼ばれる負のエネルギーが放出され、森は瘴気に覆われ、魔物たちが凶暴化しています。『淀み』は徐々に世界樹の根を蝕み、このままでは世界全体が崩壊の危機に陥ります」
アリアは、淡々とした口調で語り続ける。彼女の瞳は、まるで物語の結末を知っているかのようだ。
「その『世界樹』の守護者たるエルフは、自然と深く結びついた種族として、彼らが住む森は清浄な場所とされています。瘴気や邪悪な存在によって森の精気が汚染されると『淀み』が発生し、エルフは森の守護者として、精霊魔法や特殊な力を用いて淀みを浄化する役割を担います。しかし、淀みの力が強大すぎる場合、エルフが自力で浄化できず、苦境に立たされます」
俺は、アリアの言葉に、呆然と聞き入っていた。
「今回は、『世界樹』を救うために、このダンジョンに侵入してきた人間の助けを求め、『淀み』を浄化し、森の再生を目指す。最終的に、『淀み』を作り出した黒幕、あるいは原因を突き止め、世界樹を完全に回復させることが狙いでしょう。そのために、エルフはドライアドに命じて、サテュロスに我々と接触をさせたのだろうと思われます。一番背後には間違いなくエルフと世界樹がいます」
アリアは、語り終えた。
「以上か?」
俺が尋ねると、彼女は無機質な表情で頷いた。
「はい」
俺は、頭を抱えた。このダンジョンは、ただのダンジョンではない。世界の存亡がかかった、壮大な戦場だったのだ。
「でっ? 俺に聖女を連れて来いと?」
「はい。できるだけ急いで」
アリアは、まるでコンビニで牛乳を買ってくるかのような気軽さで、とんでもないことを言った。俺は、彼女が人工知能付きゴーレムにしか見えなかった。
俺は、どうするべきか途方に暮れた。聖女は、そう簡単に手に入るものではない。俺は、アリアの要請をどうするのか、困惑していた。




