東上級ダンジョン(4)
広大な大草原は、今や迷路のような焼け路と、その両脇を焼き尽くされた焦土へと変わり果てていた。まるで巨大な庭の清掃員と化した第一大隊は、一歩ずつ、だが確実に前進を続けていた。
その時、第二中隊からの通信がテント内に響いた。
「第二中隊、会敵! トレントの群れです」
トレント。木々の精霊とも言われる魔物で、通常は火を恐れ、森の奥深くでひっそりと暮らしている。だが、ここはダンジョン。その常識は通用しない。カイン中隊長の報告に、ザックは冷静に指示を出した。
「よぉし、カイン。殲滅せよ」
ザックの指示が飛んだ。
第二中隊の前に現れたのは、大木がそのまま立ち上がったかのようなトレントの群れだった。彼らは、その太い腕を振り上げ、第二中隊へと襲いかかる。
「くそっ、やっぱり出てきたか!」
カインが叫ぶ。
「火炎武器を構えろ! 全弾、トレントに集中だ!」
隊員たちが、火炎放射器を構える。その姿は、まるでバーベキューパーティーの準備をするかのようだ。
ゴォォォォォ!
火炎放射器から噴き出す炎が、トレントの群れを飲み込んでいく。トレントたちは、悲鳴を上げ、その巨大な体を揺らしながら燃え上がった。
「気持ちいいくらい燃えるな、こいつら!」
隊員の一人が、思わず笑い声を上げた。
「くそっ、笑ってる場合か! まだだ、まだいるぞ!」
カインが叫ぶ。
その言葉通り、森の奥から、次々とトレントが現れた。まるで、消防車が出動するのを見に来た野次馬のようだ。
しかし、第一大隊の火炎放射器は、そんな彼らを容赦なく焼き尽くしていく。
「よし、この調子だ! このダンジョンは、まるで俺たちのために作られたようなもんだ!」
ザックの声が、通信端末を通じて全隊員へと届く。
こうして、第一大隊は、このダンジョンがもたらすであろうあらゆる脅威を、火炎放射器という力技でねじ伏せていく。彼らの姿は、もはやダンジョン攻略者というよりも、まるで巨大な庭師だ。
その庭師の手で、大森林が半分ほど焼き払われてしまった頃、事態は急変した。
火炎放射器の熱でゆらめく空気の中、一頭のヤギがダービーの前に姿を現した。
いや、よく見ればそれはヤギではない。上半身は人間で、下半身はヤギの脚と尾を持ち、頭には立派な角が生えている。サテュロスだ。
サテュロスは、ダービーの圧倒的な存在感に、一瞬で顔面蒼白になった。その両手はワナワナと震え、角はまるで萎れた草のように下を向いている。
「やあ、降参だ。どうか勘弁してくれ」
サテュロスは、陽気でいようと努めているが、声は上ずり、まるで絞り出すような情けない声だった。
「ごめん、本当にごめんよ! 僕たち、ちょっとおいたが過ぎたみたいだ。まさかこんな大層な火遊びをするとは思わなくて、本当に…」
彼は、両手を合わせて拝み倒すように、ひたすら謝罪の言葉を繰り返す。その姿は、まるで夏祭りで花火を打ち上げようとして、誤って近所の家の庭を燃やしてしまった子供のようだ。
ダービーは、ただ無言でサテュロスを見つめている。その瞳には、感情の欠片もない。だが、その無機質な視線が、サテュロスの恐怖をさらに煽る。
「どうか、どうか勘弁してくれ! 僕たちはただ、ちょっと、新しい遊びを考えていただけで…! こんなに森を焼かれるなんて、思ってもみなかったんだ!」
サテュロスは、地面にひれ伏し、涙目になって懇願した。彼の背後からは、同じように恐怖におびえたサテュロスたちが、木々の陰からそっと顔を覗かせている。彼らは、人間が持つ圧倒的な力に、ただただ怯えていた。
このダンジョンが、どれほど彼らを苦しめようと、彼らは必ず攻略する。彼らは、必ずこのダンジョンを攻略し、世界に新たな希望をもたらす。
ザックは、前進していく部隊を見つめ、静かに呟いた。
「よぉし、全軍とまれ!! ダービーの近くには誰がいる?」
ザックの通信に、第三中隊長レイブンが応えた。
「はい、自分です」
「よし、レイブンは、ダービーのところに現れたサテュロスと交渉してくれ。第一、第二中隊は、第一警戒態勢で待機」
レイブンは、突然の命令に戸惑いながらも、サテュロスへと向かっていった。
サテュロスは、未だダービーの無機質な姿に怯え、地面にひれ伏している。その様子は、まるで巨大なヤクザの前に土下座しているようだ。
「ダービー、そのまま待機だ」
「はい」
「…おい、ちょっと」
レイブンが声をかけると、サテュロスはビクッと体を震わせた。
「な、何ですか…?」
サテュロスは、怯えた様子でレイブンを見上げる。
「我々は、君たちに危害を加えるつもりはない。話し合いに来た」
レイブンは、努めて優しい声で話しかけた。サテュロスは、疑いの眼差しでレイブンを見つめる。
「本当…? だって、あなたたち、僕たちの森を焼いてるじゃないか…!」
サテュロスは、涙目で訴えた。レイブンは、困ったように頭を掻く。
「それは…その、ちょっと、やり方が荒っぽかったかもしれない。だが、我々も困っているんだ。このダンジョンを何とかしないと、大変なことになる」
レイブンは、真剣な表情で語った。その言葉に、サテュロスは少しだけ警戒を解いた。
「…分かった。話は聞こう。だが、もし僕たちに嘘をついたら、タダではすまないからな!」
サテュロスは、そう言って虚勢を張った。だが、その声は震えていた。レイブンは、サテュロスの様子を見て、思わず笑みをこぼした。
「ああ、分かった。嘘はつかない。約束しよう」
レイブンは、サテュロスに手を差し伸べた。サテュロスは、恐る恐るその手を取り、立ち上がった。
こうして、第一大隊とサテュロスたちの、奇妙な交渉が始まった。レイブンは、この臆病なサテュロスから、ダンジョンの情報を引き出そうと、必死に頭を回転させた。
「君たち、このダンジョンについて、何か知っていることはないか?」
「…えっと、このダンジョンには、怖いお化けがたくさんいるんだ…」
サテュロスは、そう言ってレイブンの背後を指差した。
レイブンが振り返ると、そこには、真っ黒な影のような魔物が、音もなく立っていた。
「…うわぁああああ!!!」
レイブンは、悲鳴を上げ、ダービーの背中にしがみついた。サテュロスは、その様子を見て、ケタケタと笑った。
交渉は、まだまだ続きそうだ。
レイブンは、悲鳴を上げた自分を恥じ、咳払いをして体勢を立て直した。足元にいるサテュロスは、まだ面白そうに笑っている。その横には、無害な影の魔物「シャドウ」が、ゆらゆらと揺れていた。確かに、毒にも害にもならない。
「…おい、気を取り直して話を続けよう」
レイブンは、努めて冷静に振る舞った。
「このダンジョンのマスターは?」
サテュロスは、レイブンの問いに首を傾げた。
「マスター? ああ、ご主人様のことかい? それはドライアド。この森のどこかにいるよ」
「なら、そのドライアドに会わせて欲しい」
レイブンは、サテュロスにそう頼んだ。
サテュロスは、少し考える素振りを見せた後、レイブンを怪訝そうに見つめた。
「どうして? 何か用事があるのかい?」
「…まあな。このダンジョンを、元の静かな場所に戻したいんだ」
レイブンは、正直に答えた。サテュロスは、その言葉に、少しだけ瞳を輝かせた。
「分かった! でも、その前に、約束してほしいことがあるんだ」
サテュロスは、そう言ってレイブンに指を突きつけた。
「まず、僕たちをこれ以上焼かないこと。そして、僕たちの住処を元に戻してくれること!」
サテュロスの切実な願いに、レイブンは思わず苦笑いを浮かべた。サテュロスの目線が、ダービーへと何度も向けられている……。
「わかった、分かった。約束しよう。で、そのドライアドには、何をお願いするんだ?」
サテュロスは、レイブンの問いに、ニヤリと笑った。
「それは、僕たちのおやつを持ってきてくれるようにお願いするんだ」
レイブンは、その言葉に思わずひっくり返りそうになった。まさか、そんな理由でドライアドに会いに行こうとしていたとは。
「…おやつ?」
「そうさ! だって、このダンジョンが荒らされてから、美味しい木の実が採れなくなっちゃってさ。お腹が空いちゃって、もう大変なんだ!」
サテュロスは、お腹をさすりながら、そう言って不満を訴えた。
レイブンは、このダンジョンを元に戻すという重大な任務を、この食いしん坊なサテュロスのために、おやつ探しへと変えられてしまったことに、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「大隊長。ダンジョンマスターと交渉ができそうですが」
レイブンの通信に、ザックは思わず目を見開いた。これまでのダンジョンでは、マスターといえば問答無用で破壊する対象だった。交渉など、考えたこともない。
「よぉし、よくやった。レイブンは引き続きダンジョンマスターとの交渉を頼む」
「はい」
ザックは、通信を終えると、腕組みをして唸った。このダンジョンは、まるで人間の常識を試しているかのようだ。物理法則を無視し、交渉まで求めてくるとは。
「我々の目的は、このダンジョンの『生命体の反応が一定でない』ことと『マナの濃度が計測不能』という二点を解明することだ。そこを安定させてもらえるのなら、この大森林にこれ以上侵攻しないことを約束しよう」
ザックの指示が、再びレイブンへと飛んだ。
レイブンは、サテュロスと向き合い、ザックの言葉を伝える。
「…ということで、ダンジョンマスターに会って、このダンジョンの異常を安定させてほしい。そうすれば、これ以上森を焼かないと約束する」
サテュロスは、レイブンの言葉に目を丸くした。
「本当に? もう、この森を燃やさないって?」
「ああ、約束する」
レイブンが真剣な表情で頷くと、サテュロスは嬉しそうに飛び跳ねた。
「わーい! やった! これで僕たちのおやつが守られる!」
サテュロスは、レイブンの言葉をダンジョンマスターに伝えるために、森の奥へと駆け出していった。
レイブンは、その無邪気な姿を見送って、深くため息をついた。この重大な任務が、まさかおやつを巡る交渉になるとは、誰が想像しただろうか。
「…大隊長。ダンジョンマスター、どうやらおやつを欲しがっているようです」
レイブンの通信に、ザックは思わずひっくり返りそうになった。
「は? おやつだと? まさか、そのためにこんな大掛かりなことを…?」
ザックの頭には、ダンジョンコアを破壊して、魔石を回収するという、いつもの任務が浮かんでいた。だが、このダンジョンは、彼の常識を遥かに超えていた。
「…おい、ダービー。一番大きなマナクリスタルを、おやつ代わりに持って行け。交渉材料だ」
ザックは、そう言って力なく笑った。このダンジョンは、彼を精神的に追い詰めていく。だが、同時に、新たな可能性を示唆しているようでもあった。




