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32歳、人生リセット、ただし異世界で  作者: トール
五章 欠けたピース

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東上級ダンジョン


決して、八つ当たりではない。

 東地区の深部の山岳地帯に、突如として大規模なダンジョンが出現した。


 探索ゴーレムからの報告は、いつになく深刻なものだった。通常のダンジョンであれば、入り口付近の魔物の種類や地形情報が送られてくるはずが、今回はそれらのデータがほとんどない。ただ、「生命体の反応が一定でない」「マナの濃度が計測限界」という、不穏な報告が繰り返されるだけだった。


「…すぐさま、第一大隊を天翔空港へ移動させろ。最速で現地に向かわせろ」


 アリアは、御屋形さまからの指示を受けて、すぐさまザックへと通信端末を開いた。


「了解しました。直ちに全隊員に招集をかけます」


 ザックは、手元の通信端末を握りしめ、部隊の移動準備を指示した。


 しかし、第一大隊には小さな問題があった。三名の兵士が帰国休暇中だったのだ。そのため、いくつかの小隊では臨時編成が組まれた。


「不具合は?」


 ザックの問いかけに、隊員は首を振る。


「はい。臨時編成でも、問題ないかと。ダービーもいますし」


 隊員の言葉に、ザックは静かに頷いた。あのゴーレムの存在は、今や第一大隊の揺るぎない支柱となっていた。


 そのとき、通信端末が再び震える。アリアからだった。


「ザック大隊長。ダービーの塩梅はどう?」


「異常ありません。いつでも出撃可能です」


 ザックの返答に、アリアは少しだけ安堵したようだった。


「…そう。念のため確認しておくわ。今回のダンジョンは、これまでのものとはまるで違う。報告にあった『異常なマナ濃度』は、まるで生命を否定するような、おぞましい気配を放っているそうよ」


 アリアの声は、いつになく重かった。


「ダンジョンコアを破壊しても、ダンジョンそのものが消滅しない可能性もある。最悪の場合、世界そのものを変質させるほどの『特異点』となるかもしれない。慎重の上にも慎重な探索を。生きて帰ってきてちょうだい」


 ザックは通信端末を握りしめたまま、言葉を失った。アリアがそこまで言うのだ。それは、彼らがこれまで経験してきたどの任務よりも、危険なものになるだろう。


 なお、以前第一大隊によってダンジョンコアの乗っ取りに成功した西中級ダンジョンは、中央管制ゴーレムの手によって管理されていた。


 ◆


 第一大隊長ザックは、東上級ダンジョンの入り口に立っていた。


 彼の背後には、第一大隊の隊員たちが整列し、静かに命令を待っている。レオンの復帰で、隊は完全な形を取り戻していた。しかし、ザックの胸には、定員という数字だけでは埋まらない、イサクという名の空白がまだ残っていた。


「第一中隊は入り口付近の安全を確保せよ。第二、第三中隊はテントを設営、ここを拠点とする。偵察は三人一組の小隊で、無理はするな。目的はマッピングだ。まずはダンジョンの構造を把握する。奥に進むのはその後だ。いつもの通りだぞ」


 ザックの指示は、いつになく慎重だった。以前のダンジョン戦での犠牲を、彼は決して忘れていない。今回は、何よりも隊員たちの安全を最優先に考えていた。


「了解!」


 各中隊長が、一斉に敬礼し、それぞれの持ち場へと散っていく。隊員たちの表情には、慣れ親しんだ任務への安堵と、新たなダンジョンへの緊張が入り混じっていた。


「第一中隊は、ダンジョン入り口付近の警備を引き続き頼む。ダンジョンの探索には、先頭はダービー。第二中隊は、ダービーの索敵データをもとに、マッピングだ。第三中隊は、待機。ただし、あくまで目的はマッピングだ。無理はするな」


 ザックは、ダンジョンの入り口を指差した。彼の声には、いつになく緊張感が張り詰めている。


「では、準備でき次第出発だ」


 ダービーが先頭を歩き、その後ろを第二中隊が慎重に続こうと入りかけた時、先頭を歩いていたダービーが、突然ぴたりと止まった。


「どうした、ダービー?」


 後方を随行していた第二中隊長のカインが、心配そうに声をかけた。ダービーの行動は、常に機械的で無駄がない。そんな彼が立ち止まるのは、何らかの異常を感知したからに他ならない。


「下階段を発見しました」


 ダービーの無機質な声が、通信端末から聞こえてきた。カインは、思わず「はいっ?」と間の抜けた声を発してしまう。


「よし、ダービー。慎重に下階段を降下せよ」


 モニターでその状況を確認していたザックからの指示が飛ぶ。


 慎重に階段を降りると、カインと第二中隊の隊員たちは、目を疑った。目の前に広がっていたのは、洞窟の薄暗さとはかけ離れた、陽光が降り注ぐ大草原だった。どこまでも続く緑の絨毯に、色とりどりの花が咲き乱れ、心地よい風が吹き抜けていく。空は抜けるような青さで、まるで別の世界に迷い込んだかのようだった。


「…なんだ、ここは」


 隊員の一人が、呆然と呟いた。あまりにも現実離れした光景に、警戒心が緩みそうになる。


「全員、警戒を解くな!」


 カインは、すぐさま大声で隊員たちを引き戻した。このダンジョンの異常さは、すでに身をもって知っている。美しい光景に惑わされてはいけない。


「大隊長、聞こえますか!?」


 カインは、通信端末に必死に呼びかけた。


「どうした、カイン」


 ザックの声が、わずかに緊張した響きで返ってくる。


「大隊長、どうやらこのダンジョンは、階層ごとに環境が形成される生態系パターンのダンジョンのようです。第二階層は、大草原です」


「…大草原だと?」


 モニターに映る映像を見ていたザックは、驚きを隠せない。これまでのダンジョンとは、あまりにもパターンが違いすぎる。


「よし、引き続きマッピングを継続しろ。ダービーの索敵データを元に、慎重に進め。このダンジョンは、見た目に騙されるな。何が潜んでいるかわからない。一歩も気を抜くな!」


 ザックの指示は、いつになく慎重だった。カインは、ダービーと共に、警戒しながら草原へと足を踏み出していく。しかし、彼らの目に映る風景は、あまりにも平和で美しかった。


「よし、あの前方に見える、樹木を0時と設定。第一小隊は2時方向の探索。第二小隊は3時方向、第三小隊は9時、ダービーは俺とともに10時の方向だ。各小隊とも連絡を密に」


 カイン中隊長の指示が、草原に響き渡る。隊員たちは、それぞれ指定された方向へと散開していった。広大な草原での探索は、これまでのダンジョンとは全く異なる。いつ、どこから敵が現れるか分からず、常に周囲を警戒する必要があった。


 カインは、ダービーと共に、10時の方向へと進んでいく。心地よい風が草を揺らし、その音だけが静寂を破る。


「…静かすぎるな」


 カインが呟いた。


 その言葉を裏付けるかのように、カインの通信機に第一小隊長からの報告が入った。


「中隊長!2時方向、複数の敵影を捕捉!…くそっ、動きが速い!」


 通信が途絶えた。カインは顔色を変える。


「ダービー!2時方向へ急行する!」


 カインは、ダービーと共に2時方向へと駆け出した。その途中、第二小隊、第三小隊からも同様の悲鳴のような報告が届き、通信が途絶える。


「くそっ、何が起こっているんだ…!」


 カインは焦りを募らせる。


 やがて、カインの視界に、第一小隊の隊員たちの姿が映った。彼らは、見たこともない魔物たちに囲まれていた。それは、狼のような姿をした魔物で、全身が緑色の毛に覆われ、その動きは風のように速い。


「ダービー!迎撃しろ!」


 カインの指示に、ダービーは躊躇なく戦闘態勢へと移行する。その腕が変形し、魔力銃を構える。しかし、緑色のリーフウルフたちは、ダービーの動きを上回るほどの速さで、その周りを駆け巡る。


「…なんてことだ。この速さは…!」


 カインは、信じられないものを見るかのように呟いた。ダービーの正確な射撃も、その速さには追いつけない。


「ダービー、近接戦闘に移行!囲いを突破しろ!」


 ダービーは、瞬時に魔力銃を剣に変形させ、狼たちへと斬りかかった。その動きは、先ほどの射撃とは比べ物にならないほど速く、正確だった。次々と狼たちを斬り捨てていく。


 しかし、その間に、一人の隊員が魔物の一体に襲われ、その身から血が噴き出した。


「…くそっ!」


 カインは、通信機を握りしめたまま、絶望的な声を上げた。ダービーの圧倒的な戦闘力を持ってしても、このダンジョンの脅威は、彼らの想像をはるかに超えていたのだ。


 怪我をした隊員の治療にあたっている間、カインは通信端末を握りしめ、ザックへと報告を入れた。


「リーフウルフの群れと遭遇しました。どうやら、この階層は森の精霊のエリアのようです。森の精霊との遭遇が予想されます」


「リーフウルフ…」


 ザックは、通信越しに響くカインの疲労困憊した声に、眉をひそめた。リーフウルフは、通常の狼とは比較にならないほど俊敏で、その動きは風のようだとされている。


「…第二中隊だけでは、荷が重いか」


 ザックは、自問自答するように呟いた。彼の脳裏には、西中級ダンジョンでの犠牲が蘇る。今回は、何としても隊員の命を守り抜かねばならない。


 ザックは、深い溜息をつき、決断を下した。


「カイン、ただちに第二中隊は撤退しろ。第三中隊が援護に向かう。第一中隊も、準備でき次第、ダンジョンに侵入する。これより、第一大隊は、全戦力をもってこのダンジョンを攻略する!」


 ザックの声は、通信端末を通じてダンジョンの奥にいる隊員たちへと届く。それは、これまでの慎重な方針とは一変した、重々しい決断だった。


「…全軍突撃か」


 カインは、ザックの決意に満ちた声に、わずかに震える。それは、不安からくるものではなく、自分たちがこのダンジョンに立ち向かう、第一大隊としての誇りからくるものだった。


「よし、全員、撤退準備だ!第一大隊の総力戦だぞ!」


 カインの指示に、隊員たちは安堵と、新たな決意を胸に、草原を駆け抜けていった。


 ザックは、ダンジョンの入り口に立ち、全隊員の到着を待っていた。東の空は、すでに夕暮れの茜色に染まり、ダンジョンの入り口は、不気味な影を落としている。


「…頼むぞ、ダービー。そして、第一大隊。生きて帰るんだ」


 ザックの呟きは、誰に聞かれることもなく、静かに闇へと吸い込まれていった。





リーフウルフは、森の精霊の力によって緑色に染まった、俊敏な動きを特徴とする狼の魔物です。その姿はまるで風のように駆け抜け、獲物を一瞬で仕留める、森の狩人として知られています。


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