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32歳、人生リセット、ただし異世界で  作者: トール
五章 欠けたピース

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自分の殻(2)

 戦争が終わった。


 俺は自らが築き上げた自由都市のシンボル、ノースミッドタワーの最上階に立っていた。巨大な窓ガラスの向こうには、俺が前の世界で得た知識と、この世界の魔法を融合させて作り上げた都市が広がっている。アンドロイドが規則正しく通りを清掃し、ゴーレムが資材を運び、ドローンが空を飛び交う。無駄な動きは一切ない。俺の理想通り、完璧に管理され、支配された都市。


 圧倒的な力で勝利を収めた。誰にも文句は言わせない。俺は、この世界に俺の力を示した。しかし、勝利の熱狂が去った後、俺の心は空っぽだった。俺は、この世界で蚊帳の外だった。


 風が吹き抜ける音だけが、耳に届く。この世界に来てから、ずっと求めていたもの。それは「自由」だったはずだ。前の世界で、社会の鎖に縛られ、会社の命令に縛られ、身動きが取れなかった俺は、ただひたすら自分の意志だけで生きることを夢見ていた。


 だが、このノースミッドタワーの上で、すべてを手にいれた今、俺は気づいてしまった。


 俺は、自由を手に入れたのではない。


 ただ、「孤立」を手に入れただけだった。


 俺の周りには、もはや誰もいない。奴隷たちは、俺の力に畏敬の念を抱き、遠巻きに敬意を払う。アリアは、俺の理想を理解しているようだが、彼女との間にすら、埋められない溝を感じる。誰もが俺を「御屋形さま」と呼び、俺の意志が絶対の法となった。


 俺の言葉に、反論する者も、悩みを打ち明ける者もいない。皆、俺の顔色を伺い、俺の言葉をただ待っているだけだ。彼らから見れば、俺はすべてを完璧にこなす、孤独な王。だが、俺は、ただひとりで、この自由都市の支配者という檻の中にいる。


 俺は、前の世界で、会社や社会という鎖に縛られていた。しかし、その鎖は、同時に俺を誰かと繋いでいたのだ。不満を言い合う同僚、飲み明かす友人、そして、家族。煩わしかったはずの人間関係が、俺を「孤独」から守ってくれていた。


 この、完璧すぎる都市は、俺の理想を体現している。だが、それはあまりにも冷たく、あまりにも無機質だった。俺は、誰とも本音を語り合うことのできない、たった一人の王として、このタワーの最上階で、ただ風の音を聞いている。


 勝利の後の静寂は、あまりにも重かった。それは、俺が自らの手で築き上げた、完璧な牢獄の静寂だった。


 ◆


 どんなに心が空っぽでも、朝は容赦なくやってくる。


 午前六時。


「御屋形さま、おはようございます。本日、晴天。近隣領地での魔物出現予報は、現在確認されておりません」


 規則正しい、抑揚のない声が室内に響く。ゴーレムが定刻通りにカーテンを開け、朝日がまぶしく差し込んだ。ゴーレムはそのまま、この二十四時間で集められたニュースのヘッドラインを読み上げていく。


「…王都の復興事業が、予定より三日早く進捗しております。食糧生産技術の向上に伴い、小麦の収穫量が前年比五パーセント増の見込み…」


 俺は枕に顔を押しつけ、呻いた。


「わかった、わかった。もう今朝は下がっていいや」


 ゴーレムはぴたりと声を止め、一礼してから静かに部屋を出て行った。その完璧な従順さが、今の俺にはひどく虚しく感じられた。こいつは俺の意志を完璧に実行する。だが、俺の心の内など、これっぽっちも理解しようとしない。いや、理解する必要がないのだ。


 少しして、別のゴーレムが部屋の扉を叩く。トレーナーゴーレムだ。


「御屋形さま、朝のトレーニングのお時間です」


 低い、無感情な声が、俺を現実へと引き戻す。来てしまった。俺はベッドから身を起こし、重い足取りで扉へと向かった。


「いや、今日はいいや。日程は全部キャンセルだ」


 俺の言葉に、ゴーレムはわずかに首を傾げた。その動作には、人間が持つ「困惑」のようなものが、完璧に模倣されていた。


「御屋形さま、如何なさいましたか?」


 ゴーレムの声には、ただ俺の体調を気遣うデータが組み込まれているだけだ。しかし、俺の耳には、まるでこう聞こえてくる。


『どうしたんですか、御屋形さま。完璧なあなたが、私の完璧な計画を台無しにするなんて、どういうことですか?』


 俺は、苛立ちと、どうしようもない滑稽さを感じた。こいつはただ、俺の健康という数値を維持するために動いているだけだ。俺が心を病んでいるなど、プログラムにはない。


「だから、いいって言ってるんだ! 休みたいんだよ、ただ休みたいだけなんだ!」


 俺が感情を露わにしても、ゴーレムの表情は変わらない。ただ、その瞳に組み込まれた魔力灯が、かすかに点滅する。


「御屋形さま、ご不調でしたら、診断ゴーレムをお呼びしましょうか。体内の魔力値、心拍数、血圧を測定し、最適な休息プランを提案いたします」


 俺は、もう笑うしかなかった。そうだ。こいつにとっては、俺の精神的な不調も、ただの数値データに過ぎないのだ。そして、そのデータから導き出される答えは、最適な睡眠時間と、摂取すべき栄養素。完璧な体調管理は提供してくれても、俺の心に寄り添うことなど、決してできない。


「いい、もういい。…お前は、俺の孤独を、一生理解できないだろうな」


 俺の呟きは、ゴーレムには届かなかった。いや、届いていたとしても、そのデータはただの無意味な音として処理されるだけだろう。


 ゴーレムは、俺の言葉を完璧に無視し、ただ静かに俺の体調を気遣うばかり。そのあまりに完璧なすれ違いが、俺の虚無感をさらに深くするのだった。


 ◆


 トレーナーゴーレムは、俺の感情的な爆発にも動じず、ただ静かに後退し、退出していった。俺はベッドに倒れ込み、シーツを頭から被った。もう誰とも話したくない。この完璧な牢獄で、一人きりで腐っていきたい。


 数分後、扉がノックされる音がした。


「御屋形さま、アリアにございます」


 …ちくしょう、ゴーレムのやつ、報告しやがったな。


 俺は仕方なくシーツから顔を出し、返事をした。


「……入れ」


 扉が開き、アリアが静かに入室した。彼女はいつも通りの、完璧に整えられた補佐官の顔をしている。


「トレーナーゴーレムからご報告がございました。本日のワークアウトを拒否されたとか」


 アリアは淡々と語る。その声には、一切の感情の起伏がない。


「ああ、悪いな。今日は少し気分が乗らなくて」


 俺は気まずく言い訳をした。気分が乗らない、などという言葉は、この完璧な都市ではただの調和音でしかない。


「承知いたしました。では、気分転換に、本日予定されておりました都市計画の打ち合わせを、来週に延期いたします」


 アリアは、手元の端末を操作しながらそう言った。


「そうか。悪いな、助かる」


「いえ、御屋形さまのご体調が最優先にございます。また、食事についても、気分がすぐれないようですので、消化に良いメニューに変更いたしました。粥と、野菜スープを用意させます」


 俺は、思わず苦笑した。彼女は俺の不調を、食事の好みとスケジュールの変更という、完璧に管理された対処法で解決しようとしている。


「いや、違うんだアリア。俺が言いたいのは、そういうことじゃなくて……」


 俺は、どうにかしてこの虚無感を伝えようと試みた。


「……なんか、こう、虚しいというか。全てを手に入れたのに、心が満たされないというか……」


 アリアは、俺の言葉をじっと聞いていた。そして、端末を操作する手を止め、真剣な表情で俺を見つめた。


「承知いたしました。御屋形さまの『虚無感』と『心の不満』について、対処法を考案いたします」


 アリアの言葉に、俺は思わずベッドから身を起こした。


「いや、だから違うって! それを解決しろって言ってるんじゃない! ただ、この気持ちを、誰かと共有したいっていうか……」


「共有ですか。でしたら、感情共有ゴーレムを開発いたしましょう。御屋形さまの脳波や心拍数を読み取り、その感情を再現する機能を持たせます。これならば、いつでも『気持ちを共有』することができます」


 アリアは、真面目な顔で提案した。俺はもう、何も言えなかった。彼女は、俺の孤独を、感情を、全てをデータとして処理し、機械で解決しようとしている。


 ◆


「もういい! もういいんだ! 俺は、まだ11歳なんだぁぁぁ! わがままの一つくらい聞いてくれたっていいだろうがぁぁぁ!」


 俺は、ノースミッドタワーの執務室のど真ん中で、床に寝転がって駄々をこねていた。アリアとの完璧なすれ違い会話に、俺の精神は限界だった。虚無感だとか、孤独感だとか、そんな哲学的なものはもうどうでもいい。ただ、もう全部投げ出して、枕元に置いてあるゴーレムの頭を蹴飛ばしてやりたい。


(精神年齢は、三十二歳に、この世界での一年が加わって三十三歳だがな!)


 俺は心の中で、完璧な自虐ネタを放り込んだ。そして、なぜか、妙にスッキリした。そうか。俺は、11歳の体を得たせいで、33歳の精神が肉体に追いついていないのだ。これは、魂の成長痛だ。そうに違いない。


 アリアは、そんな俺を冷静に見下ろしている。その表情には、一切の動揺が見られない。


「御屋形さま、床は冷えます。風邪をひかれては、今後の国政に支障をきたします」


「うっせぇ! 俺は風邪なんかひかねぇ! むしろ、高熱を出して、熱でうなされているところを、アリア、お前が心配してくれればいいんだ!」


 俺の悲痛な叫びも、アリアには届かない。彼女の視線は、俺の額の温度を測るかのように、ただ冷たく、正確だった。


「御屋形さまの体温、脈拍、呼吸数、すべて正常値の範囲内でございます。ご心配には及びません」


 ああ、そうだとも! 俺の肉体は完璧だ。完璧なだけに、心の不調が、この完璧な世界で、ますます浮き彫りになる。


「……もういい。アリア、聞いてくれ。俺は、もう……疲れたんだ」


 俺は、床に寝転がったまま、天井を見上げた。


「俺は、前の世界ではただのしがないサラリーマンだった。上司の命令に従い、会社のルールに縛られ、自分の人生を生きているのかもわからなかった。だが、この世界に来て、俺は、完璧な支配者となった。欲しいものは全て手に入れた。だが、俺は、誰とも本音を語り合うことができない。完璧なゴーレムたちと、完璧すぎるお前と、俺はただ一人、完璧な牢獄に閉じ込められているんだ!」


 俺は、最後の力を振り絞って叫んだ。そして、アリアの反応を待った。


 アリアは、沈黙した。初めてだ。俺の言葉が、彼女の完璧な思考回路に、何か予期せぬ影響を与えたのだろうか。


 そして、アリアは静かに口を開いた。


「御屋形さま。御心配には及びません」


 俺の期待は、もろくも崩れ去った。


「御屋形さまの現状は、支配者として当然の孤立状態と推測されます。この孤立を解消するための最善策を、ただいま演算しております。結論は、三日後にお出しいたします」


 彼女は、俺の心の叫びを、ただの計算問題として処理しようとしている。


 俺は、床に寝転がったまま、虚しく笑った。


(そうか。俺の悲痛な叫びは、彼女にとって、ただのデータ入力に過ぎなかったか)


 33歳の精神と、11歳の肉体を持つ俺は、完璧な世界で、完璧に孤独だった。そして、その孤独さえも、完璧に管理され、完璧に無視されるのだった。



この異世界には、まだバッティングセンターはない。


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