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32歳、人生リセット、ただし異世界で  作者: トール
五章 欠けたピース

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自分の殻

「御屋形さま、ご相談がございます」


 広々とした執務室に、いつになく慎重な声が響いた。声の主は、首席補佐官を務めるアリアだ。彼女がこのように改まった様子で話しかけてくるのは珍しい。俺はデュアルディスプレイから顔を上げ、椅子に深く腰掛けた。


「どうした?」


 アリアは一歩前に進み出る。彼女の表情は真剣で、どこか迷いを帯びているようにも見えた。


「今回、王都奪還に参加した奴隷兵士たちのことですが」


 その言葉に、俺の眉がぴくりと動く。たしかに、彼らの存在は大きかった。彼らの力なくして、王都の奪還は成し得なかっただろう。


「うん」


 俺は続きを促す。アリアはわずかに視線を落とし、言葉を選んだ。


「一度、家族のもとに帰らせようかと」


 その提案は、俺にとって全くの想定外だった。彼らは俺の奴隷だ。故郷はすでにないか、あるいは失われたも同然。家族がいても、その絆は遠い過去のものになっているはず。まあ、逃走の可能性もないことはないか。


 俺は理解ができず、思わず問い返した。


「なぜ?」


 アリアは静かに顔を上げた。その瞳には、俺には見えない何かが映っているようだった。彼女がなぜ、このような提案をしてきたのか。その真意を知るために、俺はアリアの次の言葉を待った。


 俺の問いに、アリアはわずかに目を伏せ、それからゆっくりと俺の目を見て口を開いた。


「御屋形さま、彼らは奴隷、ですが、もはやただの奴隷ではありません。彼らは、王都奪還という大義のために命を懸けました。ゼノクラシア王国の兵士たちと並んで戦い、血を流したのです」


 アリアの声は、静かだが強い響きを持っていた。


「彼らにとって、奴隷としての日々は、人間としての尊厳を奪われた地獄です。ですが、その地獄を生き延びた者の中には、かすかな希望を胸に抱き続けている者もいます。家族との再会、故郷への帰還……それらは、彼らが生きるための最後の拠り所だったはずです」


 俺は何も言わず、ただアリアの言葉に耳を傾けた。たしかに、彼らの瞳の奥には、どこか遠い過去を懐かしむような光を何度も見た。それは、単なる絶望ではなく、失われた何かへの想いだったのかもしれない。


「我々が彼らを解放し、家族のもとへ帰らせる。それは、彼らが命を懸けて戦ったことへの、最も大きな報いとなります。金銭や地位を与えても、心の底からの喜びは得られません。ですが、愛する者との再会は、彼らの魂を解放するでしょう。そして、それは彼らが人間としての尊厳を取り戻す、最初の一歩になるのです」


 アリアは、そこで一旦言葉を切った。そして、さらに重要なことを付け加えるように、真剣な表情で続けた。


「何より、御屋形さま。我々の自由都市国家が、どのような都市国家であるかを示すことになります。我々は、力だけではなく、慈悲と公正さを持つ統治者であると。その噂は王都中、ひいては大陸中に広まるでしょう。それは、我々の名声を高め、より多くの人々の心を掴むことにつながります」


 アリアの言葉は、単なる感傷論ではなかった。そこには、俺の知る冷徹な戦略家の顔が見え隠れしていた。彼女は、奴隷たちの心の解放と、俺が築く都市国家の未来を天秤にかけていたのだ。そして、その両方を満たす最善の策として、この提案を持ってきた。


 俺は椅子から立ち上がり、窓の外の青空を見上げた。奴隷兵士たちの顔が次々と脳裏に浮かんでくる。泥まみれになりながらも、決して折れることのなかった彼らの意志。彼らの瞳に宿っていた希望の光。


 アリアの言葉は、俺の胸の奥底に静かに響いた。それは、単なる正論ではなく、俺が忘れていた大事なことだった。俺はゆっくりと振り返り、アリアに深く頷いた。


「わかった。君の言う通りにしよう」


 俺の言葉に、アリアは安堵の表情を見せた。その顔には、いつもの冷静さに加え、俺の決断を心から喜んでいるような、わずかな笑みが浮かんでいた。


 ◆


 初冬の高い空の下、早朝の練兵場に集められた全隊員は、度肝を抜かれていた。首席補佐官が読み上げたのは、信じがたい内容の指令だった。


「――よって、全隊員は今年いっぱい休暇とする。再招集は新年の一月一日。移動を許可する。移動先は事前登録のこと。移動に際し金子が必要な者は、所定の用紙に申告せよ」


 風が吹き抜け、枯れ草を揺らす音がやけに大きく響く。兵士たちは皆、まるで耳を疑うかのように互いの顔を見合わせた。


「おい、今なんて言った?」


「俺もよく聞き取れなかったんだが……休暇、って聞こえたよな?」


「しかも、年明けまで……か?」


 ざわめきが波のように広がる。戦が終わり、つかの間の休息は覚悟していたが、まさか二か月単位での休暇とは誰も想像していなかったのだ。それも、王都奪還という大任を果たした直後に。


 中には「どうせ何かの間違いだろう」と信じられない様子の者もいたが、司令官の表情は真剣そのもの。冗談を言っている雰囲気ではなかった。


 やがて、その事実が少しずつ兵士たちの心に染み渡っていく。


「マジかよ……故郷に帰れるのか……?」


「俺、嫁と子供に会えるのか……」


「金まで出してくれるってよ! 新しい服を買って帰ろうか!」


 呆然としていた顔に、徐々に生気が戻っていく。戸惑いは、やがて歓喜へと変わっていった。互いの肩を叩き合い、大声で笑い、中には涙を流す者もいた。


 奴隷兵として、自由を奪われた日々。いつ死ぬかも知れない戦場。そんな絶望的な毎日を耐え抜いた彼らにとって、この休暇は単なる休みではない。それは、再び人間としての生活、家族との絆、そして未来を取り戻すことを意味していた。


 首席補佐官が兵士たちに背を向けた後も、興奮は冷めることがなかった。


「お屋形さまは、俺たちのこと、ちゃんと見てくれてたんだな」


 誰かが呟いたその言葉に、全員が静かに頷いた。彼らはこの瞬間、単なる兵士としてではなく、一人の人間として、深く報われたと感じていた。故郷へ、家族のもとへ。それぞれの希望を胸に、兵士たちの顔は光に満ちていた。


 ◆


「バルザック商会との取引は、基本金貨を媒介とした取引だ。奴隷の価格は取引明細を確認すればわかること……」


 俺は執務机の上にある分厚い帳簿を前に、ひとりごちた。ページをめくるたびに、奴隷たちの名前と、その隣に並ぶ価格が目に飛び込んでくる。彼らは人間でありながら、商会の都合でつけられた数字でしかなく、俺もまたその数字によって彼らを買い取ったに過ぎない。


 帳簿の奥には、特に高値で買い取った奴隷たちの記録があった。


 アリア。大金貨五百枚。

 ギルフォード。大金貨三百枚。


 彼らの価格は、奴隷兵士として一括購入した者たちの、総額大金貨百枚という価格と比べても群を抜いていた。アリアの知略とギルフォードの特殊なスキルを見込んでの投資だったが、こうして数字で見ると、改めてその取引額の大きさにため息が出る。


 アリアは、俺の知らないうちに、その高額な取引を土台に、とんでもない構想を進めていた。当初の奴隷兵士たちの一時帰宅提案は、いつの間にか金子の貸付話へと発展し、今や「奴隷解放」という、全くの想定外の構想にまで至っている。


 俺は頭を抱えた。


「ばかばかしい、無理だろそれ」


 奴隷を所有するということは、衣食住の保証という最低限の義務を負うことだ。それ以上でもないし、それ以下でもない。アリアの提案は、その常識を根底から覆すものだった。


 彼女は言った。


「御屋形さま、私の場合、私自身が自前で大金貨五百枚を支払うことができれば、その時点で自由民となるという話にしたいのです。ギルフォードにも同じように」


 俺は眉をひそめた。自前で? 奴隷がどうやってそんな大金を用意するというのか。商会の帳簿を、ただの紙切れにするつもりか。


「だが、どうやってだ? 大金貨五百枚なんて、並みの貴族でもすぐに用意できる額ではないぞ。ましてや、お前は……」


 そこまで言って、俺は言葉を止めた。アリアは、奴隷の身分から、今や俺の首席補佐官だ。彼女の能力は、その価格をはるかに上回る価値がある。


 アリアは、そんな俺の心中を見透かすように、静かに続けた。


「おっしゃる通りです。私一人では不可能でしょう。ですが、もし私が、御屋形さまのために、その五百枚を稼ぎ出す働きをしたらどうでしょうか。例えば、商会との取引を全て私が取り仕切り、その利益を積み重ねていくのです」


 俺は思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。バルザック商会との取引は、常に多額の金貨が動く。そこにアリアが正式に絡んでいけば、莫大な利益が生まれるだろう。その利益から、いわば賃金として、あるいは成功報酬として、利益配分を行うというのか。


 確かに、衣食住だけの保証では、ひととしてどうなんだ?と思うところはある。前の世界並みに、労働契約というものでも良いのかもしれない。


「そして、元々まとめて購入した奴隷兵士たちならば、話はもっと簡単です」


 アリアは、俺をまっすぐに見つめた。


「彼らは、奴隷の身分から兵士となり、多くの功績を上げました。彼らの働きは、すでに百枚という価格をはるかに超えているはずです。それに、御屋形さまの領地経営が軌道に乗れば、彼らを自由民として雇用する余裕も生まれます。金銭的な価値から、彼らの労働力という価値に置き換えるのです」


 それは、奴隷として縛り付けておくのではなく、自由な人間として、新たな未来を構築する。彼らを単なる所有物としてではなく、共に国を築く仲間として扱うということ。


 俺は、頭痛を覚えるほどの重圧を感じていた。アリアの提案は、あまりに、あまりにも――崇高すぎた。


「アリア、この提案は保留だ。急いで結論を出す内容ではないよ。もう少し時間をかけて考えてみるよ」


 俺は、ほとんど反射的にそう言って、その場から逃げ出した。正確には、この恐ろしいほどの理想論から、そしてアリアのまっすぐな瞳から逃げたかった。


 奴隷と所有者。その関係は、ある意味で俺にとっての安息だった。彼らは俺の意志に逆らわない。俺が命令すれば、死すらも厭わず従う。それが、この世界で俺が手に入れた絶対的な支配だった。


 前の世界ではどうだったか? 会社という名の鎖に縛られ、社会という名の見えない檻に閉じ込められていた。誰かの顔色を伺い、誰かの命令に従い、自分の意志など持つことも許されなかった。だが、その鎖は、俺に身の安全を保証してもくれた。責任から逃れ、ただ与えられた役割をこなすだけでよかった。


 俺は、俺の都合で奴隷たちの人生を縛ってはいないか?


 アリアの問いかけが、深く、深く、俺の心に突き刺さる。そうだ、彼らを縛っているのは俺だ。だが、その鎖を解き放った時、何が起こる?


 自由を与えた仲間たち。その顔が、もしある日、俺に刃を向けてきたら?


 裏切り。そのたった二文字が、俺の心臓を鷲掴みにする。彼らは、一度は売られた人間だ。金で取引された過去を持つ。その恨みが、いつか俺に向かって噴出するのではないか?


 俺は、彼らを解放した英雄として称えられるかもしれない。だが、その裏で、俺は彼らの信頼を永遠に買い続けることになり、常にその裏切りに怯える日常を送ることになる。もはや、安息の地などどこにもなくなる。


 奴隷解放権。その言葉が、まるで悪魔の囁きのように、俺の耳元で響いた。


 俺は、いまはそれを考えたくはなかった。俺はただ、静かにこの世界を生き抜きたかっただけだ。だが、アリアの提案は、俺に安穏な未来などないと突きつけている。


 俺の心の奥底で、何かが崩れていく音がした。それは、この世界でやっと手に入れた、俺だけの小さな平穏だった。そして俺は、その平穏を自ら手放す覚悟が、まだできていなかった。




貨幣の価値目安

大金貨 = 100万円

金貨 = 50万円

小金貨(5分の1金貨) = 10万円

大銀貨 = 5万円

銀貨 = 1万円

半銀貨 = 5千円

銅貨 = 1千円

銭貨 = 百円


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