南部戦争(5)
第一大隊の獰猛な突進、第二大隊の巧みな連携、そして遊撃魔道中隊の神速の奇襲。三つの部隊によって完璧に崩された敵の戦線に、ついに最後の号令が響き渡った。
「よし、全軍前進! 突撃だ!」
その声の主は、クレメンス子爵。彼は、自らも剣を抜き、先頭に立って駆け出した。彼に続くのは、各領地から集結した兵士たち。彼らの顔には、もはや敗北の影はなく、ただ勝利への確信と、故郷を取り戻すための燃え盛る情熱だけがあった。
ゼノクラシア王国軍の反撃が、ここに始まった。
戦場は、一瞬にして混沌の渦に巻き込まれた。アースガルド王国軍は、すでに統制を失い、完全に混乱していた。彼らは、なぜ目の前の敗残兵たちが、これほどの強さを発揮しているのか理解できず、ただ圧倒的な勢いに押し潰されていくしかなかった。
「退くな! 持ちこたえろ!」
敵の指揮官が叫ぶが、その声は味方の悲鳴にかき消される。ゼノクラシア王国軍の兵士たちは、一人ひとりが、自らの故郷の誇りをかけて戦っていた。彼らは、かつて略奪された町、奪われた家族、そして無残に命を落とした仲間たちのことを思い出し、その怒りを、剣の一振り一振りに込めた。
クレメンス子爵は、自らの剣で道を切り開きながら進む。彼の後ろには、かつての領地を失い、それでも立ち上がった者たちが続く。それは、単なる軍隊の進撃ではなかった。それは、滅びた王国の再生の行進だった。
アースガルド王国軍の戦線は、まるで脆いガラスのように崩れ去った。彼らは、まさかゼノクラシア王国が、これほどの反撃を見せるとは思っていなかった。彼らが頼みとしていた、圧倒的な物量と武装の優位性は、もはや意味をなさなかった。
夕暮れ時、戦場に響き渡るのは、ゼノクラシア王国軍の勝利の雄叫びだけだった。彼らは、失われた故郷を取り戻し、新たな歴史の第一歩を踏み出した。
クレメンス子爵は、血と泥にまみれながらも、静かに空を見上げた。そこには、夕焼けに染まる、美しいゼノクラシアの空が広がっていた。彼の顔には、安堵と、そしてこれから始まる、長く険しい道のりを予感させる、複雑な表情が浮かんでいた。
激戦の末、アースガルド王国とアルカディア王国の連合軍は、その兵力を激しく消耗し、旧王都グラヴィスの城壁内へと撤退していった。戦場は、もはやゼノクラシア王国軍の支配下にあり、勝利の雄叫びが夜空に響き渡っていた。
クレメンス子爵は、血と泥にまみれた兵士たちを率いて、旧王都の城壁を前にして、前線を再構築した。彼は、兵士たちに休憩を与え、負傷者の手当てを命じた。
「皆、よく戦った。今日は休むがいい。明日は、この戦いの最後の決着をつける」
兵士たちは、子爵の言葉に安堵の表情を見せた。彼らは、疲労困憊だったが、その目には、勝利への確信と、故郷を取り戻すという強い意志が宿っていた。
夜が深まり、戦場には静けさが戻ってきた。燃え盛る篝火が、兵士たちの疲れた顔を照らす。彼らは、食料を分け合い、互いの健闘を称え合った。その光景は、まるで長く辛い旅の終わりに、ようやく安らぎの場を見つけたようだった。
クレメンス子爵は、一人、静かに城壁を見上げていた。かつて、この城壁はゼノクラシア王国の誇りであり、強さの象徴だった。しかし、今は、敵に占領され、その威厳は失われていた。
「明日、すべてが終わる……」
彼は静かに呟いた。明日、この城壁を奪還すれば、ゼノクラシア王国は真の意味で再生する。しかし、もし失敗すれば、これまでの勝利はすべて無駄になり、二度と立ち上がることはできなくなるだろう。
彼は、今回の戦いで命を落とした兵士たちの顔を思い出した。彼らは、ゼノクラシア王国の未来を信じて、命を捧げた。その犠牲を無駄にはできない。
「必ず、取り戻す……」
クレメンス子爵は、強く拳を握りしめた。彼の心の中には、恐怖や迷いはなかった。ただ、故郷と、そこに住む人々を守るという、一つの使命だけがあった。
夜空には、無数の星が輝いていた。それは、明日への希望の光のように、彼らの行く道を照らしていた。
クレメンス子爵が兵士たちに休息を命じる数刻前、旧王都の城壁を越え、魔導の獣たちが侵入していた。それは、蒼龍と飛龍という二体のゴーレム、そしてスピーダーバイクを駆る遊撃魔道中隊、リア率いる精鋭部隊だった。彼らは、敵の疲弊を突き、大胆にも城内へと潜入し、奇襲攻撃を仕掛けたのだ。
旧王城内は、安息の場ではなく、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
蒼龍は、その巨体で王宮の廊下を突き進み、行く手を阻む敵兵を容赦なく叩き潰していく。竜の鱗を模した装甲は、敵の剣や槍をはね返し、その一歩一歩が、城の床を揺るがした。兵士たちは、この圧倒的な力の前になすすべもなく、ただ悲鳴を上げて逃げ惑うしかなかった。
「怪物だ! 化け物め!」
一人の兵士が叫ぶが、その声は蒼龍の拳によってかき消された。
一方、飛龍は、風のように城内を駆け巡り、敵の背後から襲いかかった。鳥の羽を模した軽量装甲は、狭い廊下でも自由自在に動き回り、風属性の刃が、敵兵の首筋を正確に狙っていく。敵は、どこから攻撃が来るのかわからず、同士討ちまで引き起こす始末だった。
遊撃魔道中隊は、スピーダーバイクの機動力を活かし、城内を縦横無尽に駆け巡った。彼らは、魔導銃から放たれる魔力弾で、敵の通信兵や指揮官を狙い撃ちにし、連合軍の混乱をさらに深めていった。
「王都は、すでに我々の手にある! 降伏しろ!」
リアの声が、魔力で増幅され、城内に響き渡る。その声は、恐怖に震える連合軍の兵士たちの心を、さらに打ち砕いた。
王宮の広間では、アースガルド軍の上級将校たちが、この突然の襲撃に慌てふためいていた。彼らは、ゼノクラシア王国軍を完全に打ち破ったと思っていた。まさか、敵がここまで大胆な行動に出るとは、夢にも思っていなかったのだ。
蒼龍と飛龍、そして遊撃魔道中隊による城内での破壊と殺戮は、ゼノクラシア王国軍の完全な勝利を確実なものとした。そして、夜が明けるころには、旧王都城壁には、アースガルド王国の雷の槌ではなく、ゼノクラシア王国の鷲の翼が、再び掲げられることとなった。
◆
夜が明け、太陽が東の空を照らし始めたその時、クレメンス子爵軍の兵士たちは、旧王都の城壁に信じられない光景を目にした。
「おい、あの旗は……!」
一人の兵士が震える声で叫ぶ。
アースガルド王国の雷の槌の旗は、もはやそこにはなかった。代わりに、朝日に照らされ、誇らしげに風になびいていたのは、ゼノクラシア王国の象徴である、鷲の翼を模した旗だった。
「ゼノクラシア王国の旗だ! クレメンス子爵に報告を!」
伝令の兵士が、急いで駆け出していく。その知らせは、瞬く間に全軍へと広がり、疲労困憊だった兵士たちは、一斉に歓喜の声を上げた。
クレメンス子爵は、報告を聞くと、静かに頷いた。彼は、昨夜の内に蒼龍、飛龍、そして遊撃魔道中隊が城内に侵入し、敵の指揮系統を完全に混乱させたことを知っていた。
「全軍、王都へ向かえ! ただし、武器は納め、戦闘態勢を解け!」
彼の命令は、兵士たちを驚かせた。しかし、誰もがその意図を理解していた。
王都へと向かう行進は、もはや戦いではなかった。それは、故郷へと帰還する英雄たちの凱旋だった。
城門が開け放たれ、クレメンス子爵軍が王都へと入っていく。街には、恐怖に怯えていた市民たちが姿を現し、彼らを熱狂的に迎えた。彼らは、わずか数週間前まで敵の支配下にあったとは思えないほど、晴れやかな顔をしていた。
王宮へと向かう道中、兵士たちは、武装を解き、恐怖に怯えていたアースガルド王国軍とアルカディア王国軍の残党に遭遇した。彼らは、武器を捨て、地面にひざまずき、降伏の意志を示していた。
クレメンス子爵は、彼らを無傷で捕虜とすることを命じ、略奪や暴力は一切行われなかった。
この日、旧王都は、一滴の血も流すことなく、ゼノクラシア王国へと取り戻された。
そして、王都の広場では、クレメンス子爵が市民と兵士たちに囲まれ、英雄として称えられた。彼の顔には、疲労と、そして安堵の表情が浮かんでいた。
「我々は、故郷を取り戻した。だが、これは始まりに過ぎない。王国を再建するために、我々はここから、新たな一歩を踏み出すのだ」
彼の言葉は、市民たちの心に深く響き、新たな時代への希望を灯した。
旧王都の城壁には、ゼノクラシア王国の旗が再び掲げられた。旧王都は、再びゼノクラシア王国の王都となった。しかし、その勝利の裏側では、戦争の残酷な現実が静かに進行していた。
蒼龍と飛龍、遊撃魔道中隊、そして追加投入された探索ゴーレムと魔道ゴーレムの大群、空挺輸送部隊による敵軍掃討作戦は、容赦なく進められていた。もはや軍隊としての体をなさなくなった連合軍の兵士たちは、武器を捨て、バラバラに離散し、ただ故郷を目指して逃げ惑う敗残兵と化していた。
「母さん……」
一人の若い兵士が、血の跡を道に残しながら森の中をさまよっていた。彼の鎧はボロボロで、傷口からは血が滲み出ている。彼は故郷にいる母親の顔を思い浮かべ、ただ一心に故郷を目指していた。しかし、彼の後ろからは、飛龍の冷たい魔導銃の音が、容赦なく響いてくる。
「くそっ、畜生!」
別の兵士が、怒りにまかせて空を睨む。彼の目の前で、仲間たちが、スピーダーバイクに乗った遊撃魔道中隊の魔力弾によって、次々と倒されていく。彼らは、なぜこんなことになったのか、なぜ自分たちがこんな悲惨な目に遭わなければならないのか、理解できなかった。
そして、蒼龍は、まるで嵐のように、逃げ惑う兵士たちの群れを追い詰めていく。その巨体から放たれる一撃は、大地を揺るがし、兵士たちの心を打ち砕いた。彼らは、もはや戦う気力すら失い、ただ泣きながら命乞いをするだけだった。
「やめてくれ! 頼む、もう戦えない!」
しかし、蒼龍に感情はなかった。それは、ただ与えられた任務を遂行する、冷徹な機械だった。
彼らは、故郷に帰ることは叶わなかった。故郷まであと一歩のところで力尽き、あるいは無情なゴーレムと魔導機によって命を落とした。彼らが信じていた「正義の戦い」は、ただの幻想に過ぎなかった。
戦争は、勝者と敗者を生み出す。勝者には栄光が与えられるが、敗者にはただ、絶望と死だけが待っている。この日、ゼノクラシア王国の空の下で、多くの命が散り、戦争の悲劇が再び繰り返されたのだった。
◆
旧王都が解放されたばかりの王宮の一室で、クレメンス子爵は戦後の処理に追われていた。そこへ、一人の伝令兵が駆け込んできた。彼の顔には、疲労の色よりも、喜びと安堵が浮かんでいた。
「申し上げます! ゼノクラシア王の第三王女、セレスティア様を確保しました!」
その言葉を聞いた瞬間、クレメンス子爵は、張り詰めていた緊張の糸が切れたかのように、椅子に深く腰を下ろした。彼は静かに目を閉じ、そして、安堵の息を漏らした。
「よくやった……」
その声は、震えていた。これまでの激戦、多くの犠牲、そして未来への不安。そのすべてが、この一報によって報われたのだ。
王宮の奥、薄暗い一室に案内されたクレメンス子爵は、そこに立つ一人の少女の姿を見た。彼女こそ、ゼノクラシア王国の第三王女、セレスティアだった。彼女の顔は、長い避難生活で疲弊していたが、その瞳には、ロイヤルファミリーの一員としての気高さが宿っていた。
「クレメンス子爵、ご苦労様でした」
セレスティア王女は、疲れているにもかかわらず、毅然とした態度で子爵を労った。彼女の言葉に、子爵はひざまずき、深く頭を下げた。
「陛下、ご無事で何よりです。これで、ゼノクラシア王国のロイヤルファミリーを復活させることができます」
子爵の言葉に、王女は静かに首を振った。
「いいえ、子爵。私がここにいるのは、ロイヤルファミリーを復活させるためではありません。あなたと、あなたの兵士たちが守った、この国と人々を、再び立ち上がらせるためです」
彼女の言葉は、子爵の胸に深く響いた。それは、王家の血筋を誇る傲慢な言葉ではなく、国民のために尽くすという、真の王族の覚悟が込められていた。
クレメンス子爵は、王女の言葉に、静かに涙を流した。彼は、この少女が、ゼノクラシア王国に、そして自らの軍隊に、新たな希望を与えてくれることを確信した。
ゼノクラシア王国は、滅亡の危機を乗り越え、今、新たな時代の夜明けを迎えようとしていた。その中心には、国民と共に戦い、そして再建を誓う、若き王女の姿があった。




