南部戦争(4)
旧王都とクレメンス子爵領の間には、不気味なほどの静寂が広がっていた。それは、嵐の前の静けさであり、互いの牙を研ぎ澄ます、張り詰めた時間だった。ゼノクラシア王国軍は、クレメンス子爵という新たな希望の旗の下に集結し、その数は日に日に膨れ上がっていった。
各地で敗走し、絶望に打ちひしがれていた兵士たちは、この空白の時間で、再び戦士としての誇りを取り戻していた。彼らは、もう二度と、故郷と家族を失うまいと誓った。クレメンス子爵は、彼らを鼓舞し、応援の部隊との打ち合わせを済ませた。兵士たちの顔つきは、もはや敗残兵のものではなく、強固な決意を秘めた戦士のそれへと変わっていた。
一方、旧王都を拠点とするアースガルド王国とアルカディア王国の連合軍もまた、補給線を立て直し、次の侵攻の準備を着々と進めていた。略奪と勝利の美酒に酔いしれていた彼らは、ゼノクラシア王国軍が再び立ち上がるとは夢にも思っていなかった。しかし、前線に立つ指揮官たちは、刻一刻と増大する敵の勢力に警戒を強めていた。
「どうやら、ゼノクラシアの残党どもは、まだ戦う気らしい」
アースガルド王国の将軍は、報告書を読みながら不敵に笑った。彼にとって、ゼノクラシア王国軍は、ただの敗残兵の集まりに過ぎなかった。しかし、その笑みの奥には、わずかながらも苛立ちが見え隠れしていた。彼らの計画は完璧なはずだった。なぜ、この期に及んで抵抗を続けるのか。
両軍の睨み合いは、まるで嵐の前の静けさのようだった。先に動くのはどちらか。その一歩が、この戦争の、そしてゼノクラシア王国の命運を決定づけることになるだろう。
そして、ついにその時は来た。
静寂を破ったのは、大地を揺るがすアースガルド王国の進軍の足音だった。彼らは、圧倒的な物量で、クレメンス子爵領へと向かってきた。今度こそ、ゼノクラシア王国の息の根を止めに来たのだ。
「全軍、迎撃準備!」
アリアの声が、張り詰めた空気の中、澄んだ鈴のように響き渡った。彼女は、ゼノクラシア王国軍の総司令官として、敵の進軍を目の前にしても、微動だにしない冷静さを保っていた。その姿は、兵士たちの不安を和らげ、信頼を呼び起こした。
彼女は、高く掲げた旗の下、一歩前に進み出た。
「皆の者、よく聞け!」
その声には、恐怖や興奮は一切なく、ただただ、確固たる意志だけが宿っていた。
「我々は一度、敗北した。故郷を奪われ、友を失い、絶望の淵をさまよった。だが、思い出せ。我々が、なぜ再びここに集まったのかを」
アリアは、兵士たちの顔を一人ひとり見渡した。そこには、かつての敗北の屈辱を胸に、再起を誓った男たちの顔があった。
「我々は、失った故郷を取り戻すために、そして、二度と誰にも、同じ悲劇を繰り返させないために、ここにいる。奴らは、我々を敗残兵だと思っている。だが、違う。我々は、一度死んだ者だ。失うものは何もない。ただ、取り戻すべきものがあるだけだ!」
彼女の言葉は、兵士たちの心に深く染み渡った。彼らは、もはや恐怖を感じていなかった。ただ、目の前の敵を打ち破り、この土地に平和を取り戻すという、ただ一つの目的のために燃え上がっていた。
「勝利は、勇気ある者にのみ訪れる。さあ、ゼノクラシアの誇りにかけて、奴らに我々の真の力を見せてやろうではないか!」
アリアはそう叫ぶと、剣を抜き、空高く掲げた。その剣先が、太陽の光を反射して輝く。その光は、兵士たちの目に、希望の光として映った。
兵士たちの雄叫びが、大地を揺るがす。それは、アースガルド王国の進軍の足音をかき消すほどの、力強い、再起の狼煙だった。
◆
大地を揺るがすアースガルド王国の進軍の足音を、クレメンス子爵領の兵士たちは固唾を飲んで見守っていた。敵の圧倒的な物量と、完璧な統率力。それは、一度敗北を喫したゼノクラシア王国軍にとって、拭いきれないトラウマだった。しかし、彼らの最前線には、ただ二体の人影が立っていた。
蒼龍と飛龍
蒼龍は、竜の鱗を模した黒い装甲を身に纏い、その巨体はまるで岩壁のようだった。飛龍は、鳥の羽を模した白い軽量装甲を纏い、風のように軽やかに揺れていた。総司令官アリアの護衛用ゴーレムだ。
「あれはなんだ……?」
アースガルド軍の兵士が、不気味な二体の姿に戸惑いの声を上げる。その問いに答える暇もなく、蒼龍が動いた。その一歩は、大地を揺るがすほどの重みがあり、その拳から放たれた衝撃波は、敵の先頭部隊を粉々に吹き飛ばした。竜の鱗を模した特殊装甲は、敵の矢や魔法を弾き返し、最高純度のマナ結晶から放たれる圧倒的な魔力は、一騎当千の力を示した。
一方、飛龍は、風のように戦場を駆け巡っていた。鳥の羽を模した軽量装甲は、敵の攻撃を巧みにかわし、風属性のマナ結晶から放たれる刃のような突風は、敵兵を次々と切り裂いていく。蒼龍が正面から敵の物量を受け止める盾ならば、飛龍は、敵の陣形をかき乱す、鋭い刃だった。
二体のゴーレムの活躍は、戦場の様相を一変させた。アースガルド王国の兵士たちは、人間離れしたその力に恐怖し、まともな攻撃を加えることさえできなくなっていた。彼らが頼みとする物量も、統率も、二体の竜の前では無意味だった。
「ひるむな! かかれ!」
アースガルド軍の指揮官が叫び、必死に兵を鼓舞しようとする。だが、その声が響き終わる前に、飛龍が宙を舞い、指揮官の首を打ち落とした。
指揮官を失ったアースガルド軍は、統制を失い、我先にと逃げ始めた。彼らは、目の前の二体の竜が、もはや人間が戦うべき相手ではないことを悟っていたのだ。
ゼノクラシア王国軍は、その信じられない光景を、ただ呆然と見つめていた。そして、やがて歓声が上がり、彼らの目に、完全な勝利の光が宿った。
蒼龍と飛龍という二体のゴーレムが敵の進軍を食い止めた後、戦場に静寂が訪れるかと思われたその時、ゼノクラシア王国軍の陣地から、一つの荒々しい声が響き渡った。
「よし、ようやく出番だ。第一大隊出撃! 蹴散らせ!!」
その声の主は、蒼龍飛龍の右翼に展開する第一大隊長ザック。歴戦の傷が刻まれた顔には、獰猛な笑みが浮かんでいた。
「うおおおおお!」
ザックの号令とともに、第一大隊は、怒涛の勢いで前線へと向かった。彼らの足音は、大地を揺るがし、その咆哮は、アースガルド軍の残党に恐怖を植え付けた。
「あのゴーレムではない!人間が相手だ!臆するな!」
敵の指揮官が必死に叫ぶが、その言葉はもはや届かなかった。ザックは、手に持つ大剣を振り回し、敵兵の密集した隊列へと突進していく。その一撃は、重装甲の敵兵さえも吹き飛ばすほどの凄まじい破壊力を持っていた。
先頭を切る大隊長の躍動に、大隊の兵士たちが呼応する。彼らは、敵兵一人ひとりに、猛攻を仕掛けていく。剣と盾がぶつかり合う激しい金属音、悲鳴、そして怒号。戦場は、一瞬にして地獄へと変貌した。
ザックは、敵の隊列を切り裂き、まるで嵐の中心にいるかのように、敵兵を次々と薙ぎ倒していく。彼の背後では、大隊の兵士たちが、まるで一つの生き物のように連携し、敵を圧倒していった。
アースガルド軍の兵士たちは、二体のゴーレムによって統制を失ったばかりか、今度は、過去に彼らが打ち破ったはずのゼノクラシア王国軍に、圧倒的な強さで打ちのめされていた。彼らは、なぜ目の前の兵士たちが、これほどの力を発揮しているのか理解できなかった。
「退け! 退けええ!」
敵の指揮官が叫ぶ。それは、アースガルド軍の兵士が初めて発する、恐怖に満ちた叫びだった。
第一大隊は、敵の敗走を許さなかった。彼らは、徹底的に敵を追い詰め、第一大隊と敵対する恐怖を味わわせていた。
第一大隊長ザックの荒々しい咆哮が戦場にこだまする中、蒼龍と飛龍が守るゼノクラシア王国軍の左翼から、もう一つの声が響き渡った。
「よし、第二大隊出撃! 蹴散らせ!!」
その声の主は、第二大隊長ライアス。彼らは、アースガルド軍の右翼、つまり飛龍の背後へと回り込み、風のように軽やかに、しかし確実に敵の側面を衝くべく進軍した。
「右翼を固めろ! 敵の増援だ!」
アースガルド軍の指揮官が叫ぶが、ライアスはすでにその裏を読んでいた。彼は部隊を小分けにし、まるで千の矢が飛ぶかのように、多方向から一斉に敵へと襲いかかった。第二大隊の兵士たちは、飛龍が作り出した混乱を利用し、敵の指揮系統を寸断していく。
「連携を乱すな!」
ライアスは剣を振るい、敵の旗持ちを打ち倒した。旗を失った部隊は、指示を仰ぐことができず、たちまち混乱に陥る。
「我々は、風だ! 敵の隙を突き、嵐のように駆け抜けろ!」
ライアスの言葉に、兵士たちは呼応した。彼らは、敵が持つ圧倒的な物量には正面から対抗せず、その弱点である統率力の欠如を徹底的に突いた。飛龍が巻き起こす突風が敵の視界を遮る中、第二大隊は巧みに敵の背後に回り込み、次々と指揮官や伝令兵を狙い撃ちにした。
戦場は、まるで巨大なパズルが崩れていくかのように、徐々にその形を失っていく。第一大隊が正面から敵の戦意を打ち砕き、第二大隊が側面から敵の統率を破壊していく。両大隊の連携は、まるでゼノクラシア王国の双剣そのものだった。
ライアスは、敵の指揮官が倒れるのを見て、静かに頷いた。彼の顔には、ただ勝利を確信した、冷静な眼差しがあった。
「我々の勝利だ……」
その言葉は、風に乗って戦場全体に広がり、ゼノクラシア王国軍の兵士たちの士気をさらに高めた。第二大隊の活躍は、ゼノクラシア王国の反撃が、もはや単なる幸運ではないことを証明していた。それは、知略と連携、そして絶望を乗り越えた強固な意志がもたらした、必然の勝利だった。
第一大隊が正面から敵を粉砕し、第二大隊が側面から統率を乱す。その完璧な連携に、アースガルド軍はすでに混乱の極みにあった。しかし、ゼノクラシア王国軍の攻撃はまだ終わらない。戦場に、第三の号令が響き渡った。
「よし、遊撃魔道中隊出撃! 王城をめざせ!」
その声の主は、遊撃魔道中隊長リア。彼女の部隊は、他の大隊とは異なり、スピーダーバイクという最新鋭の魔導機に乗っていた。風属性の魔力で駆動するこの乗り物は、地面から数フィート浮き上がり、信じられないほどの速度で戦場を疾走する。
「敵の指揮官を狙い撃て! 奴らに、休む暇など与えるな!」
リアの命令とともに、遊撃魔道中隊は、戦場の端を滑るように駆け抜けた。彼らは、敵の視界の外から現れ、アースガルド軍の背後へと回り込んでいく。アースガルド軍は、前線での激戦に気を取られ、まさか敵が後方から現れるとは夢にも思っていなかった。
「何だあれは!?」
敵兵が驚きの声を上げる。スピーダーバイクに乗った遊撃魔道中隊は、まるで幽霊のように敵の補給部隊や伝令兵を襲った。彼らは、風のように現れ、魔導銃から放たれる魔力の弾丸で敵を無力化し、一瞬のうちに姿を消す。
リアは、先頭を走りながら、自らの魔力を解放した。彼女の剣から放たれる雷撃は、敵の魔導兵器を破壊し、その電撃は、敵兵を麻痺させた。
「敵は、我々の戦術を理解できていない。このまま一気に、王城を占領した敵の指揮官を討つ!」
遊撃魔道中隊は、第一、第二大隊の奮戦によって開いた道を進み、旧王都へと向かった。彼らの任務は、敵の司令部を混乱させ、ゼノクラシア王国軍の完全な勝利を確実なものにすることだった。
旧王都へと続く街道を、スピーダーバイクの群れが駆け抜けていく。それは、魔導と技術が融合した、新たな時代の戦術だった。彼らは、かつてゼノクラシア王国を滅亡へと追いやった、情報の遅れと油断を、今、最新の技術と知略で塗り替えようとしていた。
「よし、全軍前進!突撃だ!」
満を持して、クレメンス子爵の激が飛ぶ。
戦場に、ゼノクラシア王国軍の雄叫びが響き渡る。それは、屈辱を乗り越え、再び立ち上がった者たちの、誇り高き咆哮だった。




