貴族の顧客
エト村での幸運な成功を足掛かりに、バルザックはグランデルの町中に新たな商会の扉を開いた。その商会の名は、今や貴族たちを苛立たせる存在となっていた。不良在庫の山を、莫大な金貨の山へと変貌させたバルザックは、惜しみなくその資金を注ぎ込み、次々と優秀な人材を雇い入れていった。
彼の特異な成功は、当然のように貴族たちの嫉妬を招いた。彼らは、これまでの新興勢力を潰すためのあらゆる手段を講じた。
特許状を操作し、不当な税金を課そうとした。だが、バルザックが雇い入れた優秀な法律家たちは、貴族の理不尽な訴えをことごとく退けた。莫大な資金は、法廷という舞台で貴族の権力を無力化させた。
噂やデマを広め、「彼の富は不当な手段で得られた」と社交界で囁かせた。しかし、バルザックはそれ以上の富を慈善事業に投じ、貧しい市民たちにパンや職を提供し続けた。市民たちは、貴族の言葉よりも、自分たちの生活を豊かにしてくれるバルザックの存在を信用した。
そして、最も直接的な手段である物理的な攻撃。貴族は、彼の商隊を襲わせるために盗賊や傭兵を雇った。だが、バルザックは“得体のしれない怪物”から提供された、特殊なスキルを持つ奴隷たちを護衛として雇っていた。彼らの精鋭は、襲い来る刺客たちを次々と返り討ちにし、貴族の試みはことごとく失敗に終わった。
すべての妨害が失敗に終わった後、貴族たちは沈黙した。彼らの権威と、その権威を支えてきた手段が、バルザックが持つ莫大な金貨の前に、もはや通用しないことを思い知らされたのだ。
バルザックは、窓の外に広がるグランデルの町並みを眺めながら、静かにグラスを傾けた。グラスの中の琥珀色の液体は、彼が故郷の村では決して手にすることができなかったブランデー。その輝きは、古い時代の終わりと、新しい時代の始まりを告げているようだった。
◆
ゼノクラシア王国の王都の南側に広がる広大な領地を治めるカーライル伯爵家。その領都に拠点を構えるリオウ商会は、地域特産品を活かした貿易で莫大な富を築き上げていました。
彼らの成功の鍵は、豊穣な小麦畑、ブドウ畑、オリーブ畑から生まれる豊富な農産物でした。これを主要な輸出品として、彼らは東のアースガルド王国と貿易を行います。アースガルド王国からは、鉄鋼、鉱石、武器、木材といった軍事・工業に不可欠な物資を仕入れました。
さらに、彼らはその仕入れた物資の一部を、南東のアルカディア王国へと転売します。アルカディア王国は南国の産品や、珍しい香辛料の貿易地でした。また。紅茶葉の名産地でした。この一連の取引、つまり三角貿易を成功させたことで、リオウ商会は莫大な利益を上げ、その財力をカーライル伯爵家の勢力拡大に大きく貢献させていたのです。
このように、リオウ商会は単なる商人ではなく、カーライル伯爵家の経済と軍事を支える重要な存在として、この世界のパワーバランスに影響を与えていました。
南に広がる豊穣な領地は、カーライル伯爵家の強大さの証だった。黄金色に波打つ小麦畑、太陽の光を浴びて輝くブドウ畑。そのすべてが、リオウ商会の大番頭バレンタインの傲慢な笑みを支えていた。
「ふん、北部の小賢しい商人が何をしているというのか」
そう言い放つ彼の声には、侮蔑がにじんでいた。卓上には、ゼノクラシア王国でも最高級とされるワインが並んでいる。東のアースガルド王国との三角貿易によって手に入れた、鉄鋼、鉱石、剣や盾。そして、アルカディア王国の紅茶葉。それらがカーライル伯爵家の財力と武力を支えていた。バルザックが持ち込むような、見慣れない酒や小麦、牛の肉など、彼にとっては取るに足らないものだった。
「われらの剣を、盾を打ち破る武器を扱っているとでも言うのか?」
バレンタインは嘲笑を隠そうともしなかった。彼の脳裏に浮かぶのは、北部の薄汚れた村で小銭を稼ぐ商人の姿だ。リオウ商会が扱うのは、国家の根幹を揺るがすほどの価値を持つ品々だ。その規模と権威の前では、どんな新興勢力も泡沫のように消え去るだろうと、彼は信じて疑わなかった。
「小麦?牛の肉?好きにさせておけ」
その言葉は、彼らの絶対的な優位性を確信しているからこそ出てくるものだった。リオウ商会は、バルザックを「出る杭」と認識することすらしていなかった。
◆
秋風がゼノクラシア王国の穀倉地帯を駆け抜けていく。東西南北、すべての畑が黄金色に染まり、農民たちの顔に笑みが浮かんでいた。例年、厳しい寒さに収穫が限られていた北部でさえ、この年は豊かな恵みを受けていた。
豊作は、巡り巡って商人の懐を潤し、やがて領都の税収を一段階押し上げた。だが、施政者である貴族たちは、その恩恵だけでは飽き足らなかった。彼らの貪欲さは、際限を知らない。
「もっとだ。もっと搾り取らねば」
グランデルに住む子爵代理人ハーマンは、好景気に沸くエト村に目をつけた。この新興の町を、自分たちの支配下に置く時が来たと確信していた。
「エト村の代官は、エルランを派遣する。奴ならば、あの生意気な商人から、確実に税を徴収するだろう」
ハーマンはそう決めた。エルランは、領主の代理として遠隔地の統治や税の徴収、治安維持といった実務を担う代官の中でも、特に冷徹で優秀な男だった。彼の派遣は、単なる増税以上の意味を持っていた。
エト村の繁栄は、バルザックの商売によってもたらされたもの。ハーマンは、その利益の源泉を直接的に支配し、自分たちのものにしようと企んでいたのだ。
エルランの馬車が、埃を巻き上げてエト村へと向かう。その馬車の先に、バルザックは静かな戦いの予感を覚えていた。貴族の牙が、ついに剥き出しになったのだ。この男は、交渉の余地なく、力ずくで自分を支配しようとするだろう。
◆
「ふむ、見事だな」
ストーンゲート男爵は、妻である男爵夫人の腰に下がる、深みのあるワインレッドのポーチを手に取って眺めた。細部まで行き届いた職人技が、彼の目を釘付けにした。
「そうでしょう。グランデルのバルザック商会の特別あつらえ品よ。それも、生後六ヶ月の子牛の革、カーフスキンのフルグレインレザー。この王国でこのわたくしだけが所有している優れ物よ」
夫人は、誇らしげに胸を張った。それは単なる自慢ではなく、このポーチが持つ物語の特別さを共有したいという、純粋な喜びからだった。
男爵は、ポーチの細かな金具に目を凝らした。
「このひねり金具の閉じ具合は、最高じゃないか。名のある鍛冶師の金型に違いない。」
「そうなのよ。純金ではなくて強度を保つために金合金を使用していると説明をうけたけど、純金とまったく遜色のない輝きだわ。」
夫人の言葉に、男爵の心は動いた。彼は、このポーチの持つ美しさと実用性が両立していることに、深い感銘を受けていた。革製品の職人技もさることながら、この金具を打った鍛冶師の腕は、ただ者ではない。
「この職人なら、耐久性と切れ味を両立する剣を打てるかもしれない。」
男爵は、そうつぶやくと、妻に視線を戻した。
「グランデルのバルザック商会と言ったか」
「さようです、旦那様」
「そこに剣と盾の注文をしたい。行ってくれるか?」
男爵の言葉に、夫人は喜んで頷いた。
「喜んで」
彼女は、このポーチがもたらした新たな物語の始まりに、胸を躍らせていた。それは、パン屋から始まり、革職人、そして今、武器の職人へと広がっていく。そして、この物語は、男爵の武術への情熱と結びつき、さらに壮大な展開を迎えることとなる。
ゼノクラシア王国――その王都は、東西南北を四つの名家によって守護されている。西を治めるのは、武勇に名高いヴォルガスト伯爵家だ。ストーンゲート男爵は、そのヴォルガスト伯爵家一族に連なる男爵で、西の大山脈に接する領地を預かり、その大山脈から降りてくる魔物の迎撃を賜っていた。
ヴォルガスト伯爵家一族は、武勇に名高い家臣が揃っているが、中でもストーンゲート男爵は、ひとつ抜きんでていた。
そのため、彼の部隊の武器防具の損耗が激しい。東のアースガルド王国の鍛冶技術、武具には定評があるが、この地までは届かない。
ストーンゲート男爵は、ゼノクラシア王国の西方を守る、ヴォルガスト伯爵家の中でも特に優れた武人として知られていた。彼の率いる部隊は、西の大山脈から絶え間なく降りてくる魔物と日々激戦を繰り広げ、その武功は王都にも轟いていた。
しかし、その武勇は同時に、大きな課題をもたらしていた。
激しい戦闘は、彼の部隊が使用する武器や防具の損耗を極めて激しいものにしていたのだ。一般的な武器や防具では、彼らの戦いには耐えられず、すぐに使い物にならなくなる。
東の大国、アースガルド王国の鍛冶技術と武具の質は、大陸中にその名が知れ渡っている。しかし、地理的な隔たりと流通の問題から、その優れた武具がゼノクラシア王国の西の果て、ストーンゲート男爵の領地まで届くことはなかった。
「このままでは、兵士たちの命が危ない…」
男爵は、日増しに募る不安に頭を悩ませていた。
そんな時、妻が手にしたあのポーチが、彼の目に留まったのだ。
「この職人なら、耐久性と切れ味を両立する剣を打てるかもしれない」
あの小さなポーチの金具に込められた、卓越した技術。それは、単なる装飾品ではなく、実戦に耐えうる武具を生み出す可能性を秘めていた。
ストーンゲート男爵は、妻にバルザック商会への訪問を依頼した。彼の心は、アースガルドの武具に匹敵する、いや、それを超えるような武具を、この国の職人の手で手に入れることができるかもしれないという、新たな希望に燃えていた。
◆
ストーンゲート男爵夫人の乗る馬車は、グランデルの町一番のにぎわいを見せる中央通りで止まった。沿道に軒を連ねる賑やかな商店街の喧騒から一歩離れた場所に、ひときわ荘厳な佇まいを誇る建物があった。
それが、グランデルのバルザック商会本店だ。
重厚な石造りの壁は、時を経た歴史を感じさせ、柱や窓枠に施された精緻な彫刻は、まるで王都の宮殿のようだった。クラシック様式で統一されたその外観は、すれ違う人々に威厳と格式を物語る。しかし、ただ重々しいだけではない。磨き上げられた真鍮のドアノブや、窓辺にさりげなく飾られた季節の花々が、荘厳さの中にも洗練されたおしゃれな雰囲気を漂わせていた。
「素晴らしい…」
馬車を降りた夫人は、思わず感嘆の息を漏らした。あのポーチの持つ圧倒的な品質は、この建物のたたずまいそのものに宿っていたのだと、今、改めて納得した。この場所が、単なる革製品の工房ではなく、熟練の職人が集い、芸術品を生み出す殿堂なのだと、言葉なくして雄弁に語っていた。
夫人は胸を張り、高鳴る鼓動を抑えながら、重厚な扉へと向かった。
「これは、ストーンゲート男爵夫人。ようこそお越しくださいました」
重厚な正門が開かれ、制服を着たドアマンが恭しく夫人を出迎えた。彼の案内で、磨き上げられた大理石の床を歩き、貴賓応接室へと招かれる。
部屋の扉が開くと、そこにいたのは、あのポーチを腰につけた若い女性販売員だった。彼女の腰元で、パン屋のロゴが入った白いポーチが静かに存在感を放っている。しかし、それ以上に夫人の目を引いたのは、彼女の手中にあった、見たこともないデザインのバッグだった。
それは、まるで工芸品のように繊細で、しかし同時に実用的な強さを感じさせる、不思議な魅力を放っていた。革のなめらかな曲線と、金属のシャープな輝きが完璧な調和をなしている。
「ようこそ、ストーンゲート男爵夫人。私が、こちらの応対をさせていただきます」
女性販売員は、優雅な所作で一礼した。彼女の顔には、ポーチを身につけたパン屋の従業員たちと同じ、仕事への誇りと、自信に満ちた輝きがあった。
夫人は、そのバッグに目を奪われながらも、落ち着いた声で尋ねた。
「そのバッグは…? バルザック商会の新作かしら?」
「はい。こちらは、私たちがこの度、新しく開発した『ミョルニル』シリーズのサンプルでございます。まだ、公には発表しておりません」
女性販売員は、そう言ってにこやかに微笑んだ。彼女は、このバッグがただの新作ではないことを、その表情で語っていた。それは、パン屋のポーチがもたらした、新たな物語の結晶だった。




