斥候とこの大陸の地図(西)
エト町が属するこの王国の名前は、ゼノクラシア王国――その王都は、東西南北を四つの名家によって守護されている。西を治めるのは、武勇に名高いヴォルガスト伯爵家。南の豊かな大地を領するのは、富と権力を持つカーライル伯爵家。東の広大な平原を統べるのは、古き血筋を誇るオルドヴァン伯爵家。そして北の峻厳な地を治めるのは、忠誠心篤きクレメンス子爵家だ。彼ら四家が、王国の柱として、それぞれの領地を治めている。
四大伯爵家の領地には、彼らの権威を象徴するように、いくつもの衛星都市が築かれている。そして、それらの都市には、それぞれの一族に連なる子爵や男爵たちが治める領地があり、豊かな実りをもたらす広大な農村が広がっていた。
エト町は、もともとゼノクラシア王国最北端の寒村に過ぎなかった。北のクレメンス子爵家の代理人であるハーマンが治めるグランデルのさらに北、険しい北の大山脈の麓に位置する、いわば王国の最果ての地である。
ゼノクラシア王国の周囲には、強大な隣国が控えている。西の大山脈を隔てた先には、グランベール王国が広がり、南東部にはアルカディア王国が覇を競う。さらに、東の大山脈の向こうにはアースガルド王国が勢力を誇っていた。ゼノクラシア王国の南西部は、唯一海に面した領地であり、そこには活気あふれる唯一の港町サンライズベイが位置している。カーライル伯爵家の領地だ。
西の大山脈は、その北先端を北の大山脈に閉ざされ、南の先端は、徐々に広がりをみせ、途中で肥沃な平野へと姿を変えている。その平野を二分するように河川が流れ、東岸はゼノクラシア王国が、西岸はグランベール王国が治めている。
東の大山脈は、その北先端を北の大山脈に閉ざされ、合流部分からは大河が流れて、ゼノクラシア王国の東側をとうとうと流れている。南の先端は、徐々に広がりをみせ、途中で肥沃な平野へと姿を変えている。その平野を二分するように河川が流れ、扇状地にはアルカディア王国が南の海岸線まで統治している。アルカディア王国は、東にアースガルド王国と国境を接し、西にゼノクラシア王国と国境を接している。東の大山脈の西の麓には、大森林地帯が広がっている。東の麓には、アースガルド王国がある。
北の大山脈は、東海岸から西海岸まで伸び、東の大山脈と西の大山脈を遮り、この大陸を南北に分断する大山脈である。
エト町がエト村だったころ、俺は、グランデルのバルザックから一番初めに引き取った奴隷たちを仮拠点へと連れて行った。まだ仮拠点が洞窟だったころの話だ。
彼らの持つスキルや能力を見極め、それぞれの役割を与えていった。
まず、元冒険者は62人。彼らを二つの大隊に分け、第一大隊は元冒険者のザックに、第二大隊はライアスに任せた。彼らには、周辺の森の探索、情報収集、そして拠点の護衛と防衛を担ってもらう。
次に、魔法使いは10人。彼らは一つの中隊としてまとめ、経験豊富な冒険者であるリアを隊長に据えた。
斥候は3名。領土の地図作成や情報収集という重要な任務を彼らに託す。そして、鍛冶師や職人の4名には、拠点内で使う道具や武器の生産を任せることにした。しかし、その後この4人の仕事は技術担当ゴーレムから奪われることとなり、4名とも通信兵として、第一、第二大隊へと派遣された。
◆
御屋形さまの指令室は、いつにも増して静謐な空気に満ちていた。磨き上げられた床板に、西日が一筋の光となって差し込み、重厚な木製の机と、そこに座す御屋形さまの影を長く引き伸ばしている。室内に響くのは、ただ静かな呼吸音のみ。御屋形さまは、机いっぱいに広げられた古めかしい羊皮紙の地図を、じっと、微動だにせず見つめていた。その瞳は、遥か彼方の土地を見通しているかのようだ。
その静寂を破ったのは、低く、しかし凛とした声だった。
「御屋形さま、斥候担当のヴァルター、参上いたしました」
扉が開く音もなく、いつの間にかヴァルターはそこに立っていた。足音ひとつ立てないその身のこなしこそ、彼が優れた斥候である何よりの証だ。
御屋形さまは、地図から視線を上げることなく、静かに言った。
「よく来た、ヴァルター。そこに座りなさい」
ヴァルターは無言で、しかし恭しく御屋形さまの向かいに腰を下ろす。御屋形さまは、地図の隣に重ねて置かれた、別の羊皮紙を指し示した。
「指令だ。本日より、我らの領地の周囲の土地、国家、武装勢力、そしてその武力について調査、報告してもらいたい。ヴァルターの受け持ち区域は、この仮拠点から西側だ」
簡潔にして、明確な命令。それは、新たな領地の未来を切り拓くための、最初の一歩となるものだった。ヴァルターは言葉を返すことなく、その命令を深く胸に刻み込んだ。
「北の大山脈があるだろう。その麓に沿って西へ進んでくれ。そうすれば、やがて西の大山脈に突き当たるはずだ。そこから南へ下っていけば、おそらくオルドヴィスの西にあるストーンゲート男爵領地に行き着くことになるだろう」
御屋形さまは、古めかしい羊皮紙の地図を指でなぞりながら、行き先を丁寧に指示していく。
御屋形さまの指は、古めかしい羊皮紙の地図の上を滑らかになぞっていく。北の大山脈の麓から西へ、やがて西の大山脈に突き当たり、そこから南へ下っていく航路を示すように。
「そこからは、西の大山脈に沿って、ひたすら南へ進め」
御屋形さまの声が、静かな室内に響く。
「南の海洋に出たら、そこから西の大山脈を越えて、さらに西の果ての大地に何があるのかを、この目で確かめてきてほしい」
地図の端に描かれた、ほとんど空白の領域を指し示しながら、御屋形さまは静かに付け加えた。それは、単なる偵察ではなく、未開の地への探検を命じる、壮大で危険な指令だった。ヴァルターは、その言葉の重みを理解し、静かに深く頷いた。
御屋形さまは、ヴァルターの視線に応えるように、言葉を続けた。
「物資の輸送や技術面でのサポートは、技術担当ゴーレムに確認してくれ。あいつなら、お前が必要とするものを用意してくれるだろう」
その言葉は、単なる事務的な連絡というより、ヴァルターの任務を円滑に進めるための確固たる配慮が感じられた。
そして、御屋形さまは最後に、静かに、しかし厳格な口調で締めくくった。
「準備ができ次第、出発だ。定期的な報告を怠るな」
ヴァルターは、その言葉を背筋を伸ばして受け止めた。しかし、御屋形さまの表情が、その口調とは裏腹に、わずかに柔らかくなったように見えた。
「そして、一番大事なことは――命、大事に」
その言葉は、主君としての命令ではなく、まるで肉親が旅立つ者にかけるような、温かく、そして切実な響きを持っていた。ヴァルターは、その言葉の真意を悟り、深く、深く頭を垂れた。
ヴァルターの調査の足となるのは、最新鋭のスピーダーバイクだった。大地を蹴るように疾走するその機体には、すでに二つのゴーレムがスタンバイしている。
一体は探索ゴーレム。もう一体は、御屋形さまの言葉にあった、技術担当ゴーレムから派遣された地図作成ゴーレムだった。地図作成ゴーレムは、その名の通り、周囲の地形を正確に測定し、詳細な地図をリアルタイムで作り上げていく。
ヴァルターは、その正確無比な地図作成をゴーレムに任せることで、最も重要な任務に集中できる。すなわち、道中で遭遇する国家、武装勢力、そして彼らの持つ武力を見極めるという、自身の斥候としての真価が問われる任務だ。
物資を積み込み、機体の最終チェックを終えたヴァルターは、静かにスピーダーバイクのエンジンを始動させた。唸りを上げるエンジンの音だけが、出発の時を告げている。
◆
西地区担当の斥候ヴァルターが最初に向かったのは、拠点からほど近い北の大山脈の麓だった。そこに達してからは進路を西へと変え、北と西の大山脈がぶつかり合う地点を目指す。
その道中、彼の視界にはヴォルガスト伯爵家の北地区に位置するストーンゲート男爵領の衛星農村の一つが飛び込んできた。豊かな実りを持つ畑が広がる、穏やかな光景だ。しかし、ヴァルターは足を止めることなく、さらに南へ進路を取った。
西の大山脈の麓に沿って南下し続けると、別の衛星農村の横を通り過ぎる。このあたりは魔物の出没地域として知られ、ストーンゲート男爵軍がその撃退に従事している姿が確認できた。彼らの主な武器は剣と盾で、魔法の光は見当たらない。
ヴァルターはスピーダーバイクの速度をわずかに落とし、その様子を注意深く観察した。戦闘力、武器、そして彼らが抱える問題。これらの情報は、後に大きな意味を持つことになるだろう。
南への進路をとり、スピーダーバイクのエンジン音を響かせながら進むうち、ついに西の大山脈の終わりが見えてきた。その峻厳な稜線は、まるで力尽きたかのように次第になだらかになり、やがて視界から消えていく。この広大な平野は、きっと南の豊かな大地を領するカーライル伯爵家の範疇なのだろう。
大山脈の末端から、煌めく帯のように南の海岸線へと注ぐストームパイク河。その両岸に広がるのは、黄金色に染まる広大な小麦畑だった。北部の農村地帯で多く見られたライ麦やオーツ麦とは異なり、この地は小麦が主役だ。風に揺れる穂が、どこまでも続く絨毯のように波打っている。ところどころには、太陽の光を浴びて艶やかに輝くオリーブや、たわわに実ったブドウの畑も姿を見せる。
ヴァルターはスピーダーバイクの速度を落とし、その風景をじっくりと観察した。気候の違い、土壌の豊かさ、そしてそれらがもたらす作物の変化。これらの情報は、王国の経済力や食糧事情を推測する上で、重要な手がかりとなるだろう。彼は、ただ景色を眺めているのではない。この地の持つ潜在的な力を、その目に焼き付けていた。
ヴァルターは、スピーダーバイクのエンジンを低く唸らせながら、ストームパイク河を東へと渡った。眼前に広がるのは、ゼノクラシア王国側と変わらぬ、黄金色に波打つ広大な小麦畑だ。しかし、彼が進路を北西へと変えるにつれて、風景は一変した。緑豊かな平野は終わりを告げ、代わりに乾いた大地が広がり、ごつごつとした岩肌が荒々しく露出している。
そんな乾燥した道を行く中、彼の目に留まったのは、一台の大型キャラバン隊だった。重厚な荷馬車が何台も連なり、その周囲を警戒するように、冒険者らしき者たちが護衛にあたっている。彼らの装備は、やはり剣や槍が主体で、その身のこなしには歴戦の経験が滲み出ていた。
だが、その中にあって、一際目を引く存在がいた。簡素なローブを身につけた、魔法使いらしき人物だ。彼らの存在は、このグランベール王国が、単なる武力だけでなく、魔法の力をも戦略的に活用している可能性を示唆していた。ヴァルターは、その光景を慎重に記録しながら、さらに奥地へと進んでいった。
砂漠地帯を抜け、ヴァルターの目に飛び込んできたのは、再び広大な田園地帯だった。ただし、そこは小麦ではなく、乾いた気候に強いライ麦やオーツ麦の畑、あるいは豆類がどこまでも広がっている。
この地域に入ると、彼は頻繁に騎兵の姿を目にするようになった。長く鋭い槍を構えた槍騎兵、あるいは長弓を携えた長弓騎兵が、軽快に馬を駆っている。その姿は、この地の気候が馬の飼育に適していることを示唆していた。彼らは、この厳しい自然環境を、機動力を活かした戦術で克服しているのだろう。
ヴァルターはさらに北へと進路を取った。景色は再び一変し、今度はオーツ麦すら育たないような鬱蒼とした森林地帯が広がる。人の気配は全くなく、あたりに響くのは風の音と、彼のスピーダーバイクのエンジン音だけだ。
「まもなく、北の大山脈の麓となるのだろう」
彼は心の中でそう呟いた。この人里離れた森を抜けた先に、壮大な山脈がそびえていることを知っている。それは、彼の旅が折り返しに近づいていることを意味していた。
グランベール王国領に入ってから、ヴァルターの旅路は一変した。定期的に空から現れる高速な空挺輸送機が、彼の補給を担うようになったのだ。それまでの旅とは比べ物にならないほど、機材はもちろん、食事の質までが向上し、快適な旅路となった。
最も大きな変化は、通信環境の改善だ。ほぼリアルタイムで仮拠点に情報を届けることができるようになり、ヴァルターは安心して任務に集中できた。さらに、スピーダーバイクの武装も一段と強化され、今後遭遇するであろう北部の魔物に対しても、不安はなくなった。
北の大山脈に突き当たり、ヴァルターは進路を西へと変え、海岸線を目指した。やがて、彼の目に飛び込んできたのは、ひっそりと佇む寂れた漁村だった。
村人たちは近海で細々と漁業を営み、かろうじて生計を立てているようだ。しかし、その顔には疲労と諦めが滲んでいた。海の上には獰猛な魔物が跋扈しており、遠洋に出て漁をすることなど、夢のまた夢なのだという。
ヴァルターは、彼らの話を聞きながら、グランベール王国の西の果てが抱える現実を知った。技術は進歩し、高度な文明を誇る一方、その恩恵が行き届かない場所もまた存在している。彼は、この小さな村の現状もまた、重要な情報として心に刻んだ。
ヴァルターの調査は最終局面を迎えていた。彼はスピーダーバイクを南へと向け、海岸線に沿って疾走する。彼の目的地は、南西の最先端に位置する光芒岬だ。
旅を続ける中で、彼はある驚くべき事実に気づく。どの漁村も、その営みは細々と、かろうじて成り立っているに過ぎない。沖合には獰猛な魔物が跋扈しており、船を遠洋に出すことなど不可能だったのだ。その状況は、彼が光芒岬にたどり着くまで、延々と変わることはなかった。
「これでは、遠洋漁業は発展しない。海の向こうの大陸との海洋貿易も無理だな」
ヴァルターは、上空をかすめるように飛んでいく高速空挺輸送機に視線を流しながら、そう感じていた。この国は、空路という最先端の技術を持たず、海という広大な領域を支配できていない。その事実は、このゼノクラシア王国が抱える、まだ見ぬ弱点なのかもしれない。彼は、この重要な情報を心に刻み、自国ゼノクラシア王国の技術の進歩に改めて目を見張るのだった。




