決戦、レッサーボア
川辺は獣たちの水飲み場だ。食糧は向こうからやってくる。だが、何がやってくるかはわからない。
俺は、黒い棒を手に、草むらの影に身を潜めていた。
と、不意に、草むらのざわめきが大きくなり、一頭のイノシシが姿を現した。
「しまった。あれは、レッサーボアだ…!」
一瞬で、俺の背筋に冷たいものが走った。レッサーボア。その名が頭に浮かんだだけで、全身の筋肉が強張り、ゴブリンとは比較にならない危険な存在だと本能が叫んでいた。
レッサーボアは、鋭い牙を剝き出しにし、真っ直ぐに俺へと向かってきた。迎撃しなければならない。そう頭ではわかっているのに、身体が動かない。
生まれて初めて、明確な殺意を向けられた。ゴブリンとの戦闘は、ある意味、突然の出来事だった。しかし、今は違う。完全に俺という獲物を狙い定めて突進してくるその殺気に、空気は凍りつき、心臓が早鐘のように鳴り響く。視界が急速に狭まり、俺の意識はすべてを認識していながら、身体が、脳が、恐怖でフリーズしてしまったのだ。
蛇に睨まれた蛙が動けなくなるのと同じ原理なのかもしれない。恐怖という名の毒が、全身の神経を麻痺させていく。
「うぐ……」
ようやく、身体が左に跳んだ。跳んだというよりも、重心を崩して倒れ込んだという方が近い。レッサーボアの突進は、わずかに俺の右足をかすめ、鋭い牙が肌を切り裂いた。鈍い痛みが走る。
だが、倒れたままではどうにもならない。
通り過ぎたレッサーボアは、速度を落として止まり、そして振り返った。その小さな目に浮かんでいるのは、明確な殺意。それとも、獲物を逃したことへの怒りか。
「落ち着け…」
俺は自分に言い聞かせるが、心臓は早鐘のように激しく脈打っている。息が荒くなり、足が震える。理性は正常なのに、身体が思うように動かない。
再び突進してくるレッサーボア。
だが、身体が動かなくとも、俺には黒い棒があった。
全身が恐怖で硬直する中、俺は必死に右手の黒い棒に意識を集中させた。
「動け…動いてくれ…!」
その願いが通じたかのように、棒の先端が淡い光を放ち始めた。レッサーボアは、再び地を蹴って突進してくる。その蹄の音が、まるで俺の心臓の鼓動と重なるかのように、森に響き渡る。
「これで…終わらせる…!」
俺は、棒をレッサーボアの突進に合わせて構え、渾身の力で前に突き出した。
バチッ!
火花が散るような音と共に、黒い棒から青白い稲妻が放たれた。それは、まるで生き物のようにうねりながら、一直線にレッサーボアの眉間へと吸い込まれていく。稲妻が着弾した瞬間、レッサーボアの体は激しく痙攣し、その場で硬直した。
突進の勢いを失い、数歩進んだところで、レッサーボアは完全に動きを止める。その目は白く濁り、口から泡を吹いていた。麻痺したのだ。
俺は、震える足でゆっくりと立ち上がり、麻痺したレッサーボアの頭部に、黒い棒を突き刺した。
ズブッ!
鈍い音が響き、俺は、再び魔物を仕留めたことを悟った。今度は、ただの偶然ではなかった。自分の意志で、この棒の力を使い、生き延びたのだ。右足の傷は痛むが、それ以上に、生き残れたという安堵感が全身を支配していた。
俺は、その場にへたり込んだ。川辺のせせらぎが、まるで何事もなかったかのように、穏やかな音を奏でている。しかし、俺の心は、まだ激しく波打っていた。
◆
ポーン。「レベルが上がりました。新しいスキルを取得しました。」脳内にAI音声らしい声が響く。
名前:トール
種族:異世界人
年齢:十歳
職業:無職
レベル:2
【HP 30/30】
【MP 40/40】
【STR 11】
【VIT 11】
【INT 11】
【RES 11】
【AGI 11】
【DEX 11】
《スキル》
マジックバッグ Lv.1
《魔法》
雷魔法 Lv.1
レベルが2になっている。確かにそうだ。ゴブリンを倒した時には何も起こらなかったのに、レッサーボアを倒したらレベルが上がった。どういうことだ?
考えられるのは二つ。一つは、特定の魔物や、より強い魔物を倒した時だけレベルが上がるということ。もう一つは、今回のように、自分の力で「明確な意思」をもって魔物を倒した時にレベルアップするということだ。ゴブリンとの戦闘は、ほとんどが偶然の出来事だった。だが、レッサーボアとの戦いは違った。恐怖に震えながらも、俺は生きるために、この棒の力を使おうと決意した。
そして、その結果が、この新しい「雷魔法」だ。
俺は、再び右手に握る黒い棒に目をやった。さっきまでただの棒にしか見えなかったそれが、今はまるで俺の身体の一部のように感じられる。雷魔法というスキルは、この棒の力そのものなのだろうか。それとも、この棒が、俺の中に眠っていた力を引き出してくれたのだろうか。
どちらにしても、俺は新しい力を手に入れた。そして、この世界で生き抜くための、ほんの少しの自信も。
足の傷はまだズキズキと痛むが、もはや大したことではない。生きている。それだけで十分だった。
俺は、しばらくの間、呼吸を整え、心のざわめきを落ち着かせた。そして、ゆっくりとレッサーボアに近づく。
このまま放っておくのはもったいない。こんな立派な魔物だ。肉も、皮も、そしてあの鋭い牙も、何かに使えるはずだ。特に牙は、さっきの戦闘でその硬度と切れ味を身をもって知った。あれを加工できれば、強力な武器になるだろう。
俺は、石刃を取り出し、レッサーボアの解体を始めた。初めての作業で戸惑うことも多かったが、肉を切り、皮を剥ぎ、骨と牙を分けていくうちに、少しずつ慣れてきた。
ゴブリンの時とは違い、嫌悪感は全くなかった。むしろ、目の前の恵みに感謝する気持ちでいっぱいだった。
◆
レッサーボアの肉は、想像以上に柔らかく、そして美味だった。香ばしい香りが洞窟内に広がり、空腹を満たしていく。ゴブリンの肉は食べる気にならなかったが、このレッサーボアの肉は、何の抵抗もなく口に運ぶことができた。
特に美味しかったのはモモ肉だった。たっぷりと脂が乗っており、焼けばじゅわっと肉汁があふれ出す。異世界の魔物の肉だというのに、こんなにも美味しいものなのかと、驚きを隠せない。
「これは、本当に贅沢なご馳走だ……。」
俺は、食後の満足感に浸りながら、今後のことを考えた。
このレッサーボアを全て食べきることはできない。日持ちする干し肉に加工しなければ、せっかくの恵みが無駄になってしまう。
俺は早速、火を弱め、木の枝を使い簡単な乾燥台を作った。残った肉を薄く切り、火から少し離れた場所に吊るしていく。煙で燻し、風で乾燥させる。そうして数日かけて、保存のきく干し肉を完成させた。
干し肉作りの合間に、俺はレッサーボアの牙を加工してナイフを作ることを思いついた。あの牙は、人間の骨を砕くほどの硬度と切れ味を持っていたからだ。
だが、どうやって加工すればいいのか?
俺は、しばらく考えた末、黒い棒の力を使うことにした。あの棒は、熱を発し、火花を散らす。もしかしたら、金属の加工に使えるかもしれない。
まずは、レッサーボアの牙を一本選び、火の近くで熱してみる。すると、牙は徐々に熱を帯び、僅かに柔らかくなるのがわかった。
「これなら…いける!」
俺は、洞窟の中にあった平らな石の上で、熱した牙を叩き始めた。最初は、なかなか思うように形が整わなかったが、何度も根気よく叩き続けるうちに、徐々にナイフの形へと変わっていく。
柄の部分には、木の枝を削り、火で焼いて硬くしたものを使った。牙と柄を、蔓のような植物でしっかりと固定する。
完成したナイフは、石のナイフとは比べ物にならないほど鋭く、そして使いやすかった。刃先は銀色に光り、その硬さと切れ味は、これからの旅で、大きな力となってくれるだろう。
俺は、新しく手に入れたナイフを腰に差す。これで、黒い棒に加えて、もう一つの武器を手に入れた。
【HP 30/30】右の数値が最大値、左の数値が残値
【MP 20/20】右の数値が最大値、左の数値が残値
【STR】:攻撃力。鍛冶などの生産職も必要なステータス
【VIT】:防御力、身体が頑丈になる。斬撃、打撃、刺突、スキルなどの物理系防御力
【INT】:魔力。魔法攻撃力。
【RES】:魔力抵抗。魔法系防御力。魔力操作により魔法系の各種耐性を得る
【AGI】:素早さ、スピード。足が速くなる、スキル、魔法が早く発動する
【DEX】器用さ。精密操作系。生産職には必須、また弓使いなども必要なステータス




