西初級ダンジョン(2)
第二大隊長ライアスは、中央指令テントに広げられた第一階層の地図から視線を上げ、静かに口を開いた。
「第二中隊、ダンジョン第二層へ突入せよ」
その声は、張り詰めた空気の中、テント内に響き渡る。
待機していた第二中隊は、一斉に動き始めた。彼らの顔には、この日のために積み重ねてきた訓練の自信と、未知なる第二層への緊張が交錯している。
「第一中隊は、休憩をとれ」
ライアスの指示に、第一中隊の兵士たちは安堵の表情を見せた。彼らの身体は、既に第一階層の攻略で疲労困憊していた。
第二中隊がダンジョンへと向かう背中を見送りながら、彼らは武器を置き、それぞれのリュックからミリタリーレーションを取り出す。第一中隊長のハンスは、隊員たちの様子を見回し、疲れた顔に微笑みを浮かべた。
「みんな、しっかり休んでおけ。第二中隊が第二階層のマップを確保すれば、次は第三中隊、その次はまた俺たちの出番だ」
ハンスの言葉に、隊員たちは頷き、しばしの休息を満喫し始めた。
第一中隊が休息を取る中、ハンス隊長は中央指令テントへと戻った。ライアス大隊長が待機している。
「ハンス、第一中隊の様子はどうだ?」
ライアスは、地図に広げられた第一階層の地図から視線を上げることなく、静かに問いかけた。
「皆、疲労困憊です。ですが、士気は高いです」
ハンスは力強く答える。
「第二中隊は、間もなく第二階層に突入します。第三中隊は、いつでも出撃できる態勢を整えています」
テント内に、確かな自信がこもった言葉が響く。
「第一中隊には、しっかり休ませておきます。いざという時は、いつでも動けます」
「うむ、頼むぞ」
ライアスはそう言って、再び地図に視線を戻した。第一階層の地図には、既に攻略済みの印がいくつもつけられている。ハンスはライアスの背中を見つめ、静かにテントを後にした。
再び外に出ると、第一中隊の隊員たちは休息を終え、既に武器を手にして立ち上がっていた。彼らの顔には、疲労の色よりも、ライアス大隊長の指示を待つ緊張と、次の戦場へ向かう決意が浮かんでいた。
ハンスは彼らの様子に満足げに頷き、そして静かに号令をかけた。
「全員、準備を整えろ! いつでも出撃できる態勢を整えろ!」
「ライアス大隊長、第二中隊より入電!」
報告に、ライアスは顔を上げた。
「第二中隊、第二階層に突入。現在、マッピングを開始しました。今のところ、魔物との接触はありません」
その報告に、ライアスの表情はわずかに緩んだ。
「そうか……。よし、第三中隊は、いつでも第二層に突入できるよう、待機を続けろ。第一中隊には、引き続き休息をとらせるように」
ライアスは冷静に指示を出す。第二中隊がスムーズに第二階層の攻略を始められたことに、安堵の表情を見せた。第二中隊がマッピングを進めることで、その後の攻略が大幅に有利になる。
しかし、その安堵は長くは続かなかった。新たな報告が届く。
「ライアス大隊長、第二中隊が奇襲を受けました!」
◆
第二中隊が第二階層の調査を開始して間もなく、静寂を切り裂く悲鳴が響いた。それは、第二中隊からの緊急通信だった。
「ライアス大隊長! 第二中隊より入電! 奇襲を受けました! 天井からスライムです! うああああ!」
ノイズ混じりの絶叫は、すぐに途絶えた。ライアスは地図から顔を上げ、眉間に深いしわを刻んだ。
「何があった! 応答しろ!」
ライアスは通信機に向かって叫んだが、返事はない。通信は途切れたままだった。
「チッ……。第三中隊、直ちに第二階層へ突入せよ! 第二中隊の援護に回れ!」
ライアスは即座に指示を飛ばした。
「ハンス、第一中隊の状況は?」
ライアスは第一中隊長に視線を向ける。
「いつでも出撃できます!」
ハンスは力強く答える。第一中隊の兵士たちは、既に武器を手に、いつでも出撃できる態勢を整えていた。
「よし、第一中隊は待機だ。第三中隊が第二層に突入し、状況を確認する。それまで、決して動くな」
ライアスは冷静に指示を出す。第二中隊が全滅した可能性も考慮し、慎重に行動する必要があった。
一方、第二階層に突入した第二中隊は、思わぬ奇襲に混乱していた。天井に擬態していた巨大なスライムが、一斉に彼らに襲いかかったのだ。
「散開しろ!」
中隊長の指示も虚しく、スライムの酸で溶かされていく兵士たちが続出する。
「うわああああ!」
悲鳴が響き渡る中、中隊長は撤退を指示した。だが、退路は既にスライムに塞がれていた。彼らは、絶望的な状況に追い込まれていた。
第二中隊長ジョン達の装備している剣は、はがねのロングソードで、バランスが良く、攻撃と防御を両立できる。細かい動きや、素早い連撃に向いている。また、多種多様な敵に対応できる汎用性の高さを持つ。
巨大スライムの奇襲により、第二中隊は壊滅状態だった。鋼のロングソードは、ぶよぶよとしたスライムの体には歯が立たず、酸による攻撃で兵士たちの装備は次々と溶かされていく。
「くそっ! 撤退だ! 後退しろ!」
ジョンの叫びも虚しく、退路はすでにスライムに塞がれている。このままでは全滅だ。
その時、ジョンの脳裏に、大隊長ライアスの言葉がよみがえった。
「ダンジョン攻略において、最も重要なのは情報だ。敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。決して無茶はするな」
ジョンの持つ情報は、あまりにも少なかった。ただ、それを悔やんでいる暇はない。今、この状況を打開するしかない。
ジョンは、最後の希望を胸に、通信機に手を伸ばした。
「ライアス大隊長! ジョン中隊長より入電! 巨大スライムに奇襲を受け、我々は……全滅の危機にあります。撤退路は塞がれ、このままでは……」
ジョンの声は震えていた。しかし、その声は、途中で途切れることなく、すべてを伝えることができた。
中央指令テントでは、第三中隊が第二層へ突入準備を整えていた。
その最中に届いた、ジョン中隊長からの緊急通信。通信の向こうから聞こえる切羽詰まった声に、ライアスは険しい表情で耳を傾けていた。
「巨大スライムに奇襲を受けた……か」
ジョン中隊長からの通信は、すぐに途切れた。
「第三中隊、待機!」
ライアスは即座に指示を出した。
「ハンス、第一中隊の状況は?」
ライアスはハンスに視線を向けた。
「いつでも出撃できます!」
「よし! 第一中隊、直ちに第二階層へ突入せよ! 第二中隊の援護に回れ!」
ハンスはライアスの指示に驚いた表情を見せた。第三中隊ではなく、疲労困憊しているはずの第一中隊に、危険な状況下への突入を指示したのだ。
ライアスはハンスの表情を見て、静かに言った。
「第三中隊は、スライムに対して有効な攻撃手段を持っていない。だが、第一中隊は違う。お前たちの武器は、スライムに通用する」
ライアスは、第一中隊が装備している武器を思い浮かべた。
「ハンス、頼むぞ。第二中隊を救ってやってくれ」
ライアスは、ハンスの肩に手を置き、静かに告げた。その言葉に、ハンスは力強く頷いた。
第一中隊の兵士たちは、再び武器を手に立ち上がり、ライアス大隊長の指示を待っていた。
疲労の色よりも、戦場への決意が彼らの顔に満ちていた。ハンス隊長の指示に、彼らは迷うことなく、第二階層へと向かう。
「全員、準備を整えろ! いつでも出撃できる態勢を整えろ!」
ハンスの号令がダンジョンの入り口に響き渡る。
「第一中隊、第二階層へ突入!」
彼らは、第二中隊が全滅の危機に瀕していることなど知らない。だが、彼らの顔には、仲間を救うという強い決意が満ち溢れていた。
第二階層では、ジョン中隊長が絶望的な状況の中で、最後の抵抗を続けていた。巨大スライムの圧倒的な攻撃力と、鋼のロングソードが通用しない絶望的な状況。
その時、ダンジョンの奥から、新たな足音が聞こえてきた。
「なんだ……?」
ジョンは、最後の力を振り絞って、その方向を振り向く。そこに現れたのは、第一中隊の兵士たちだった。
「ハンス……!」
ハンスは、ジョンに力強く頷き、そして叫んだ。
「ジョン、もう大丈夫だ! 俺たちが来た!」
その声に、ジョンの目に光が戻った。
第一中隊の武器は、第二中隊のそれとは違っていた。彼らが装備していたのは、打撃属性を持つウォーハンマーとメイスだった。
スライムの体は、斬撃や刺突に弱いが、打撃属性の攻撃には強い耐性を持つ。だが、第一中隊のウォーハンマーとメイスは、スライムの体液を吸収する特殊な加工が施されていた。
「くらえええ!」
第一中隊の兵士たちが一斉にウォーハンマーとメイスを振り下ろすと、スライムのぶよぶよとした体が、まるでゴムのように跳ね返される。だが、その衝撃は、スライムの体内を震わせ、その動きを鈍らせる。
「よし! 効いているぞ!」
ハンスの指示の下、第一中隊はスライムの体液を吸収しながら、着実にスライムを追い詰めていく。
「ジョン、撤退しろ! 俺たちが時間を稼ぐ!」
ハンスはジョンに叫んだ。ジョンはハンスの指示に従い、負傷した第二中隊の兵士たちを率いて、撤退を開始した。
中央指令テントで、ライアスは第一中隊からの報告を待っていた。
「ライアス大隊長、第一中隊より入電! 第二中隊の援護に成功! 第二中隊、撤退を開始しました!」
ライアスの顔に、安堵の表情が浮かんだ。
「そうか……。第一中隊、よくやった。しかし、油断するな。スライムはまだまだいるはずだ。引き続き、警戒を怠るな」
ライアスの指示に、第一中隊は再び動き出した。
ジョンは、第一中隊の援護により、無事に第二階層から脱出することができた。中央指令テントに戻ると、傍らでは、第二中隊の兵士たちが、スライムの酸に侵された傷の治療を受けていた。
「大丈夫か……?」
ジョンは、負傷した兵士に声をかけた。
「はい、ジョン中隊長……。おかげさまで……」
兵士は、弱々しい声で答えた。
ジョンは、自らの不甲斐なさを悔やんでいた。
「俺の判断ミスで、多くの仲間を危険にさらしてしまった……」
ジョンは、自らの不甲斐なさを悔やんでいた。
「ジョン、気にするな。これは、誰にでも起こりうることだ」
ハンスは、ジョンに優しく声をかけた。
「だが……」
「だが、これからだ。この失敗を糧に、俺たちはもっと強くなれる。そうだろう?」
ハンスの言葉に、ジョンは静かに頷いた。
「ああ、そうだ……。この失敗を、無駄にはしない。次は、必ず成功させてみせる」
ジョンは、新たな決意を胸に、ライアス大隊長に報告するために、中央指令テントへと向かった。