跳ねる小鹿商会
俺は、エト村に拠点を構え、グランデルの商人バルザックとの直接取引を重ねていた。当然、エト村のアロン村長にも、その都度、手数料を支払っている。
村長は気を良くしたのだろう、エト村内に商会の出店許可をくれた。グランデルへと続く街道沿いに、中世初期の村の雰囲気を壊さないよう、多階層の建物を建築した。外観は地上二階建てだが、地下には三階分のスペースがある。もちろん、内部の設備やセキュリティは、俺がいた大宇宙時代のものだ。
店番は、エト村のうら若い女性たちに任せた。少しでも村にお金を落としたかったからだ。店に並ぶのは、食料品、薬草、建材、革細工や青銅製品などだ。そして何よりの売り物は、エールの樽売りだった。小売はせず、「飲みたければ、村の食堂へどうぞ」というスタイルにすることで、村全体の経済を回すことを目指した。
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バルザックには、独占商品を卸している。
精製された白い小麦粉は、この異世界では高級品だ。そして、もう一つの柱がグラスモーの精肉。群れで行動する草食性の牛型魔物だ。肉質は非常に柔らかくジューシーで、適度にサシが入っており、美味い。特定のハーブを食べることで、甘みが増したり、回復効果が付与されたりするため、冒険者たちに人気が高い。
グラスモーは、牛に似た大型の魔物で、角は硬く、突進攻撃は岩をも砕く。リーダーの「アルファ・グラスモー」に至っては、まともに戦えば熟練の冒険者でも命を落としかねない。だが、その肉は驚くほど美味いと聞いていた。
俺は持ち前の知識を活かし、ハーブを混ぜた特殊な餌でグラスモーを捕獲した。そして、肉を捌いてジャーキーや塩漬けの保存肉を作った。これが、バルザックの目に留まったのだ。
グランデルは街道の要衝にあり、多くの商人や冒険者が生計を立てている。最初は怪訝な顔をしていたバルザックも、一口試食した瞬間に、その表情を一変させた。
「なんだ、この肉は…!こんなに柔らかくてジューシーな肉は、生まれて初めて食べたぞ!」
「面白い。この肉は、他のグラスモーとも違う。その技術、そして素材は、我が商会が独占するに値する」
バルザックはそう言って、グラスモーの精肉をバルザック商会にのみ卸すという、独占契約を申し出た。さらに、俺が作る白い小麦粉も、この世界では見たこともない高級品だと高く評価してくれた。
それから数か月、バルザック商会との関係は深まっていった。グラスモーの肉は冒険者の間で「回復効果がある」と評判になり、さらに需要は増した。
だが、好事魔多しという。
強欲な貴族が、バルザック商会の仕入れ先を探るため、エト村に調査員を送り込んでいることを知った。
しかし、跳ねる子鹿商会の店舗を調べた調査員たちは、成果を得られずに引き下がるしかなかった。外観や店員への聞き込みでは、得られる情報が限られる。高級酒は店頭になく、売り物はエール樽が中心。「跳ねる子鹿商会」の経営者の正体も不明だ。中世風の造りと、現代のセキュリティが施された地下とのギャップが、調査員にとって大きな壁となった。彼らが持ち帰れたのは「質の良いエールと食材を扱う商会がエト村にあるらしい」という程度の情報だけだった。
貴族側も、バルザック商会が辺境の商会から仕入れをしている事実を知るに留まり、その核心には迫れなかった。
「店は田舎風の造りで、怪しいところはない」
「店員は皆、この村の娘で、経営者のことは何も知らない」
「売られているのはエール樽と、どこにでもあるような雑貨だけ」
調査員たちはそう報告するしかなかった。貴族が欲しがっている白い小麦粉や、回復効果のあるグラスモーの精肉は、店舗には並んでいなかったからだ。
彼らが唯一奇妙に感じたのは、ごく普通の村の店にしては、不自然に厳重な地下室の扉と、それを守るかのような見えない圧迫感だった。だが、その正体まで突き止める術はない。貴族の浅はかな行動は、かえってバルザックの警戒心を強め、俺への信頼を深める結果となった。
バルザックは、自分の利益を守るため、常に情報網を張り巡らせている。貴族の調査員が手ぶらで帰ったことを早々に察知した彼は、静かに呟いた。
「あの強欲な貴族め、また余計な詮索をしてきたか…」
彼は、俺という唯一無二の仕入れ先を失うわけにはいかない。貴族の介入を阻止するため、水面下で様々な手を打つだろう。
バルザックからの仕入れでは、奴隷の取引はもうほとんどなくなっていた。
彼の抱えていた多くの奴隷はすべて引き取ってしまい、俺もまた、今後は使い道のない者や、不都合な者はもう不要だと仕入れを断っていた。彼は、知り合いの奴隷商を頼って、いわゆる“上物の奴隷”という実入りの良い取引に切り替えだした。
そのバルザックが「上物」と呼んだ奴隷は、単なる奴隷ではなかった。彼女の名は、アリア。没落した貴族の三女という出自を持つ彼女は、読み書き計算、社交、躾といった教養に加え、馬術や魔法まで学んだ二十歳で、未婚。奴隷としては異例なほど多くのスキルと知識を持ち合わせている。
これは、俺の取引事業にとって大きな転機となると感じた。
事業の拡大、つまり彼女の持つ知識は、俺のビジネスを次の段階へ進める鍵となり得る。彼女に、帳簿の管理や、マーケティング、新しい商品の開発、あるいは魔法の技術を応用した製品づくりを任せることもできるだろう。
俺の今後の取引事業に、貨幣創造による信用創造という、より高度な経済活動が加わる可能性が出てきた。
この異世界では、現代の金融システムが存在しないか、非常に未熟な状態にあると推測される。その中で、俺が持つ大宇宙時代の設備と知識は、単なる商品供給者から、この世界の経済システムそのものを変革する存在へと成り上がる力を与えるだろう。
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貨幣創造と信用創造は、そう簡単なことではない。
独自の通貨発行:俺の商会でしか使えない、あるいはバルザック商会との間で有効な独自の金貨や銀貨、または紙幣を発行する。これには、偽造防止のために現代の印刷技術や、魔法的な仕掛けを施すことが考えられます。
信用取引の導入:エト村の住民や、バルザック商会のような信頼できるパートナーに対して、現物ではなく「借用証」や「手形」を発行し、信用を担保にした取引を始める。これにより、多額の現金を持ち運ぶリスクを減らし、取引の規模を大きくすることが可能になる。
銀行業への進出:商会を、単なる店舗ではなく、預金や貸付を行う銀行へと発展させる。村人や他の商人の財産を預かり、利子をつけて返すことで、彼らの貯蓄を促し、その資金を元手に、さらに大きな事業に投資することができる。
この新たなビジネスは、大きな利益を生む反面、大きなリスクも伴うだろう。偽造や詐欺、そして何より、既存の権力者、特に貨幣発行権を持つ国王や貴族との対立は避けられないだろう。
「経済を支配するものは、それすなわち真の支配者なり」。
この異世界で単なる成功した商人ではなく、世界の構造そのものを変える存在へと進化していくことを示唆しています。武力や血統に頼る支配ではなく、人々の生活に深く根差した経済というシステムを掌握することで、誰もが逆らえない真の権力を手に入れる。
この信念は、貴族社会や国王といった既存の支配者層と、俺との間に避けられない対立を生むだろう。彼らは土地や名誉を支配していますが、人々の生活を支える「金」と「信用」を支配する俺の存在は、彼らにとって最大の脅威となることだろう。
既存の貴族たちは、自身の権力が揺らぐのを黙って見過ごすはずがない。彼らは、俺の商会を潰すため、税の重課、妨害工作、さらには刺客の派遣など、あらゆる手段を講じてくるだろう。
貨幣創造と信用創造は、そう簡単なことではない。かなり先の課題として覚えておこう。