終わりなきタスク(3)
窓の外は、すでに傾きかけた午後の日差しを浴びて、静かに輝いていた。朝の爽快な空気は、今は重厚な緊張感に取って代わられている。俺は、私的な端末のホログラム表示を消し、静かにノックを待った。
「失礼します、御屋形さま」
首席補佐官アリア・アトレイズが入室する。彼女は、第二大隊と遊撃魔道中隊の再編成図を完成させたばかりだ。その瞳には、徹夜明けの疲労よりも、鋭い「動」の光が宿っている。
「座れ、アリア」
俺はドライアドとの交渉内容を簡潔に、しかし細部に至るまで正確に伝えた。特に強調したのは、彼女がもたらした再編図の先に待つ、この東上級ダンジョンの真の脅威についてだ。
「……つまり、ベヒーモスは
異世界(あるいは宇宙)からの来訪者であり、知性の低い巨大な捕食者。その攻撃は、古龍に匹敵する多彩な魔法と、広範囲の物理攻撃 」
アリアは、淡々と情報を整理していく。だが、彼女のペンが、ある一点でピタリと止まった。
「そして最も危険なのは、
エリア全体を巻き込む即死級のメテオ、『エクリプスメテオ』。これを回避するには、特定の山影に隠れる特殊な回避策が必要 、さらに、特定の探索者に『敵視』
を向け、防御力を下げる『防御力ダウン』の状態異常を付与する。これを被弾した者は、次の攻撃で即死するリスクがある…… 」
アリアが顔を上げた。その眼差しは、司令官としての冷静な分析と、人としての驚愕が半々に混ざり合っていた。
「それは……これまでのダンジョンモンスターの常識を逸脱しています。単なる討伐戦ではなく、役割分担と連携を極限まで突き詰めた、特殊作戦が必須となります。特に『敵視』を固定できる『盾役』と、メテオの回避策の確立が急務です」
「その通りだ」俺は深く頷いた。
「ベヒーモスは、俺たちの春までのタスクリストにある最重要項目だ 。再編成されたばかりの大隊を、このラスボスのような存在に無闇に投入するわけにはいかない」
俺は机の上の組織図案を端に寄せ、肘をついた。アリアは、俺が何を言おうとしているのか、既に察しているようだった。
「ということで、俺とダービーはベヒーモス対策に集中する」
宣言と共に、執務室の空気が再び張り詰める。
「俺が自ら、『盾役』を務める。ダービーは、その卓越した魔法攻撃力と知識で『攻撃役』と『戦術分析』を担当する。アリア、お前には引き続き、再編成後の組織全体と、エトの地下都市を含めた後方インフラの維持を任せる」
俺が最前線に出ることへの懸念を、アリアは一切口にしなかった。それは、彼女が俺の決断の重さと、この任務の危険度を理解している証拠だ。
アリアは姿勢を正し、深く頭を下げた。
「承知いたしました。私はノースミッドタワーの中枢を護ります。物資、情報、兵站、全て滞りなく供給することを約束します」
「ああ、頼む」
俺は最後に、最も重要な手配を命じた。
「明日9時にダービーを読んでくれ。ベヒーモス討伐マニュアルの作成を、すぐに始める」
「かしこまりました。御屋形さまの勝利を信じて、お待ちしております」
アリアは一礼し、静かに執務室を辞した。
静寂が戻った部屋で、俺は再び窓の外を見た。遠く、東地区の山岳地帯の奥に、世界樹の大木の影がそびえている気がした。
俺たちの新たな戦いは、もう始まっている。
◆
ノースミッドタワーの総合演習場。天井から吊り下げられた巨大なアームとワイヤー群、そして床に埋め込まれた膨大なマナクリスタルが、この空間を異質な戦場へと変えていた。
俺とダービーは、それぞれマナクリスタル・デバイス・プラス(MDP)に搭乗している。それは、全身を覆う強化型の訓練用魔導装具だ。装具を介して、俺たちの意識と肉体の動きは、演習場全体を覆う仮想空間へ完全に同期される。
眼前に展開するのは、東上級ダンジョンの根が絡み合う、薄暗い岩場のエリア。そして、その中心に立つ、山脈のような巨体――仮想ベヒーモスだ。
「行くぞ、ダービー。初期ヘイトは俺が取る。詠唱の隙を与えずに、火力を集中しろ」
俺は、MDPの補助を受けた体で地を蹴り、その巨獣の足元へと飛び込んだ。俺の役割は『盾役』。ベヒーモスの『敵視』を一身に集め、強烈な物理攻撃と多彩な属性魔法を耐え凌ぐことにある。
組手の演習は、開始からすでに二時間が経過していた。成功率はゼロ。
火山噴火を模した魔力波が地面を抉り、俺は身体を捻って回避するが、巨獣の巨大な角が繰り出す物理攻撃は、常に予測不能な角度から襲ってくる。衝撃がMDPの装甲を叩き、俺の全身の関節がきしむ。
そして、最も恐れるべき局面が訪れた。ベヒーモスが、天を仰ぐように巨体を反らせる。
「――観測。エクリプスメテオの発動シークエンスに入ります。残り時間:5.2秒」
演習場全体に、冷徹なAI、マザーの声が響き渡る。
俺は、ドライアドの情報にあった「山影に隠れる特殊な回避策」を模索し、ベヒーモスの左後方にそびえる岩陰へ、渾身の力で飛び込んだ。だが、巨体を引きつける『敵視』の特性上、逃走は困難を極める。
ベヒーモスが咆哮と共に、天から巨大な岩塊の雨を呼び降ろした。それがエクリプスメテオの予兆だ。
俺は岩陰に滑り込み、防御姿勢を取る。頭上を通過する隕石群の爆音と熱量が、仮想現実であるにもかかわらず、皮膚を焼くように感じられた。
爆音が止む。俺は素早く岩陰から飛び出し、戦闘を継続しようと身構えた。
「いまのはどうだ? マザー」
俺は、一秒の猶予も惜しみ、すぐにフィードバックを求めた。
マザーは、一切の感情を排した声で、遠慮なく指摘してきた。
「失敗です、御屋形さま」
電子音声は、残酷な事実だけを突きつける。
「回避行動開始が1.8秒遅延しました。その遅延は、飛来した『メテオ破片』による『防御力ダウン』効果の付与を確定させます。その状態で、ベヒーモスの次の攻撃である『広範囲なぎ払い』を受けた場合、即死率は99.8%です。回避率:0%」
俺のMDPのバイザーには、「CRITICAL DEBUFF: DEFENSE DOWN」の警告が赤く点滅していた。僅か1.8秒。その一瞬の遅れが、現実の戦場では、俺の命と、ダービーを含む後衛全てを失うことを意味する。
「クソッ……」
俺は荒い息を吐きながら、MDPのコックピットの中で拳を握りしめた。
「もう一度だ、マザー。リスタートしろ。次は、初期行動の優先順位を、『メテオ回避位置の確認』に上げる」
「了解しました。総司令。シミュレーション再構築を開始します」
ベヒーモス討伐マニュアルの作成は、血の滲むような、終わりなき組手の中で、一歩ずつ進められていくのだった。
◆
ノースミッドタワーによる組織再編は、待ったなしで実行に移された。旧体制の第二大隊は、その編成と装備を根本から変更し、第二航空大隊として生まれ変わった 。
夜明け前の西部国境。地平線はまだ漆黒だが、その境界線を縫うように、一機の高速機動体が低空を疾走していた。第二航空大隊長、ライアス・アルフレッドである。
彼が騎乗するのは、正式採用されたばかりの新型機――スピーダーバイク改。機体は特殊な反重力マナジェネレーターを搭載し、大地からわずか数十センチの空間を、凄まじい轟音と共に滑空する。そのスピードは、従来の装甲車や魔道兵の限界を遥かに凌駕していた。
ライアスは、装具一体型のバイザー越しに、目の前に広がる国境ラインを凝視していた。国境線は、巨大な対魔力壁と、無数の自動防衛タレットによって築かれているが、その『淀み』が浄化された後も、不測の事態は常に潜んでいる。
「速度維持、対魔力壁との距離、誤差5センチ」
ライアスは冷静に呟く。スピーダーバイク改は、その速度と引き換えに、わずかな操縦ミスが即座に命取りになる、極めてピーキーな機体だ。しかし、彼の冷徹な戦術眼と、長年培われた
鉄壁の防御技術は、この暴れ馬のような機体を完全に制御していた 。
彼は、かつてその卓越した戦術眼で大隊の「盾」であり「頭脳」と呼ばれたが 、今は、その「頭脳」を活かし、広大な国境の監視という
立体的な任務に当たっている。
「マザー、区域E-44、タレットの稼働率を報告せよ」
ライアスのバイザーに、タワーのAIであるマザーからのデータが瞬時にフィードバックされる。彼の任務は、ただの偵察ではない。広大な国境線の防衛インフラ全てを、このスピーダーバイク改の機動力を以て監視し、即座に不備を是正することだ。
西部国境は、ノースミッドタワーにとって、最も警戒が必要な場所の一つだ。ライアスの任務は、この新たな牙を研ぎ澄まされた新生・第二航空大隊の能力を試す、最初の試練でもあった。
彼の背後を、同型のスピーダーバイク改に騎乗した少数の部下が、正確な間隔を保ちながら追従する。彼らの機動が、単なる追従ではなく、一つの巨大な「壁」を形成しているかのように見えた。
ライアスは、速度をわずかに上げ、国境の曲線を鋭角に曲がる。
「よし。監視態勢に移行。このラインは絶対に破らせない」
彼の視線は、遠い地平線の先に、ノースミッドタワーの未来を護る決意を映していた。




