終わりなきタスク
1月8日 定刻9時
ノースミッドタワーの執務室。俺は、ホログラムに投影された「春までに始末をつけるべき残りのタスクリスト」を、気だるげに眺めていた。アリアが帰還したことで、「次席補佐官選定」「家族救出」「外交最終段階」という巨大な山脈は消滅したが、依然として足元には面倒な岩くずが残っている。
『跳ねる小鹿商会』の役割と再編
ザック男爵領における『嫁取り強制任務』の進捗監査
新男爵領の『国力の根幹=出生率』に直結するため、定期的な進捗と、中隊ごとの成果の比較分析が必須。
セレスティア女王陛下への『春のお忍び計画』の警備プロトコル構築
女王陛下の安全確保は最優先。しかし、護衛隊の不満度が過去最高水準に達しており、警備計画の複雑性が極端に高いため。
「セレスさまの警護は、蒼龍飛龍でいい。最悪、MDプラスのステルス隊を増強するだけだ」
俺は、最も感情的で予測不能な要素――女王のロマンスと警護隊の不満――を、ハイテクという名の力任せな解決策で無視することを決定した。
残るは二つ。「跳ねる小鹿商会の役割と再編」と、「子作りの進捗監査」。どちらも、数字と人間心理が絡み合う、俺にとって最も苦手な分野だ。
(ザックのところと小鹿は……アリアにお任せ、だな)
俺がそう心の中で丸投げを決定した、その完璧なタイミングで、ミーティングルームの扉が開いた。
主席補佐官アリアが入室してくる。昨晩、父との再会、そして家族との抱擁で大いに泣いたのだろう。いつもの研ぎ澄まされた美貌はそのままに、その目はわずかに腫れぼったく、涙腺の疲労を物語っていた。
俺は、「よかったね」と声をかけるべき感情を、「業務優先」という冷徹なロジックで瞬時に押し殺した。
「アリア、ご苦労。家族との再会、おめでとう」
俺は、一応形だけの労いの言葉を述べてから、本題に入った。
「さて、早速だが、この二つの課題だ」
俺は、ホログラム上の『小鹿商会』と『嫁取り強制任務』の二つの項目を指で示した。
「一つは『跳ねる小鹿商会の役割と再編』。もう一つは『ザック男爵領における嫁取り強制任務の進捗監査』。国家の市場経済と、国家の出生率という、両極端に重要な問題だ」
俺は、目の前で涙の痕跡を残すアリアに、「経済の解体」と「強制的な結婚の監査」という、最も人間味のないタスクを、何の躊躇もなく投下した。
「頼むよ、アリア。この二つは、君の論理的な頭脳と、君の細やかな気配りがないと解決できない。特に監査は、隊員ごとの成果を比較するという、デリケートな作業だからな」
アリアは、目の腫れを気にすることなく、冷静に頷いた。彼女の瞳は、昨晩の涙の残滓があるにもかかわらず、既に業務遂行のための光を取り戻していた。
「承知いたしました。跳ねる小鹿商会は既に監視下にあります。ザック男爵領の監査については、隊員たちの精神衛生にも関わりますので、最善の評価システムを構築します」
俺は、心底ホッとした。これで、商会の再編という権力闘争と、部下の性生活の管理という、面倒で恐ろしいタスクから、俺は完全に解放されたのだ。
(最強の補佐官は、涙の痕があっても、やはり最強だった)
俺は、安堵と感謝の念を噛みしめ、アリアの目の腫れを気にしないフリをして、次の外交文書に目を移した 。
しかし、任務は終わらない。俺には、次いで、俺が自分で手を付けなければならない課題が残っていた 。
それは、『ゼノクラシア王国の復興、インフラ系その他諸々(終わりが見えない無限タスク)』だった 。
このタスクは、外交、軍事、人事といった緊急性のある課題とは異なり、王国を根底から作り変えるという、壮大だが地味で、決して終わりが見えない作業の羅列だ 。
俺は、ホログラムに映し出された『インフラ系』という項目を睨みつけた。この項目を放置すれば、核融合炉から供給される無限のエネルギーも、ただの熱源に過ぎなくなる。真の支配は、水道、道路、通信、そして安定した電力供給という、地道なインフラの上に築かれるのだ。
「マザー」
俺は、低く、しかし決意を込めた声で、中央管制ゴーレムに指令を出した 。
「この『インフラ系』の項目と進捗状況をリストアップして。そのうえで、何から手を付けていけばいい。優先順位とその理由も、すべてだ」
俺の仕事に、ようやく着手できる 。
その瞬間、俺は、外交の派手さや戦闘の興奮とは無縁の、支配者としての孤独と、途方もない創造の責任を改めて痛感した。それは、一国の王として、誰も見向きもしない地底の配管や、電波塔の最適配置といった、無数の小さな点にまで気を配り続けるという、終わりのない戦いだった。
俺の指令に応じ、ミーティングルームの中央に、新たなホログラムが展開された。それは、戦闘報告や外交戦略のような、目に見える華々しさは一切ない、無機質で、冷徹なデータの羅列だった。
ホログラムには、『ゼノクラシア王国の復興、インフラ系』というタイトルと共に、数千行に及ぶ項目が、まるで夜空の星のように並んだ。項目の一つ一つは、水道、道路、通信、電力網といった、国民生活の根幹を支える要素であり、その進捗率は小数点以下三桁まで正確に示されていた。
マザーの、感情を持たない声が、王国の「血と骨」の現状を淡々と報告し始めた。
「インフラ系最優先タスクは、三つに分類されます」
I. 生活基盤(Priority A)
「第一は、水道・衛生システムの完全統合です。特に、新領土となった旧アルカディア領への核融合式海水淡水化プラントからの配管敷設。進捗率8%。理由:国民の疾病リスクの最小化と、都市部への人口集中を防ぐための分散型給水システムの確立が急務です」
俺は、ホログラムに映る複雑怪奇なパイプラインの図面を見た。この水道が途絶すれば、数万の国民が渇きと疫病に晒される。この無機質な8%という数字の裏には、数万人の命と、王国の衛生基準という、途方もない重責が隠されていた。
II. 経済基盤(Priority B)
「第二は、広域高効率マナ送電網(Grid-X)の最適化です。進捗率75%。理由:全産業及び軍事施設のエネルギー損失を0.01%以下に抑えることが、技術的優位性の維持に直結します。特に、稼働を開始したばかりの次期核融合炉と、新たに併合されたザック男爵領の農産複合プラントへの高効率送電ルートが喫緊の課題です」
俺は、たった0.01%の効率向上のために、天文学的な資材と時間を投じるその計画に、ゼノクラシアの容赦ない合理主義を見た。この送電網こそが、他国を寄せ付けない王国の力の源泉なのだ。
III. 長期支配基盤(Priority C)
「第三は、高速情報通信網(Quantum-Net)の全土展開です。進捗率50%。理由:中央集権的な統治機構の確立と、緊急時の情報伝達速度の保証が不可欠です。また、新領土の住民に対する王室の威光と統治理念を、遅延なく伝達するためのメディアインフラの整備が重要です」
マザーの報告が止まった。
俺は、ホログラムに並ぶ青い進捗バーと、その背後に隠された途方もない作業量を凝視した。それは、一見すると無味乾燥な事務作業だが、その一つ一つが、女王陛下の安寧と、王国の永遠の繁栄を決定づける、鉄と鋼の誓約だった。
この終わりが見えない無限タスクこそが、支配者の孤独であり、俺がこれから手を付けなければならない、最も重要な仕事なのだ。俺は、静かに頷き、その無限のリストへと、支配者としての覚悟を込めて視線を落とした。
俺は、ホログラムに無数に並ぶインフラリストの項目を凝視していた。水道、電力網……すべてが重要だが、その中でも特に、長期支配基盤としてマザーが挙げた項目が、俺の脳裏を占めていた。
それは、高速情報通信網(Quantum-Net)の全土展開だ。
(決して忘れていたわけではない。むしろ、この通信網こそが、ゼノクラシアの絶対的優位性を維持する生命線だ)
量子通信を利用したこのネットワークは、軍事的な情報伝達速度の保証に加えて、新領土の住民に対し、王室の威光と統治理念を遅延なく伝達するメディアインフラとして機能する。つまり、これはテクノロジーによる支配の網を、物理的に、そして精神的に張り巡らせるための土台だった。
この通信網の構築に不可欠なのが、通信衛星の打ち上げだ。
俺は、マザーに厳命した。
「マザー。通信衛星の打ち上げ計画を最優先タスクとして再構築しろ。その作業リストと、直面する技術的、外交的課題を洗い出せ」
ホログラムのインフラリストが一掃され、新たに『衛星打ち上げ計画:プロジェクト・スカイウォーカー』というタイトルが浮かび上がった。リストは即座に、打ち上げまでの数百に及ぶ工程と、その進捗率、そしてボトルネックを示す赤い警告サインで埋め尽くされた。
マザーの冷徹な分析が始まった。
「技術的課題:打ち上げロケットの再利用性確保の最終試験。進捗率98%。理由:コスト削減と、有事の際の即時再投入能力の確保に直結します」
「外交的課題:軌道周回帯の国際的調整。理由:ローゼリア王国周辺国からの電波干渉の苦情を避けるため、事前通告と軌道利用権の確保が必須です。この交渉は、南部戦争の賠償請求と並行して行われます」
「生産課題:マナクリスタル搭載型通信チップの量産体制の構築。進捗率85%。理由:全土展開に必要な数万基の地上中継器への供給ボトルネックを解消する必要があります」
俺は、ホログラムに映る無数の複雑なデータと、マザーが提示する外交と技術の綱渡りに、支配者としての重い責任を痛感した。衛星の打ち上げは、単なる技術開発ではない。それは、ゼノクラシアの力の領域を、宇宙空間にまで拡大するという、静かなる宣戦布告なのだ。
俺は、マザーが提示した『プロジェクト・スカイウォーカー』の課題リストに食い入るように視線を送っていた。技術的なボトルネックは予測の範囲内だ。しかし、外交的課題の項目に示された文言が、俺の支配者としての本能を刺激した。
「外交的課題:軌道周回帯の国際的調整。理由:ローゼリア王国周辺国からの電波干渉の苦情を避けるため、事前通告と軌道利用権の確保が必須です。この交渉は、南部戦争の賠償請求と並行して行われます」
俺は、ホログラムに映る地球の衛星軌道図――国際的な通信衛星が蜂の巣のように密集する領域――へと、焦点を合わせた。
「んんっ? どこかの王国が軌道周回帯を利用しているとでも?」
その声は低く、威圧感を帯びていた。ゼノクラシア王国が技術的優位性を誇る今、宇宙という絶対的な戦略空間において、他国の存在は即座に脅威と見なされる。
「マザー、報告せよ。問題となっている軌道を利用している、全ての主権国家の名称、および彼らの衛星の運用目的を。苦情回避のための調整ではない。我が国の主権が侵されていないか確認する」
俺の意識は、既に宇宙の支配権へと向かっていた。通信衛星は、インフラ整備であると同時に、他国に対する監視と情報戦の最前線だ。
「そして、その情報を、直ちにアリアと共有しろ。この軌道調整のタスクを、南部戦争の賠償請求の議題に組み込み、外交交渉の最大の切り札とせよ」
俺の問いかけに対し、中央管制ゴーレムマザーは、一瞬の間も置かず、予想外の返答を放った。
「いいえ、ございません」
その声は、感情を一切含まない事務的なトーンだった。しかし、その背後には、「そんなこと言うまでもないだろう」とでも言いたげな、最高性能AIの冷徹な断定が感じられた。
俺は、一瞬言葉を詰まらせた。マザーの返答は、現在、ゼノクラシア王国周辺の軌道周回帯において、我が国の優位性を脅かす主権国家の衛星は存在しない、という事実を意味していた。
つまり、外交的課題としてリストアップされた「軌道利用権の確保」は、他国との争奪戦ではなく、ゼノクラシアが一方的にルールを定義する作業で済むということだ。
俺は、その事実に安堵と同時に、絶対的な支配者としての責任を深く感じた。
「確認だよ、か・く・に・ん」
俺は、マザーの淡々とした返答に対し、自身の問いかけの重要性を念を押すように断言した。感情的な意味合いではなく、プロトコルとしての最終確認だ。ゼノクラシア王国の宇宙空間における主権は、些細な可能性であっても、見逃されてはならない。
ホログラムには、通信衛星の軌道図が、依然として冷たく輝いていた。
俺は、その軌道図から一瞬も目を離さず、王国の未来を築くための、次の指令を組み立て始めた。ゼノクラシアの通信網は、誰にも侵されない宇宙の主権の上に築かれなければならない。その決意が、俺の背後で、核融合炉の炉心のように静かに燃え上がっていた。




