アリア家族の奪還(3)
ノースミッドタワーのミーティングルームに広がる三次元ホログラムは、ローゼリア王国の夜空と、その下に点滅する三つのターゲット地点を映し出していた。首都の旧宮廷地下牢、辺境伯領の隔離された屋敷、そしてシルヴァーグロウ子爵家の王都私邸。
マザーの無機質な声が、作戦の遂行状況を、一切の感情を排して報告する。その言葉は、技術と時間の支配を宣言する神の宣告のようだった。
「地下牢への侵入は、高機動型ゴーレムによる壁面熱溶融突破を提案します。熱痕跡はわずか0.003秒で消滅。子爵の救出完了は侵入から120秒以内を目標とします」
ゴーレムが目標地点に到達した瞬間、ホログラム上の点滅が青シグナルに変わった。地下深くで、アリアの父アトレイズ子爵が、誰にも気づかれることなく、時間という名の檻から解放されたことを意味していた。
続いて、遥か遠方の辺境伯領の目標が読み上げられる。
「辺境伯領の目標地点は、敵地より480km離れています。高速機動型MDプラスを搭載したステルス輸送機を投入。輸送機は高々度を維持し、離脱時にのみMDプラスを投下、目標の回収を行います。アリア補佐官の家族は、いかなる接触も行わず、そのまま我が国へ即時移送されます」
この任務は、速度とステルス性のみに依存していた。辺境伯領での作戦完了が確認されると、ホログラム上の点滅は再び青シグナルに変わった。アリアの母と二人の姉は、暗闇の中、国家の最高技術によって静かに、そして確実に、隷属の鎖から引き上げられた。
そして、最も人間的な要素を含む最後の目標地点。
「リアム氏は、既にバルザック商会特別派遣員と共に、民間空港へと移動中です」
この目標の点滅は、黄色シグナルだった。これは、作戦が現在進行中であり、人間の交渉という不確実な要素を含んでいることを示唆していた。しかし、バルザック商会の金銭と権威の力は、MDプラスの暴力と同じくらい確実だ。
ミーティングルームには、マザーの冷徹な報告音だけが響いていた。アリアは、目の前のホログラムに映る三つのシグナルを見つめていた。その一つ一つが、彼女の過去の苦難と、未来への希望の扉が、音もなく開かれていることを示していた。
作戦は、狂気的な効率と冷たい論理によって、極めて順調に、淡々と遂行されていた。この精密な作戦こそが、ゼノクラシア王国の技術と支配の証だった。
ノースミッドタワーの屋上ヘリポート。寒風が吹き荒れる中、主席補佐官アリアは、その端に立ち、視線を夜空の一点に固定していた。彼女の瞳は、ホログラムの青シグナルが示す「作戦完了」の報告よりも、ただ一機の輸送機の到来を求めていた。
轟音とともに、巨大な大型空挺輸送機がヘリポートへとゆっくりと降下してくる。その威圧的な影は、ローゼリア王国の地下牢から父を運び出した、ゼノクラシア王国の絶対的な力の象徴だった。
ハッチが開く。そこに姿を現したのは、長年の幽閉生活によって痩せ衰え、疲弊しきった、しかし凛とした佇まいの男、アトレイズ子爵だった。高機動型ゴーレムに護衛され、解放されたばかりの父の姿は、あまりにも痛々しかった。
アリアは、軍人としての規律を保とうと踏み止まっていたが、その一歩を踏み出した瞬間、堰を切られた。
「お父さま……」
アリアの声は、か細く、感情の波に揺れていた。
アトレイズ子爵は、娘の姿を認めると、その場に立ち尽くした。そして、彼の顔に刻まれたすべての皺が、張り詰めていた緊張と安堵で崩れ落ちる。
「アリア……、アリアなのかい?」
彼は、娘の顔に手を伸ばし、その存在を確かめるように触れた。
「あぁあぁぁぁ、アリア、よくぞ無事で」
アトレイズ子爵の嗚咽が、寒風に乗ってこらえきれずに漏れた。彼は、娘の無事こそが、自身の耐え抜いたすべての苦痛への報いだと悟った。
アリアは、駆け寄り、父の胸に顔を埋めた。
「お父さま」
その瞬間、彼女の瞳から、熱い涙が溢れ出した。それは、トールでさえ見たことのなかった、首席補佐官アリアの初めての涙声だった。その涙は、苦境に陥った家族の悲しみ、父の無事への安堵、そして過去のすべてを乗り越えた少女の純粋な解放感を物語っていた。
二時間後。
再び轟音を立て、もう一機の大型空挺輸送機がヘリポートへと近づいてくる。この輸送機は、辺境伯領から、アリアの母と二人の姉を運び出した機体だ。
既に再会を果たしたアリアとアトレイズ子爵が、ヘリポートサイドに並んで立っていた。
ハッチが開き、疲弊しつつも、軍服の保護の下で安全に運ばれた、三人の女性の姿が明らかになる。アトレイズ子爵夫人、長姉カティア、次姉リゼッタのその姿だった。
「お母さま……」
アリアは、先ほどの涙の痕も乾かぬうちに、再び声を震わせた。彼女の母、アトレイズ子爵夫人は、娘の姿と、その隣に立つ夫の姿を同時に認め、ただ静かに泣き崩れた。
アトレイズ子爵一家が、奴隷の身分と幽閉の暗闇から解放され、一人の欠員もなく、このゼノクラシア王国のタワーの上で、久しぶりに全員が顔を合わせた瞬間だった。
アリアの顔は、もう規律や威厳とは無縁だった。彼女の瞳は、大粒の涙で濡れ、唇は喜びと感極まった感情で震えていた。それは、技術と力によって取り戻された、家族の絆という、何物にも代えがたい勝利の涙だった。
◆
シルヴァーグロウ子爵家の次男、リアムは、バルザック商会特別派遣員に促されるまま、ローゼリア王都から馬車で移動していた。行き先は、ゼノクラシア王国への出国手続きを行う「民間空港」だという。
そして、馬車が停止した場所を見て、リアムは驚愕の表情で叫んだ。
「ここが民間空港???」
彼の目の前に広がっていたのは、ターミナルビルでも滑走路でもなく、一面の青々とした草地と、のどかに草を食む十数頭の乳牛たちだった。
「牧場じゃないかぁぁぁぁぁ!!!」
リアムの絶叫に、一番近くで座り込んでいた乳牛の耳が、「ぴくっ」とわずかに動いた。乳牛は、人間の一時の騒ぎなど気にせず、再び静かに草を咀嚼し始めた。
(そもそも空港ってなんだ? 飛行機が発着する場所だと聞いているが、こんなところで飛行機が着陸できるのか?)
困惑するリアムを、バルザック商会の特別派遣員は、慣れた様子で誘導した。
「リアムさま、こちらです。移動手段はあちらでございます」
彼が案内された先には、巨大な納屋がポツンと建っており、その陰には、小柄だが精悍な顔つきの女性が一人、待機していた。彼女は、革製の防護服のようなものを着用している。
「お待ちしておりました。さあ、こちらへ」
女性は、リアムを二輪の乗り物に誘導した。それは、流線形をした、まるで未来の乗り物のようなスピーダーバイクだった。
「これに、乗るのですか?」リアムは尋ねたが、既に拒否権はなかった。
女性はリアムを二人乗りで後部座席に押し込み、ベルトを装着させた。
「さあ、いきますよ」
女性がスイッチを入れた瞬間、バイクの下部から「ブオオオオーン!」という、空気を切り裂くような甲高い起動音が響き渡った。
そして次の瞬間、牧場の地面を蹴ることなく、スピーダーバイクは垂直に、そして凄まじい加速で宙へと舞い上がった。
「うわぁぁぁぁ!」
リアムの絶叫は、一瞬で遠ざかり、空気に溶けていった。乳牛たちが、再び「ぴくっ」と耳を動かしたが、すぐに無関心に戻った。
初めて経験する高高度での高速飛行。大地が急速に遠ざかり、眼下に広がる景色が緑と茶色の曖昧なモザイクへと変わっていく。
リアムの絶叫は、恐怖と興奮でキンキンと響く音へと変わり、彼の心臓はエンジンの駆動音に合わせて、激しく脈打っていた。彼の旅は、ロマンスから一転して、絶叫と超技術に満ちた、予想外の過酷なものとなったのだった。




