アリア家族の奪還(2)
ノースミッドタワーのミーティングルーム。1月7日、午前11時。
「アリア家族大集合作戦」のプロトコルは完璧に構築されたが、作戦の成否を分ける最後の詰めの議論が残っていた。それは、救出対象者に「敵ではない」と即座に理解させるための「信頼の証」だ。
俺は、ホログラム上の作戦図を見つめたまま問いかけた。「俺の部隊が『アトレイズ子爵』の味方だと理解してもらう必要がある。何かアリアの目印が欲しいな。『アトレイズ子爵夫人』のところもそうかな?」
地下牢に幽閉された父、そして辺境の屋敷に隔離された母と姉たち。彼らは突然の部隊の出現に、救出者ではなく処刑人と誤認する可能性が高い。
アリアは、顎に指を当て、わずかに思考を巡らせた後、静かに、しかし確信に満ちた声で答えた。
「はい。その懸念は既に予測しております」
彼女は、軍服のポケットから、厳重に封印された小さなポーチを取り出した。
「わたくしは、アトレイズ子爵家の封蝋印を回収しております。父母には、わたくしが直筆で手紙を書き、わたくしの生きた証拠としてこの封蝋印を使用いたします。彼らは、これを偽造不可能の家族の誓約と認識するでしょう」
その周到な準備に、俺は舌を巻いた。彼女は単に「帰還」したのではない。「勝利」のための武器を持って戻ってきたのだ。
続いて、最もデリケートな婚約者側の状況が語られた。
「また、リアムさま並びにシルヴァーグロウ子爵さまには、この度帰還する際にすべてを打ち明け、リアムさまの同行に了解を得ております。シルヴァーグロウ子爵は、我が国の最新技術、特に生活水準に興味深々でいらっしゃいます」
「嫁ぎ先にはちゃんと根回ししてあるわけね」
俺は、思わず感嘆の息を漏らした。この女は、家族の救出という私的な感情的なタスクを処理しながら、同時に政略的な外交と個人の恋愛を、完璧なロジックで絡めていたのだ。
「では、蒼龍飛龍のメンテナンスが終わり次第、出発の準備を」
俺は、最終的な指令を下した。蒼龍と飛龍――それは、アリアの家族を迎えに行くための俺の威信をかけた高機動型人型ゴーレムの名だ。
「はい」
アリアの返事は、力強く、そして一切の迷いがなかった。
彼女の帰還によって、俺は初めて、背中に背負っていた巨大な荷物の一つを下ろす準備ができたことを悟った。この作戦の成功と、彼女の完全な職務復帰は、ゼノクラシア王国の安定を、確固たるものにする。俺の顔に、深い安堵の色が広がった。
アリアの家族救出計画が最終段階に入り、俺の心は安堵の極みにあった。これで、俺の孤独な戦いは終わる。しかし、安堵したのも束の間、俺はすぐに支配者の義務に戻った。
「アリア、安心したところ恐縮だが、あと3つ手を付けたい業務がある」
恐縮とは言いつつ、俺の声には「もう君がやるんだ」という絶対的な信頼と、徹夜ハイ明けの疲労が滲んでいた。
アリアは表情一つ変えず、静かに応じた。
「はい、既にマザーから概要はレクチャーを受けております」
(さすがアリア! 報告を受けている間に、マザーから全情報を引き出している!)
俺は、ホログラムに表示された地獄のトップ3タスクを睨みつけた。
地獄のトップ3タスク
南部戦争の賠償請求(外交最終段階)
ザック男爵領における『嫁取り強制任務』の進捗監査
セレスティア女王陛下への『春のお忍び計画』の警備プロトコル構築
俺は、そのリストを凝視し、深く呻いた。一つ一つが、国際情勢、行政、そして女王陛下の機嫌に関わる爆弾のような業務だ。
「よし、アリア。上から順にたのむよ」
俺は、何の具体策も指示も出すことなく、タスクの処理を即座に丸投げした。この行為は、「君なら全て解決できるだろう」という絶対的な信頼と、「俺はもう何も考えたくない」という強烈な現実逃避の混ざった、支配者特有の無責任さに満ちていた。
俺の丸投げに対し、アリアは一切の動揺を見せず、静かに頷いた。
「承知いたしました。では、賠償請求の外交最終段階について、わたくしから一つご提案がございます」
彼女は、「嫁取り監査」や「女王のお忍び警備」といった地雷原を横目に、最も複雑な国際外交から着手する覚悟を示した。
(くっ……俺があれほど悩み、頭を抱えていた国家の命運をかけた業務が、アリアにかかれば、ただの『提案』一つで解決に向かうのか!)
俺は、自分の無力さと、アリアのチート級の有能さに、改めて畏敬の念を抱いた。彼女が戻ってきたことで、俺の頭痛はゼロになった。あとは、彼女の『善後策』が、このカオスな王国に、秩序という名の麻酔を注入するのを待つだけだ。
俺は、アリアのチート級の有能さに心底安堵し、全ての重責を彼女に丸投げしたことで、再び椅子の背もたれに深く身を預けた。心の中では「君がいてくれてよかった」という心からの感謝を、「あとはよろしく」という支配者特有の無責任な一言に込めていた。
だが、アリアの「賠償請求の外交最終段階」という言葉を聞いた途端、俺は再び姿勢を正した。丸投げはするが、大方針だけは伝えておかなければならない。特に、俺の思想には極端な二面性があるからだ。
「いやいや、アリアの提案に異論はないよ。ただ一応、確認しておこうかなと」
俺は、恐る恐る、自分の「神の視点と、科学者の冷徹さ」が混ざった最悪の思想を説明し始めた。
「まず、大前提として、アルカディア王国は、一方的に併合する。これは決定事項だ。そして、王国関係者は全員処刑するよ」
その言葉には、国家の威信と亡国への断罪という冷酷な決意が滲んでいた。アリアは、もちろん表情一つ変えず、静かに頷いた。
「そして、アースガルド王国は、決して許さない。国民も含めて全部だ」
俺は、ホログラムに映るアースガルドの領土を睨んだ。その憎悪は、南部戦争での無慈悲な虐殺に根差している。
「それが、俺の考え」
だが、俺の冷酷な思想は、次の瞬間、人道主義と私情によって、あっけなく崩壊した。
「ただねえ」
俺は、急にしおらしい声になり、アリアに助けを求めるような目で訴えた。
「国民に罪はないよね。特にアースガルドの下級国民は、指導層に踊らされただけでさあ。それに、アルカディア王国はすでにザック男爵領としちゃったしさあ。国民を殺すのは、俺の領土の価値を下げることになる」
俺の頭の中で、「全滅させる」という非人道的な復讐心と、「生産性」という合理的な経済観念が激しく衝突していた。
「そこでだ。アリア、君のお父さん、お母さんに、アースガルド王国の善良な国民を導いてもらえたらなぁなんて。ほら、ご両親もこちらにいらっしゃることだし、子爵家という権威もあるからね」
俺は、家族救出というSランクの愛の任務を、即座に「アースガルド国民誘導作戦」という、Sランクの行政任務に組み込んだ。これは、究極の公私混同であり、最高に効率の良い解決策だ。
アリアは、「全滅」と「子爵家の誘導」という、地獄と天国が入り混じった俺の壮大な計画を、感情を一切挟まず、ただ「支配者の大方針」として処理していた。
彼女の顔は、「娘の喜び」と「補佐官の冷静さ」の間で、一瞬だけ揺らいだが、すぐに「この狂気的な計画をどう実行するか」という、純粋な業務思考に戻った。
俺は、「俺の考え」という爆弾を投下し終え、あとはアリアの「善後策」という魔法が、この矛盾をどう解消するのか、わくわくしながら待つのだった。
ノースミッドタワーのミーティングルーム。俺が、自身の矛盾した「殲滅」と「人道」の思想をアリアに投げつけた、その重い沈黙の瞬間を切り裂いて、中央管制ゴーレムマザーの声が響いた。
「御屋形さま、蒼龍飛龍の準備ができました。大型空挺輸送機もスタンバイ状態です。あとは、御屋形さまの指令待ちです」
俺は思わず、アリアを見直した。彼女は、つい先ほどまで、俺の際限のない行政課題と、私情の混ざった大方針を聞いていたはずだ。その間に、最も時間がかかるはずの最終準備が完了しているというのか。
「アリア、ご両親への手紙は?」
俺の問いかけに、アリアは一切の動揺を見せず、簡潔に答えた。
「はい、既に蒼龍飛龍に託してございます。封蝋印も確認済みです」
(この、数分の打ち合わせの間に、手紙を二通したためていたというのか……!)
俺は、アリアの感情を切り離した極限の効率と、家族への深い愛情が、彼女の行動力を異常なレベルにまで高めていることを痛感した。彼女は、俺の優柔不断な指令を待つまでもなく、既に作戦実行の体勢を整えていたのだ。
彼女の瞳は、早く指令を下せと、静かに、しかし強く訴えていた。
俺は、立ち上がり、ホログラムに映し出されたローゼリア王国の地図と、その中に点滅する三つの救出目標を凝視した。
脳裏に、半年前、自分が嘯いていた言葉が蘇る。
『アリアの救済や、彼女の家族を陥れた貴族たちへの復讐に手を貸すつもりはない』
その冷徹な建前は、今、主席補佐官の献身的な愛と、その才能を失う恐怖によって、完全に崩壊した。
俺は、全てを理解した上で、その偽善的な建前を捨てた。
「では、作戦を開始する!!」
その瞬間、俺の指令は、単なる行政タスクの実行指令ではなく、アリアの個人的な復讐と救済に、ゼノクラシア王国の最先端兵器を投入するという、支配者の決断となった。
蒼龍飛龍は、アリアの家族を迎えに、冷徹な空へと飛び立とうとしていた。




