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32歳、人生リセット、ただし異世界で  作者: トール
八章 春が来る前に

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アリアの帰還

 ノースミッドタワーの執務室。俺は、マザーが提示した最優先タスク「次席補佐官の選定」の項目を、ホログラム上で赤く塗りつぶした。


「うん、次席補佐官はギブアップ。誰も思いつかない。アリア以外にこのカオスを処理できる人材は、宇宙にもいない。よって、アリアを呼び戻そう。それが最短の解決策だ」


 俺は、一国の支配者としてのプライドを捨て、最強のAIが導き出した「ボトルネックの解消」という論理から、「最も簡単な解決策(アリア召喚)」へと逃げ込んだ。


 だが、すぐにアリアを呼び戻せるわけではない。彼女は今、人生最大のイベントを謳歌している最中だ。俺は、その現実逃避と、セレスさまへのプレゼント選定時に味わったあの「ロイヤルブルーの瞳の安堵感」を求めて、マザーに指令を下した。


「で、今は何をしているのかな。まずは昨年12月24日からの足取りを教えて、マザー」


 俺の顔は、『国家の最高機密を探る』時と同じくらい真剣だった。目的は、『部下のプライベートな幸せの確認』という、最高にどうでもいい情報だ。


 マザーは、俺の情けない依頼を、一切の感情を挟まず受け入れた。


「了解しました。主席補佐官アリアの私的行動履歴を、最高優先度で読み上げます」


 ホログラムには、複雑な軍事配置図の代わりに、『アリア行動ログ』というタイトルが表示された。


 アリア主席補佐官・私的行動履歴(抜粋)

 昨年12月24日 15:30: ローゼリア王宮にて、婚約者と無事接触成功。婚約者、感極まり涙を三滴流す。


 12月25日 09:00: 婚約者と共に、ローゼリア王都の市場へ。リンゴを一個購入。価格はゼノクラシア市場価格の1.2倍。


 12月26日 19:45: 婚約者とキャンドルディナーを敢行。アリア補佐官、ワインを半杯摂取。酩酊レベルは危険域に達せず。


 今年1月1日 08:15: 婚約者の朝食はチーズパン。付随する情報として、アリア補佐官も同じパンを摂取。その際、「美味しいですね」と発言(音声解析による)。


 1月3日 11:40: 婚約者が、庭園で野良猫を抱き上げようと試みるも、失敗。アリア補佐官は、その様子を見て小さく微笑む(監視ドローン映像解析による)。


 1月4日 14:00(現在): 両名、ローゼリア王宮の図書館にて、歴史書『古代魔法文明の終焉』を閲覧中。学習効率は極めて高いと判断されます。


「以上が、主席補佐官の追跡調査結果です。すべて、国家の最重要課題に影響を及ぼす可能性があるため、逐一監視を継続します」


 俺は、マザーの「学習効率は極めて高い」という、本題とは何の関係もない事務的な報告を聞き、心の中で深くため息をついた。


(ちくしょう、本当に楽しそうだな、アリア!)


 俺は、自分の過酷な労働環境と、アリアのワイン半杯のロマンス、そしてチーズパンの喜びを比較し、さらに疲労を深めるのだった。それでも、その情報が、俺の「次席補佐官はいない」という絶望を、わずかに和らげる甘い麻薬となっていることを、俺は認めざるを得なかった。


 俺は、マザーが提示したアリアの「チーズパンと野良猫とのロマンス」という、甘美で平和な休暇記録を睨みつけた。


(くそっ、この国が併合と処刑と子作りを同時進行させている間に、主席補佐官は学習効率の高い歴史書の閲覧だと? 贅沢すぎる!)


 俺は、自分の二日間の徹夜と、ザック男爵領の「強制嫁取り任務」の重圧を思い出し、アリアに対する嫉妬を隠せなくなった。


「では、アリアのクリスマス休暇と、お正月休暇は終了ということで。そうだな、1月7日にも呼び戻して。それ以上休ませる理由は、国家の存続という観点から、存在しない」


 俺は、「女王のお忍び計画」と同じくらい強引な論理で、アリアの休暇を一方的に打ち切った。


「承知いたしました。主席補佐官アリアの帰還スケジュールを1月7日に設定します」


 マザーの事務的な声が、俺の非情な決断を裏付けた。


 そして俺は、自らに「これは業務だ」と腹を括らせるために、最も喫緊の課題に話題を移した。それは、アリアの帰還を円滑に進めるための、人道的配慮(という名の業務)だった。


「それと、アリアのご家族の情報、父、母、二人の姉だっけ? の情報もあれば、リストアップして」


 俺は、腕を組み、真面目な顔を作った。


「確か、母と姉二人は、ローゼリア王国の辺境にいたはずだ。もしそれが喫緊の課題なら、彼女の戦線復帰を早めるためにも、3人をレスキューに行かなきゃ」


(よし。これでいい。「主席補佐官の業務効率の最大化」という、最も合理的な理由で、主席補佐官の家族の救出という、最も人道的なタスクを実行できる!)


 俺は、アリアへのささやかな嫉妬心を、「業務遂行」という硬い鎧で完全に覆い隠した。


「マザー、このタスクの優先度は?」


「分析結果:主席補佐官アリアの精神的安定モチベーションは、王国全体の行政効率に直結します。家族の安全確保は、最優先(Sランク)のタスクと判定されます」


「Sランクか!」


 俺は、自分の下した「業務」のための決断が、AIによって最高評価を与えられたことに満足した。


 こうして、「最強の補佐官を早く働かせたい」という支配者の身勝手な動機と、「部下の家族の幸せ」という人道的な任務が、ノースミッドタワーの地下でSランクの最優先タスクとして、コミカルに融合することになったのだった。


 俺は、アリアの家族救出をSランクの任務として設定し終え、すぐに「核融合王国の行政効率の根源」たる主席補佐官に直接アクセスした。


「マザー、アリアと隠ぺい暗号通信を開いてくれ」


「はい。通信プロトコルを確立します」


 ノースミッドタワーと、ローゼリア王国の図書館おそらくを結ぶ、厳重なセキュリティラインが敷かれた。俺の脳内に、アリアの凛とした、しかし少し甘やかな声が響いた。


「はい、御屋形さま。お久しぶりでございます」


 俺は、その声にどれだけ飢えていたか、改めて痛感した。この声こそ、チーズパンでも水蒸気タービンでもなく、この王国の真の安定化因子なのだ。


 俺は、一国の支配者としての威厳を最大限に発揮し、一切の冗長な挨拶を排して、単刀直入に用件を伝えた。


「よぉし、アリア。帰ってこい。1月7日の朝9時にミーティングルームだ。それまでに君の頭の中で整理された、課題や善後策は、そこで報告を受ける。以上」


 俺の言葉は、「休暇終了、即時復帰」という非情なものだった。アリアのワイン半杯のロマンスも、野良猫を抱き上げようと試みる婚約者も、すべて過去のことになる。


 しかし、その直後にアリアから漏れたのは、拒否の言葉ではなかった。


「あぁぁ、御屋形さま……」


 アリアの深い吐息が漏れた。それは、「楽しかった休暇が終わる」ことへのため息と、「このカオスを私が処理しなくてはならない」という重圧、そして「再び御屋形さまの役に立てる」というプロ意識が入り混じった、複雑な嘆息だった。


 そして、その直後の一言が、俺の徹夜ハイをも凌駕する歓喜を呼び起こした。


「善後策をお聞きいただけるのですね。承知いたしました」


 善後策!


(そうか! アリアは、休暇中に溜まったであろう、山のような未処理案件と、俺の無茶な指令(お忍び、併合、子作り)に対して、すでに解決策を用意しているのだ!)


 俺の頭の中で、マザーが提示した「次席補佐官の選定ボトルネック」というタスクが、瞬時に消滅した。


「よっしゃあああああ!」


 俺は、宮殿の執務室で、まるで金鉱を掘り当てた探鉱者のように飛び跳ねた。


「善後策だ! 善後策! 彼女は解決策を持って帰ってくるぞ! ザック男爵領の『嫁取り強制任務』の失敗も、バルザックの『跳ねる小鹿商会』の暴走も、すべてアリアの頭脳が解決する!」


 俺は、孤独な王として呻き苦しんでいた数日間の苦労が、1月7日の朝9時をもってすべて報われることを確信した。


「善後策」という、アリアの持つ魔法の言葉一つで、俺の心は一気に快晴となった。俺は、まるで子供のように喜び、技術担当ゴーレムに命じて、ミーティングルームのコーヒー豆を最高級のものに交換させた。


 これで、ゼノクラシア王国は、核融合炉の安定と首席補佐官の帰還という、二つの絶対的な安定基盤を手に入れたのだった。




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