第一大隊長の覚悟
ノースミッドタワーの通信回線を介して下された指令は、一瞬にして、ザックの全身の血潮を沸騰させた。
「ザック。第一大隊は、これより戦後処理、及び賠償請求支援隊とする」
その言葉は、彼が四ヶ月間担ってきた王城警備という、形式的な名誉を一瞬で剥ぎ取り、彼と彼の隊を王国の最も暗い側面へと引き戻した。彼らの任務は、もはや剣を振るうことではない。南部戦争の戦犯の追跡、占領地で発生した犯罪の調査、そして賠償請求に必要な揺るぎない証拠の確保。それは、勝利の後に残された血と泥の中で、「正義」という目に見えないものを掴み取る作業だった。
ザックは、静かにホログラムの通信を切断した。彼の顔に、疲労や困惑の色はなかった。あったのは、この重責を課されたことに対する、深い納得と、静かな高揚感だ。
(御屋形さまは、この任務の重さを誰よりも理解しておられる。そして、このプレッシャーこそが、第一大隊に期待されている証だ)
王城警備の平穏な日々は、彼の精鋭たちにとって退屈なものとなっていた。彼らは、戦闘のプロであり、戦場の狂気を知る者たちだ。そして今、御屋形さまは彼らに、戦争の後の狂気、すなわち、法と倫理の境界線での戦いを命じたのだ。
「法務支援」とは聞こえが良いが、それは「汚れ仕事」に他ならない。感情を廃し、過去の傷を抉り、隠蔽された真実を暴き出すこと。それは、剣を交える戦場よりも、隊員の精神を摩耗させる。
「だが、この重責こそ、このプレッシャーこそが、御屋形さまの期待だ。これに応えなくて、何が部下か」
ザックは、腰に佩いた剣の柄に、無意識に触れた。剣は、もはや人を斬るためではなく、正義の線引きをするためにある。
彼はすぐさま、中隊長たちに招集をかけた。オズワル、カイン、レイブン。彼らは、この新たな指令に驚き、そして燃え上がるだろう。
「戦争は終わったのではない。これから、真の戦後が始まるのだ」
ザックの瞳の奥には、新たな任務に対する覚悟の炎が宿っていた。彼は王国の「法の剣」として、自ら泥の中に飛び込み、その剣を汚すことすら厭わない決意を固め、静かに、しかし力強く業務へと向かうのだった。
第一大隊は、もはや王城の警備隊ではなかった。彼らは今、ゼノクラシア王国の南東部、敗戦国アルカディア王国と国境を接する、厳重に警備された境界線にいた。大隊長ザックの部隊は、戦後処理のための「法の剣」として、この悲壮な最前線に配置されていた。
その編成は、過去のどの部隊よりも、技術と持久力に重点が置かれていた。中核となる各中隊には、九名の精鋭と、彼らの戦闘力を飛躍的に高めるマナクリスタル・デバイス・プラス(MDプラス)が配備されている。通信部隊には五十機の探索ドローンが付随し、広大な国境線の隅々まで監視を徹底。後方には三十名の兵站部隊と十機の重装甲ゴーレムが、冷徹に物資と防衛線を支えていた。
ザックは、国境線を遠望できる高台の監視ポイントに立っていた。彼らの任務は、アルカディア王国との摩擦を防ぐことだけでなく、「不法入国」を押しとどめること。
国境の向こう側は、圧倒的な敗戦によって国力が劇的に低下した、嘆きの国の様相を呈していた。南部戦争の惨禍が、アルカディアから生産の中心となる青年、壮年男性を軒並み奪ったのだ。残されたのは、老いたる者、幼い者、そして絶望した女性たち。
数分おきに、国境線を這うように戦闘ゴーレムが静かにスキャンしていく。ゴーレムの赤い光は、人間的な感情を一切排除した、冷たい防壁の象徴だった。
「思えば遠くに来たものだ」
ザックは呟いた。彼らがかつて戦った敵国は、今や国境線を越えて逃げ出そうとする人々で溢れている。彼らは侵略者ではなく、飢餓と絶望から逃れる避難民だ。しかし、ゼノクラシア王国にも、受け入れられる物理的、経済的な余裕はない。
国境線近くの集落では、時折、痩せ細った子供を抱えた女性が、絶望的な表情で鉄条網の向こうからこちらを見つめている。彼女たちの瞳には、希望の光ではなく、飢えと疲弊の深い影が宿っていた。
第一中隊長オズワルの報告が、通信機から入る。
「大隊長。第三警戒区域にて、五名の集団が突破を試みています。非武装、衰弱が著しい女性と高齢者と判明」
「抑えろ。だが、一切の暴力は禁止だ。警告射撃のみで押し戻せ。我々は法の剣だ。彼らをこの国の法の下で裁くわけにはいかない」
この国境警備は、ザックにとって最も困難な任務だった。彼らは敵を討つのではなく、生き残ろうとする人間の本能を、冷徹な国境線という名の法で押しとどめる。
第一大隊は、「正義の剣」として、この悲惨で悲壮な現実と、そして彼ら自身の人間的な感情との間で、静かに、しかし過酷な戦いを続けていた。彼らの守る境界線の向こうには、戦争が残した人間の尊厳の崩壊という、最も重い現実が広がっていた。
第一大隊の中央指令本部。国境線の冷たい現実とは裏腹に、その内部は高性能な魔導技術で厳重に守られていた。大隊長ザックは、ホログラムテーブルに広げられたアルカディア王国の地図を睨みながら、極めて重い決断を下した。
「では、これからアルカディア王国に対する前戦争の賠償請求を行う」
指令が下されると、三名の精鋭、ヴァルター、フェルディナント、そしてジルベルトが、一歩前に進み出た。
「ヴァルター、フェルディナント、ジルベルト」
「はい」
三人は完璧な姿勢で応じるが、その表情には緊張の色が全く見えない。ザックの目は、その余裕綽々とした彼らの顔に釘付けになった。
「君たち3名に対して、それぞれ女王陛下の書簡を託す。内容は外交機密だ。書簡を、アルカディアの仮首都まで無事に届け、そして外交団を護衛し、必ず生きて帰ってきてくれ」
ザックの声は、心からの心配を込めて絞り出された。彼らの任務は、事実上の敵地への潜入であり、最も危険な外交の第一歩なのだ。
「はい」
三人の斥候は、恭しく女王の書簡を受け取った。
「無事に帰ってきてくれ」
ザックの心配は、全くの無用だった。
なぜなら、三人の斥候の後ろには、それぞれ彼らを遥かに凌駕する能力を持つ、高速機動型マナクリスタル・デバイス・プラス(MDプラス)が控えていたからだ。
MDプラス、通称『移動式チートエンジン』。それは、彼らの背中に装着されたパックから伸びる、超小型の魔導浮遊ユニットで、音速の三分の一で機動し、半径500メートルを完全にステルス化できる代物だ。
ヴァルターは、背後のMDプラスに「今夜の夕食に間に合うスピードで」と軽くコマンド入力しながら、ザックに言った。
「大隊長。ご心配なく。アルカディアの現行技術では、我々の『帰りの足』を捉えることは不可能です。書簡はホットコーヒーが冷める前に届きます」
フェルディナントは、MDプラスの駆動音を消しながら、余裕の笑みを浮かべた。
「むしろ、問題は『暇つぶし』です。向こうの警備兵の動きが遅すぎて、つい手裏剣の練習をしてしまいそうになります」
そして、ジルベルトはMDプラスの姿勢制御を確認しながら、
「我々は戦闘には行きません。高速郵便配達に行くのです。ただし、その荷物が国の命運を決める手紙だというだけです」
彼らは、ザックの悲壮な覚悟を他所に、まるで近所のコンビニに行くような気軽さで、外交史上最も危険な任務へと出発した。
ザックは、静かに国境線を飛び越えていく三つの微かな残像を、呆然と見送った。彼らが心配していたのは「生きて帰れるか」ではなく、「どれだけ退屈せずに任務を遂行できるか」だったのだ。
「……思えば、御屋形さまの技術は、兵士のメンタルすらもチート化するのか」
ザックは、彼らが安全に帰還することを確信しつつ、自分の重すぎる心配が最新技術の前では無力であることを痛感し、苦笑いを浮かべるしかなかった。




