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第14話 俺の罪

明かりの消えた室内で、小さな沙穂の寝息が聞こえてくる。


「……ん、たつやくん」


安心しきって、無防備な笑顔で寝ている沙穂が、寝言で俺の名前を呼ぶ。


腕の中から沙穂の小さな鼓動と、心の奥から暖かさが湧き上がってくる。


そっと髪をなでると、その寝顔がへにゃりと崩れる。


胸が軋まなくなった、一番好きな表情にほほが緩む。


いつまでもこのままでいたい誘惑にかられる。


だからこそ、いつまでも甘えっぱなしではいられなかった。


俺がベッドから抜け出そうとすると、沙穂の小さな手が俺の指をつかむ。


「……たつや、くん?」


ぬくもりが離れたことに気づいた沙穂が、無意識に俺を引き留める。


「トイレだ」


「……あーい」


手を放してくれた沙穂が、冷えないように肩まで布団をかける。


……嘘は、言っていない。




トイレに入り、鍵を閉めた俺は、ゆっくりと深呼吸をする。


今から向き合おうとすることに、気づけば肩が揺れ、手が震えていた。


「……あの日、沙穂を守れなかった俺が……今度こそ守るためには」


なかったものとしてきた事に、向き合わなければいけない。


正面の空間に向かって手をかざす。


「アイテムボックス」


その言葉とともに、目の前の空間に亀裂が走る。


本来の開封条件は念じるだけ。


異世界にいた時には、呼吸するように扱っていたものなのに。


だけど、それでは亀裂を生じることすらできず。


口に出さなければならないほどに錆びついていた。


心臓が、早鐘のように鳴り響く。


手を、捻る。


黒い空間がねじ曲がり、黒い箱状に形を変える。


「……開けっ!」


そう念じると。


俺の目の前に沙穂の笑顔が突如として浮かび。




次の瞬間その顔が急激に朽ち果て。


朽ちた頭蓋を晒した沙穂の、黒い眼窩が俺をのぞき込み。


その場で崩れ落ちた俺は、便器に顔を突っ込み胃の中身をすべてぶちまけた。




中身をすべて出し切った俺は、震えが止まらない体を抱えてうずくまった。


「……俺、こんなに……弱かったっけな」


数えきれない程の怪物を屠ったこの手が、今更こんな箱一つ開くこともできないのかと。


俺の口からは。


沙穂には絶対に聞かせられない、震えた情けない声しか出なかった。


そして、これがお前の罪だと。


忘れることは許さないと。


蓋をしていた罪の記憶が、噴き出した。







龍哉が間に合わず、沙穂の命が失われた後。


亡くなった沙穂は、近くの町外れの教会に埋葬された。


墓石には、この世界の人にはわからない、龍哉だけがわかる日本語で。


『八星 沙穂』と龍哉の手によって刻み込まれていた。


まだあどけなさの残る少年である龍哉は。


墓石に、街の花屋で包んでもらった白い花束をそっと手向ける。


「なぁ、沙穂。神様言ってたよな。魔王を倒したら、願いを叶えてくれるって」


泣きはらした目で、だけど絶対に助けるという強い意志をもって。


「だから、待っていてくれ。俺が、魔王を倒して沙穂を救ってくれって願うまで!」


覚悟を決めた少年は、振り向かなかった。


「沙穂が寂しくないように、また墓参りに来るよ!」


少年の背を押すように、そっと風が吹き。


花弁が舞った。







墓石の増えた協会に、老年に差し掛かった男が訪れる。


少し年月を経た墓石は、奇麗に手入れされていて当時と変わらぬ姿でそこにあった。


彼は、獣毛に覆われた手で、彼女を思い起こす可憐な花を手向けた。


「もう、花屋はなくなっていて、前の花と違うけど許してくれな、沙穂」


墓前に手を合わせる指先は、鋭い鱗に覆われていた。


「思ったより、魔王軍が強くてな……お前と違って、アイテムボックスしか貰えなかった俺だと、もう少し時間がかかりそうだ」


異形の腕を握り締めた男は、それでもと力強く立ち上がる。


「でも、寿命を延ばす方法は見つけたんだ。だから、まだ俺は戦える」


すでに甲殻で覆われ始めた表情で、無理矢理に笑みを浮かべる。


「……俺は、諦めないからな」


男に寄り添うように温かい風が吹き。


小さな花弁が舞った。







墓石は増えていなかったが、多くが崩れ、建物も崩れた協会に、異形の人型が訪れる。


崩れた墓石の中で、その墓だけはきれいに手入れがされ、当時の面影を残していた。


異形はその鋭い爪で、少し削れて浅くなった刻まれた名を愛おしそうに深く掘りなおす。


「もう、こんなものしか無くてな。許してくれ、沙穂」


力なく語りかけた異形が、野原で摘んできた、小さな小さな白い花をそっと手向ける。


「ようやくだ。ようやく、魔王に挑む準備が整ったよ、沙穂」


愛おし気に名を呼ぶも、異形の脳裏に浮かぶ少女の面影は掠れ、ゆがみ始めていた。


「みんなが力を貸してくれる総力戦だ。……みんなと言っても、沙穂が知ってる人は誰も残っていないけどな」


既に人の理を越えた異形は、悲し気に笑おうとし、甲殻でできた顔は微動だにしなかった。


「終わらせてくる。もうすぐ、もうすぐだ。待っていてくれ」


少し冷たくなった風が、それでも異形を包むように吹いた。


一かけらの花弁が舞った。







殆どの墓石が崩れ、もはや協会の面影もない廃墟に、人ならざる異形が訪れる。


辛うじて唯一形を保っている墓石には、彼女の名前が残っていた。


足を引きずりながら、墓石の前にたどり着くと、枯れ果て崩れかけの花を手向ける。


右しか残っていない手で、愛おし気に墓石に触れようとして持ち上げ。


自らの刃物より鋭利な指先をみて、そっとその手を下ろす。


「魔王を追い詰めた。みんなを犠牲にして、追い詰めて。追い詰めたのに、倒しきれなかった」


地面を握り締めた右手が、朽ちた石畳を砕く。


「倒しきれなかったことでよみがえった魔王の手で、みんな散り散りになって……帰ってこれたのは俺だけだった」


諦めが滲みながらも、それでも、体が動く以上、止まることはできぬと。


「……行ってくる」


もはや少女の輪郭しか思い出せない異形は、それでも立ち上がる。


長い尾を引きずり一筋の線を刻みながら。


「……もう、手段は選ばない」


一瞬、冷たく乾いた向かい風が、異形を押し返すように吹いた。


手向けられた花が崩れ、舞い散った。


舞い散る花弁を、異形はただ見つめていた。




かつて、季節ごとに咲いていた花々はとうに尽きた。


風は止み、陽は射さず、もうどこにも命は芽吹かない。


彼はそれでも、崩れた瓦礫の中から野草を見つけては摘み、墓前に捧げ続けてきた。


……ただ、それはもう、祈りとは呼べなかったのかもしれない。







もはやそこが教会で、墓があるのなど誰にも気づかれない荒れ地に、巨大な異形が這い寄る。


かつて誰かの墓石だった残骸を踏み砕きながら、巨大な異形はまっすぐに、一つの石くれに歩み寄る。


微かに刻まれたものが、辛うじてそれが墓石だったということを主張していた。


異形は、誰かに話しかけるのではなく、自分に言い訳するように繰り返す。


「人類はもう誰も残っていない」


甲殻を擦り合わせたようなその声が、辛うじて言葉として聞き取れる。


「魔王はもう二度追い詰めた」


巨大な3対の翼が、かつて少女の墓だった石くれを包むように広がる。


「魔王は、勇者以外は殺せない。俺では、殺しきれない」


魔族へ厄災を齎す邪悪な龍と化した、


「だから」


かつて周防龍哉と呼ばれた男は。


「もう、この方法しかない」


巨大な異形の腕で、誰よりも愛しいはずの少女の墓を掘り起こす。


せめて、誰にも見られないようにと、6枚の翼で覆い隠しながら。


朽ちた石櫃を掘り起こし、少しでも自身の罪から逃れようと、ゆっくりと蓋を開ける。


小さな、白い骨だった。


一瞬、長いこと風化していた彼女の姿が思い浮かぶ。


それよりも、ずっとずっと小さく思える骨。


そして、愛おしさを覚える彼女の姿が、目の前の朽ちた遺骨に焼き替えられていく。


最早、彼の中に残る少女の面影は、この朽ちた遺骨だけだった。


全身の甲殻が軋み、悲鳴のような音が鳴り響く。


それでも、それでも。


止まるわけにはいかないのだと。


なぜ、魔王を殺さねばならないかも忘れ果てた男は。


異形の手で、白い遺骨を掬い上げる。


骨に触れるその手は、どこか震えているようにも見えた。


……男は何かを口にしかけて、やめる。


言葉など、もう届かないと知っているから。


邪龍の、濁った赤い瞳に、朽ちた頭蓋の眼窩が映り込む。


焼き付いた姿を否定するように瞳を閉じると。


その手に、力を込めた。




風のない墓地で、静かに。


一つの刃が生まれた。






──もう、俺に花を手向ける資格はない。

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