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第二十八話 二つの署名

 ルーシュは朝からポットで湯を沸かしていた。大きな泡が勢いよく出てくる様子を眺める。

 火を止め、用意した二つのティーカップに沸いたお湯を入れる。そして、残ったポットのお湯の中に茶葉を入れた。先日、アウグストが持ってきた高級品だ。銀製の筒に入った紅茶なんて、一般人がお目にかかれるわけがない。

 茶葉を入れたポットに蓋をし、タオルを巻きつけて蒸らす。

 普段、自分のためにここまで手間はかけないが、せっかくの高級品。おいしく飲みたいものである。そして、おそらく、今日はお客が来るはず。

 そろそろ頃合いかな、と巻いたタオルを外していると、見ていたかのようなタイミングでノックの音がした。扉を開けると、予想通りアウグストがいた。


「部屋の中、監視でもしてる?」

「……は?」


 アウグストの顔に一瞬、戸惑いが混じった。ルーシュはそれが何だか面白くて軽く吹き出した。


「いや、何でもない。あまりにも図ったようなタイミングだったから。ほら、淹れたての紅茶あるよ」

「……ああ、それはありがたい」


 ルーシュは室内に戻り、ティーカップに入れたお湯を捨て、蒸らした紅茶を注ぐ。


「はい、どうぞ」


 アウグストは最近定位置にしている椅子にすでに腰掛けていた。ルーシュは机に二つのティーカップを並べる。


「……最初から二人分用意してたのか?」

「まあ、今日は朝から来ると思ってたし。むしろ、昨日あっさり帰ったからびっくりしたよ」

「ああ。まあ……兄上がいたしな」


 アウグストが紅茶に口をつけ満足そうな顔をしたのを確認しながら、ルーシュは昨日エルザから受け取った羊皮紙を、一枚を残して机の上に置いた。


「何だ、この白紙?」

「これが、例の『直接渡したいもの』だった」

「これ、何でこんなくしゃくしゃなんだよ」


 アウグストは羊皮紙を一枚持ち上げ、ヒラヒラと揺らしながら眺める。


「ああ。なんか、元々はラインベルク家の当主が机の脚の下に挟んでいたらしい。ガタガタするからって」

「机の脚?」


 アウグストが眉を顰め、信じられない、という表情を浮かべる。


「修理が面倒だったんだと」

「面倒って……自分でするわけでもなかろうに」

「で、その後、花瓶の緩衝材としてエルザのところに丸めて送られてきたらしいから」

「……」


 アウグストが他の羊皮紙を手に取り、順に眺める。


「だから、二人で話したいってことか」


 その呟きに、紅茶に口をつけようとしていたルーシュは顔を上げた。アウグストは羊皮紙に視線を向けたまま淡々と口を開く。


「そうなんだろ?そもそもラインベルク家の邸宅にはうちの臣下がいる。なのに、わざわざ緩衝材に混ぜて彼女に送った。で、あの村には兄上がいるのに、わざわざおまえを呼び出した」


 アウグストはルーシュに目線を移した。


「うちの者にバレたくないってことだろ?」


 ルーシュも淡々と返す。


「というより、ラインベルク家の立場をこれ以上悪くしたくないってことだろ。処分はもう決まったわけだし。ロイエンタールは国王の命で管理しているわけだから、何でもかんでも話せるわけじゃないことは理解できるだろ?」

「……それで?俺は帰った方がいいか?その方がいいなら言ってくれ。疎ましく思われるのは慣れてる」 


 公爵家の息子。神学校でさえ、その肩書きだけを求めて寄ってくる者も、逆にそれを理由に遠ざかる者もいた。ルーシュは困った顔で笑いながら一息吐いた。


「……そんなことに慣れんなよ」


 アウグストは一瞬目を丸くした後、複雑な表情で目を逸らした。


「それより……」


 ルーシュは残っていた一枚の羊皮紙をアウグストに差し出した。それは、唯一、文字と図の一部が描かれていたもの。


「これ、見てみて」


 アウグストはその紙に書かれた文字を見て目を見開いた。


「……これって」

「そう、二年前にヴェルツ正教が開発してた装置──『時告げ歯車』。」

「……何でこの紙がラインベルク家に?あの装置の開発に関わっていたってことか?」

「……わからない」

「流石にこれを隠しておくのは無理だろ!」


 アウグストが勢いよく机に手をつくと、ティーカップが倒れた。


「あ、やべ!」

「おい!紙が濡れる……!」


 ルーシュが紅茶のかかった紙を持ち上げた。


「……悪い」


 アウグストが恐縮した表情で倒れたカップを戻す。


「拭くものどこだ?」

「あそこの布巾取ってくれ」


 アウグストは布巾で机を拭いた後、丁寧に紅茶で濡れた羊皮紙を拭っていく。


「一旦、紅茶は片付けるか」


 ルーシュが紅茶を台所に戻してくると、拭いた羊皮紙を凝視した状態でアウグストが動きを止めていた。


「どうした?」

「これ……」


 アウグストは羊皮紙から目を逸らさずに呟いた。ルーシュも机の上の羊皮紙を覗き込み息を呑んだ。

 そこには、不可思議な歯車装置の詳細な設計図が描き出されていた。


***


「つまり、ph感応性インクってことか」

「ああ。酸性の紅茶には反応しなかったってことは、布巾に残ってた石鹸の塩基性で色が変わったんだな」


 二人は片付けた机の上に先ほどの羊皮紙を並べた。布巾で拭いた部分だけ、薄らと図と文字が浮かび上がっていた。


「他の紙も試してみよう」


 ルーシュは石鹸を水で溶き、布で少しずつ羊皮紙に付けていく。まっさらだった紙面に徐々に図や文字が現れてくる。


「やっぱり設計図みたいだな」


 『時告げ歯車』と名前が書かれていた紙には、その下に装置の外観図と目的、機能、操作方法などが記載されていた。

 輪郭だけでもおおよその構造が見えてくる。中央には垂直に伸びる太いシャフトが通され、上部には杯状の受容皿のような部品、下部には大小さまざまな歯車群が何層にも組み合わさり、台座のような円盤に支えられていた。動力源や固定装置までは不明だが、明らかに精緻な内部機構をもつ装置らしく、手描きの図にも随所に注釈や注意点が書き込まれていた。

 二枚目には装置の全体組立図、三枚目には中枢部の部分組立図、四枚目には上下二重振り子の部分組立図。


「設計図の一部ってことだな。部品点数を見ても、まだまだあるはずだし」

「そうだな」


 ルーシュは『時告げ歯車』の概要が書かれた紙をじっと見つめる。そして、下端を軽く撫でた。


「どうした?」

「ここ、見て」


 アウグストはルーシュの示す紙の端を覗き込む。そこには二つの署名があった。一つは当時のヴェルツ正教大教皇、そしてその横にあるのが──


「……アデルハイト・レオント……レオント家の王太子か……」


 ヴェルツ正教とレオントの名前が並ぶ。否が応でも、数か月前に発見された不可思議な歯車装置が思い浮かぶ。


「……どういうことだ?『時告げ歯車』はヴェルツ正教が秘密裏に開発していた装置だろ?何で王太子の名前が……?」


 アウグストは両手を持ち上げ、文字通り頭を抱えた。静かにその様子を見ていたルーシュは、ふっと息を吐き、静かに口を開いた。


「……考えられるのは二つだね。一つは、ヴェルツ正教が前王朝と開発していた装置を完成させようとしてた。もう一つは……時告げ歯車は二つある」

「こんなものが二つもあってたまるかよ!」


 アウグストにしては珍しく大きな声を上げた。だが、その後の静まる空気に冷静になったのか、ゆっくりと意見を述べる。


「一つ目はないだろ。それなら、革命なんて起こすはずない。権力も資金もあるんだ。利用した方が賢い」

「……だよな」


 二人の間に沈黙が流れる。こんな禁忌を犯す装置が二つも存在する。そんなことを簡単に受け入れられるわけない。

 先にこの沈黙を破ったのはルーシュだった。


「……なあ。ヴェルツ正教が開発してた装置って、見れないかな?」


 不意を突かれたように、アウグストが眉を上げて振り返る。意外そうな表情に、どこか戸惑いが混じる。


「……あれは、国王直下の倫理委員会が管理してるはずだろ?一般人が見れるわけない」


 今度はルーシュがアウグストの方を向き、真正面から視線を合わせた。その目は静かで、だが、どこか探るような光を湛えていた。


「わかってる。一般人、だろ?おまえはどうなの?現物を見れば、本当に二つ存在するかどうか、わかるだろう?」


 アウグストは、その目に宿る光にたじろぐ。アウグストはわずかに口を引き結び、腕を組んで考え込んだ。


「……わかった。許可がもらえるかは保証できないけど」


 それに対してお礼を告げたと思ったら、ルーシュはすぐに羊皮紙に視線を向けた。アウグストも苦笑いを浮かべつつ、一緒に眺める。


「そもそも、どういう理論で時を操るんだろうな?」

「設計図に検証内容まで書いてないだろ」


 二人はそんな会話をしながら、目的よりも原理に想いを馳せれる時を楽しんだ。いつまでも、そういられる訳ではないことを分かっていたから。

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