第二十七話 静かなる盾
エミールは木製の扉の前で立ち止まった。ノブに手をかける前に、一度大きく呼吸する。そして、覚悟を決めて扉を開けた。
エミールはグリュンヴァルト村でヘルムートに二つの頼み事をしていた。その一つがこれである。
***
「カスパール領で宿泊する際に、第三銀鉱区の小領主と話をしたい」
「……ディーター伯爵を通さずに、ですか?」
「ディーター伯爵は王宮勤めでどうせ自領にいないだろ?」
「ですが、領主を通さずに、領地内の者を呼び出すと言うのは……」
「わかっている。断られたならそれでいい。この手紙を渡して、拒否するなら無理強いしなくていい」
「……わかりました。では、手紙はお届けします」
手紙にはロイエンタールと分かる封蝋が押されていた。
「もし会えるなら、ロイエンタールの馬車で迎えに行ってくれ」
「……あくまで内密に連れてこい、と言うことですね?」
その分かりきった質問にエミールの視線が鋭くなる。
「わざわざ確認しなくていい」
「失礼しました。ご指示通りに対応いたします」
***
来てくれるかどうかは定かではなかったが、思ったより小心者で助かった。
エミールはドアをノックしドアを開けた。中には、品の良い身なりをした中年男が座っていた。
(父上と変わらないくらいの歳か……)
エミールが部屋に入ると、男は急いで立ち上がり深く頭を下げた。エミールは座るよう手で指示をし、自分も向かいの椅子に腰をかけ、笑顔を作った。
「エミール・ロイエンタール侯爵殿。この度はどのようなご用件でこのような場を……」
相手の声が震えているのがわかった。エミールはできるだけ、柔らかく声をかける。
「なに、少し確認したいことがありまして」
「いくら侯爵殿下でも、ディーター伯爵を通さずに呼び出されるのは……」
語尾が弱々しくなっていく。通常、これだけ地位の差があって文句を言えるものではない。
「私は、あなたのことを想って直接呼び出したんですがね」
エミールはいつも通り微笑みかける。その笑顔虚しく、相手の顔色はどんどん悪くなっていく。
「あなたの村で採れている資材ですが、数か月前のこの三月だけ出荷量が減っているようでして」
エミールが河港での計測値を記した書類を机に置く。
「……その時期は大雨がありましたから……その影響かと……」
独り言のように呟く。
「そうですか。大雨はその月の採取量だけでなく精錬量にも影響するのですね」
「……」
エミールは追加で該当月の出荷重量が記された書類を机の上に載せた。
「先ほどの話ですが、不思議なことに出荷重量は変わっていないようなんですよね」
小領主は下を見つめたまま口を開いた。
「……ああ、秤の調子が悪かったような気が……」
「なるほど」
「ですので、この後、調整して元の精度に……」
「では、その記録を確認しましょう。銀の出荷重量を測る秤です。もちろん、正規のルートで認定技師に依頼したのでしょう?」
エミールが微笑みかけても、もう顔を上げてくれなくなった。
「幸運にも、私はこの領地であなたを処分する権利はないんですよ。ただ……いつまでもディーター伯爵に黙っていられるかはわかりません」
やっと俯いていた顔が上がった。エミールはいつも通りの笑みを見せる。
「ディーター伯爵に知られたらどうなるでしょうね。銀は国家管理の資材。彼の立場もありますからねぇ」
小領主がやっと口を開いた。長い間口をきいておらず話し方を忘れてしまったかのように、口をパクパクと何度かしてから、やっと声が出た。
「……私は……どうすればよろしいでしょうか……?」
「はは、いやあね、この減った分の資材をどこに流したのか、それをお聞きできれば、と」
小領主は呆然とした顔でエミールの顔を眺めてから、諦めたようにポツポツと語り始めた。
***
エミールは、ワイングラスを手にバルコニーに出た。夜風に吹かれながら、先ほどの話を思い返す。
やはり予想通りの結果だった。
前王朝時代に長い間この地を治めていたエーベルト公爵家。その従者より内密の依頼が来たと言う。
その内容は、銀を秘密裏に分けて欲しいと言うものだった。領主は悩んだが、前王朝臣下が苦しい生活を強いられている事実は知っている。そして、今でも恩を感じている。
前王朝時代、鉱脈を持つ貴族が、銀鉱山の坑道を見学に訪れたことがあったという。その案内中、足場の悪い地面に足を取られて軽い怪我をした。その責任を迫られたことがあったのだと。その時に、この件を穏便に済ませてくれたのが当時のエーベルト家当主だったという。
結局、少量ならばバレないだろうとたかを括って出荷準備後の銀を抜き取り、エーベルト家従者に渡していたと言う。
(まったく、銀鉱区の小領主のくせに、銀の価値を理解していないのか)
エミールは呆れ顔でため息をつく。
「まあ、予想通りだけど……銀、ってことは、やはり資金に困っているのか……生活難か、もしくは、何か入り用なことでもあるのか……」
小領主の不正。通常なら、管理責任のある領主、そして王権にも報告すべきである。
領主に告げれば、小領主は処罰。領主は保身に走って隠蔽するだろう。ロイエンタールにとっては弱みを握れて有り難いが、あそこの領主に国家資材である銀鉱区を管理する権利はないから、大した利益にはならない。むしろ余計な悪意を持たれても困る。
王権側に報告したらどうだろうか。領主は管理責任を問われる。そして、全王朝遺臣は、誰と問わず処罰されることになるだろう。そこには、ルーシュが含まれる可能性も十分にある。王胤抹殺令が生きてる限り、国王は自分の都合でルーシュをいつでも処罰できるのだから。
「はあ、やはりここはロイエンタール内で処理するか」
エミールは大きなため息をつく。
(ロイエンタールの利益が一番優先されるべきなんだがな……)
エミールがグラスを回しながら考えに耽ていると、背後から声をかけられた。
「エミール坊ちゃん、ここにおりましたか」
苦笑いしながら振り返り、ヘルムートを見る。
「だから、もう坊ちゃんって歳じゃないって」
「いかがでしたか?久々のその装いは」
エミールは、自分の着ている豪華な刺繍の施されたウエストコートやブリーチズを見下ろし、軽く微笑む。
「まあ、相応しい仕事はできたと思う」
そういうと、再び外を見下ろし、ワインを一口飲み込んだ。
ヘルムートは、横の机につまめるものをいくつか並べ始めた。そして、その手をふと止め、口を開いた。
「……弟たちは、かわいいですか?」
エミールが無言で振り向いた。よく浮かべる微笑。何を考えているか読めない表情だが、今はその奥に温かみを含んでいた。
「巻き込みたくないように見えましたので」
エミールは無言でまた外の方に視線を向けた。
「昔……剣は大切なものを守るためのものだって言ったよな」
「はい、確かにお伝えしました」
「俺は剣を握ることなんてほとんどないけど……大切なものを守るためなら強くなれる、ということはわかった気がする」
「左様ですか」
ヘルムートは自然と口角が上がっていた。
「ふ、なんだか嬉しそうだな?」
「そうですね。息子のように可愛がっていた子が立派な大人に成長しておられたので」
「はは、見限られなくてよかった」
「まさか……公爵殿下も、坊ちゃんのご報告を心待ちにしております」
エミールは月明かりが照らす遠くの空を眺める。
「まあ、俺も立ち止まったままじゃいられないしな」
夜の静けさがすべてを包み込むように、彼の決意もまた、誰にも知られぬまま深く沈んでいった。




