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第二十六話 仮面の温もり

 アウグストとルーシュは夕食を終え、大きな長椅子に寛いだ。


「教員寮より過ごしやすい」

「はは、ルーシュうちの別邸に住むか?」

「許されるならそうしたいー……」


 夕食を終え、気を使わない二人に戻り軽口を交わす。


「じゃあまず、ロイエンタールに忠誠を誓ってくれ」

「それは辞めとく」

「何でだよ?」


 冗談のやり取りだが、すぐに否定したことにアウグストが少しムッとした顔をする。


「だって、アウグストとは対等でいたいから」


 ルーシュはアウグストに笑いかける。それにアウグストは小さく頷いた。


「……それもそうだな」


 そんな会話の中、護衛のヘルムートがグラスを手に声をかけてきた。


「お酒でもいかがですか?」

「なんかいいワインある?」

「アウグスト様がお好みの軽めの白ワインがございます」

「じゃあ、それをお願い」

「かしこまりました」


 ヘルムートが慣れた手つきでグラスとワイン、そしてチーズやナッツ類を準備する。


「ルーシュとお酒飲むの初めてだな」

「確かに」

「じゃ、乾杯」


 静かにグラスを掲げた。

 数杯飲んだ頃、アウグストがふと思いついたように、気配を消しながらも業務に講じる護衛を振り向いた。


「なあ、ヘルムートって兄上の近衛だったんでしょ?」

「左様でございます」

「兄上の小さい頃の話、聞かせてよ」

「小さい頃……ですか」

「俺、兄上の記憶ほとんどないからさ」


 アウグストの声が少し掠れたような気がした。ルーシュは二人の距離感の原因を何となく理解したような気がした。


「僕も、エミールの話聞いてみたいです」


 ルーシュもアウグストに加勢する。


「それでしたら、少しだけ……」


 ヘルムートは手を止め、懐かしむように天井を見上げた。


「エミール坊ちゃんは……可哀想な子、でしたかね……」


***

 ヘルムートがロイエンタールに仕えるようになって十年経たないくらい、ロイエンタール家の嫡男の護衛任務を任されるようになった。護衛だけでなく、ヘルムートの技術を買っている当主は、剣術の指導もするよう指示した。

 まだ四歳かそこら。剣を持てるだけで褒めるところだが、そう甘やかす訳にはいけない。こちらも上からの指示がある。

 自分にしては厳しく指導したつもりでいたが、泣いたり怒ったりするようなことはなく、あまり感情を表さない子だな、という印象だった。

 向上心もあり、質問もよくしてくれた。


「どうしたらもっと上手く倒せるんだろう」

「倒そうと思ってるうちは難しいですよ、坊ちゃん。剣術は大切なものを守るためにあるのですから」

「大切なもの?」

「そうです。あなたにも大切なものがあるはずですよ」


 少し理知的すぎるなとは思ったが、それが貴族の子供だと思って特に気にすることはなかった。

 彼に親近感を抱いてもらえるようになったと感じた頃、邸宅の庭でしゃがみ込んでいるエミールを見つけ声をかけた。


「外に出る時はお声がけくだ……」


 途中で声を失った。そこには、笑いながら虫の羽をもぎ取る彼がいた。

 まだ六歳になるかどうか。そんな彼が怖いと感じ、咄嗟に腕を掴んだ。


「何をしてるんですか?」

「え?僕の前に出るからわからせてやってるの」


 しかし、そんな彼は夜になると、『虫に襲われる』と恐怖して眠れなくなる。身体の大きくなってきた彼が、まるで幼児のように泣いて震える。

 聞くに、実に利己的な父親、ジークフリート・ロイエンタール公爵は、息子にも幼い頃から、情ではなく損得で物事を判断するよう強く指導していたと言う。

 自分の感情は悟られてはいけない。他人の感情は絆されてはならず利用するもの。静かに微笑むことが多かった彼は、自分の感情を出さないように必死だったのかもしれない。

 当主としてのその対応は理解できるし、必要であると思う。しかし、感情形成もできていない子供に課すべきことだろうか。


 ある時、干ばつの被害を受けた村を訪れた。

 父親の後について歩くエミールは、壮絶な景色にショックを受けただろう。監査の途中で、エミールと歳の変わらぬ少年に声をかけられた。


「お腹がペコペコで……何か、食べ物を……」


 大人であればわかる。ここで手を貸したとて、全員を助けられるわけではない。領主のすべきことは、できるだけ多くの民を助けられる対策を講じること。だが、子供に割り切れることではないだろう。

 しかし、エミールは微笑みながら予想外の声をかけた。


「君を助けると、僕にはどんな得があるの?」


 空気が凍った。ヘルムートは思った。このままではいけない、と。

 ヘルムートはエミールを教会に連れて行った。

 ヴェルツ正教を許した訳ではない。かつての主人を死に追いやった組織であるのには違いない。しかし、それよりも、この少年が心配だった。

 ロイエンタール領にある教会にさりげなく連れて行った。そこで、聞いた言葉。


「歯車のように、人もまた、役割を持って生きる」


 エミールの目から一筋の雫が静かにこぼれ落ちた。こんなに幼い子を押さえつける必要があるのか。

 その後、エミールは神学校に進みたいと申し出た。

 公爵殿下はあまり気にしていないようだったが、そのきっかけを作ったヘルムートは、エミールの護衛から外された。

***


「アウグスト様」


 神妙な面持ちのアウグストが顔を上げた。


「アウグスト様からしたら、エミール様はあまりいい印象がないかもしれませんが……嫡男の重みは当人しかわからないものです。お尊父様はエミール様とアウグスト様の教育方針を明確にわけていらっしゃいましたから」


 ヘルムートには明らかに、エミールに対する情が垣間見れた。


「アウグスト様は幼少の頃から外の学校にも通われたのでしょう?」


 アウグストは静かに頷いた。


「領地内も好きに出かけて、広い世界を見せたかったのでしょうね。神学校も王都のものに通い、親の爵位に関係なく同年代の者同士で学び、関係を構築し、温かい体験ができたでしょう」


 アウグストはルーシュを一瞥した。


「反対に、エミール様はあまり外に出ることは許されていませんでした。通った神学校も本邸から通える小規模なもの。皆、エミール様が領主様の息子と知っていたため、どれだけ『学生』という身分を享受できたかはわかりません。むしろ自分だけが異質であることを再認識させられたのでは……だから、物理的に距離を取りたかったのかもしれませんね」


 ヘルムートは少し寂しそうな顔をして俯いてそう言った。

 貴族の多くは長子世襲制を取り、長子は生まれた時から後継として育てられる。領主となれば、リーダーシップを発揮して領民をまとめ上げ、他の貴族との探り合いを制し、時には無慈悲な判断も下さないといけない。だから、無駄に情を抱きやすい神学校などには通わず、己の立場を自覚することに徹する。

 逆に、長子以外はいつまでも親の爵位に胡座をかいている訳にはいかない。後継でない以上、正教内や政治分野で己の地位を確立していく必要がある。だから、正教の力が強い本国では、長子以外は神学校に通う者が多い。


「遠くに行かれてからは、あまり会う機会はありませんでしたが、その温かさに少しでも触れられていれば、と思わずにはいられません」


 二人とも返答を返せず、視線を下した。


「申し訳ございません。あまり楽しい話ではなかったですね」

「いや、聞けてよかったよ。ありがとう」


 アウグストはグラスを見つめながら答えた。

 ルーシュは昔から見てきたエミールの姿を思い返していた。

 確かに、彼はよく穏やかに微笑んでいた。厳しい表情を見せることはあっても、感情的に怒った記憶はほとんどない。それは、自分の感情を押し殺すよう教えられていた結果だったのかもしれない。けれど——


「……でも、エミールの温かさに、僕は何度も励まされましたよ」


 ふと漏れたその言葉に、ヘルムートは少し驚いたような顔をした。そして、ほんのわずかに微笑んだ。


「……そうですか」


 一拍置いて、静かに続ける。


「では、坊ちゃんもきっと同じですね」


 淡い灯りのもと、グラスの中のワインがかすかに揺れた。

 誰も続けて口を開くことはなかったが、その沈黙には、不思議と優しさが宿っていた。

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