第二十三話 影の綱引き2
簡素な部屋に大人が三人。手狭に感じながらも、アウグストとエミールはヘルムートと向かい合う。座る椅子もないので、ヘルムートは扉のすぐ横に恐縮そうに立っていた。
アウグストは、口を出さないよう事前に言われたため、静かに見守っていた。
呼んだきり口を開かないエミールに代わり、ヘルムートが先に口を開いた。
「エミール坊ちゃん、お話とはどのようなことで」
「うん、昨晩の件を俺にも話してほしいなって思って」
予想以上の軽い雰囲気でエミールは言葉を発した。
「昨晩のことと申しましても、アウグスト様にお伝えしたことが全てになります」
「じゃあそれをもう一度聞かせて」
ヘルムートは少し怪訝な顔をしたが、一息ついて話し始めた。それはアウグストが今朝聞いたとおり、特に収穫はなかった、という内容だった。
「よろしければ、そろそろ業務に戻りますので」
ヘルムートが扉のノブに手をかけた。
「ねえ、その『知人』?過去に任務で一緒になったって言ってたらしいけど、何の任務?ロイエンタールのじゃないよね?」
「……いつのことでしたか。随分昔のことになりますので」
ノブに手をかけたままヘルムートが答える。
「じゃあ……王太子付きの頃の話か?」
その言葉にヘルムートが振り返った。
「カスパール領は、前王朝時代のエーベルト領。エーベルト公爵家は王家の近衛兵だろ?エーベルト領で腕が立つなら騎士団に召し上げられただろうな」
ヘルムートは無言のまま落ち着いた様子でエミールを見る。その変わらない表情を見てか、エミールは少し身を乗り出し続ける。
「まあ、あの無能なボンボンの近衛兵なら、鉱山警備が相応しいか……」
言い終わらないうちにヘルムートはエミールに迫り、出しかけた手を寸前で止めた。
「いくら坊ちゃんでも、王太子殿下をそのように揶揄するのはよしてください」
エミールは先ほどまでとは打って変わって、真摯な眼差しをヘルムートに向けた。
「悪かった」
その顔を見て観念したのか、ヘルムートは「私の忠義は、ただロイエンタール家にのみ捧げられていることはご理解ください」と前置きしてから口を開いた。
ヘルムートの知人とは、前王朝時代、王太子付き近衛副長を務めていたときの部下だという。あの革命の後、名のない彼は、自分の地元である旧エーベルト領に戻った。
そもそも、その知人がヘルムートに会ってくれたのは、『ロイエンタール護衛』という肩書きを見たからだという。
***
「副長がちゃんとした職務を見つけてくれていて良かったですよ」
いくらかお酒を飲んで陽気になった知人が饒舌に話し始める。
「……というと?」
「半年くらい前にエーベルト臣下の一人が会いに来まして。第三銀鉱区がある村の小領主と繋げてほしいと」
「ああ、お金に困ったのか」
「おそらく。でも、そんなのに手を貸したら自分もどうなるか分からないですから流石に断りました」
「まあ、そうせざる負えないな」
知人は深く頷いてから、にっこりと笑った。
「ですので、副長が立派なところに勤めていて良かったです」
***
「決定的な話ではなかったのでお伝えすることは控えさせていただきました」
エミールは特に答えず、続きを待つようにヘルムートに無機質な視線を向ける。先にヘルムートが口を開いた。
「いや、今の言い方は語弊がありましたね……かつての仲間が疑われるのを避けたかった、というのが本音です」
「疑う疑わないじゃなくて、真実は確認すべきだろ。このままでは、ロイエンタールの不正を疑われる可能性もある」
「左様でございます。短絡的に判断し、申し訳ございません」
エミールは小さく頷くと、アウグストに視線を向けた。
「おまえは先に談話室に戻ってろ。多分、ルーシュも帰ってきてるだろ」
「……兄上は?」
「少しヘルムートと話したいことがある」
そういうと、有無を言わせずアウグストを扉に向かわせた。アウグストが不承不承に部屋を出ようとすると、最後に声をかけられた。
「おまえも、この件にはもう関わるなよ」
ここで反抗したところでどうなるわけでもない。アウグストは静かに頷いてから扉を閉めた。
(兄上はロイエンタールのことを一番に考えている。でも……友として側にいられるうちは……)
アウグストは木漏れ日の降り注ぐ回廊を一歩ずつ踏みしめた。
***
扉が閉まり、静まり返った部屋。エミールはゆっくりと思考を整理する。
エミールも当初はアウグストが言うように、遺臣に対して、ロイエンタールが何かしら関与しているのではないか、と疑った。だが──
(アウグストが陛下の命で動いているなら、その線はないな……)
二人の父親であるジークフリート・ロイエンタール公爵は常に機を見て動く男だ。盤面全体を読んで、利益を取ることに迷いがない。一見何を考えているか分からないようにも見えるが、冷静に見れば一目瞭然。彼は、ロイエンタールに対する損得でしか動いていない。
(父上が直接アウグストをルーシュの監視に使ったと思っていたが、陛下に遣わせたということは……何らかのきな臭さは感じたが、ルーシュの存在自体は知らなかった、と言うこと)
遺臣に何かしらの目的で接触するなら、クロイツ家に察せられないようにするはず。その囮としてルーシュを監視しているのかと思ったが──
(ルーシュは既にクロイツ家の監視対象。今更手を出して、危ない橋を渡るほどの価値はないだろう。ということは、俺をこの村に送り込んだのも、何らかの違和感を感じた程度だったのか。あるいは……)
エミールはふっと息をつき、わずかに口元を緩めた。
(ここまで予見してたとしたら、恐ろしすぎる千里眼だな)
だが、いずれにせよ──
「……もうロイエンタールはこの件から手を引くべきだな」
ぽつりと呟いたその声に、静かに近づいてきた影が動いた。
「……エミール坊ちゃん、お話とは……」
考えに耽るエミールに、ヘルムートが恐る恐る話しかける。
「ん、ああ。ちょっと頼みたいことがある」




