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第九話 折れた御神木~後記~

 新しい朝は、澄みわたるような青空で始まった。

 秋の風が涼しく村を撫で、倒木があった広場には早くも木枠が組まれ、入れ直された土の上に陽が柔らかく降り注いでいる。


 ルーシュは袖をまくり上げ、鍬を手にしていた。

 手元には教会でまとめた簡易の水脈図。彼はそれを確認しながら、周囲の大人たちに声をかけていく。


「ここの排水溝はもう少し広げましょう。次に雨が降ったとき、水がここに集まりすぎないように」

「ああ、そうか」


 村人たちは頷きながら、すぐに手を動かし始める。

 以前ならどこか遠慮がちだったルーシュの声が、今はまっすぐ空気を切り裂いて広がっていく。

 それは確かに周囲を動かし、村人たちの力を引き出していた。


 エルザは少し離れた場所で作業しながら、その姿をちらりと横目でとらえる。

 風が髪をかき乱し、耳元で遊ぶ前髪を指先でそっと払う。

 手にしていた苗木の根を丁寧にほぐしながら、ふと視線を上げた。

 ルーシュが空を仰いだ横顔が、目に飛び込む。

 雲ひとつない青の下、彼の瞳はまるで村の遥か先を見据えているようだった。

 かつて一緒に走り回っていた少年の面影が、遠ざかるようにぼんやりと霞んでいく。


 エルザは手元の苗木に視線を戻すと、指先で優しく土を払い落とす。

 小さな根が、柔らかな土にしっかりと伸びていくように。

 その動きはどこか、ひそやかな願いにも似ていた。


「エルザ、そこは少しだけ傾けると、雨水が根に行きやすくなるよ」


 ふいにかけられた声に、はっと顔を上げた。

 気配もなく近づいていたルーシュが、苗木の根元を軽く指で示している。

 指先の動きにはもう迷いがなく、慣れた手つきで土を寄せていく。


「こう、ほら」


 その手際の良さに、一瞬だけ言葉を忘れる。

 いつの間にか追い越されていたその背中は、思いのほか大きく、そして大人びて見えた。


「そんなこと言われなくてもわかってるわ」

「さすが、頼もしいな」


 ルーシュは笑い、再び鍬を手に取って作業へ戻っていった。


 その背中は、手を伸ばせば届く距離にあるのに、なぜか遠く感じられた。

 エルザはそっと、土の上に苗木を立てながら、その姿をもう一度だけ静かに見つめた。


 秋の陽が二人の影を長く伸ばし、やがて新しい木の小さな影を地面に落とす。

 風が吹き抜けるたび、土と草の匂いが混じり合い、季節の移ろいを静かに告げていた。


***


 その日の夕方。

 教会を訪れたエルザは、裏庭で鍬の手入れをしているルーシュの姿を見つけた。西日に照らされる背中がいつもより逞しく見え、しばし言葉もなく見つめてしまう。


 ふと顔を上げたルーシュがこちらに気づき、柔らかな笑みを向けた。


「そんなところで何してるの?」

「……いや、べつに」


 声をかけられて、ついそっけなく返す。けれど足は自然とルーシュのもとへ向かい、隣に腰を下ろしていた。


「おつかれさま。みんないい顔してたね」

「うん。こうして明るい未来を、みんなで作れるっていいよね」


 ルーシュは再び手元に視線を戻し、鍬についた泥を丁寧に落としていく。

 その仕草に、無意識に目が引き寄せられた。目の前の彼が少し遠く感じる。

 幼い頃から当たり前のように隣にいたはずなのに、いつの間にか背中が追いつけないほど大きくなっている気がした。


(どこにも行かないで……こっちを見て)


 そう思いながら無意識に手を伸ばしていた。

 ぴと。

 その伸ばした手がルーシュの頬に触れた。驚いたようにこちらを向いたルーシュと、視線が重なる。

 エルザ自身も、何がしたかったのか分からなくなって、ただじっとその目を見つめてしまう。


「……どう...したの?」


 ルーシュがそっと声をかける。

 その声にハッとして、慌てて視線を逸らす。

 目の前の額に、乾いた泥の筋がついているのが目に入り、とっさに言葉を繕う。


「ほら、顔が汚れてるわよ」


 軽く額を払う仕草に紛れて、鼓動が早まるのをごまかした。

 ふと目線を下ろすと、ルーシュの袖口に赤い染みが滲んでいるのが目に留まる。


「ルーシュ……どうしたの、これ?」


 声がわずかに上ずる。

 無理やりルーシュの手を取って袖をまくると、案の定、腕には鋭い切り傷が走っていた。


「ケガしてるじゃない!」

「ああ、これ?ちょっと引っかけただけだよ。たいしたことないって」


 そう言いながらも、ルーシュはわずかに困ったように笑う。


「まったくもう……」


 呆れながらエルザはくるりと立ち上がった。


「手当てしてあげるから、そこで待ってて」


 言い置いて、足早に建物の方へ向かう。

 ルーシュの視線が届かなくなったところで、ようやく歩みを緩めると、そっと息をつく。

 ふと、先ほどルーシュの頬に触れた自分の手に視線を落とした。


(……わたし、何してるんだろう)


 思わず伸ばしてしまった手のひら。戸惑いと共にじんわりと熱が広がる。

 けれど同時に、触れられる距離に彼がいるということが、どこかくすぐったく、ほんの少し心を温める。


(今はまだ、届くんだ)


 かすかに胸の奥でそう感じながら、エルザは静かに歩き出した。


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