第十三話 映えぬ花の伝言
教室の時計の音が鳴った。
「では、今日はここまでです。また明日」
エルザは教室にいる少年少女たちに向かって笑いかけた。
「ありがとうございました」
「先生さよなら〜!」
元気な声が返ってくる。皆が道具を片付け、わいわいと話しながら教室を出ていくのを、エルザは静かに見守っていた。
こうして子供たちが明るく過ごす日常に触れられることが、今はとても大切に思えている。
「……さて、私も帰ろう」
校舎を出て教会を横切ろうとしたそのとき、背後から声がかけられた。
「お帰りですか?」
「あら、エミール……様」
「何度も申し上げてますけど、今まで通りにしてください。他の人にバレると面倒ですから」
エルザは気まずそうに小さく頷いた。
二年前のヴェルツ正教の粛清時に、エルザが当時嫁いでいたラインベルク家も正教の不正に加担したとして制約を受けることとなった。その際に、公に姿を現したのが、ロイエンタール公爵家の嫡男であり、現在助祭としてこの村にいるエミールだった。
ロイエンタール公爵家といえば、この国で一二を争う大貴族。おいそれと声をかけていい存在ではない。しかし、当人は村の人には黙っていてほしいという。
なぜ彼がここにいるのかは知らないが、確かにその身分がバレれば、今まで通り過ごすことはできないだろう。
だから、エルザも今まで通り接するよう努めているが、つい、畏れ多くて『様』をつけたくなってしまう。
「あの……エミール、少しお時間いいですか?」
「ええ、構いませんよ」
エルザは人目がなさそうな庭の端にエミールを連れていった。
「……その、ラインベルクは今、どうなっていますか?」
「ご安心を。少々サボり癖はあるようですが、ちゃんと領主としての務めは果たしています。ディートリヒ伯爵もお元気ですよ。……気になりますか?」
「そりゃあ、ね……」
何となく気まずく感じ目を逸らした。
すると、ふわりと頭に手が置かれた。見上げると、エミールが優しく微笑んでいる。
「ご自分を責める必要はありませんよ。うちの従者は優秀ですから、安心してください」
「うん……ありがとう」
「それでは」と、教会の中に戻ろうとするエミールをエルザは思わず引き留めていた。
「他にも、何か?」
エルザは前から気になっていたことを口に出していた。
「何でエミールはここにいるんですか?」
その問いにほんの僅かエミールの表情が曇ったような気がした。余計なことを口にしてしまった、と後悔する。
「あ、全然、言いたくなかったら別に、ちょっと気になっただけだから……」
焦ってカタコトになるエルザを見て軽く笑ったエミールが口を開いた。
「別に、そんな大層な理由じゃないですよ」
教会に向かっていた足をエルザの方に二歩だけ戻し、答えを探すようにふと視線を上へ向けた。
「強いていえば……人間になりたかった?」
「……は?」
突拍子のないことを真面目な顔して答えるエミールに、思わず素っ頓狂な返事をしてしまう。
「エミール、人間じゃないの?」
「何に見えます?」
ニヤニヤとからかうように笑うエミールに、エルザはむっとする。
「もう、いい!」
「はは、まあまあ。でも……あながち間違いでもないんですけどね」
そういって困ったように笑う彼を見ていると、結局本心は聞けなかった。けれど、言いたくないのなら、それでいい。踏み込むべきじゃない。
エルザはくるりと背を向け、家路についた。
***
屋敷に戻ると、メイドの一人が駆け寄ってきた。
「エルザ様、おかえりなさいませ。ちょうどエルザ様宛に荷物が届いております」
そのメイドは腕に木箱を持っていた。差出人はミーナとなっていた。ラインベルク家で仲良くなったメイドの一人だ。
(今更一体なんだろう?)
「お部屋までお運びしますね」
「ええ、ありがとう」
部屋に着くと、護衛の一人が道具を持って現れた。
「開封いたしましょうか?」
「お願い」
「かしこまりました」
封されていた釘を抜き蓋を開けると、大量の羊皮紙がくしゃくしゃに丸められ中に詰められており、その上に一通の手紙が添えられていた。
手紙を取り出し、羊皮紙の束に手を入れてみると硬いものに触れた。取り出してみると、それは色付きのガラス製の花瓶だった。
「これは……」
確かラインベルク家の食卓に置かれていたような、そうでないような。正直、自信がない。花瓶など至る所に置いてあったのだから。
(今更、これを送ってきてどういう意図だろうか?)
「うわぁ、綺麗なガラス製ですね!」
木箱を運んでくれたメイドが声を出す。確かに、ガラスは貴重だし地方では珍しいが、伯爵家では珍しいほどのものでもなかった。
エルザは苦笑いして、同封の手紙を開いた。
だが、最初の一文を読んだところで顔を上げる。
「ごめんなさい。一人で読みたいんだけど……」
「あ、ごめんなさい。そうですよね。失礼いたしました」
メイドと護衛が退出すると、エルザは深呼吸して手紙を読み始めた。
*
エルザ様
お元気でお過ごしのことと存じます。
お手紙なんて少し照れくさいので、できればお一人の時にお読みくださいませ。
エルザ様がいつも大事な花を生けていた花瓶をお送りします。
内底に色付けされた紫色が好きでしたよね。
ただ、この色の花瓶にはあまり赤色の花は映えないと思いますので、他の色がよろしいかと!
話は変わりますが、領主様の机は無事、修理いたしました!
エルザ様が安らかに、幸せに過ごされていることを心より願っております。
*
エルザは手紙から顔を上げ、木箱を見る。
(大事な花……なんて生けたことないけど……。というか、何だかざっくばらんな手紙)
木箱から花瓶を取り出してみる。
ガラス製の花瓶が割れないように、花瓶の外にも中にも丸めた羊皮紙が所狭しと詰め込まれていた。
(内底が紫色なの……?)
花瓶の内底の色なんて知るわけない。
(というか、花瓶の内底の色と飾る花の色って関係するの?)
そう思いながら、花瓶の中に詰められた羊皮紙を取り出し中を覗いてみる。
「どう見ても青じゃない!……なんなのこの手紙……」
エルザは何だかよくわからない手紙を凝視する。
でも──意味なくこんな手紙を送ってくるとも思えない。
(何が言いたいんだろ……)
エルザはもう一度手紙を読み返してみる。
ロイエンタール家の管理下となったラインベルク家。特に厳しい規制があるわけではないが、手紙は検閲される可能性もある。それを考慮したことなのか……。
「赤色の花は映えない……」
もちろん花瓶の内底の色で映えるか映えないかなんて決まるはずがない。つまり──
「赤色……ロイエンタールのことを言いたいのかしら……」
ロイエンタール家の家紋には深緑と金が使われている。しかし、ロイエンタール家の血筋は基本的に赤髪が多い。エミールも赤い髪をしている。
「だとしたら、ロイエンタール家には言わない方がいいこと……」
エルザはもう一度手紙を読み返す。
「大事な花を生けてた、ね……」
エルザはもう一度花瓶の中を覗いてみる。
どう見ても普通の花瓶。エルザは花瓶の中を見ながら少し考える。そして──
「あ!ミーナが大事なものを生けたってこと?」
エルザは自分の周りに散らばった丸まった羊皮紙を見る。
近くのものを広げてみると、だいぶ昔の地籍記録が記してあった。
「これ……じゃなかったな……。えー、どれが花瓶の中に入ってたっけ?」
エルザは、周囲の羊皮紙を順に見ていく。
「この辺りのじゃなかったかなー?」
そう言いながら開いた羊皮紙には、紙の端に歯車のようなものの一部と、上部にその名前が書かれていた。
「……何、これ?」
機械仕掛けなんてわからない。だけど、恐ろしい何かを感じた。
エルザは他にも花瓶に入っていたであろう羊皮紙をまとめた。最初に見たもの以外は白紙だったけど、きっと何かあるはず。
『領主様の机を修理した』ってことは、これはディートリヒ伯爵の机の下にあったもの。
ディートリヒ伯爵は、机がガタつくと言って、脚の下に羊皮紙を挟み込んでいた。
(エミールに渡そうか……)
そう思ったとき、『赤色の花は映えない』が思い浮かんだ。エミールのことは信頼してる。でも、ロイエンタールは……まだ、わからない……。これ以上、ラインベルクの立場が悪くなることは避けたい。
エルザは一度大きく息を吐き、覚悟を決めた。
そして、紙を用意して手紙を書き始めた。




