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第十一話 第三銀鉱区の影2

 ヴァルデン河港の精算所は、川沿いに建てられた小ぶりな石造りの建物だった。

 白い外壁に風化した祈祷文が刻まれ、入口には正教の歯車紋が掲げられている。

 その奥で、帳簿と伝票が何十冊も積み上がった机に、ローブを羽織った中年の男が座っていた。


「ロイエンタール殿のご家人?これはまた、珍しいところから……」


 正教官吏──聖堂司簿代理ハーゲン・レーンツは、眼鏡を押し上げながら笑った。

 どこか緩慢で、気の抜けた口調だった。

 ヘルムートは軽く一礼し、腰の剣に手を添えながら淡々と答える。


「本日は、第三銀鉱区からの荷の報告と換金記録について、確認させていただきたく参りました」

「……ああ、あの荷ね。ええ、記録はちゃんと残っておりますよ。少々お待ちを」


 ハーゲンは帳簿を手繰り、薄いページをめくる。


「ほら、ここです。六月分、積荷量、測定後の重量、それから……売却先の記録。どれも正規の書式に則っております」

「左様ですか。しかし、出荷報告に記された精錬後の重量と、こちらでの測定値に少々差があるようですね」


 ヘルムートの声に、ハーゲンは曖昧に笑った。


「ああ、それ。よくあることですよ。山側の測りとこちらの測り、微妙にずれてましてね。まあ、実害も出ませんし」

「三月連続して、同じようなずれ方をしていますが」

「……あら?」


 ハーゲンは帳簿をめくり直す。


「ほ、本当だ……奇遇ですねぇ。いやいや、きっと偶然ですよ、偶然」

「その偶然が続くのは、よほど幸運なことか、さもなければ──何か他の要因があるか、です」


 ヘルムートはわずかに身を乗り出し、官吏の視線を正面から捉えた。


「たとえば……積み直しの際に『少しだけ』荷を減らしても、ここの記録には反映されませんね?」


 ハーゲンは一瞬目を泳がせた。


「……あ、あの、まさか。我々は、正式な伝票と秤に基づいて業務を──」

「もちろん、すべては『記録どおり』でしょう。ですが……記録の数字と、実際の銀塊が違っていたら、それは誰の責任になりますか?」

「そ、それは……積荷側の問題では……」

「そうですか」


 ヘルムートは、記録の写しを丁寧に巻物にまとめながら、さらりと告げた。


「念のため、今後三月間の記録も、写しをお願いしたく思います。貴殿のご協力があれば、国王陛下への報告も円滑になるでしょう」

「……っ、かしこまりました。ですが、私は何も……」


 ヘルムートはすでに振り返っていた。

 応接の椅子を引いたままのハーゲンの姿だけが、その場に取り残された。


***


 トントン。


「アウグスト様、戻りました」

「で、どうだった?」


 護衛のヘルムートが静かに進み出て、懐から書類を数枚取り出し、机の上に丁寧に並べた。


「帳簿の内容は、報告通りでした。正規の書式に則り、積荷量・測定値・売却先まで記録されています」

「まあ、そうだろう。河港で何か細工をするなら、帳簿の数字ごと操作する」

「仰るとおり。記録を担当していた聖堂官吏も、青天の霹靂といった様子でした」

「……ということは、積荷側の問題、か」


 アウグストは眉を顰める。

 銀は専用の木箱に封印を施した上で出荷される。運送途中で細工があったなら河港で気づかれないはずがない。だが、現地では『帳簿通り』に処理されていた。

 ふと目を上げると、いつもならすぐに控える護衛が、珍しくその場に留まっていた。


「何か言いたいことでもあるのか?」

「……いえ」


 言おうか言わまいか悩んでいるようだった。


「言いたいことがあるなら言ってくれ。私は父上みたいに冷徹ではない」


 ヘルムートは一礼してから口を開いた。


「もし……カスパール領側を調べる必要があるなら、あのあたりに知人が一人おります。役立つ情報が得られるかもしれません」

「……知人?」


 ヘルムートの目がどこか遠くを見ているような気がした。


「過去に任務で一時期共に行動したことがある、という程度ですが。銀鉱山周辺で護衛をしていたはずですので」

「そうか。では手紙で探りを入れてくれるか?」

「かしこまりました」


 ヘルムートは一礼し、部屋を辞した。

 その背中を見送ったあとアウグストは執事に問いかけた。


「ヘルムートってここにくる前はどこに?」

「詳しい出身地は不明でございます。たしか、公爵殿下──ご尊父様が自らお連れになったかと記憶しております」

「父上が?」

「左様にございます。剣術の腕は相当なもので、忠誠心も厚く、評判も良うございます」

「……そうか」


 アウグストは目を伏せ、しばらく沈黙した。

 この胸騒ぎが、単なる思い過ごしであってくれれば──

 そんな思いが、ひっそりと胸の奥に沈んでいくのを感じた。

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