第九話 刻印を継ぐ者たち3
ウルリヒに案内され洞窟の会議室に姿を現したその男に、場の空気がぴんと張りつめた。
皆が緊張した面持ちで目を向けるのも無理はない。ここに集まっていること自体が、露見すれば命取りとなるのだ。
テオドール・シュタルクは部屋に一礼すると、声を震わせながら名乗った。
「ヴァルター・シュタルク公爵の嫡男、テオドール・シュタルクと申します。本日は……太子殿下のご意志を、どうしても皆様にお伝えしたく……」
もう声の出せる状況ではなかった。テオドールは嗚咽を抑えることで精一杯だった。
ウルリヒはテオドールの肩に優しく手を置いた。
「大丈夫。ゆっくり話してください」
しばらくして気持ちを整えたテオドールは、懐から何枚かの羊皮紙を取り出し、机の上に広げた。。
「……『時告げ歯車』?」
座っていた一人が羊皮紙に記載された文字を読んだ。
「はい。太子殿下が、ヴェルツ正教と共同で開発されていた装置です」
その言葉に、室内の空気が一変する。
「ヴェルツ正教と?」
一部が明らかに怪訝な態度を示した。
あの革命以降、ヴェルツ正教への不信と憎悪を抱いてきた者は少なくない。
「なぜ、太子殿下が、彼らと?」
「詳しくは私も知りません。ただ、殿下は『この国の未来を良くするため』と、そうおっしゃっていました」
各自、周りの者を見渡し、内心を探り合う。
「……皆様がヴェルツ正教を快く思っていないことは存じています。もちろん、私もです。……ですが……太子殿下が望んだ安寧の世を……夢見ているのです」
沈黙が部屋を支配した。
その重苦しさを破ったのは、ウルリヒだった。
「……具体的に、この装置にはどのような力があるのですか?」
「──『時を操る』とのことです」
一瞬沈黙が訪れた後、ざわめき出した。
「時を?」
「まさか、そんなことが?」
「そもそも、『時』とはヴェルツ正教が神聖視してきたものでは?」
ウルリヒは手を上げて静寂を促した。
その視線でテオドールに続きを促す。
「……実際にどれほどのことが可能なのか、私自身、正確には知りません。開発施設に立ち入ったこともなく……ただ、『災厄を防ぐために時間を巻き戻す』ことができる、と」
部屋が静まり返る。その時、この中では若手と言える一人が口を開いた。
「……もし、それが本当に可能なら──
今の時をフェルディナント・レオント陛下の時代に戻せるということですか?」
誰もが息を呑んだ。
『そんなことができるのか』という疑問と、『そうであってほしい』という望みが葛藤する。もし、あの頃に戻れるのであれば──。
次の言葉を発するのが憚られた。
ウルリヒは一息吐いてから口を開いた。
「どちらにせよ、我々には今、何かをする手立てはありません。ですので……この装置に賭けてみる価値は、あるかもしれない」
静かに、でも確かに、皆が賛同するのがわかった。
自分を含め、先ほどの言葉に夢を見てしまったのである。フェルディナント陛下の時代に。それが実現できるならどれだけいいか。
*
「ではまず、必要な資材を洗い出しましょう」
それから、集会は定期的に開かれるようになった。
テオドールが持ち込んだ設計図を囲み、皆で手分けして準備を進める。
「まず鉄ですかね……」
「そうですね。鉄が一番必要量が多いですが、採れる土地も多いですから何とかなるでしょう」
「問題は、銀、琥珀、そして永久磁石ですか……」
銀は、かつてのエーベルト家やヴァイスローデ家の領地でしか採れない。
腕を組んで考え込んでいたウルリヒが、静かに口を開いた
「銀の調達は、私の旧領地でなんとかしましょう。琥珀と永久磁石については──王都に前王朝ゆかりの職人が今もいるはずですが……」
「王都、ですか……」
誰もが口を噤んだ。
監視対象である我々が、王都に近づくなど──自殺行為に等しい。
そのとき、ひとりがすっと手を挙げた。ウルリヒの息子、レオンハルト・エーベルトだった。
革命時はまだ赤子だった彼は、今は立派な青年に成長していた。
「……私は、革命時にはまだ赤子でした。監視の目もさほど厳しくないかと。……私に任せていただけますか?」
ウルリヒの表情が、一瞬だけ揺れた。だがすぐに気を取り直し、頷く。
「……頼んだ。琥珀と永久磁石は、そなたに任せよう」
空気が動き始める。
誰もが、それぞれの役割を意識し始めていた。
その時、また一人が設計図の端を指差した。
「これは、どういう意味ですか?」
そこには、補足として書き足したように『王家の血』と記されていた。
テオドールが頷き、答えた。
「この装置は起動の際に王家の血液を使用します」
「……王家」
「はい、もちろんレオント家のことです。当時は太子殿下の血液をサンプルとして用いておりましたが、レオント家であれば問題ないと思います」
一瞬考えたのち、皆同じ顔が浮かんだらしい。
「……つまり、エリーゼ王女を探し出さなければならない、ということですね?」
テオドールは頷き答える。
「現在、生存の可能性があるのはエリーゼ王女のみ。王女は革命時、我が弟レオン・シュタルクと共に逃れているはずです。向かったのは、おそらく我が家の領地、シュタルク領」
「……シュタルク領ですか……」
前王朝時代、北東国境沿いの領地を治めていたのがシュタルク公爵家である。領地も広い上に、山岳部も含まれるため、探すのは骨の折れる作業である。それでも、誰も口には出さなかった。
「装置を動かすためには、どうしても王家の血が必要です」
テオドールの言葉に、誰かが呟く。
「ならば──探しましょう。資材の手配と並行して、王女の行方も」
それが、どれほど無謀な願いでも。
ここにいる者たちは皆、かつて王のために命を懸けた者たちだった。
動き出すしか、なかった。
***
「レオンハルト、鉄材の調達、もう少し量を増やせそうか?」
「父上、これ以上増やすと、さすがに不審に思われるかと。銀は旧領地から引き出すしかありませんし、鉄材はなるべく別の地域から回したほうが──」
「……そうだな。焦りは禁物だな」
ウルリヒは頷き、周囲を見渡した。
「ライナルト殿。そなたの旧領地でも鉄は採れていたと把握しています。少し融通は利かないですか?」
「はい、別の者を通してなら。もう一度、試してみます」
「無理を言って申し訳ない」
「とんでもありません。微力ながら、お役に立ちたいのです」
鉄は、歯車装置の骨格を支える最も基本の素材。設計の土台はすでに揃っていたが、実際に組み上げるには、相当量の鉄材が必要だった。
幸い、ここに集まっている者たちは皆、かつて王の信任を得た旧貴族である。
監視の目をかいくぐりながら、旧領地の忠実な従者たちに協力を仰ぎ、少しずつ資材を集めていた。
フェルディナント国王は、ヴェルツ正教への牽制としてか、資源豊かな東部地域を信頼の厚い貴族たちに与えていた。そのおかげで、旧領地からうまく資材を集められれば、完成させることはできると想定された。
最も必要量が多い鉄材は比較的広い地域で採れる。したがって、満遍なく各領地から少しずつ調達している。採取量の異変に気づかれないよう細心の注意を払って。
だが、銀や琥珀となれば話は別だった。これらは採れる地域が限られており、王都からの監視も特に厳しい。
銀の主要な供給元は、ウルリヒの旧エーベルト領と旧ヴァイスローデ領のみ。
「……鉄は分散して集められるが、銀や琥珀は……動き方を間違えれば一発で気づかれるな」
ウルリヒは歯を食いしばりながら、目の前の装置を見上げた。
不可思議に幾重にも組み重なった歯車と、導線のように張り巡らされた細工。
これが一体どう動くのか、本当にあの設計図の通りに機能するのか。それは誰にもわからない。
だが──
「……これで陛下の守りたかった世に戻れるのであれば」
ウルリヒは小さく呟いた。
どのような未来が刻まれるかなんてどうでもいい。我々の胸にはレオント家の紋章がある。それに恥じぬよう、ただ──歩み続けるのだ。
この命尽きる、その日まで。




