第七話 刻印を継ぐ者たち1
──十年前。
「進捗はどうですか?」
「そうですね……材料も尽きかけていますし、加工道具も限られていて、正直、芳しくはありません」
「理解している。できる限りで構わない、よろしく頼む」
ウルリヒ・エーベルトは職人の肩にそっと手を置くと、半ば完成しかけた巨大な歯車装置を見上げた。
すべてが変わったのは五年前。
テオドール・シュタルクが我々のもとを訪れてからだ。
***
レオント家臣下の貴族たちは革命後、地方に飛ばされ、厳しい監視下に置かれた。
間違えても蜂起など起こさないよう、資金も従者も最小限しか残されず、あらゆる力を削がれた。
だが、実のところ、蜂起など考える余地すらなかった。
あまりにも唐突だったのだ。陛下が『家族同然』とまで称していたクロイツ家が、何の前触れもなく謀反を起こし、そして──陛下は、ほとんど抵抗すらしないまま降伏なさった。
「なぜ王家側がこんなにすぐに降伏を……」
我々は王に仕える誇りを胸に生きてきた。王と我らは一心同体──そう信じていた。
呆気なく終わった革命後、国王と王太子が処刑された以外、誰一人として命を奪われなかった。おそらく、そう取り決めがなされていたのだろう、とは推測できた。しかし──
「我々は守られるのではなく、共に戦いたかったのです。我々の背負ってきたこの紋章は何のためにあるのですか……」
だから現実を受け入れるのに時間がかかった。そして、そのあとは疑問を投げかけ続けた。
何が正解だったのか。どうあるべきだったのか。
亡き国王に問いかける日々が続いた。
生きる屍のように時をやり過ごしながら、かろうじて己の存在を保っていた。
ただ一つ、救いと呼べるものがあったとすれば──家族を離れ離れにされずに済んだことだろうか。
遠く、庭先で遊ぶ幼い息子の姿を見つめる。
「……この子に明るい未来など望めるのだろうか……」
そんなある日だった。
庭に一人佇むウルリヒに、黒衣をまとった男が声をかけてきた。ヴェルツ正教の聖職者であるらしかった。
「もし、よろしければ……一度、教会へお越しになりませんか」
そのときはもちろん、即座に断った。
行くわけがない。あの日から一度たりとも忘れたことはない。クロイツ家もヴェルツ正教も。
だが、それからというもの、黒衣の男は毎日のように現れた。ときには息子に声をかけ、ときには麦の育ちを話題にする。
それはただの挨拶以上に、どこか静かな粘り強さを感じさせた。
そんな日々の中、次第に、外に出てもいいのではないかという気持ちが芽生えていった。
もっとも、監視下の身である以上、どこへでも自由に行けるわけではない。だが、教会ならば──おそらく問題ないだろう。そもそも、その監視網の中心にいるのがヴェルツ正教なのだから。
いつもと同じように黒衣の男が訪れ、他愛のない話をして立ち去ろうとしたとき。
ふと、ウルリヒの口が開いた。
「……教会に……行ってみてもいいですか?」
男は少し微笑み、静かに答えた。
「もちろんです。教会は誰にでも開かれていますから」
ウルリヒは黒衣の男の後について教会に向かった。
ついた先は石造りの質素な建物だった。
国教になったとはいえ、国内全土に新たな教会を作るのは大変な時間と費用がかかる。
この地域は革命前からヴェルツ正教が普及していたはずだが、建物は元からあった土着信仰の祈り場を利用したのだろう。
だが、唯一時計台だけは、新しく建てられたものだった。石造りの塔が堂々とそびえ、今も正確な時を刻んでいた。
その針を見上げたとき、陽の光が目に入り、ウルリヒは思わず目を細めた。
「なぜ、あなたたちは……」
教会の前に立ち止まっていると、黒衣の男に中へ案内された。
ここまで来てはみたものの、『祈る』ことにはまだ抵抗があった。
「私はここまでで」
控えめに両手を差し出し、丁重に断ろうとしたが、男はそれでもなお、手を差し出してきた。
どうしようか迷っていると、黒衣の男が近づいてきて耳元で呟いた。
「祈る必要はありませんので。どうぞ、ただ中へ」
その声には、奇妙な説得力があった。ウルリヒは静かに頷き、男のあとをついていった。
案内されたのは聖堂。人々が列を成して祈りを捧げていた。その荘厳な雰囲気に、やはり心が引いてしまう。
(やはりこの雰囲気は……)
踵を返そうとしたそのとき、男が再び口を開いた。
「こちらです」
今度は、聖堂脇にある扉へと案内される。
そこには細い通路が伸び、奥の小部屋へと続いていた。
案内された部屋には祭事の道具など雑多な物が保管されていた。確実に信徒を案内するような場所ではない。
そして、そこに予想外の人物がいた。
「……ルプレヒト・ヴァイスリント伯爵……」
「お久しぶりです、ウルリヒ・エーベルト公爵」
名ばかりの爵位にウルリヒは苦笑いを浮かべる。
「このようなところにお呼び立てして申し訳ありません。どうしても、お話ししたいことがありまして」
ルプレヒト・ヴァイスリント伯爵は、ウルリヒが現在住まう村を含む、この王都北側の丘陵地帯を治める貴族である。老齢な彼は、前王朝とも友好的な関係を築いていた地方貴族であるが、革命後はあっさりとクロイツ家への忠誠を誓い、現在の立場を維持している。
「あなたと話すことなどありません」
ウルリヒが部屋を出ようと踵を返した瞬間、ここまで案内してきた黒衣の男が行き手を遮った。
「あなた方が我々を信用できないこともわかります。しかし、どうしてもお伝えしなければなりません」
「私からもお願いいたします」
二人が深々と頭を下げた。
いくらお飾りの公爵という爵位を持っていると言っても、地元の領主にここまでされて無下にすることもできない。
「わかりました……頭を上げてください」
そういうと、簡素な椅子を差し出された。
ルプレヒトは軽く息を吐いてから話し出した。それは、思いもよらぬ内容だった──。




