第五話 交差する三つの線
発見現場と歯車の一通りの調査が終わり、若い研究員たちが書類に内容をまとめていた頃。
「レナート」
突然名前を呼ばれ、調査団の一人・レナート・ジルヴァンは振り向いて驚いた顔をしたまま、急いで頭を下げた。
「エミール様……お久しぶりです」
「挨拶はいいから、ちょっと」
そう言ってエミールはレナートを連れ出した。
南部出身、つまりロイエンタール領の民でも、市井の出でエミールの顔を知っている者はほとんどいない。公爵家の者と顔を合わせられるのは、ある程度格式のある家柄の出身に限られるからである。
レナートも、確か男爵家の出だったかな、と曖昧な記憶を掘り起こす。ヴェルツ正教が国教となって以降、貴族の長子以外が神学校に進む例も増え、学術技術院にもそれなりの爵位を持つ者がちらほら見られるようになった。
レナートはエミールより二回りほど年上で、司祭以上の位を表す二本線が袖に入っている。
エミールは人気のない庭までレナートを連れ出した。
「ちょっと聞きたいことがある」
「はい、何なりと」
「あの歯車だけど、制御装置みたいな機構だと言っていたが、二年前にヴェルツ正教が秘密裏に開発していた装置とは違うのか?」
二年前。王朝三十周年式典の場で神学生がヴェルツ正教の革命時の不正と非倫理的な開発について告発した。その事実は、王都だけでなく、国内全土に知れ渡っていた。もちろん、エミールもその事実、そして、その神学生がルーシュであることも知っていた。
ここにきて不審な歯車とくれば、嫌でもヴェルツ正教が開発していたという、『時を操る装置』のことを思い浮かべてしまう。
「……そう言われましても、例の装置は国王管理となり、我々が直接目にする機会はありませんでしたので……」
「図面もか?」
「もちろん。そのための倫理委員会ですから……」
「まあ……そうだよな」
二年前の告発を機に設立された国王直属の倫理委員会。今は、その倫理委員会が研究内容の是非を判断しているというが——。
(そんな怪しい装置の情報が公開されるわけない、か)
エミールは視線を落とし、思考を整理する。レナートは滅多に接する機会のない公爵家の者を前に、どこか居心地悪そうに待っていた。
「もう一つ」
「はい」
「この調査員の人選は誰が?」
「私が行いました。ロイエンタールからの指示で、南部出身者を中心に選定しております」
「理由は聞いたか?」
「いえ。ただ、本件は他言無用とのことでしたので、ロイエンタールへの忠誠心が重視されたのかと」
「他言無用、ね……一人若い子来てただろ?金髪の」
「あの方は急遽同行することになりまして。アウグスト様からの指示でしたので受け入れました」
エミールが渋い顔をしたせいかレナートが慌てて尋ねる。
「何か問題がございましたでしょうか?」
「いや、気にしなくていい。ありがとう」
エミールは笑顔を作り直し、レナートを皆の元に返した。
(すぐに顔に出るなんて、俺もまだまだだな)
そんなことを考えながら、腰を下ろす。
(ヴェルツ正教とレオント家の紋章が並んだ歯車か……)
エミールは頭を整理するために、枝を広い地面に文字を書いていく。
(ヴェルツ正教はクロイツ家が管理)
WとKを線で結ぶ。
(軍備開発もしていたから、もちろんレオント家も関わりがあるが、クロイツ家が仲介)
LをKと線で結ぶ。
(でも、ここでレオント家とヴェルツ正教が並んでいると……)
LとWの間に線を引き、はてなマークをつける。
(クロイツ家がヴェルツ正教を庇護した理由は軍備技術への転用が大きな理由だろう。あそこは元々軍事貴族。資金をかけて、責任を負ってでも利用する価値がある、と)
エミールはLとWの間に描いたはてなマークを見つめる。
(レオント家から見たらどうだろうか?クロイツ家を介入させることで責任をなすりつけることはできる。しかし、手の内を全て曝け出しているようなもの)
この国はまだまだ貴族の力が強い。形式上、王家が国の頂点であることは確かで、領土と引き換えに忠誠を誓う。しかし、貴族たちは自身の領土を自由に統治でき、独自の軍も持てる。したがって、王家と貴族の関係は何とも微妙なものである。王家が貴族の納得なしに無理な政策を行うこともできないし、反感を買えばすぐに争いが起きる。そういう面では、レオント家は各貴族と非常に友好的な関係を築き、長い間王座を守ってきた。
(しかし、レオント家がクロイツ家に内密に新たな軍備開発を依頼する可能性もなくもない、か)
現に、レオント家は革命の際クロイツ家に対してすぐ降伏している。大事にしたくなかった可能性もあるが、単純に軍の規模が違いすぎたせいかもしれない。
(……となると、あの歯車は新型兵器の一部かもしれない、ということか)
エミールははてなマークを囲う丸をぐるぐると何度もなぞる。
(……前王朝遺臣はこの装置を使おうとしてるのか……?いや、無謀過ぎる。たとえそんな兵器がどこかにあったとしても、王宮を落とすまでの力があるとは思えない)
もしかしたら、それは単なる『贖罪』のためかもしれない——陛下と共に死ねなかった悔恨。その思いをぶつける先としての歯車。
エミールは少し離れたところにロイエンタールのRを描く。
革命時、ロイエンタールは中立の立場を取り、どちらにも兵を出していない。しかし、これは国王を裏切ったとも取れる。そして、革命後は現王朝のクロイツ家に忠誠を誓っている。
(まあ、前王朝側には嫌われているわな……)
エミールは苦笑いを浮かべる。
(そして、この調査にロイエンタール側の者しか派遣してこない……ということは)
「クロイツ家に報告しないつもりなのか……?」
エミールはRの文字を見つめて思案する。
(遺臣の蜂起を隠したい……?レオント家とクロイツ家を争わせて今更何の得になる?……いや、違うな……その兵器を奪うつもりか?)
エミールはRの文字を何度かなぞる。
ロイエンタールの現当主・ジークフリート・ロイエンタール、つまりエミールの父親は実に打算的で現実主義である。利益になることであれば、多少の汚れ仕事も意に介さない。それが間違いだとは思ってない。あれだけ広大な領地を統治し、国家の貿易の要を握る。あの人の手には多くの民の生活がかかっている。だから、常に冷静に自身の利になる判断を下すことは、むしろ英明であると言える。エミールも幼い頃から、情や信頼などのまやかしに絆されるな、と言われ続けてきた。
(もし、ロイエンタールが何かしらこの件に関わっているのなら、それなりの『見返り』があると判断したからに違いない)
「……何にしても物騒な話だな」
エミールは小さく、しかし深く、ため息をついた。




